スキマライフ!~王子じゃないです。【アンディラート視点】
それはシャンビータからセジュラへ向かう途中、街道沿いの休憩場所に差しかかったときだった。
「お願いです、お願いです、どうか助けて下さい!」
フードを深く被った旅人が、休憩中の冒険者に縋り、何かを訴えている。
どうしたのだろう。ただならぬ雰囲気に、つい足を早めてしまう。
「うるせぇなぁ、人より大きな魔獣なんて俺達じゃ無理だって言ってんだろ!」
「ほら、向こうへ行け!」
まだ距離があって、俺には何もできない。
そのうちに、旅人の男は冒険者達に突き飛ばされて後ろに転んだ。
すとんとそのフードが肩に落ちた。
「…なっ…」
「山の民じゃねぇか!」
慌てて旅人はフードを被り直す。
遠目に見えた顔には模様のような線があり、まるで面でも付けているかのようだった。
山の民。
確か、ゼランディ内で対立している原住民だったか。
考えている間に、冒険者達は突然人が変わったようにいきり立った。
逃げようとする旅人を捕まえ、組み伏せる。
「…えっ…、おい! よせ!」
彼らが旅人に殴る蹴るの暴行を加え始めたので、俺は慌てて走り出した。
対立していると言ったって、助けてくれと頼みながら近付いてきた相手じゃないか。なんてことをするんだ!
「やめろ、何をしている!」
冒険者達を引き剥がし、旅人を背に庇う。
興をそがれたように俺を見た冒険者達は、口元を歪めて吐き捨てる。
「何だ、てめぇは! このケダモノの肩を持つってのか!」
「何を言っているのかわからない。無抵抗の相手に暴行を加えるなど、お前達のほうが余程ケダモノだ」
冒険者達は罵声を浴びせながら剣を抜き、襲いかかってきた。
剣を抜いた…それは、危害を加えるという意思表示だ。
俺はただの冒険者なのに、話し合おうという気は一切ないようだった。ならばそもそも山の民が相手だから激高した、というわけでもなかったのかな。
この人達は単に、随分と血の気が多いのかもしれない。
ソードブレイカーを抜いて応戦する。
手加減しても負けるような相手ではない。
相手を殺す気は全くなかった。
命の危機があるならまだしも、この程度。荒くれものとはいえ、盗賊でもなければそうそう斬り捨てるわけにはいかないだろう。
それほどかからずに冒険者達を殴りつけて昏倒させる。
腰のポーチから軟膏取り出して、旅人の元に戻った。
「あの。傷薬、良かったら…」
相手はびくりと身を竦めて、まじまじと差し出された軟膏の缶を見上げる。
ちょっとベタつくけれど、傷にも打ち身にも効くものだ。
はっとしたように深く俯いて、顔を隠すようにフードを引っ張りながら、彼は言う。
「…ありがとう…でも私は、山の民、です…。姿を、見ていらっしゃらなかったので?」
「よくは見えませんでしたが、俺はこの国の出身ではありませんので、山の民だからといって貴方に思うところはありません」
相手につられて、言葉遣いが戻ってしまう。嘗められるから、あまり丁寧ではいけないと師匠に言われているのに。
傷薬の缶を受け取ったので、俺はほっと息をつく。しかし途端に旅人は我に返ったように俺を見上げ、腕を掴んだ。
「た、助けて! お願いです!」
急に切羽詰まった様子に戻ったので、驚きながらも話を聞く。
「俺にできることならば」
「本当ですか!」
取り乱すとフードが少しずれて、旅人の顔が見えた。
…驚くのは失礼だ。
動こうとした表情筋を、ぐっと引き止める。
ちょっと毛深くて、目が爛々として猫っぽい。
でも、それだけだ。言葉は通じる。
よその国にはこういう人もいるのだな。
「森で、主人が襲われているんです! 大きな、人より大きな狼で!」
「何だって!」
今襲われているのか。
大ごとじゃないか。急いで助けに行かないと。
「場所はどこだ? 案内できるか?」
旅人は息を飲んだ。
「…あ…あなたは…」
人より大きな狼。戦ったことはない。
だが、それを聞いて放っておくなんて選択肢もない。
もし勝てなかったとしても、せめて連れて逃げてやらないと。
「急がねば命に関わるぞ!」
「あっ、…こ、こっちです!」
山の民はピョンと立ち上がると一目散に駆け出した。
すごく、速い。
慌てて俺も地面を蹴って走り出す。
なんだあの速さ。
山の民だから、野山を走り回ったりして、脚力が強いのかな。
俺も、もっと特訓しないと駄目だな。
木々に隠されそうになる姿を見失わないように懸命に追えば、遠くでバキバキと枝が折れる音がした。
「マスター!」
あの旅人の声。主人を見つけたか。
微かに別の誰かの声も聞こえる。良かった、まだ、生きてる。
助けたい人間が死んでしまったら、もう何もしてあげられないんだ。
オルタンシアの顔が思い浮かぶ。
グリシーヌ様を助けられないと、泣いた。
努力を続けども悪夢が現実になったその時、彼女はどれほど辛かっただろう。
誰を助けても、彼女の母親は帰ってこない。
それでも、強い魔獣に相対する度に、あの日のことが浮かぶんだ。
生きて、目の前にいるのなら、俺が代わりに戦ってやれる。
「こっちだ!」
魔獣の気を引こうと大きく叫ぶが、あまり効果がない。
旅人の主人がこちらに気付き、何かを叫んでいる。
本当に、人よりも大きな狼だ。
でも、まだ剣の届く距離じゃない。
ポーチから緊急用の、筒形の魔物除けを引っ張り出す。
筒の先の糸を毟り取ってから投擲。
確認すれば、糸の先には魔石と回路の接続を遮っていた板が残っている。
実際に使ったのは初めてだが、教えられた手順通りだ。
もしも糸だけちぎれていたら笑えないところだ。予備はない。
筒のほうは枝葉の間を擦り抜け、旅人に吠えかかっていた狼の眉間に命中。
作動した筒から、音を立てて煙が噴出する。
魔獣が唸りを上げて、大きく頭を振る。
魔物除けの濃い煙を出す魔道具だ。
弱い魔物ならあれで逃げてくれるが、こいつはそうはいかないな。
それでも、例えどんな大物でも魔獣なら、怯むくらいはしてくれる。
何とか旅人達と狼の間に身を滑り込ませることに成功した。
ちらりと確認するが、主人と思われる男も、深手を負ってはいないようだ。
間に合ったのなら上々。
リュックを放り出し、狼が体勢を立て直さないうちにと、剣を抜いて斬りかかる。
「はぁっ!」
しかし剣は振り上げられた前足に阻まれ、その大きな爪を欠けさせるに留まった。
固いが斬れなくはない。大丈夫。
「できるだけ下がって」
「はいっ」
旅人が答え、主人を抱えて距離を取る。
主人のほうも何かを言おうとしたようだが、結局何も言えずに担がれていった。
牙を剥き出して威嚇する魔獣。
睨み合うこと暫し、狼が先に決断した。
四つ足の獣は地を蹴り、がばりと口を開けた。
短いはずの滞空の間に覗く、鋭い牙がひどく目に付く。
飛び退った眼前を、バグンと重い音を立てて獣の頭部が通り過ぎる。
その瞬間を逃さずに踏み込んで、喉下から剣を突き上げた。
深く裂いた感触。
即座に剣を捻り、力任せに引き抜いて四つ足の隙間から転がり出ると、ばっと赤い色が散った。
魔獣の悲鳴。
油断せずに剣を構えるが、苦しげに鳴いてしばらく転げ回ったあと、狼は動かなくなった。
念のため、近付いて確認をする。
深い血溜りだ。魔獣の口からはだらりと舌が伸びきり、目からも光は失われている。
「終わった」
ちらりと目を遣れば、旅人とその主人が、少しだけ離れた木にびたりと背を張り付けて顔を引きつらせている。
もっと離れていてくれても良かったのに。
無事だったのだから、今、そんなことは言わなくてもいいか。
「…助か…った…、助かったあぁ!」
叫んだ旅人が、ビョンと飛んだ。
その距離から?
えっ。
というか、なんでこっちに跳ぶ?
無意識に後ろに左足を引いて、膝を少し曲げ、衝撃に備える。
妙にゆっくりに見えるのは、走馬灯じゃあるまいな。
なんか、こういうの2度目だ。
そんなことを考えながら、結局俺は飛びついてきた相手を受け止めた。
こんな距離をジャンプするなんて、オルタンシアみたいだな。
山の民の身体能力、凄い。何だか羨ましい。
「ありがとう! ありがとう! 貴方のお陰で主人が助かった!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて握手を求める無邪気さに苦笑する。
「ああ。間に合って良かったよ」
「さすがはエルミーミィの王子様だ、まさか実在するなんて、素晴らしい!」
聞き慣れないことを言われた。
ちょっと首を傾げながら訂正をする。
「…多分、それは誰かと勘違いしている」
「してない! 王子すごい! さすが!」
「いや、俺は王子じゃない…」
旅人は完全に盛り上がっていて、全然聞いていない。
何だろう。よその国に、俺と似たような顔の人がいるのだろうか。
身分の詐称は面倒事に繋がりそうなので、本当に訂正させてほしい。
「これ、ハティ。静かにしなさい。恩人が困っているじゃないか」
腰を抜かしていたのだろうか、少し覚束無い足取りで、彼の主人が近付いてきた。
「お怪我は?」
「いやぁ、奇跡的にも掠り傷ですよ。助けて下さってありがとう。貴方と出会えた幸運に感謝致します」
少し太めの中年の男だ。
装いは冒険者らしくはなく、破れや汚れが見られるものの、良い生地の服を着ている。
旅人のほうは…うん、申し訳ないが、全く年齢不詳だ。
「私は銀の杖商会の主をしております、アグストと申します。これは、奴隷のハティベーベン」
「ハティとお呼び下さいっ」
奴隷だったのか。
しかし本人が主人を慕っているようには見えるから、扱いは悪くないのだろう。
「俺はラッシュ。冒険者だ」
自己紹介を返すと、アグストはにこにこと狼を指差した。
「凄い腕でした。よろしければあの狼の素材は私が買い取りを致しましょう」
「…運べないのでは?」
「馬車がもう少しあちらにあるはずです。もし馬が逃げてしまっていたとしても、馬車ならハティが引けますからな」
いくら奴隷とはいえ、馬車を人に引かせるなんて、無茶だ。
思わず眉をひそめてしまったが、相手はすぐに察したようだ。
こちらとは逆に、表情を緩めている。
「この国では山の民の迫害が厳しいので奴隷としてありますが、ハティは大事な従業員なんです。そして山の民は身体強化を使えば、馬車くらいは引けるのですよ」
身体強化。
それは。
「…身体強化とは、山の民、以外にも…使えるものだろうか」
使えるのだろう。
だって、俺は、使える人間を知っている。
それでも、何だか信じられなくて。
難しくはあるが、不可能ではないとの返答が来た。
聞いたことのない能力だと思っていたのに、使える人間は他にもいるのか。
もしかして、トリティニアでは知られていないだけなのだろうか。
…そうかもしれない。
具体的にどうとは知らないが、大国と言いながらグレンシアやトトポロポとの国力は、違い過ぎると聞いている。
身体強化を、どこかで俺が学ぶことはできないのだろうか?
もし、もっと強くなれるのなら…。
思考が別のほうへ向かってしまっている間にもアグストは話を続けており、俺は適当に返事をしていたらしい。
いつの間にかハティによって狼は解体され、俺には素材代や狼から守った護衛料が支払われるという話が纏まっていた。
別に要らないのに。
「ラッシュ様。厚かましいお願いなのですが、よろしければ護衛の依頼を引き受けてはいただけないでしょうか。貴方が行く街まででも結構ですから」
ゼランディでこんな大きな魔獣に出会ったことはなく、今までは護衛のハティだけで対処ができたと言われ、少し悩んでしまう。
何か魔獣の分布に変化があったのだろうか。突然変異かもしれないし…これだけで判断することはできない。
けれど俺も、できれば彼らには無事帰路についてほしいと思う…。
「俺はセジュラへ抜ける予定だったんだ。今の目的地はバンデドで…」
「おお。我々も一度バンデドの支店へ向かうところなのです。是非ともお願いします」
銀の杖商会の本店はグレンシアの王都にあり、アグストもこの行商時以外、普段はそこで商売をしているらしい。
店主がゼランディまで行商に出てきていいのかと思うのだが、自分が死んだ場合、息子に店を譲る準備は既に終わっていると朗らかに言われた。
ゼランディへの行商はアグストの趣味で、家族には関係がない、と。
「ハティの関係で縁がありましてな。密かに山の民に商品を届けているのです」
ゼランディで、対立する山の民側に荷を売りに来ているというのだ。
ゼランディの兵にバレた場合、係累に害が及ぶのを防ぐため、2名のみで来ているということか。
「大きな声では言えませんが、シャンビータは山の民への強行政策を避けている節がありまして。時折山から、フードを深く被った毛深い冒険者なんかも出稼ぎに来るのですが、侯爵は見ないふりをしてくれるそうです。…お陰で年々中央からの評価は下がる一方のようですが、今代になってからの侯爵領は少しずつ豊かになっていますよ」
冒険者ならグレンシアに来ることがあるだろう、その時には是非本店にも顔を出してくれと強く言われるが…今のところ、そこまで行くかどうかはわからないから、確約はできないな…。




