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61 バレンタインの日

「やぁ、湊斗さんや。バレンタインの日ぐらい、少しソワソワしたらどうなのかね?」

「俺には関係ない」

「はぁ、いいですな。もう美女から貰えるのが確定している人は」

「そんなこと思っていない」

「どうだか」


 ある日の学校、いつも以上に教室が騒がしいのを感じながら、自分はいつも通り休み時間に宿題をして時間を潰していると、伊織が目を細めて話しかけてくる。


 周りを見回してみると、今日は男子達が大人数で群れを作っており何やら話しているみたいだ。


 世間はバレンタインとやらで、男子達は見た目では普段と同じ様子を装いながらも、もしかしたら女子からチョコレートが貰えるのではないかと心の中でソワソワしながら今過ごしているのだろう。


 当然、自分は学校で女子と関わることはないのでバレンタインでも気にすることはない。


 いつも通りに過ごして時間が経っていくのを待つだけだ。


 伊織は自分が座っている前でしゃがみこんで、無理やり自分に視線を合わせようとしてくる。


「でも、少しは期待してるんだろう?」

「……そうだな」

「へへっ。それでいいんだよ」


 伊織は自分の反応を見て、口角を上げる。


 いつもなら伊織に笑われるのは嫌だが、今の伊織の笑顔は悪い気には不思議とならない。


 姫奈にちゃんと確認したわけではないが、この前の小林先輩との話でいけば姫奈が自分に恋愛的な意味で好意を向けている可能性は高いだろう。


 だから、姫奈からチョコレートが貰えるのではないかと心の隅で少し期待している自分がいる。


 普通の女子相手なら、異性に興味がない自分にとって期待しないが、姫奈から貰えるかもしれないと期待している自分は、姫奈に好意を寄せている一つの証拠なのかもしれない。


 だが、何だかこんなことを期待してしまっている自分がやけにおこがましいというか、姫奈から本当にチョコレートが貰えるようなふさわしい人間なのか分からないようでムズムズする。


 これはまだ自分に自信がないというか、姫奈に似合う人間だと自分がまだ十分には思えてないからなのかもしれない。


 自分が姫奈と今一番関わっている人だとは分かっている。でも……


 あぁ……今のままじゃきっと、姫奈に迷惑を掛けてしまう……


 心ではこんなことを思いながらも、伊織の前では平然を装う。

 

「伊織はどうなんだ?」

「俺はもう、蜜柑から貰えることだけを期待してるぜ。他の女子なんてどうだっていい」

「そうか」


 さすが、伊織も蜜柑からだけに貰えるのを期待しているんだなっといつも通りで安心する。


 伊織の蜜柑に対する思いと、伊織と蜜柑の仲の良さといい、二人の相思相愛っぷりを入学当初から見てきた自分だが、この二人をいつも見ていて微笑ましい感情になるのは、きっとこの二人がお互いを信頼して大事にしているからなんだと思う。


 自分も姫奈ともっとそういう関係になれたらなっと、ちょっぴり伊織と蜜柑に憧れる。


 それから「俺らって学校では影が薄いけど、ちゃんと大切な女がいてコソコソとバレンタインを期待している周りの奴らよりも幸せ者なんじゃないか」っと伊織は言って、二人でコソコソと笑い合っていた。


 今度は群れている男子達の方から聞き覚えのある名前が微かに聞こえてくる。


「お前ら、もし姫奈さんや蜜柑さんにチョコレートを貰ったら言えよ」

「俺たち仲間だもんな」

「噓つきはダメだぞ」

「嫌だ。俺は貰っても誰にも言わない。独り占めするに決まってるだろ」

「おい、お前。本当に内緒にしたらどうなるか分かってるよな」

「ハハッ。どうせ貰えないからその心配はないな」

「おい。現実を突きつけるなよ。はぁ、姫奈さんにチョコレートを貰えたら、俺、死んでもいいぜ……」

「俺もだ……」


 どうやら彼らも姫奈や蜜柑からチョコレートを貰えることを期待しているみたいだ。


「あいつら、めっちゃ期待してんな」

「そうだな。まぁ、彼らは貰えられないだろうけど」

「だな」


 そう言って、伊織と目を合わせてそれからまた周りから怪しまれない程度に笑い合った。


☆☆☆☆☆☆


 学校が終わり、維持隊の仕事も終えて家に帰る。


 外はもう真っ暗で夕方からの急な雨で、維持署に置いてあった傘をさして家に帰っている。


 伊織との学校での会話から、姫奈からチョコレートが貰えるかもしれないという期待が少しずつ膨らんでおり、維持隊の仕事をしている時もソワソワしてしまっていて早く家に帰って姫奈に会いたい気分だ。


 それで家に着き、玄関を開けるといつも迎えに来てくれる姫奈が今日はいない。それどころか部屋の中は真っ暗だ。


 最近は避けられがちだったが、それでも姫奈は自分が帰ると出迎えてくれていたのだが様子がいつもとは違う。


 不安が頭をよぎる。何かあったのかもしれない。


「おーい。姫奈ー」


 電気を付けて、部屋中探し回ってみるも姫奈がいる気配はない。


(どうしたんだ……やばいぞ)


 心臓がバクバクと鼓動し始める。


 それから姫奈からメールが入っていないか確認をしようと携帯を取り出した時、着信音が鳴る。


チロチロリン チロチロリン チロチロリン


(……伊織?)


 着信は伊織からだった。応答ボタンを押して携帯を耳に当てる。


「もしもし」

「もしもし、湊斗?」

「そうだ。今、家に帰ったところなんだが姫奈が家にいないんだ」

「あぁ……その件で電話したんだが、今俺の家にいるぞ」

「え、どうしてだ?」

「へへっ。どうやら蜜柑と一緒にバレンタインチョコを作っていたみたいだぞ」

「そ、そうだったのか……」


 その言葉を聞いて、先ほどまでバクバクと鼓動していた心臓も収まって、全身の力が抜けたかのようにその場に崩れ落ちる。


(良かった……)


 胸を撫でおろして安堵する。本当に彼女に何もなくてよかった。


「どうやら、相当心配していたようで」

「まぁ……な」


 どうやら伊織に分かるぐらいに自分の焦りが電話越しに伝わっていたらしい。


「それでさ、湊斗。チョコ作りに集中していてあっという間に真っ暗になっていたみたいで、姫奈さんを一人で帰らせるのもいけないと思って、湊斗に迎えに来てもらうまで俺の家に待機させていたんだよ」

「あぁ、そうだったのか。ありがとう」

「全然いいぜ。今、朝霧さんも蜜柑と楽しく話しているぞ。一応、朝霧さんは湊斗にメールを送ったみたいだが」

「マジか、まだ確認していない」

「そうか。それじゃ、今から朝霧さんを迎えに来てくれるか?」

「あぁ、今すぐに行くよ。姫奈にもそう伝えてくれ」

「分かった。気を付けろよ」

「あぁ、ありがとう。それじゃまた後で」

「おう」


 そして、通話が終わった。携帯を確認してみると、確かに姫奈からメールが入っている。


 そのまま急いで家を出て、伊織の家に向かうことにした。


(そうえば、学校は終わったのに、何で今更チョコを作っていったんだ?)

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