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骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第一章 銀座綺譚
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五三 相喰む双蛇




「先に宣言しておくが」


 両手で顔を覆った蛇川が呻いた。大声に耳を貫かれたこと、そして自らも大声を出したことで、頭が割れそうに痛かった。


「次に喚いたらそのデカ尻を蹴り飛ばしてやるから覚悟しておけ。

 こうなったらもう全て話してやる。いかにも蟒蛇(うわばみ)様は僕の弟だ。そんな奇天烈(キテレツ)な名で呼ばれているとは知らなかったがね。僕はあいつより半刻(はんとき)(約30分)ばかり早く産まれたそうだ。つまり双子だよ。おい、今の声量はギリギリだぞ。

 学術的には一卵性双生児と呼ばれるものだ。ひとつの卵が分裂して成長したものでな。なので僕とあいつは忌々しいことに瓜二つ……僕の姿形をした男がそっくりそのままもう一人いると思えば早い」


 んん!と大きな咳払いで驚愕の声を濁した吾妻が、顔の前で人差し指を立てる。


「率直な感想を申し上げても?」


「どうぞ」


「極めて厄介だ」


「ははあ、どうしても尻を蹴られたいらしいな」


「待て待て、どう考えても厄介だろ! お前さん、自分の顔が周りにどう作用してるか自覚してないのか? それがふたつもあるとなったら……」


 本当に蹴り飛ばすつもりでいたらしい。ソファの上で半身を起こしていた蛇川だったが、つまらなさそうに鼻を鳴らすとクッションの小山に倒れ込んだ。中から一つを抜き取り、その縁に縫い付けられた房で手遊びをしながら言う。


「ああ、そういう意味。女はつまらん事ですぐに騒ぐからいかん。だが、奴は顔の……というより、身体の半分が酷い火傷に覆われている。生きているのが不思議なくらいだ。

 皮膚に悪いので太陽の下にはまず現れないし、もしその顔を見たとしても、女があげるのは嫌悪の悲鳴さ。支えがないと歩けもせんし、(ねや)でも不能だ」


「そりゃあ……一応、ご愁傷様、と言っておこうか」


 だがな、と吾妻が続ける。


「どんな悲劇的な背景があるにせよ、ご令弟(れいてい)殿のやっていることは組として歓迎できん。

 悪いことをするなたァ言えませんし、言う気もない。だが、街の治安を日陰から支える俺達としちゃあ、あまり余計な火種を撒かれると面子が保てんわけよ。蟒蛇様が手出しさえしなければ起こらなかった騒ぎだって……」


 そこまで言って、ふと思い出す。「まさか、馬車幽霊も蟒蛇様の差し金か?」


「さてな。だがその可能性は高いと思っている」


 蛇川は苛立ちを隠さなかった。深酒のために血色が失われた唇を歪め、ギリ、と歯を噛み鳴らす。


「僕は、奴を、止めたいのだ。僕は決して正義漢ではないが、しかし、弟が殺人のアジテエタアというのもあまり気持ちのいいものではないからな。

 司法の手に委ねられれば一等早いが……何度か通報したが、ことごとく握り潰された。警察は当てにならんよ」


 真澄(ますみ)依頼人(クライアント)には財政界の人間も多い。無論、警察にも顔が利く。

 上層部を押さえておけば末端などどうにでもなる、それが階級至上主義組織の欠陥だ。お蔭で、無駄に身辺を嗅ぎ回られたり、棲み家を荒らされたりすることもないのだろう。


 蟒蛇様は、名前も顔も、所在さえもが謎に包まれた存在だ。そもそも、その存在を知る者からして限られている。花川戸のあの屋敷も、表向きには「病弱な小説家の私邸」で通っているらしい。

 しかし、強い権力や財力、世間への影響力を有し、かつ蟒蛇様の熱烈な信奉者(シンパ)となった依頼人にだけは、秘密裏に正体が明かされていた。


 真澄はその、後援者であり、庇護者であり、代理人でもあるシンパ達によって堅牢堅固に護られている。蛇川でさえ迂闊に手出しができず、吾妻が情報の一端すら掴めずにいるのはそのためだった。


「奴の手駒はどこにだって潜んでいる。華やかな社交界にも、下水脇のほったて小屋にもな。下手に手を出せばむしろこちらの身が危うい。あんたも、妙な義侠心に駆られて花川戸を急襲するような軽挙は慎めよ」


 それに……


 もし、蟒蛇様を護る強大な権力を(ことごと)く打ち倒し、真澄に手錠をかけることができたとしても。

 不潔な留置所にぶち込まれたが最後、たちまち感染症にかかって真澄は命を落とす羽目になるだろう。なにせ、頻繁に軟膏を塗り替えねば激痛の沼に突き落とされてしまうような男なのだ。桔梗湯も手放せない。肉体的には哀れなほどに弱かった。


 その雑念が蛇川を無意識下で惑わせ、苛烈な追求に二の足を踏ませていた。

 彼らしくないことだ。合理性に欠ける。蛇川とて無論自覚している。そのことが、どうしようもなく蛇川を苛立たせ、責め続けていた。


「幸か不幸か……奴は、双子の兄である僕にやたら執着していてね。それで時折、例の封筒で僕を呼び付けては謎解き遊びを仕掛けてくるのだ。僕が素直に応じてやりさえすれば、しばらくは例の()()()()()()を休止して大人しくいてくれる」


「……あの封筒はそういうわけか」


「僕が蟒蛇様と結託して悪巧みをしているとでも思ったかね? 見くびってもらっちゃ困る。もしその必要性が生じたら、弟の力など借りずとも自分一人で誰よりも上手くやってみせるさ」


 吾妻が顎をさすりながら苦笑する。


「物騒だな。本当だから余計に性質(たち)が悪い」


「封筒に入っているのは大抵が新聞記事の切り抜きだ。未解決、あるいは誤った結論に行き着いてしまった事件のな。僕はその真相を求めて駆けずり回り、道化となってあいつを悦ばせるというわけさ」


 別に、道化を演じること自体は案外苦ではなかった。むしろ充足感さえあった。

 こんなことを言えば吾妻はまた難しい顔をするだろうが――彼は堅気(カタギ)の人間、とりわけ「力なき者」が割を食うことを嫌うので――、真澄の組み立てた事件はどれも精緻で欠陥がなく、実に能率的で、頭脳労働の題材としては申し分なかったのだ。

 蛇川はしばし退屈を忘れることができたし、真澄はその働きぶりを見て楽しめる。ただ、その過程で人の命が奪われるという一点だけは、蛇川もさすがに少々引っ掛かりはするのだが。


「双子ってえのは中身までそっくり同じもんなのか?」と吾妻。


「さあ。双子とはいえ、僕らが共に過ごした時間は無いに等しい。もう何年前になるか……奴が接触してくるまで、僕は双子の弟が生きていることすら知らなかったのだ。同じ生育環境で育った兄弟の方がよほど近しい性質を持つんじゃないかね。だが奴の頭脳は僕と同等……あるいは……」


 冴え冴えとした真澄の笑顔が像を結び、蛇川は忌々しげに舌を鳴らした。

 認めるのは癪だが、真澄は常に蛇川の半歩先をいっている。花川戸にあれほど目立つ豪邸を構えておきながら、一度たりとも警察の介入を受けていない事がその証拠だ。権力を忌み嫌う蛇川と、権力を鼻で嗤いつつも巧みに武器としている真澄との差がそこにある。


「まあ、常人にどうこうできる手合いでないことは確かだ」


 吾妻が口をあんぐりと開けてため息をついた。


「ほら見ろ、やっぱり厄介じゃねえか」


「その意味合いで言ってなかったろ」


「俺ァ……お前さんの働きぶりを見るにつけ、先生がその頭脳を悪い方に傾ける気がなくて心底良かったと常々思っていたんだが」


 蛇川はおどけるように両腕を広げて見せた。


「弟がまさにその方面の専門家でしてね」


「悪夢だなあ」


「まさしく悪夢だ。血縁というのは、女の嬌声より煩わしく、宿痾(しゅくあ)より根深い……」


 重い沈黙が二人を包む。

 非凡な男だとは散々思い知らされてきたが、まさか、これほどの業を背負っていたとは。


 蛇川はひどく疲れているようだった。目の端が時折ピクリと痙攣し、彼の神経の異様なまでの(たかぶ)りを示している。


 端整な外見とは裏腹に、その実態は激流のような男だ。並外れた知能としなやかな肉体で周囲を翻弄し、あらゆる困難を打ち砕いてきた蛇川だったが、血縁という、誰も手出しできない(えにし)が絡む今回ばかりはその向かう先を決めあぐねているらしい。やり場のない激情が、彼の身の内で渦巻いているようだ。


 こんな様子は初めて見る。あのヤケ酒ぶりに、どこか自傷めいた痛々しさを感じたのはこのためか。

 蛇川という男の秘された一面を目の当たりにし、吾妻は少々圧倒された。


「こんな言葉で括っていいもんか分からんが……先生もなかなかの苦労人だな。いったい、何がそこまでご令弟殿を歪めちまったものかね」


 クッションの房を弄びながら、蛇川はまだ酒の酩酊が強く残る頭でぼんやりと考えた。


 思考ははっきりしているのに、どうやら、理性の(たが)が弛んでいるらしい。酔っているのだ。どこか投げやりな気持ちになっている。

 普段なら、こんな話はしなかっただろう。


「……畜生腹という言葉を知っているか」


 蛇川を苦悩させるもの。

 逃げるように、彼に電気ブランを煽らせたもの。

 その根源ともいうべきものが、これだった。


 畜生腹。あるいは犬腹。


 女は一度に一人の子をなすのが当たり前だと思われていた時代。

 一部の地域には、多胎児を産んだ女を「畜生腹」と呼んで蔑む(いびつ)な風習があった。そんな女は人間ではない、一度に複数の仔をなす犬畜生と同等であると……


「くだらん迷信だ。おそらく、それが生じた背景にはさまざまな要因があったのだろうよ。

 一人養うでも手一杯のところに二人もまとめて出てきてしまい、困窮した親が口減らしに踏み切るための身勝手な口実。死産となる率が高い多胎分娩への恐れ。出血量も多いだろうから、穢れの意識もあったやもしれん。あるいは、『己と違うもの』『珍しいもの』への単純で根深い差別意識。ま、せいぜいそんなところだろ」


 そうした忌避感や罪悪感、恐怖を隠すために、自分達に都合のいい迷信を生み出したに違いない。蛇川はそう考えている。

 つまるところ、差別を正当化するための言い訳だ。


 畜生腹から産まれた子も当然、差別の対象となった。

 犬の子。忌み子。(わざわい)を招く不吉な子供。


 双子の片割れは、運が良ければ里子に出される。運が悪ければ……


「我らが親父殿は、莫迦げた迷信を信じる愚か者でね。己の跡継ぎが犬の子であると世間に知られることをとにかく恐れた。

 それで、あいつは……弟は、()()()()()()にされた。産み落とされるなり煮え湯に放り込まれたのだ、他ならぬ父親の手でな。あの大火傷はその時負ったものだ。湯を飲んでしまったために酷い熱傷は喉まで及び、ただの会話でさえ奴を蝕む毒となる」


 白い手術着を着た産婆の手からもぎ取られ、まだ胎脂をまとったまま、慈悲もなく熱湯に落とされた弟。


 ついさっきまで母の温かな胎内に守られていた、薄氷(うすらい)よりも傷付きやすい赤児の肌などひとたまりもない。肉は爛れて変形し、強張った関節は固まったまま、満足に伸ばすことも曲げることも叶わず……


「何かが少し違えば、僕がそうなっていてもおかしくなかった。だが、奴には煮え湯が、僕には絹の羽二重(はぶたえ)が与えられた」


「先生……」


「何があいつを歪めたか? ハッ、僕だよ。僕が、奴を壊してしまった。僕が先に産まれたから……僕が、あいつを押し退けたから、あいつは煮え湯に」


「先生、そいつは違う」


 たまらず身を乗り出した吾妻が、蛇川の薄い肩を掴んだ。迷いのない目でまっすぐに蛇川を見つめ、一言一言に力を込めて、言う。そうしないと、蛇川が内側から崩れてしまうように思ったのだ。


「それだけは違うぞ、先生、絶対にだ」


 蛇川はひどく曖昧な表情を浮かべた。


「だから奴は僕に執着するのだ。兄を、父を、世間を憎悪の炎で燃やし続けている。だが、僕は……」


 蛇川がクッションを顔に押し当てた。

 これ以上言うべきではない。言う必要もない。なのに、言葉が止まらない。綿越しに、煩悶するようなくぐもった声が微かに聞こえる。


「僕はそれでも、奴を見捨てることができんのだ。情けない話だが、白状すると、僕はこの一点のみにおいて最低の臆病者だよ。

 奴のやっていることは褒められたことじゃない。止めてやりたい、それは事実だ。だが、どうすればいい? うまく捕えたとしても、力で捩じ伏せたとしても、その先で奴を待っているのは確実な死だ。あいつからは死の匂いがするのだよ、吾妻。産まれるなり捨てられ、今も苦しみの中でようよう生き踠いているあいつを、もう一度殺す勇気が僕には……」


 最後の方は、声が掠れてほとんど聞こえなかった。

 聞いてほしくなかったのかもしれない。


「笑ってくれ、吾妻。僕は……僕は、あいつに憎まれることで、少し、安心しているのやもしれん」


 その声は、合理性を愛し、何もかも(たなごころ)にありと不適な笑みを浮かべる男にしてはあまりに頼りなく、弱々しかった。


 ようやくクッションを顔からどけた蛇川が、それを弓形に放り上げた。目標もなく、ただ八つ当たり的に放り捨てられたクッションは、そこら中に散らばる書類をいくつか踊らせ、空しく床に着地した。


「つまらんことを喋った。酔人の戯言だ。忘れてくれ」


 ソファの上で仰向けになり、片手で前髪をかきあげながら、蛇川が自嘲混じりに嗤ってみせる。その姿はいつもよりひとまわり小さく見えた。



 

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