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骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第一章 銀座綺譚
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二九 旅順に散らば




「不思議なもんですなぁ。鬼なんて恐ろしいもんが、最後はこんな綺麗な石になるやなんて」


 拾い上げた〈涙〉を蝋燭の火にかざし、その反射に魅入っていた銀次がしみじみと呟く。


「話に聞くのと目で見るのとは、やっぱ全然違いますわ。割りのええ楽なシノギや思っとったけど、大概命懸けですやん。ありがたみも増しますわ。

 しっかし、あんなエゲつないもん相手にして、旦那……よぉ毎回生きてはりますなあ」


 無論、銀次の軽口に付き合う余力など蛇川にはない。指の一本動かすことすら億劫といった様子で、長い手脚を投げ出したままうつ伏せになっている。常には休むことなく毒や炎を吐き出している唇からも、今は荒い呼吸しか出てこない。


 吾妻のように、相手を一撃で沈めてしまう膂力がない蛇川にとっては、絶え間なく攻め立てて敵を翻弄し、徐々に削り取っていくのが定番の戦法だ。闘いが長引けば長引くほど疲れが大きい。

 加えて、乱戦になると蛇川の疲弊は加速度的に増す。考えすぎてしまうからだ。蛇川の"見えすぎる"目は四方から迫り来る全ての敵の視線を、筋肉の強張りを、その表情の移ろいを余さず捉えてしまう。人並外れた目と脳を有する蛇川といえど、いや、彼だからこそ疲れ切ってしまうのだ。


 そこへ来てとどめの〈哭刃(こくじん)〉である。素早く革手袋を嵌め直したものの、右手は焼けるような激痛を訴えてくる。鬼の嗤い声が、蛇川の魂を蝕むモノの声が、身体の芯から今も響いてくるようだ。


 肉体の内側と外側両方から苛まれ、眉根を寄せて苦悶する蛇川を見て、銀次が少し気遣わしげに声をかけた。


「ほんで……コレは旦那のお目当てのもんでした?」


 拾った〈鬼の涙〉を蛇川に見せる。蛇川は目だけを動かして〈涙〉を確認したが、すぐに目蓋を伏せると深々とため息をついた。それが答えだった。


「ハズレでしたか。ほな、すんませんけど、ありがたく頂戴します」


 感謝、感謝と呟きながら恭しく〈涙〉を捧げ、手拭いに包んでポケツにしまう銀次。

 戯けてやっているわけではない。蛇川の闘いぶりを見て、真実得難いものだと思ったのだろう。己が抱いた感動や畏敬の念に素直な男なのだ。


「なんやら申し訳ないですな。ワシらとしては……まあ、本堂はこの有り様なんで相当手入れが必要ですが、〈涙〉が売れたらむしろ潤う。しかも……」


 そうして振り返った銀次だったが、本堂の片隅を見遣るなり「ああッ」と声を上げた。


「三八式が消えてしもとる!」


 壁際には兵士達から回収した三八式歩兵銃が山積みになっていたはずだった。しかし、鬼が靄となって霧散してしまうと同時に、銃もまた忽然と消えてしまっていた。


 激闘のさなかでも銀次がやたらと銃を気遣っていたのは、戦利品として組のものにできると踏んでいたからだったのだ。

 民間企業の手に委ねず、造兵(しょう)でのみ製造される三八式歩兵銃は、そのまま軍に渡るか友好国へと供与されるため、民間への流出機会がなかなかない。金を積んだからとて簡単に手に入れられる代物ではなかった。それだけに惜しい。


「最高の火力が手に入ったと思ったんに……ワシの可愛い三八式が……」


「ハハ。夢と消えたな」


 膝から崩れ落ちる銀次に笑いながら、ズレたひょっとこ面を付け直した吾妻が「さて」と背を伸ばす。

 向き直った先には、柱の影から半身を覗かせ、左手の上に屈み込むようにして夢中で何かを書いているらしい韮山(にらやま)の姿があった。どうやら小さな手帳に鉛筆を走らせているようだ。


 大股に近付いてくる吾妻に気付き、韮山がサッと手帳を懐にしまった。鉛筆は袂に落とし込む。まるで手妻のような早業だ。

 あっという間に空になった両手で揉み手をしながら、韮山が大柄な吾妻を見上げた。


「ヘヘ……実に見事な戦いぶり。まさに一騎当千! 関羽雲長がこの国に蘇ったかと見紛う勇猛さでございました。筆舌に尽くし難きとはこのことで……あっしはもう、見惚れて息をするのも忘れちまいやしたよ。いやはや、この度はどうも、本当に……」


 ベラベラとおべっかを使う韮山の前にしゃがみ込み、吾妻が黙って片手を差し出した。間の抜けた表情のひょっとこ面が、有無を言わせぬ圧を伴って韮山を睨み付ける。


「……へえ? いかがなさいましたんで?」


 愛想笑いを浮かべてとぼける韮山だったが、その声はかすかに震えている。


「記者さんよぉ。痛ェことは嫌いだよな?」


「へ……へぇ……?」


「二度は言わねえ。懐に隠したものを出しな。好きだってんなら、ご随意に――」


 口の端をひくつかせ、愛想笑いのまま韮山が硬直する。

 そのまましばらく逡巡していた韮山だったが、しかしどう足掻いても逃れられぬと悟ったか、懐から手帳を取り出すと(ページ)を一枚破り取って、恐る恐る吾妻に差し出した。


 吾妻は無言でそれを受け取るが、手は依然伸ばしたままだ。それを見た韮山が悲鳴を上げた。


「こ、ここで書いたものは今渡したのが全部です!」


「悪いが、俺ァブン屋ってやつをこれっぽっちも信用してねえんだ」


「そんな殺生な……情報は記者の命ですぜ!」


「命なら今しがた救ってもらったろう」


 口をパクパクとさせて何か言いたげな韮山だったが、いかに口八丁で生きてきた韮山といえども、この場を切り抜ける言葉は持たないようだった。


 全身を萎れさせて脱力していた韮山だが、頑なに引っ込まない吾妻の腕とその迫力に観念したか、ついに手帳を差し出した。

 出さねばきっと、拷問が待っている。もしうまく拷問を乗り切ったとて、逃げる手立てがない以上、殺されてから奪われてしまっては同じこと……と素早く算盤(そろばん)を弾いたらしい。


 小さくも分厚く、表紙は色褪せ、頁の端が汗で反り返った手帳だった。いったいどれほどの秘密が、情報が書き付けられていることだろう。


 探し求めている〈涙〉を得られなかった蛇川。

 大量の銃火器が露と消えてしまった銀次。

 そして、重要なものはおおよそ頭にしまっているとはいえ、脚を棒にしてかき集めた財産(じょうほう)を奪われてしまった韮山……


 三者三様に落ち込むなか、吾妻だけがお面の下でホクホクと満足げな笑みを浮かべていた。


 ◆ ◆


 後日。

 銀座の定食屋『いわた』で新聞を広げていた吾妻は、その片隅に目を留めて眉を(しか)めた。蛇川が月極契約しているこの新聞紙は、蛇川が読んだ後『いわた』亭主に回り、その後吾妻などの常連客にも回された後、また蛇川の手元に戻ってくるのが常だった。


 吾妻が見ていたのは懸賞小説の欄だ。

 懸賞金を掲げて広く小説を一般公募していたもので、受賞作がいくつか掲載されていたのだが、そのうちのひとつが……


「あンの野郎……オホン、エヘン!」


 思わず素を晒しそうになり、慌てて咳払いで誤魔化す。今の彼は極道者ではない。女物長着で女言葉を操る情報屋としての吾妻なのだ。


 隣で豪快にライスオムレツをかきこむ蛇川に身を寄せ、吾妻が小声で囁いた。


「ねえ、蛇川ちゃん。懸賞小説の欄、見た?」


「僕がそんな下らんものに時間を割くと思うか?」


「思わない。でもほら、見てよこれ……」


 口いっぱいに頬張ったオムレツを咀嚼しながら、蛇川が紙面に目を向ける。

 吾妻が指し示しているのは、佳作として紹介されていた小説だ。どうやら桃太郎を題材とした娯楽小説らしい。


 桃太郎は美貌の天女に、供の動物は熊・狐・鷲にそれぞれ書き換えられ、舞台は鬼ヶ島ではなくどこぞの廃寺。対峙する相手は鬼から戦死者の悪霊となっているが……


 娯楽小説のていを取ってはいるが、あの日あの夜の激闘を描いていることは、見る者が見れば明らかだった。書き手の氏名は非公開となっている。


「どう見たって韮山じゃない。記事じゃなく小説としてなら発表しても許されるって……何コレ頓知(とんち)? 韮山のやつ、どんだけ図太いのよ……」


「ハ! ブン屋なぞ、そうじゃないと食っていけんさ。図太さもここまでくると天晴れだ。それに、何が明らかにされたわけでもあるまい。皆ただの作り話と思うさ」


「そうだけど……なんだかなあ」


 吾妻としては、己の凄みで韮山の口を閉ざしきれなかったことが口惜しくもあり、面子を潰されたようにも思うのだろう。


 釈然としないまま、最後まで読み進めてみる。


 奮闘の末、見事、戦死者の悪霊を打ち倒した天女一行だったが、桃太郎のように金銀財宝を持ち帰ってめでたしめでたし……とはならなかった。

 ではどうなったか? 小説の結びはこんな具合だった。


 ――かくして、荒れ果てたる伽藍に(うごめ)きし亡霊どもは、天女の神剣の威光に浴し、(ことごと)く祓ひ清められぬ。

 然れども、貌の鬼怪に見えしは、戦野に斃れたる将卒の魂魄(こんぱく)なりければ。


 ――天女は涙をはら/\こぼし、扇を垂れて合掌しき。

「国のため、家のために、身を捧げし尊き御霊なり。今は安らかに眠らせ給へ」


 ――かく祈るや、廃寺に満ちし怨嗟の声は、次第に静まりて、代はりに法華経の響きに似たる風の音立ちわたりぬ。村人ら、また廃れし堂宇を掃ひ清め、香を焚き、石碑を建てて、英霊の鎮まる場となしつ。されば、その後は参る者絶えず。

 人々はここに膝を折り、冥々たる世に往きし(つはもの)を偲び、己が生を恥ぢざらんと努むるといふ。世は乱れたりといへども、人心なほ清きを忘れず。――


 森鴎外の『舞姫』を思わせる雅文体で書かれているが、要するに……

 英霊達を悪霊たらしめていたのは、それを慰めることも忘れていた村人らの無関心であった。そう悟った一行は、その魂のために祈り、廃寺を掃き清めて鎮魂の場となした……というわけだ。


 戦死者や帰還兵らをこき下ろし、慰霊碑の破壊を煽るほど過激な記事を書いていた韮山の作とは思えない、静謐で美しい締め括りだった。

 吾妻が大きな手で額を撫で上げる。


「まあ、一応、反省はした……ということなのかな」


「どうせなら、より大胆に反戦を謳ってやればよかったのだ」


「さすがにそりゃ、検閲で弾かれた上に、特高が縄ブン回して押しかけてくるわよ。

 国や戦争そのものを否定すると怒られちゃうから、一人ひとりの心掛けの至らなさを責めたわけね。相も変わらず、銃口の向け方が上手いのよ。アイツらしいっちゃらしいやり口だけど……」


 新聞を閉じ、吾妻が長々と嘆息する。

 英霊を慰めることも忘れた無関心、か。


 目下再建中の本堂の傍には、骨の納められていない墓がある。従軍を志願し、そのまま帰って来なかった若衆らを偲ぶ墓だ。彼らの骨は遠き異国の地に眠っている。


 道場に顔を出しついでに、久方ぶりで酒でも供えてやろうかな。あいつらを悪霊にさせちまうわけにはいかない。

 弾痕まみれの戸板を外し、雪の中大工仕事に精を出す若衆らを横目に一杯酌み交わすのも悪くないだろう。


 吾妻は、ふとそんなことを考えている。




〈 旅順に散らば 了 〉

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