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骨董屋あらため  作者: 山路こいし
第一章 銀座綺譚
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二八 旅順に散らば




 鬼にとって、肉体的な死は意味をなさない。奴らは情念に従って動くためだ。いくら痛め付けても、情念を断ち切らぬ限り、完全に(たお)れるには至らない。

 だが、肉体の損壊はある程度有効だ。いかに情念が強くとも、膝が割れれば立ち上がれないし、指がなければ引き鉄を引けない……


「膝を破壊しろ! 関節を壊し、筋を断て!」


 ひょっとこ面で顔を隠した吾妻が、乱戦の中で指示を飛ばした。

 周囲の敵を次々と薙ぎ倒していく吾妻はまるで台風の目だ。鬼との闘いに慣れているとはいえ、やはり格が違う。


 槍のように突き出された銃剣を半身になって避け、鉄鉤(かぎ)のような両手で銃身をがっしり掴む。連射直後の銃であれば大火傷だ。恐るべき腕力で銃身をグルリと縦に半回転させ、持ち主の手からもぎ取ってしまうと、そのまま吾妻が兵士の胸元を刺し貫いた。

 寸瞬間前に自分が突き出したはずの切先に穿たれ、兵士の鬼が目を見開いてドウと倒れる。その身体を脚で乱暴にひっくり返すと、手にした銃剣で両の膝裏を順番に断ち割った。喉を掻きむしるような悲鳴が響く。


「三八式は遊底を抜いて無力化しろ! 銃剣を叩き折るのを忘れるな!」


「応ッ!」


「えええッ、銃剣折ってまうんですか……」


 声を張り上げながら銃剣を床に突き立てた吾妻が、手本とばかりに、そのまま銃本体を横に押し倒して接続部分を破壊する。

 

 なんと力任せな武器破壊だろう。あれでは銃身内部も変形してしまったに違いない。

 もはや弾が飛べば御の字。しかし精度も飛距離も格段に落ちてしまう。それどころか、弾を詰まらせて暴発してしまう危険性すらある。つまるところ、銃剣の有無以前に、あれはもう銃として使い物にならないのだ。


「なんちゅう勿体ないことを……銃剣なぞワシやったら二秒で取り外せるんに」


 ぼやきながらも、銀次は狙撃の手を休めない。右膝と左膝に一発ずつ。立て続けに撃ち抜いて、敵の機動力を着実に削いでいく。


 次第に、本堂には立っている者の方が少なくなってきた。

 鴛鴦組の精鋭五名に、暴力の化身たる吾妻。そして、正確無比な銀次の狙撃。これぞ、武闘派集団たる鴛鴦組の真価である。

 組の面々には傷を負った者も多いが、動けないほどの深傷(ふかで)はない。一斉射撃という圧倒的な武力行使を早々に食い止めた蛇川と銀次の功績といえよう。


「縄で縛っておきますか」


 面を上げて袖で乱暴に汗を拭い、吾妻が答える。


「繋げて縛れ。二人一組で動けよ。奴ら、首を捻じ切ってもまだ動きやがるからな。油断はするな。余った奴は三八式を回収して隅に集めておけ」


「へい」


 乱戦は終着へと向かっていく。残るは……


「援護が必要ですかね? 相当お疲れのようですけど」


 吾妻(ひょっとこ)のそばに来た銀次(きつね)が囁く。その視線の先では、蛇川と鬼が泥臭いステゴロを演じていた。

 とうに体力が底をついた蛇川と、頭と心臓に銃弾を受け、首元から折れた薙刀を生やしたままの鬼――肉体的にはたっぷり三度は死を迎えているはずの鬼との闘いだ。どちらも動きにキレはない。


「んにゃ、あの人ならやり切るよ」


「熱い信頼関係ですなぁ」


 精彩を欠いた鬼の突きを、蛇川が肘で弾く。続けて繰り出された蹴りは、膝を上げて脛で受ける。と共に残った脚で跳ね上がり、受けた脚を着地させると同時に回し蹴りをぶちかました。

 常のような勢いがないとはいえ、柳の枝のようにしなやかで長い脚から放たれる蹴り技は強烈だ。その回し蹴りを胴体に()()に喰らい、仏具を撒き散らしながら鬼が倒れた。


 蹴りの勢いを支えきれず、蛇川もまた、土埃の床に倒れ込んだ。

 荒い息で肩が跳ね、形のいい額から垂れる汗が血を巻き込んで流れ落ちる。指先が痺れ、視界が白み、暴れ狂う鼓動に合わせて上体が揺れる。ずっと薙刀を握り締めていたせいだろう、ゆるく結んだ状態で固まっている十指を無理やり動かし、少しずつ解していく。


 対峙する鬼も似たようなものだ。膝に手をついて緩慢に起き上がるも、膝が笑って全身が震えている。軍帽は弾き飛ばされ、汗に濡れた髪が束となって顔に張り付いている。

 それでも目は憎悪にギラついていて、しつこく己の前に立ち塞がる邪魔者を睨み付けていた。


 その姿を見ていた蛇川が、ポツリと呟いた。


「……なるべくして成ったんだな、あんた」


 構えた拳を怪訝そうに揺らした鬼に、蛇川が己の口元を指でトントンと示して見せる。導かれるように口元へと手をやってみて、鬼は初めて、その口角が裂けんばかりに吊り上がっていることに気が付いた。


「心底楽しいらしいな、壊し合いが」


 そこに善良な植木職人の面影はなかった。

 あったのは、戦場という血煙の荒野を生き抜くために修羅となり、市井という怨嗟渦巻く地獄によって鬼と成り果てた、哀れな男の姿……


 しかし、鬼と成ったらば斬るよりない。

 蛇川が鹿皮の手袋を引き剥がす。


 右手に巣食う鬼があらわとなり、口も持たぬのに無数の目がゲタゲタと嗤い声を上げる。あまりの悍ましさに、闘いを見守っていた任侠達に緊張が走る。しかし誰一人として騒ぎ立てる者はいなかった。


 どちらが先に倒れるか。


 ふらつきながらも再び立ち上がり、鬼に肉薄した蛇川が、体重任せで拳を振るう。それを避けも防ぎもせず額で受けた鬼が、仰け反りながらも蛇川の目に向けて指を突き出す。辛くもかわした蛇川の頬が爪に抉られ、鮮血の珠を散らす。


 二人にはもう、技を繰り出す余力もない。

 拳で、頭突きで、爪で、歯で。

 互いの肉を削り合うだけの獣じみた闘い。


 鬼の拳が蛇川の頬を殴り抜ける。蛇川の世界がグラリと揺れる。

 だが、まだだ。伸び切った鬼の腕に己の腕を絡ませて捻り上げ、肩関節を()めて背後に回る。鬼の首へと腕をかけ、銀次が韮山にやって見せた裸絞(はだかじめ)の要領で頚動脈を締め上げる。


 鬼が黒い血に塗れた唾を散らして吼える。地を震わすような、空気を切り裂くような、ただ人への怨み一色で塗り潰された禍々しい声――その声による呪縛で、蛇川の意識が明滅する。二人はもつれ合うようにして床に倒れ込んだ。


「ああ、くそッ……!」


 痺れる四肢を叱咤して上体を起こし、軍服の腹を踏み付け、蛇川が鬼に馬乗りになる。

 床に組み敷かれたまま、黄ばんだ眼で鬼が蛇川を睨め上げる。唇の端に血の泡を噴かせ、歯茎を剥き出しにした鬼が絶叫する。鬼火に照らされた般若面すら生ぬるい、憎悪そのものの容貌だった。


 鉛のように重い腕を持ち上げ、蛇川がジャケツから懐剣を抜き取った。口中に溜まった血塗れの唾を吐き出し、静かに〈哭刃(こくじん)〉の鞘を払う。


「戦争の愚かさは……莫迦々々しさは……僕も分かる。戦争成金の下劣さも、ブン屋の薄汚なさも、大衆の浅はかさもな……。

 だが! 僕の目には……己の憎悪に他人の魂を無理やり付き合わせているあんたも大概……同列に映るよ……。ハァ」


 上体をふらつかせながらも蛇川が〈哭刃〉を構える。透き通った刃が蝋燭の炎を映して煌めく。右手に巣食う鬼が、無数の目玉が、その瞬間を待ち侘びるかのように熱を帯びる。


「もうこれ以上、彼らの魂を縛るな。(ともがら)を静かに眠らせてやれ……」


 その言葉に、もがいていた鬼が一瞬動きを止めた――ように見えた。


 刃が、鬼の胸元に吸い込まれていく。

 決着の時がきたのだ。

 ほとんど抵抗もなく肉に埋まった刃の根元から、ドス黒い靄が(ほとばし)る。それに呼応するように、鬼の身体から力が抜けていく。目に宿っていた憎悪の炎が消えていく。だが蛇川はまだ力を抜かない。全て断ち斬ってやる。怒りも、怨みも、絶望も。報われなかった全ての想いを……



 急速に形を失っていく鬼に被さるように、蛇川が力無く倒れ込んだ。その右目から一筋の〈涙〉がこぼれ落ちる。


 ただただ静かだった。

 その静寂の中には、勝利の喜びも、敗北の痛みもなかった。



 

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