4-12 b さいきんの学園もの
アリスは左手を前に構えた。剣は右手に持ったままだ。
一見左手を前にしたフェンシングの構えのようではあるが、剣の代わりに文字通り徒手空拳の左手を相手に向けて掲げていた。右手は剣を持ったまま、切先をジュリアスに向けいつでも繰り出せるように、迎撃ミサイルのごとく腰のあたりに構えられていた。
「なんだよ、あの構えは・・・」「ついに、やけか?」ジュリアスよりの男子たちが、ひそひそと話す声が聞こえた。
「やはり、これを使わなければならないようですわね。このときのために編み出してきた新必殺技ですの。これであなたも終わりですわ。」と、アリス。
カッコつけてるつもりかもしれんが、丁寧に負けフラグ立てていくの止めれ。
「・・・・」ジュリアスが用心深く集中する。
「はじめっ。」ヘラクレスが再開を宣言した。
にじり寄りながら様子を見るジュリアス。
アリスは仕掛ける様子がない。
長い膠着状態が続く。スポーツなら審判から待てがかかる長さは余裕で超えている。
ジュリアスが様子見で仕掛けた。素早く剣を突き出す。
同時にアリスが左手の甲でジュリアスの剣を左側に捌いた。素手でジュリアスの突きを捌いたのだ。
ジュリアスの剣がアリスの左に逸れた。
それとまさに同時、左手で攻撃を捌くのに合わせて、アリスは右手の剣を突き出した。
ジュリアスがアリスの剣戟から身をよじってかわす。自分が攻撃したのとまったく同時にアリスの反撃が繰り出されたものだからバックステップができなかったのだ。
ジュリアスは飛びのくようにしてアリスの攻撃の外側、アリスの左側に跳んだ。
そこにアリスの二撃目がジュリアスを襲う。腕だけを戻して出しての素早い突きの連撃。左に飛んだジュリアスを追うように曲線を描いた、フックのような突きだった。
フェンシングの戦い方に慣れているジュリアスは、そんな突きを見るのは初めてだったのだろう。受けることもできず慌てて飛び退く。
「うわぁ!」アリスの突きがジュリアスの鼻先をかすめた。
ジュリアスが体勢を崩しながらアリスの攻撃を止めるためだけのがむしゃらな突きを放つ。三撃目を準備していたアリスが慌てて攻撃を中断し、後ろに跳んで緊急避難した。
ジュリアスは無理やり放った突きのせいでそのまま後ろに倒れると、カッコ悪く後ろに一回転してアリスとの距離を取った。
「いや、マンゴーシュ!マンゴーシュを使えばいいじゃないか!」ジュリアスは叫んだ。「それに構え方が違う。」
「??なに言ってるか。さっぱりわからないわ?」アリスは心底不思議そうに尋ねた。「マンコー酢って何よ。」その間違い方良くない!
アリスはジュリアスの言っている意味を教えてほしいと言うようにヘラクレスを見やった。
「この決闘が終わったら説明しますね。」ヘラクレスがアリスに助けを求められるように見られて苦笑いで答えた。
ヘラクレスの説明を前倒ししておこう。
マンゴーシュとは盾の代わりに左手に持つ小さな剣のことだ。これは攻撃用の剣と別に持つ武器であるにもかかわらず決闘においても使用が許されている。
なぜ使用が許されているかというと弱いからだ。
一つに、両手で剣を扱うのが困難であり、通常はどちらかがおろそかになること。
二つ目に剣が短いので普通のフェンシングの構えで左手でマンゴーシュを持つと、防御する部位より刃が後ろに来てしまい、相手の攻撃を防ぐのに間に合わないこと。相手の攻撃に間に合わそうと思ってマンゴーシュを持った左手を前に出すと胴体が前面を向いてしまい、今度は回避がしづらくなってしまうこと。さらには両手が前に出てしまうと攻撃がやりにくくなってしまうこと。以上がマンゴーシュという剣が決闘において弱い理由だ。
しかして、アリスはの場合は違う。二本の剣を扱うのが困難というがそもそも一本しか剣を持っていない。意味合い的には左手を防御に使うのだから、マンゴーシュと同じかもしれないが、もともとマーシャルアーツの申し子のアリスには素手が増える分には苦労はない。物理的な課題も本来のマンゴーシュの構えと逆で左手が前に来ているので参考にならない。しかもアリスは左利きだ。構え的にはこのほうが楽なのかもしれない。ルール上左で剣を持つことを禁止されているが、左手は何も持っていない。
「この場にマンゴーシュなんてありませんし、マンゴーシュより素手のほうが難しそうですから、いいんじゃないんですか?」ヘラクレスがジュリアスに言った。「その代わりリデル様は剣をつかむのは無しでおねがいしますね。剣がつかめるのは、この剣が練習用の剣だからですし。」
「解ってますわ。掴むのは無しですわよね。授業で教わりましたもの。」
ん? ああ。体育のときのあれか。
「はい、二人ともかまえてかまえてー。」ヘラクレスが緊張感のない様子で二人に言った。
二人が構えた。アリスは再び左手をジュリアスに向けている。
ジュリアスはアリスの構えを見て苦い顔をしている。
「はじめ!」
ヘラクレスの号令で再び決闘が始まった。
ジュリアスが誘うようにゆっくりと剣を突き出した。
アリスはそれを即座に素手で左にはたく。ジュリアスが重心をかけて攻撃して来なかったので、アリスは今回は攻撃にうつらない。
今度はジュリアスが剣を素早く二度アリスに突き出した。牽制だ。
タンタンと、アリスが小気味よく剣を上と左に払う。攻撃を簡単に払いのけられたジュリアスが真っ青になった。
ジュリアスは二度の牽制が終わると半歩下がった。そして、今度はまじめに素早い突きを繰り出す。
アリスが器用に上、左、右、時々下とジュリアスの攻撃をはたき落とす。
「あれはズルくないのですか?」見物していた男子生徒の一人がヘラクレスにクレームを入れに来た。
やはり、男が女にかなわないとかが嫌なのだろうし、次期王候補の公爵家が社交界で実力のない侯爵家に負けるのも嫌なのだろう。
「手ではたき落とすなんてずるいです。本当の剣だったら彼女の手はもう血まみれです。」
「あれね、リデルさんは常に剣の腹を叩いてるんですよ。左に払ったり上に払ったりしているでしょう?アレ、べつにそっちに払おうとしているのではなくて、刃が手に当たらないように、ジュリアス様が剣を突き出した時の刃の腹を叩いているんです。」
うそでしょ!?
「だから、アレが真剣であったとしても彼女の手は切れていないのです。ジュリアス様もリデルさんが剣を払いにくい方向を模索するために、剣の角度を変えながら、いろんな向きで、何度も意味のない突きを繰り返しているんです。そもそも、つぶれていたとしてもあんな勢いで刃の部分が当たったら、骨なんて折れちゃいますよ。」ヘラクレスが解説したが、注意して見てもそれが本当なのかまるで解らん。
クレームをつけに来た生徒や周りで今のやりとりを聞いていた生徒たちが目を皿のようにして、二人の戦いを観察し始めた。
ヘラクレスの言っていたことが実際に行われているのか確認することはできなかったが、ジュリアスが一方的に突いているにも拘わらず彼の表情はどんどんと険しくなっていく。
ついに業をにやしたジュリアスが少し大きく踏み込んでアリスの身体に届きそうな突きを繰り出した。
その瞬間、アリスはその突きをはたかず、ジュリアスの突きの外側に身をかわして踏み出した。
一気に間合いが縮まる。
突き出されたジュリアスの剣の先端はアリスの後頭部より後方にある。一方、右手を後方に引くように構えられたアリスの剣には、ジュリアスを突くのに充分な間合いが残っていた。
アリスに攻撃のチャンスを与えるわけにはいかないと思ったのだろう、ジュリアスは突き出した剣を強引に横に薙いだ。体のどこかが当たれば良い。そんな感じの振り方だった。
突き以外の攻撃をジュリアスがしたのは二回の決闘でこれが初めてだ。
アリスはこの攻撃を予想していたかのようにしゃがみ込んでジュリアスの攻撃をかわした。そしてかわしながらジュリアスに言った。「私の戦い方へようこそ。」
余裕あんなぁ。
振り回した剣をかわされたジュリアスの身体が流れた。
そして、アリスも今日初めて剣を横に薙いだ。
気づけば、尻もちをついたジュリアスののど元にアリスの切先が突きつけられていた。
「それまで。」ヘラクレスが決闘の終わりを宣言した。
ギャラリーから割れんばかりの歓声が上がった。
アリスは剣を引っ込めて、ジュリアスに左手を差し伸べた。
「まいった。いい戦いだった。」ジュリアスは素直に負けを認めて、ため息をつきながら苦笑いをすると、アリスの手を取って立ち上がった。
「こちらこそ、とても楽しかったわ。」
「リデルちゃん!」シェリアがアリスに飛びついてきた。
アリスはシェリアに突然抱きつかれたので、顔を真っ赤にして、目を真ん丸にして、どうしたものかとジュリアの背中のあたりで両手の指をわきわきと指せている。
たぶんグラディス以外の人間にこんなふうに抱きつかれるのが初めてなのだろう。
しばらく困っていたアリスだったが、シェリアが泣き出したので、グラディスがいつもアリスにする様にシェリアを優しく抱きしめた。
「シェリア、君にはとてもすまないことをした。申し訳ない。謹んで謝罪をする。彼らにもきちんと謝罪させよう。」少しシェリアが落ち着いてきたところでジュリアスが声をかけて来た。
シェリアはおびえて声が出ない様子で、アリスにしがみついたまま、怯えたように首を横に振った。
「そうはいかない。彼らは君にとんでもないことをした。」ジュリアスが膝をついた。「君のために決闘を受けた友人のためにも謝罪をさせてくれ。」
なにこいつ、さっきからすごいイイ奴なんだけど?
ぶっちゃけ、アリスのほうはそんな高尚な理由じゃなくて喧嘩売られたから買っただけだぞ、たぶん。
シェリアが少し怯えながら、アリスの陰からこっくりと頷いた。
「それで、君は僕に何を命令するのかね。」ジュリアスは今度はアリスを見た。そして左手でオールバックをなでて、乱れた髪を整えた。そして腰に手を当ててアリスが何を言うのかを微笑みながら待った。こいつ、この後アリスが告ってくるとでも思ってるんじゃなかろうか。
「あなだたけじゃないわ。あなたのお供たちもよ?」アリスの口調はリデルではなく、王女アリスの口調だった。「みんなが元気になったら、私のところに集合しなさい。」
アリスはジュリアスを睨みつけるように見上げて、そして続けた。
「ごめんなさいって謝りたいから。」




