3-3 a さいきんのミステリ
「凶器をどこに隠したっ!」
その怒鳴り声は部屋の外まで響いてきていた。
現場からグラディスの控えている部屋に戻って来たアリスが、その声を耳にして慌てて中に踏み込んだ。
「とっとと白状しないか!」扉を開けると、40歳くらいの顔色の悪いネズミのような男が机を殴ってグラディスを脅していた。
「ヤード卿!!」アリスがそのネズミ男に向かって吠えた。
ヤード卿と呼ばれたネズミ男は横から急に怒鳴られ、びっくりしてこちらを向いた。
「私のメイドに何か御用?」アリスの声には怒気がはらんでいる。
「失礼いたしました。殿下。」ヤード卿がアリスを向いて深くお辞儀をした。「しかしながら、この娘は第一発見者であり、現場の居住人でもあります。取り調べは当然かと思いますが。」
「今のは取り調べと言うのではなく脅しと言うのではないかしら。」アリスがヤード卿に詰め寄った。
「しかし、犯人かもしれない人間を取り調べるのには甘い態度は厳禁です。」ヤード卿がアリスに詰め寄られて慌てて後ずさりした。勢いに押されたというより、汚いものから避ける感じ、アリスの病気がうつるかもしれないと思っている人間の動きだ。
「グラディスは犯人ではないわ。」
「それは、どうですかね?この短い期間に二つの事件が起き、その両方で重要な容疑者でなのですよ?しかも、容疑が晴れて解放され、すぐのこの事件です。偶然とは思い難い。おそらく先の殿下ご自身の暗殺未遂について脅されていたか、誰か共犯が居て仲間割れを起こしたか。そういったことがあったと考えるのが自然だと思いますがね。」距離はおいたものの、ヤード卿はアリスに対する自分の態度を曲げる様子はないようだ。
うーん??なんだか違和感がある。
ヤード卿はグラディスの犯行の動機にはたどり着いてないのかな?
「グラディスが私の暗殺犯だったとでもいうの?」
「その娘にそのつもりがなかったとしても、サミュエル卿の逢引きの手伝いの中で何か秘匿せねばいけないことができてしまったとしてもおかしくはないでしょう。」
アリスとヤード卿がにらみ合う。
「ヤード卿、ヤード卿。恐れながら。」と、アリスの後ろに居たホームズ(仮)が割って入り、ヤード卿を手招きした。「実は、凶器の件でお話が。」
「ん?何か。」ヤード卿はアリスから距離をとるように壁際を移動してホームズのところまでやって来た。
「実は、現場で・・・」ホームズは例のろうそくの跡の話をヤード卿に伝えた。ヤード卿は目を真ん丸くして聞いていた。「一度現場をご覧になったほうが良いかと。」
「うむ、協力を感謝する。」そういうとヤード卿は部屋に控えていた兵士の片方を従えて出て行った。ロウの跡を調べに行ったのだろう。
「グラディス、大丈夫だった?」アリスがグラディスに心配そうに尋ねた。
「はい、大丈夫です。とても怖い人でした。」
「あいつ、どうしてくれよう。」アリスがヤード卿の出て行った扉のほうを睨みつけた。「とりあえず、グラディスの容疑が晴れるまで、私もここにいるわね。」
「なりません。王女殿下。」グラディスがさっきまでのおびえた様子はどこへ、毅然とした態度でアリスに言った。「私のことは大丈夫です。それと、オリヴァ様がお探しでしたよ。こちらまで探しにいらっしゃいました。」
オリヴァと言う名前を出されて、アリスが「ヤッベ」と、悪ガキのように呟いた。完全にオリヴァとの授業のことを忘れていたらしい。
「グラディスさん。今のうちに昨日何があったか細かく話してくれませんか。」ちょうど話題の切れ目になりそうだったのでホームズが割って入った。「部屋に帰って来たところからで良いです。」
「は、はあ。」グラディスは突然、兵士が勢い込んで捜査に乗り出してきたのに戸惑っているようだ。
「アリス様におとなしくしてもらうには事件を早々に解決してしまうのが一番だと判断しました。」ホームズが言った。
「なるほど。」
「ちょっ。」アリスは本人を目の前に堂々と自分を軽々しくあつかう二人に声を詰まらせた。
「できる限り細かいところまで、その時を思い浮かべてお願います。」ホームズはアリスの様子などお構いなしに続けた。
「まず、いつものように、夜の12時頃でしょうか、炊事場のお掃除を終えまして部屋に戻ってまいりました。部屋のカギを開けますと、中には明かりがついていまして、不思議に思って恐る恐る中をのぞいたところ、マハル様が扉の前にうつぶせで倒れていらっしゃいました。」グラディスがその時のことを思い出したのか、少し言葉をつまらせた。
ちなみに、この世界の時間の刻みは日本と同じだ。
「いつもは、明かりを消して戸締りをしておられるのですね。」ホームズが訊ねた。
「はい。」
「怪しい人とはすれ違わなかった?」今度はアリスが訊ねた。
グラディスが少し考えてから答えた。「特にどなたかとすれ違うようなことはありませんでした。」
「すれ違うようなことは??」アリスとホームズがグラディスの微妙な言い回しに同時に喰いついた。
「あ、いえ、ちょっとその前の全然関係ないことを思い出してしまいまして・・・。」グラディスが余計なことを言ってしまって良いものかと二人を見る。
「構いません。」
「そうよ。気になることがあったら言いなさい。」
「その・・・、部屋に戻る一時間少しくらい前ですが、炊事場の掃除をやり始めた時、どなたか、おそらく兵士の方が炊事場の前を通り過ぎたのを思い出しまして・・・。」
「それよ、犯人に違いないわ。」
そうだ。それが、犯人に違いない。
マハルが瀕死だった時間とぴったり合う。
「おそらく、と言うのは?」冷静なホームズがグラディスの言葉のあいまいな部分をついた。
「その、姿を直接見たわけではないので。」
「兵士はよく炊事場の前を巡回しているのですか?」
「その時間帯にはめったに無かったと思います。ほとんどどなたも通りません。たまに、残業のメイドのかたが通るくらいです。」グラディスが答えた。つまりグラディスは他のメイドが働き終わった後に炊事場の掃除させられてるのな。
「ではなぜ兵士だと?姿は見ていないですし、普段兵士が通るわけでもないのですよね。」ホームズは意外と細かい。
「あんた、グラディスを疑ってんの?」
「アリス様、しばし黙っていてください。」
おぉい。一介の兵士が王女に向かって言い放ちおった。こりゃ、めんどくさくなるぞ。
アリス素直に黙る。
予想外・・・。あるぇー。
アリスってときどき想定外に素直な時があるな。
「そ、その・・・・なんででしょう?」グラディスが首をかしげる。
「んー、それでは、兵士だと思ったのではなくて、何か、侍従さんでは無いと思った理由があるのでは?」
「あ。」グラディスがホームズに誘導されて何かを思い出したようすで声を上げた。「そうです。男の人だと思ったのです。灯りが炊事場の前を横切っていったときに男の人っぽいなと。日が沈んでから、兵士以外の男性の方がメイドたちの居住区に入ることはほとんどありません。」
「灯りが炊事場の前を?扉は開けっぱなしだったのですか?」
「扉がないのよ。」アリスが代わりに答えた。声のはしばしにご不満な様子が聞き取れる。
「はい、お食事を運び出すのに楽なように扉がございません。」
「納得しました。それでは、その前を灯りが通り過ぎていったと。駆け抜けていった、といった感じですか?」
「そうですね。そんな感じが近かったと思います。もしかしたら足音で男性と思ったのかもしれません。」グラディスが記憶を手繰ろうと小首を傾げながら答えた。
「ありがとうございます。遺体を見つけた後はどうしたのですか?」ホームズが納得したのか礼を言って続きを促した。
「ええっと、その後は慌ててメイド長様がお住まいのお部屋に行って扉をたたきました。それからはメイド長様が緊急の呼び鈴で兵士の方々をお呼びになりました。それから、もう一度皆様と自分の部屋に向かいました。その後、メイド長様がマハル様がお亡くなりになっていることをご確認されました。」
「その間に、グラディスさんの部屋や遺体に何か変化したところはありませんでしたか?」
「なかったと思います。」
「その後は?」
「その後ですか?」
「はい。」
「その後は、兵士に連れられて、この部屋に待機するように言われました。その後はずっとこの部屋におりましたので、あとのことは判りません。ごめんなさい。」
「持っていた灯りはどうされましたか?」例の話だな。
「灯りでしたら、そちらに。」ベッドの脇のサイドテーブルの上にロウソクが皿に取りつけられたまま置かれていた。ホームズの推理通り、グラディスの灯りは持ち出されていたようだ。
「以上で大丈夫です。ありがとうございます。」
「はい。こちらこそ、ありがとうございました。」グラディスが良く分からない礼を返した。
「ヤード卿は怖いですけど、暴力を振るったりするような人ではありませんので、頑張ってくださいね。」ホームズはグラディスを安心させるようにそう言うと頭をなでた。少しグラディスの頬が赤くなった。イケメンめ、押さえるところは押さえてやがる。けっ。
「ちゃんと、グラディスの無実を証明するからね。待ってて。」ホームズの聴取が終わるまで、しゃべらないようにしていたアリスがようやくとばかりにグラディスに声をかけた。
グラディスと一緒にいるんじゃなかったのか?
「オリヴァ様とのお勉強はどうなさるのですか。」グラディスがそんなことよりとアリスに言う。
「仕方ないじゃない。スクイージ達には何日か余分に待ってもらうわ。」アリスが答えた。
いま、「スクイージ達」と言ったか?
そうか・・・。
スクイージが誰のことか分からないグラディスが不思議そうな顔をしてアリスを見たが特に質問はしなかった。
「そうでした、最後にもう一つ。」今度はホームズが思い出したようにグラディスに話しかけた。
そして彼は、ホームズという仮称にふさわしく、アリスや自分がうっかり見落としていた重大な落とし穴について指摘した。
「犯人やマハルさんはどうやってあなたの部屋に入ったんだと思いますか?カギを掛けていたのですよね?」
グラディスとアリスが目を見を見開く。
しばしの沈黙。
「解りません。」
「確かに、どうやって犯人が鍵をかけたかしか考えてなかったけど、なんで犯人やマハルがグラディスの部屋に入れたのか解らないわ。そもそも何でグラディスの部屋にマハルが入る必要があるのよ・・・。」アリスが自分でしゃべっていてだんだん不安になって来たのか、ホームズを見上げた。
たしかに、誰かがマハルを殺して部屋を出て行ったにしても、なぜグラディスの部屋なのか、マハルや犯人がどうやって部屋に入ったのか、説明がつかないのだ。残念ながらグラディスが犯人のほうがいろいろと説明がつくことが多い。
「いや、多分マハルさんはグラディスさんに嫌がらせをしようと思ったんじゃないですか?」アリスの疑問のうちの一つにあっさりとホームズがそれっぽい解答例を提示してきた。
「あ。」アリスとグラディスが、同時に呟いてお互いを見やった。
たしかに、王女のお付きをの仕事を、見下していたグラディスに盗られたマハルがグラディスに何かやらかそうと考えても不思議はない。
「問題はなぜ入ったかではなくて、どうやって入ったかです。この本質的なところが分かっていません。」ホームズが言った。「まずは、入ることができた方法が分からなければ、なぜ入ったかを考えても意味がありません。不要な憶測が広がるだけです。」
ホームズはグラディスを怪しんでいるようではないみたいだ。アリスとグラディスもホームズのこの態度にホッとしたようだった。
「グラディスさんの鍵が使われたのではないとすると、部屋の扉はどうやって開けられたのでしょうか?」
「そういえば、メイド長様がメイドたちの居住部屋の予備のカギをお持ちです。」グラディスが答えた。
ちょ。
いまさらグラディスがかなり重要なことを思い出したように言った。
「これで、グラディスさん以外にもカギを開け閉めできる可能性が出てきました。これを解決すればようやく我々は最初に感じた疑問に向き合うことができます。」ホームズが意味ありげに言った。「なぜ現場は密室だったのか?」




