文献1 後世におけるタイラント・アリスに対する見解(抜粋)
賢王アミールと言えば、鬼神ヘラクレスを引き連れタジム国の侵略を返討ちにし、我がファブリカ王国が大陸で覇権を握るに当たる礎を作り上げた偉大なる王である。さらには、ファブリカに負けたことで傾国の憂き目をみたタジム国を併呑して、タジムの民をも救った我が王国が誇るべき最も偉大な王であることは語るまでも無いだろう。
中略
賢王アミールの時代に書物が万人のものとなった。
これはアミールがこの時代に急激な識字率向上を進めたことと、カリア兄弟による原始平版印刷機の発明がこの時期に成された事に起因する。この二つは偶発的に発生したものではない。アミールは識字率を向上させるのと並行して原始平版の開発に資金を投じていたというのだから、アミールの先見たるや恐るべきものがある。
これにより今までは貴族たちが跡継ぎに残すためだけに記していた書物が情報伝達の手段として市民たちの間に普及し、領主たちが個別に抱えていた専門知識が普遍的に共有化されるようになった。
例えば、それまでは農業の専門書は各領地ごとに個別に保管されており、そのため領地ごとに技術の隔絶化がされていた。農作物が病気になった時など、その病気の対処方法のかかれている書物を持っていない領地では飢饉が発生し、時には領地ごと滅ぶ場合もあった。しかし、それらの情報が印刷機の普及によって共有されたことで、この時代以降、大きな飢饉が人々を苦しめることはほとんどなくなった。
知識の共有化は建築・農林・水産・科学すべての分野で進んだ。現在まで伝わる共通規格もこの時代に生まれたというのだから驚きである。
この知識の共有化により、ファブリカは大きく発展を遂げた
文字そのものを楽しむ文化が発生したのもこの時代だ。
最初の小説であるとされる『見張り塔の魔女』はこの時代に初版が刷られている。
アミールの言葉を借りれば、「需要と供給がかみ合ったため、この国に新たな生活の基盤が生まれた。」ということになる。市民が文字を読めるようになったため需要が発生し、原始平版の発明により供給が追いついた。その結果、新たな職業が生まれたということだ。
中略
これだけでも賢王に相応しいのだが、加えて、アミールは階級社会から民主主義への変革に向けて最初に舵を切った王でもある。
アミール王の御代になって、国の統治に貴族たち以外の者が登用されるようになった。能力があれば民間でも国の執政に口を出すことができたとされている。市民たちの政界への進出によって、専門知識の無い貴族ばかりで決められていた様々なことが専門家の意見を取り入れながら進められるようになった。
現在の参議院が円卓と呼ばれるのは、アミールがこの時代に市民たちの意見を聞く場を『円卓』と呼称したからに他ならない。
中略
彼の執政は必ずしも最初から順風満帆ではなかった。
彼は前王である女王アリスが衰退させたファブリカ王国を立て直すところからその執政を始めなくてはならなかった。
今はブラッディ・アリスというカクテルの名で知られるあのアリス女王だ。その血のように赤いカクテルの色が、彼女が良く好んで着ていた赤いドレスとその残虐性を連想させたため、その名が付けられたとされる。
女王アリスはその執政期間中から国民たちに暴虐王アリスと囁かれる程の暴君だった。
当時を記した橙薔薇伝に詳しい叙述が多く残っている。橙薔薇伝によればタイラント・アリスは野蛮で、暴力的で、粗野であったとされる。
アミールの時世の前半についての最も信用すべき資料である紫薔薇伝にも、アリスが粗野で横暴であり、およそ王族には相応しくない人物であったことが記されている。記載は少ないがその他の歴史書にも似たような人物像が記されている。
タイラント・アリスはアキア地方での極端な増税を皮切りに、各業種において増税をした。一方で彼女自身は贅沢を極めた。彼女は国民から吸い上げた金で菓子や服飾を過度に求めたとされている。
ちなみに現在においてファブリカがスィーツの国と呼ばれるほど菓子産業が盛んなのは、女王アリスが職人たちにこぞって菓子を作らせたからだとする説がある。また、女王アリスが青色の服を求めたためにこの時代に藍染が生まれたとされている。
彼女は王都の市民を捕まえては暴力の的にしていたとも言われている。彼女自身が極めて優れた武術の達人であり、その技を極めるために何人もの市民たちが犠牲になったと伝えている書物もある。
このようにタイラント・アリスは国民を顧みることなく世の快楽に溺れ、贅をつくすことにのみ労力を投じた。そのため、彼女の執政時に貧困と不衛生のために王国中に病気が蔓延した。
中略
どのようにしてタイラント・アリスからその弟である賢王アミールに王座が受け継がれたのかは実のところはっきりしていない。
アミールの治世にかかれた書物には女王アリスがどうなったかについて驚くほどに記載がない。アミール本人の記したとされる伝記にすら、女王アリスの最期を記した記載はおろか、自らが王位についた時の記載すらもないのだ。それどころか、アミールの伝記にはアリスという名前すら出てこない。
橙薔薇伝のみが、女王アリスの治世の最期に暴動が起こり女王アリスは王都から逃亡したと伝えている。
アミールの治世以降は民間でも歴史家が生まれ歴史書を記すようになったが、女王アリスに関する記載は少なく、あっても記載がまちまちだった。アミールによって処刑されたとしているもの、アキアに幽閉されたというもの、逃亡したというもの、と、様々な最期が記されている。
現在において最も有力とされているのは、アリス女王は王都から逃亡し、その逃亡途中に人知れず国民たちに惨殺されたという説だ。
アミールが王座に付いてから後の女王アリスの足跡がまったく追えていない事から、逃亡中に人知れずに死んだという話は信憑性がありそうに聞こえる。
なにせ今日まで女王アリスの墓も見つかっていないのだ。
中略
とにもかくにも、アミールはファブリカの歴史の中でも屈指の偉業を果たした人物であった。
彼の業績は文明の転換点であったと言っても過言ではない。
だが、ここで私は一つ疑問を提示したい。
“はたして、これはアミール一人で成しえた事なのだろうか?“
中略
アミール本人の伝記において、彼に影響を与えた女性が居たと記されている。
その話は歴史家にとって長い間、事実として受け入れられてきている。
彼の伝記においては『私の尊敬する女性』という記載がなされているだけでその名は明かされていない。
後世の歴史家たちは、タイラント・アリスによって王都を追われたアミールの母親ラキュラこそがその人物ではないかと推察した。
ただ、アミールの自伝においては『私の尊敬する女性』が母であるとの記載はない。それどころかラキュラは名前も出てこない。
当時の歴史書である紫薔薇伝における『ラキュラは常に自らを陛下と呼ばせていた』という記載から解かるように、ラキュラという人物は自己顕示欲が強く、傲慢であったとされている。
それがたとえ母であったとしても、アミールのほどの賢王がそのような人物を尊敬していたとは考え難い。
橙薔薇伝においてのみ、ラキュラがアミールの執政に多大なる影響を与えたと記されており、それが古い歴史家たちの考察のよりどころになっていた。
だが、アミール自身がラキュラの復帰を拒んでいたことを紫薔薇伝、橙薔薇伝ともに伝えており、そちらの文面のほうを重くみるのが現在の歴史家たちの主流だ。
では、アミールの自伝に度々登場する『私の尊敬する女性』とはいったい誰の事なのであろうか。、
ご存じの通り、アミールは子供の頃の事件における怪我によって子作りにおいて不能であり、生涯を独り身で過ごした。彼の人生に女性の影は一切と言っていいほど無い。
中略
アミールに影響を与えたのはラキュラとは別の女性であったと考える。
これは近年よく言われている話であり、二人の人物が話題として良く挙がる。
一人はアピス女史。
この時代に最も貢献した女性だ。現在の学問の礎を築いたのは彼女と言っても過言ではない。
現代医学の父アルトと並び、この時代の二英哲と称される女性だ。
彼女はアミール王戴冠時の5公のひとり、ミンドート公の長女であったにもかかわらず、市民たちのもとへと下り、彼らに学問を普及することを選んだ。この時代の識字率の向上についても彼女の功績は大きい。
しかし、仮に彼女がアミール王の尊敬する女性だったとして、それが秘匿される理由が無い。
実際、アミールの自伝においても、『敬愛するアピス女史』という形で記載がなされており、『私の尊敬する女性』とは別人であると考えるほうが素直である。
もう一人の候補は、『仮面騎士』マスクドレイ
鬼神ヘラクレスと共にタジム戦役における勝利の立役者となった二英雄が一人。
論拠がまったくないにもかかわらず、マスクドレイは女性であったと信奉する人が多い。
実際に女であったという可能性もあるが、歴史学者の間ではマスクドレイは男とされている。
アキア地方に彼とされる肖像画が残っており、そこで彼は不気味な笑顔の浅黒い顔の男が描かれている。
彼が金髪の長髪であったことが、ファブリカ建国の女王の絵画と相まって、そのように勘違いされるようになったのだと私は推察する。
何故、彼が『仮面騎士』と呼ばれるに至ったかは解っていない。
諸説あるうちでは、アミールの即位前にモブート地域に現れたとされる虎のマスクの貴族の正体がマスクドレイであったためであるという説が最も信憑性が高い。だが、それを裏付ける証拠があるわけではない。
中略
さて、本著では、別の可能性を示したい。
アミールが『私の尊敬する女性』と呼べる人物として、私は先に述べた先王タイラント・アリスを推したい。
彼女のせいで国に病気が蔓延し、さらに彼女はその処置にも失敗した。さらには税金を増額するために多くの農民たちから土地を取り上げ、流民を多く発生させた。国内に麻薬を流通させようとしたが失敗し、代わりに酒の販売を独占したとも言われている。
その一方で、アリスの突出した才能がいくつかの伝記に記載されている。10以上の書物でタイラント・アリスは武芸と商才に秀でていたと伝られており、この点についてはどの歴史書においてもそれを否定する文言は見られていない。
そして、その才能ゆえに歪な性格となり暴君へと変貌したと一部の歴史書は伝えている。
にもかかわらず、アミールの自伝においては女王アリスについての記載はいっさい無い。
中略
先に話題に上った小説『見張り塔の魔女』のモデルがタイラント・アリスであるとの見方もある。
これはアキアの一部地方を中心に根強く信じられている伝承だ。
たしかに『見張り塔の魔女』は流れ逃げてきた魔女がどこかの塔に閉じこもるという話だ。
王都を逃れたタイラント・アリスはアキアのどこかで生きていたのではないだろうか。
そして、どこかの搭に隠れて住んだのだとしたら?
『見張り塔の魔女』とはそんなアリス女王の事を記した書物なのではないだろうか?
もし女王アリスが生きていたとして、彼女がこっそりとアミール王に何かしらのアドバイスや忠告をしていたとしたら?
アミールにとっての『私の尊敬する女性』というのがタイラント・アリスだった可能性もあるのではないだろうか。
中略
タイラント・アリスが子供のころに書き残したとされる計算の跡が、アキア城の一角の棚板に残っている。
この式は現在の歴史学者たちによっても調べられており、アキアの農業の石高の計算に使うための数式であろうことがすでに判明している。
着眼する点はこれが方程式であることだ。
方程式はアミールの時代の後半にようやく普及した技術だ。それ以前では貴族の間ですら普及してはおらず、一部の数学家(当時は貴族の趣味の一つであった。)が不完全な状態で使用していたにすぎない。
私は知り合いの数学者にこの式の写しを見てもらった。その方程式は現在の農業の生産高を計算するにおいても充分に使用可能なものであり、それまでの計算過程にも誤りは無いことを彼は断言した。
野蛮で、暴力的で、粗野だとされるアリス王が当時の最先端である方程式を使いこなしていた。
これは私の仮説を支持する証拠とは言えないだろうか。少なくとも、女王アリスがただの愚王ではなかったことを示してはいないであろうか。
歴史家は女王アリスを語るにおいてこの数式に重きをおいていない。アキア城の厨房の棚板に書かれていたことから、歴史的に信憑性のあるものとされていないのだ。
おそらくは、タイラント・アリスが使っていた机の天板を棚板に使ったのであろうが、何故アリス女王が机の上に直接計算をし、なぜ後世の人々がそんな物をわざわざ棚板にしたのかなど不可思議なところが説明できていない。
しかし、文字自体はアリス王の筆跡であるとの観光庁の鑑定結果があり、タイラント・アリスがこの式を書き残したことについてはことは間違いがない。
中略
もう一つ付け加えたい。
方程式というのは、数値を代入することで簡単に計算結果が得られるものである。
わざわざ数値を計算せず式を準備したというのは、タイラント・アリスがアキアの農業について様々なパターンや状況を計算しようとしたからだと考えられる。
アリスの書き記した数式は当時の農業をシミュレートできるものであった。
そして、橙薔薇伝の伝えるところによれば、アミール王の最初の功績はアキアの農業改革であった。
これは偶然だろうか?
実はタイラント・アリスが農業改革の準備をし、それをアミール王に引き継いだのではないだろうか。
中略
国民との対話をせず、暴力による支配を選んだタイラント・アリス。
タイラント・アリスは後世我々に伝えられているのとは違い、もしかして、ずっと優れた名君だったのではないのだろうか。そして、その業績こそが賢王アミールを支えていたのではないだろうか
私はこの可能性について、現代の知見からひも解いていこうと思う。
(セシル=ノワル著 『賢王アミールの真実』より抜粋)




