13-4a さいきんこの世界から去ることになりました。
反アリス分子たちによる山狩りが始まった。
例のマスクの女がまだ【感染】者リストに残っていたので視点を移す。
彼女の中にも、自分の細胞たちは50そこそこしか居なかった。もう30分も持つまい。
しかし、絶妙なタイミングで彼女と視界が共有できた。
マスクの女は馬車の屋根の上に立って、集まった市民たちに激を飛ばしているところだった。
今日もマスクをつけている。偉い。
いや、それどころじゃなくて。
馬車の周りには彼女を見上げるように100人以上の人が集まっていた。
馬車の屋根は不安定で滑りそうでちょっと怖い。
って、待て!?
一瞬視界に入った足元の模様に驚く。
これ橙薔薇の馬車じゃねえか!
マスクの女の立っている足元、馬車の屋根にはオレンジの薔薇の家紋があしらわれていた。
ってことはこいつ橙薔薇公かトマヤの関係者か!
橙薔薇公はいまだ幽閉されている・・・はずだ。
少なくともついこの間までは幽閉場所に居た。
自分が監視できなくなってから、誰かと連絡をとったのだろうか?
「暴虐王アリスはこの山に入った。民を捨て置いて逃げ出した愚王を見つけて捉えるのだ!捉えた後はどのようになっても構わぬ。その体が暴虐王のものだと分かりさえすればよい。ここに連れてくるのだ。」マスクの女は馬車の天井に立ったまま大声で市民たちに叫んだ。
足止めしておこう。
【嘔吐】
「ぐっ!」突然の吐き気にマスクの女は喉を鳴らした。
しかし、彼女はそれを飲み込むとなおも大声を上げた。「皆の者、暴虐王は目の前だ。我々を虐げた悪逆なる愚王を蹂躙せよ!所詮は処刑される女。生死も何もかも問わない!かかれっ!!」
女はそう叫んで山を指差した。
マスクの女の声に、集まっていた男たちが先を越されてはならぬと我先に駆け出した。
くそっ。
【嘔吐】も【めまい】も試しているのに止まらない。効いてはいるのにこの女が我慢しているのだ。
「嬲れ!犯せ!殺せ!」マスクの女は駆けて行く市民たちに向けて甲高い声で絶叫した。「悪辣な人生の贖罪をあの女の身に刻み込んでやれ!あの女に奪われた私たちの慎ましい幸せの復讐を果たすのだ!!」
なんなんだよ、こいつ。
何で、そんなにアリスを目の敵にするんだよ?
なにが、そこまでお前を駆り立ててるんだよ?
アリスがお前らを助けるためにどれだけ心を削ったか分ってんのかよ!
この辺り一帯に【めまい】と【嘔吐】の症状をまき散らす。
ノワルの人たちも巻き込まれてしまっているかもしれないが構っていられない。
しかし、すでに自分の【感染】者は底をつきかけていた。
足止めをすることができたのはほんの一握りの人数だけだった。
突然の体調不良にうずくまる仲間を無視して、棒や農具を手にした男たちが山へと入っていく。
「イルザ殿、見事な演説でした。」馬車の下から御者らしい男がマスクの女に声をかけてきた。「我々も山に入りましょう。」
「ええ。」
イルザと呼ばれたマスク女は吐き気とめまいに顔をしかめながらも、這いずるように馬車の屋根から下りた。そして馬車に乗り込むと、アリスたちを追いかけて道を登り始めた。
馬車で行ける道は山の上まで続いている。アリスたちはそこをとうに過ぎているが、かといって簡単に距離を詰めさせるわけにはいかない。
こうしている間にも、次々と【感染】者は減っていっている。
何かできるうちに、少しでもこの後のアリスの旅路が楽になるようにしておきたい。
【操作】で山間の動物たちに彼らの足止めを命じる。
女の乗った馬車の前に野犬が飛び出し、馬が大きくいななき立ち止まった。
徒歩でアリスを追いかけていた男たちも突然の野犬の出現に足が止まる。
一応はアリスが生かすことを望んだ市民たちだ。
殺すことはしないが、しばらくはここに釘付けになってもらおう。
しかし、すごい勢いで【感染】者は減っている。
いずれこの野犬たちも【操作】できなくなるだろう。
そこまで長くは持たないかもしれない。
野犬たちに足止めを任せて戻ってくると、アリスたちは迷うことなく進んでいた。
ここまでは幾つもの分かれ道があったはずだが、その行程は順調だったようだ。
アキア公から地図を預かっていたシェリアが一同をきちんと案内してくれたおかげだ。
山が奥まってくるに従い道は荒れ、もはや獣道とすら呼べないような道をシェリアは迷うことなく一同を導いていた。
この山を分け入っていく感じはアリスたちにとってプラスだ。
これなら追っ手も簡単にはアリスたちの足跡を追って来れない。
だが、そんなアリスたちの逃避行は唐突に難所にぶち当たった。
道が崖に行き当たったのだ。
深く切り立った崖にはボロボロのつり橋がかけられていた。
アキア公が使っていないと言っていた道は本当に誰も使っていなかったようで、その10メートルほどのつり橋は腐りかけていて今にも崩落しそうだった。
ここでもたもたすると追手との距離が詰まってしまう。
逆に、アリスたちがここを渡ったあとに橋を落としてしまえば、アリスを追ってきている連中はアリスを追っかけ続ける事はできなくなる。この崖を渡るためには、一度山を下りて街道を回る必要があるだろう。その間にアリスは馬の待つところまでは逃げることができるはずだ。
ただし、それはアリスたちがこのつり橋を渡れればの話だ。
「ずいぶんと、ボロっちいつり橋ですな。」アルトが不安そうに言った。
「重さに耐えられるでしょうか?」グラディスも不安そうな声を上げた。
「やめたほうが良くないですか?」ヘラクレスが崖下を覗き込んだ。
「でもここを行くしかありません。」シェリアも恐る恐る崖下を覗き込んだ。
「こんなの大丈夫よ。」アリスが橋を渡った。
うぇあああい!
もっといろいろ確認せい。
落ちたらどうすんねん。
崖の高さとか描写してる暇もなかった。
「大丈夫よ~。」アリスが崖の向こう側に手を振った。
ウィンゼルが前足で最初の踏み板をちょんちょんと確認してから、ダッシュでアリスの元へと渡ってきた。
ネオアトランティスは飛んできた。
一方で、向こう岸では残された面々が躊躇していた。
「うーん、私は最後が良さそうですかな?」
そうだな。重量的にアルトが一番ヤバい。てか、無理じゃね?
「私が行きます。」グラディスがアリスを一人にしてはおけないとばかりにつり橋に踏み入った。
グラディスが足を踏み入れると、つり橋はミシミシと今にも崩落しそうな音をたてた。
グラディスはボロボロの縄にしがみつくようにして一歩一歩ゆっくりと進んで行き、何とか橋を渡り切った。
グラディスが渡り終えて対岸に手を振る。
今度はシェリアが出てきた。
「私、次、行きます。」
シェリアも足をがくがくと震わせながら、足を横に滑らせるようにして一歩一歩進んで行く。
そして、真ん中付近にきた時だった。
バチンと大きな音を立てて、つり橋を支えていた綱の一本がはじけ飛んだ。
アルトがはじけ飛んでいきそうになったロープを信じられない反射神経で捕まえた。アルトに支えられてつり橋がかろうじてつり橋としての機能を維持する。
「ぬああああああ!!」
アルトが絶叫して綱を引っ張ったまま踏ん張る。
「きゃああああ!」
シェリアは大きく揺れるつり橋の真ん中でしゃがみこみ、必死につり橋にしがみついている。
「シェリア!シェリア!!シェリアっ!!」アリスが慌てて飛び出した。
グラディスが慌ててアリスにしがみついて止める。
「ダメです、アリス様まで乗ったらアルト様が持ちません!」
「シェリア!シェリア!!シェリアっ!!」アリスが必死に叫ぶ。
「おおおおおおっ!!!!ヘラクレス殿っ、シェリア殿を、向こう岸にお願いしますっ!!」アルトがヘラクレスに叫んだ。
「アルト卿!?」ヘラクレスが信じられないと言った顔でアルトを振り返った。
「私はもう渡れません。でも耐えてみせますっ。思ったより重いっ!早く!!シェリア殿をアリス君のもとへ!」
ヘラクレスはアルトの言葉が終わるのを待たずに躊躇なく飛び出した。そしてアルトが引っ張り上げているつり橋に跳躍した。
ヘラクレスが半壊したつり橋の綱に着地した瞬間、重みでロープがビンとしなり、アルトに着地の衝撃がかかる。
「のおおおおおお!!」ロープの衝撃を耐え凌ぎながらアルトが吠えた。
頑張ってくれ!アルト!!
シェリアとヘラクレスの命はお前にかかってる!
ヘラクレスは二歩目の跳躍でシェリアのもとに到達すると、シェリアの腰をつかんで強引に抱え上げた
そして二人の重みに大きくしなるつり橋の上を、シェリアを抱え上げたままアリスの所まで駆け抜けきった。
アルトはヘラクレスが渡り切ったとみるや、手首に巻きつけて支えていたロープをぱっと放した。
アルトの手を離れた綱は張力に引っ張られて、ものすごい勢いで崖の下のほうへと吸い込まれていった。
その勢いで残っていた綱も切れ、つり橋は完全に途切れてだらりと垂れ下がった。
対岸のアルトがポージングを決めて、勝利の雄たけびを上げた。
「このための筋肉ぅううううううっ!」
んな訳あるかいっ!
いや、でも、助かった。
医者なのに筋肉いらなくない?とか思っててごめん。
人を救うのには医学も筋肉もどっちも大事!
「シェリア!シェリア!!」アリスはシェリアに駆け寄って抱きついていた。「良かった!良かった!!」
シェリアは未だ足をガタガタと震わせたまま泣きじゃくっていた。
「大丈夫?ケガはない?」アリスは震える声でシェリアに訊ねた。アリスのそんな怯えたような声は今まで聞いたことが無かった。アリスの手も震えていた。
「うん。」シェリアは泣きながら頷いた。そして、しゃくりあげながらも必死に返事を返した。「大丈夫・・・。」
「よかった・・・。」アリスはシェリアをいっそう強く抱きしめた。
グラディスがそっと近づいて、抱き合っている二人を後ろからそっと抱きしめた。
「こっちは大丈夫です。ありがとう。」ヘラクレスが向こう岸のアルトに親指を立てて見せた。
アルトが向こう側で親指を立て返した。
しばらくの間泣きじゃくってから、シェリアはようやく立ち上がった。
「大丈夫。行ける。」まだシェリアはしゃくりあげていたが、それでもアリスを見据えて気丈に言った。
アリスがシェリアの事を見つめた。
それはすがりつくような視線だった。
「アリス君。」
崖の向こうから声が飛んできた。
「私はここまでのようだ。気をつけて進んでくれたまえ。」
アルトはそう言って、大きくアリスたちに手を振った。
大きく、これでもかというくらい大きく、アリスたちを元気づけるかのように彼は手を振った。
彼がいつもうんざりするくらいにやってきたポージングではなかった。
最期だし、ポージングでもよかったんだけどな。
アリスは寂しそうに顔を上げて、ゆっくりと力なく手を振りかえした。
アリスとアルトはまたどこかで会うことがあるのかもしれないが、自分は彼と二度と会う事は無いだろう。
「さようなら!ありがとう!」崖の向こうからアルトの声が聞こえた。「頑張れよ!」
ありがとう、アルト。
何のための筋肉とか思っててすまんかった。
その筋肉のおかげでシェリアは助かった。
そもそもアリスがここまで生きてこれたのはお前のおかげだもんな。
別にわざわざ見たいと思うような相手でもないが、あのムキムキのフォルムはもう二度と見れないのか。
ちょっと寂しいな。
寂しいなぁ・・・。




