12-9c 異世界転生したのでパンデミックしてみようと思います
【崩壊】の文字が赤くなった瞬間、このネズミの身体に居た自分の細胞の3分の1くらいが爆散した。
そして、その爆発に巻き込まれて、間近まで迫って来ていた“彼“の細胞も吹っ飛んで後退した。
さすがに一撃では死なんか。
【崩壊】
『自らをすべて崩壊し、宿主に致命的な影響を与える』
以上が【崩壊】に記された説明だ。
最初見た時はこんなスキル取ることあるもんかいとか思ったもんだが、物事はどう転ぶか分かったもんじゃない。
【崩壊】を取ったことで、あっという間に、このネズミの中の細胞数が4000を切った。
この宿主だけではない。
他の宿主でも大量に数が減ったのを感じる。
今まで、壊れたデジタル表示のように増えていた虫の【感染】数の下一桁が停止し、そして、一つ、二つとカウントを減らしはじめた。
やはり、説明の通り自分が【崩壊】していくらしい。
〈まさか君は【トリガー崩壊】を使えるのかっ!?〉“彼“が驚いた様子で叫んだ。〈いや、違うか。これはただの【崩壊】だ!〉
ご名答。
【崩壊】は初期状態で表示されてたスキルだし、知ってて当然か。
《そうさ。君の【トリガー崩壊】とは違う。》
【トリガー崩壊】
そのスキルは聞き覚えがある。
アルトの薬が持っていた。
狙って爆発することのできるスキルなのだろう。
おそらく『自らを選んだタイミングで崩壊し、宿主に致命的な影響を与える』とかそんな感じなはずだ。
そして、その時アルトの薬にいっしょに積まれていたもう一つのスキルが【身体保護】
効果は『自身の活動による宿主へのダメージを無効化する。』
アルトは【トリガー崩壊】の爆発ダメージがアリスにいかないようにするため、【トリガー崩壊】だけでなく【身体保護】も薬に積んだのだろう。
てか、そんな器用な薬作れるんなら、ペストの特効薬とか簡単に作れるんじゃねえの?あいつ。
今更、愚痴を言ってもしょうがない。
もう【崩壊】取っちゃったし。
ともかく、
以前自分の事をボコボコにしたアルトの薬の攻撃は【崩壊】による宿主への致命的な攻撃の余波なのだ。
だから、“彼“もこの攻撃を使うのを渋った。
しかし、【身体保護】を取得してアリスを傷つけることが無いと解っている今、【崩壊】は自分にとって最大の攻撃手段だ。
《さあ、これで攻撃は君と同じだ。》
〈驕るなよ。僕のより貧弱だ。〉
《でも、数はこっちが圧倒的に多い。》
おっと、再び爆発発生。
こちらの残りの3分の1くらいが四散した。
残数に依存して減っていくのであれば、時間は余裕で足りそうだ。
距離を詰めてきていた“彼“が再び吹き飛ばされた。
だが、【崩壊】に巻き込まれた“彼“の細胞たちはかなり弱っているものの、未だその存在を維持している。
本体が近くにあると“彼“はこれほどまでに強くなるのか。
【崩壊】のタイミングはこっちでは決められない。次の攻撃が起こる前に“彼“の細胞が回復してしまう可能性も無いわけではない。
〈やるな・・・見くびっていた。ハナから大量に増えて自爆攻撃で僕を殲滅するつもりだったのか。だから【感染】能力ばかりを上げてたのか。〉
《ご名答。》
ハナからも何もホントはギリギリまで悩んでたんだけどね。
言ったもん勝ちよ。
まあ、ギリギリまで【パンデミック】の効果で増え続けたかったってのが時間稼ぎをしていた理由の一つでもあるし、“彼“の推察そのものは正しい。
〈でも僕と違って、君は爆発を自由には操れない。〉“彼“に慌てた様子はない。
《まあね。残念ながら。》
〈それに、君は自身の【崩壊】を止めることができない。【崩壊】はすべてを失うまで止まらない。〉
《何が言いたい?》
〈ん?降参するんだよ?〉
《?》
〈今回は僕の負け。やーまいった。まいった。〉“彼“は特に悔しがる様子もなく言った。〈とりあえず『今回は』君の勝ちだ。〉
そう来るだろうさ。
〈撤退優先だな、こりゃ。そして君が居なくなってからもう一度、やり直すさ。〉“彼“は嬉しそうに言った。
《さんざん人のことが弱いだの言ってたのに逃げるのかい?情けないとは思わないのかな?》
〈だからなにさ?君は頭が良いのかと思っていたけれど、やっぱりバカだったようだ。〉“彼“は勝ち誇ったように笑った。〈いいのかい?君は勝手に【崩壊】してこの世を去るんだ。誰にも君が存在したことすら知られぬまま。〉
《それでも守りたいものがあるんだよ。》何故だかカチンときたので思わず言い返す。《君には分らない。》
〈君がそんなことしても、君の大切な人は君のことには気づかない。君は命を賭けたっていうのに。〉
《それがどうした。》
〈君のしていることはただの独りよがりなんだよ。〉“彼“はくすくすと笑いながら言った。〈誰も君の事を知らないのに君一人が空回り。誰も君に何も期待していないのに、君は自分を犠牲にしてしまった。〉
《そんなことは気にしていない。》
〈君の命懸けのおせっかいは誰の心にも残らない。〉
《それでもだよ。》
〈君に意味は与えられない。無駄死にだ。〉
《それでもだっ!》
〈僕は彼らの中に残るよ。〉“彼“は言った。〈結局、誰かの心に残るのは僕だけだ。僕なんだよ。君なんかの存在が誰の心に残るというのか。〉
《それでも、それでも、どうしてもだ!》思わず声が大きくなる。
〈みんなの記憶に記録に残るのは僕だ!この国で猛威を振るった恐怖の存在、それは僕だ!〉“彼“も叫んだ。〈そして、再び戻って来た時、彼らは僕のことを恐怖をもって迎えるんだ。君の命懸けの愚行は僕が皆に恐怖を知らしめるための踏み台にしかならない。〉
《まさか、逃がすと思うのか?》
〈はぁ?僕を倒すのにはいささか数が足りなすぎるんじゃないかな?〉
《そうかな?君、この個体ではあまり数は多くないだろ?》
瘴気があるから“彼“は不用意には増えていないはずだ。
《それに君は爆発以外でこっちに攻撃ができない。なら、こっちは君の核目掛けて特攻をかけることだってできるわけだ。》
〈どうぞ、試して見なよ。〉“彼“はバカにしたような口調で言った。〈【崩壊】を使ってなお、君じゃあ僕の本体には近づくことすらできない。可哀そうだけど、それほど君は弱いんだよ? 君が何もできないうちに僕は悠々と他の宿主に避難しているだろうさ。〉
《避難? どうやって?【操作】はさせないよ。》
〈馬鹿だなあ。このネズミに住まわせているノミに乗ってどこかに行くんだよ。〉
《ノミって?》
〈ノミを知らないのかい?ネズミに沢山住んでいる生物で・・・。〉
“彼“が黙った。
きっと今、コンソールを開いて【感染】者リストを必死に見直しているのだろう。
これが時間稼ぎの理由。
ノミやシラミなんかをこのネズミから引き離すための時間稼ぎ。
《ノミもシラミもこの子には居ないよ?》
〈何故だ?こんなバカなことがあるはずない!〉
《さっき、こっちの細胞を散らしたでしょ。あれ、散開しただけじゃないんだ。先回りして、このネズミに付着している虫に片っ端から入っていって【感染】したんだ。あとは【操作】で逃げてもらったよ。》
〈バカな!?だからなんだってんんだ!貴様を倒せばいいだけのこと!〉思いもよらない事態に“彼“が焦り始めた。〈多少、住処が傷んだからってなんだ。この程度の数なら、この宿主が壊れることはない!〉
そう言うと“彼“はペスト菌を散開しながら距離を詰め始めた。
《残念だけど、無駄だよ。》
この場から少しだけ意識を外し、すぐに戻る。
〈おい、今一瞬何をした?〉
《ちょっと所用だよ。》
〈何を企んでいる?〉
《確認したら?》
〈??〉
《宿主を確認してみたら?》
“彼“の気配が薄くなった。
そして、数秒の後、“彼“は叫び声を上げた。
〈ぎゃぁああああああっ!貴様!何を!?なにをっ?》
時間稼ぎの最大の理由。
このネズミが炎の近くまで移動するだけの時間が欲しかった。
城の二階より上にはダストシュートが設置されている。メイドたちが城の各所から出たごみを放り込むと、その先が下の階のゴミ捨て場に落ちるようになっているシステムだ。
【管理】で命じたネズミが、そのうちの一つに到着するまでの時間が必要だった。
そのダストシュートは城の3階の人通りの少ないところにあり、他のダストシュート同様ゴミ捨て場へと滑り落ちていく縦穴となっていた。
そして、今、そのゴミ捨て場は城内で出た死体を燃やすため大きな焼却窯へと改造されていた。
自分は一度入ったら出てこれない炎に突っ込ませるため、正確に言うと、焼却窯に落とすため、ネズミをそのダストシュートへと飛び込ませたのだ。
【管理】で穴の近くまで移動するようには命令しておいて、今しがた【操作】でダストシュートに跳び込ませた。
さすがに命に係わる行為は【操作】ではできない。だが、餌一杯のゴミ貯めに続く縦穴に跳び込む勇気を出させることは、高レベル【操作】を持つ自分には容易いことだった。
《君の宿主のネズミを炎に飛び込ませた。君が今まで殺してきたたくさんの人間たちを焼くために掘られた大きな炎の窯だ。いまさらもがいても君はここから死ぬまで出られない。》
〈貴様がぁああ!〉
“彼“らがいっせいに自分へと向かってきた。
〈貴様がぁあああああああっ!!〉
速い。
自分を全滅させて【操作】を中断させるつもりなのだろうか。
そんなことをしたってもはや意味なんてないのに。
それに速いと言っても所詮は細胞の動く速さだ。
“彼“がこちらに到達するまでも無く、宿主のネズミの意識が途切れ、自分はアリスへとはじき出された。




