12-7a 異世界転生したのでパンデミックしてみようと思います
そんなある日、往診で忙しいはずのアルトが久しぶりにアリスの元を訪ねてきた。
どうやら、アリスの近頃の様子を心配したアキア公に言われてアリスの体調を確認しに来たようだ。
「疲労がすごいよ?」アリスの目の様子や顔色をチェックしたアルトは開口一番そう告げた。「少し休むべきだ。」
「今はできる事だけでもしっかりしなくちゃいけないのよ。」アリスは冷たい声で答えた。「あなただって分かってるはずだわ。」
「君は神じゃない。」アルトはため息をつきながら言った。「この私ですら運命の輪には敵わない。」
まるで、アリスよりも自分のほうが神に近いかのようなアルトの物言いにアリスは一瞬片方の眉を上げた。
「運命に抗うなんておこがましい事だと思い知ったよ。」アルトはアリスの様子に気づくことも無くしみじみといった。「今まで、たくさん失敗した。分かっていても助けられないことも沢山あった。」
「そうね・・・あなた、医者だものね。」アリスは色々と察した様子で言った。アリスはアルトが自分よりもずっと過酷な立場に居る事を思い出したのか、声色には申し訳なさそうな色が聞き取れた。
「ふぉっふぉっふぉっ。」アリスに医者扱いされたのが満悦だったのかアルトは謎の笑い声を上げた。キモい。
だが、アルトは最前線で病人と向き合っている。きっと計り知れないほどの辛い思いをしているのだろう。
と、アルトは思い出したようにアリスに訊ねた。
「ところで、君はウィンゼル候爵の話は知っているかい?」
ウィンゼル?
「もちろん。」アリスは部屋の隅のプライベートスペースでだらしなく溶けているウィンゼルを見やった。
「昔、アキアで小麦の病気が流行った。それの真向の被害を受けたのがウィンゼル卿だ。」アルトはアリスが知っていると答えたにも関わらず説明を始めた。「彼は自分の領土の畑を潰してでも病気の蔓延を食い止めようとした。」
「でも、力及ばなかった。彼の対策のせいで畑は荒れはて、食べるのに困った農民たちは彼を襲撃して殺してしまった。そして、その農民たちはアキア公によって討たれた。彼の領土はウィンゼル卿の旗下のオネステッド卿と、隣のカラパス卿とで分けられた。」
「その通り。」アルトは頷いた。「だけど、一つ、間違っている。」
「なに?」
「ウィンゼル卿の対策は上手くいったんだ。」
「え!?」アリスが驚く。「でも、ウィンゼル候領群の畑の大部分が駄目になったって。記録も残っているわ。」
「そうだ。そうやって彼が自らの領地の畑を潰してくれたおかげで、アキア中に病気が広がることを防ぐことができた。」アルトは言った。「ウィンゼル候の思惑通りだった。」
「うそでしょ?」
「残念ながら。」アルトはゆっくりと首を横に振った。「彼は畑を潰した領民たちにもきちんとした保障も準備していた。だが、領民たちは彼の行為に一切の理解を示さなかった。」
「・・・現状も同じだというの?」
「そうだね。似ていると思う。」アルトは言った。「君は民のために尽力をして、きっとやり遂げるだろう。だが、それは決して皆に理解されることはない。」
「それでもやり遂げるわ。認めてもらうためにやっている訳じゃない。」
「建前はそうでも、それでは心が枯れていくんだ。」アルトは言った。「今の君のように。」
「・・・・・・。」
・・・・・・。
「だから憶えていて欲しい。君のしたことが大事なことだと知っている人が居ることを。君のことを大切に思っている人が沢山いることを。」
「・・・・・・うん。」
・・・・・・。
「ねえ、どうしてあなたはそんなことが言えるの?」アリスは不思議そうにアルトを見つめた。
「同時期にストアト伯のもとで小麦の病気を治すために協力していたんだ。」
こいつホントすごいな。
医者の領分じゃないだろうに。
「医者だったけど、植物の病気は苦手だったからたいした成果を出すことはできなかった。」
嘘でしょ?医者の領分なの!?
この世界、医者に多くを求め過ぎなんじゃない?
「そして、ストアト領も畑を焼くことにした。」アルトは少し遠い目をした。「早い段階で見切りをつけたから、病気はほとんど蔓延しなかったけどね。それでもストアト領内の3割近い畑をつぶしたものだから、ストアト卿からも領民からも袋叩きにされたよ。それこそ本当に石を投げつけられた。」
「それでもやり遂げてくれたのね。」
「何をかね?」アルトはうつむいて首を横に振った。「ウィンゼル卿は救えなかった。すぐに横展開していれば被害を抑える事くらいはできたかもしれない。ウィンゼル卿以外の外部の者にその責を負わせることだってできた。そうすれば丸く収まめられたのに。」
「気負い過ぎよ。」
「私の時はストアト卿だったのだ。私はストアト卿を助けて満足してしまった。」アルトは自分を攻めるように呻いた。「彼さえ救えば良いと思ってしまった。医者たりえぬ考え方だった。視野が狭かった。そのせいで私はウィンゼル卿を助けることはできなかった。エルミーネ殿には悪い事をした。」
エルミーネ!
そっか、ウィンゼルってエルミーネの実家だ。『レディ・ウィンゼル』という名前の意味に今更ながらに気づく。
「アルト・・・。」
「他にも助けてあげたい人たちは沢山いた。彼らはそんな目に合わねばならない人たちではなかった。」懺悔するかのようにアルトは続けた。もはやアリスが聞いているかどうかなんて気にしていないようだった。「私は彼らを助けようとした。しかし、それは叶わなかった。結局、私には運命は変えられなかった。私はその立場にあったというのに・・・。」
アリスの前で自信なく小さくなっているアルトは自分が思っていたよりもずっと年老いていた。
彼の表情には、その仕草には、長年苦労を続けてきた人間の哀愁があった。
アルトの気持ちが良く解かる。
自分も今、その立場にいる。
アリスもそうだ。だからきっと伝わっているはずだ。
「アルト、あなたは私の運命を変えてくれたわ。」アリスは優しく言った。「私以外にもあなたのおかげで救われた人はたくさんいたはずだわ。」
アリスはアルトを力づけるように優しく笑んだ。久しぶりの笑顔だった。
アルトも弱々しい目でアリスを見ると少しだけほほ笑んだ。
アリスのやさしい言葉は、そのままアリス自身の心にも浸透していった。
「私たちがすべてを掴みとることは難しいのだ。」アルトは言った。「この程度の事しかできないのが口惜しい。」
「あなたはとても良くやってくれているわ。」
「すまない。」
「うん。」アリスはアルトの謝罪を否定するでもなく受け入れた。「私もアルトに負けないようにできる事を頑張らなくちゃね。」
「いや、そこは休んでください。」
ほんそれ。
「最期まで何かを与えたいのよ。」アリスは言った。
きっと隔離している病人たちに、という事だろう。彼らはほぼ間違いなく死にゆくのだから。
もちろん自分が阻止するが。
アルトはため息をつくと困ったように眉を潜めたが、すぐに仕方ないといった諦めの表情に変わった。
「何をしてあげられると思う?」アルトは訊ねた。
「医者的に何か思いつかない?」
「君こそ、病人のプロだったろうに。」
「む。」
アリスはアルトに言われて、眉をひそめて考え始めた。
そして行きついたのが、
「ごはん!」
読書じゃないんだ。
「まあ、怪我で動けない人とかは唯一の楽しみは食事だとは言うね。」
「食事の質を上げしましょう。城の調理人たちを手配するわ。温かい料理を食べさせてあげたい。」
「悪いけど、調理人たちを施設に送り込むのはダメだ。使い終わった食器だって病気のうつる原因のひとつなんだ。」アルトは言った。「できる限り患者との接触は訓練と管理のされている兵士たちが行うようにして欲しい。」
「それじゃ、今まで通りパンとかばっかりになっちゃうわ。」
「うーん。では、王城のコックたちに美味しい瓶詰を作ってもらうようにお願いはできないだろうか?」
「瓶詰?」
「そ、ガラス瓶の中に料理を入れるんだ。ピクルスの瓶詰とか見たことないかい?」
「あれか。」
そういや、アキアで見たことあったな。
野菜の漬物ばっかだったので、アリスは今まで忘れていたようだ。
「保存も効くから城から隔離施設に搬入しておいて兵士たちに提供させることも可能だ。ちょっと塩味を濃くしたり酸味を強くしたりしないといけないのが難点だけど。」
「ほんと何でも知ってるのね。」
「アキアで加工食品を作りたいから調べろって言ったのはアリス君でしょうに。」
普通、振られたからってできんぞ。
「・・・でも、ダメだわ。」アリスは残念そうに首を振った。「今の状況ではガラス瓶を大量に準備できない。」
「それは残念。他に何かないものか。」アルトは腕組みをして考えを巡らせ始めた。「何かガラスに変わる入れ物とかがあればいいんだけども。」
レトルト包装とかあれば良かったのにね。
二人の小さな話し合いに上手い方策を生み出しそうな雰囲気はなかったが、アルトと前向きに話すことでアリスの気は幾分か紛れているようだった。
ん?
レトルト?
そうだよ!
レトルトだよ!!




