12-4a 異世界転生したのでパンデミックしてみようと思います
王都やエラスティアで多くの人間たちが倒れ始めた。
今までのように、一度に多くの人間が倒れるということは無くなったが、毎日誰かが病に伏せるようになった。咳をする人間たちも現れ始めた。
新しい患者はここ一週間、日を追うごとに徐々に増えてきていた。
【管理】を使ってネズミたちが人前に出ないよう【操作】しているのだが、“彼“の【感染】を妨害するには不十分だったようだ。
何せこっちがネズミの中から駆逐されてしまったら【操作】しようがない。事実、リストのネズミの数が減っていっている。おそらく、“彼“の自由になるネズミになってしまったのだろう。
もはや自分の【感染】している人間の中にも次々と“彼“の姿が確認されるようになってきた。
どうやら、“彼“は身を隠すのを止めたようだ。
「どうしよう。治まらない。」アリスが弱音を吐いた。
「ミンドートの内地にも患者が出始めたようだ。」ミンドート公が言った。
「アキアも時間の問題でしょうな。」アキア公も暗い顔だ。
「各地で今回の疫病が王都やエラスティアの問題というわけではなく、自分たちにも関わる問題として捉えられ始めたようです。」ジュリアスが報告した。「噂が末端まで広まる間に尾ひれもついているようです。」
「王都から来た人間から病気がうつるという噂がまことしやかに囁かれています。」アミールがジュリアスの話を補足した。
「しかも、その尾ひれのついた噂が現実になってしまった。」ミンドート公はそう言ってため息をついた。「アルト卿の報告によると人から人への伝播が確認された。」
「今までは無かったんでしょ?」アリスが訊ねた。「そんな風に病気の傾向が変わる事なんてあるの?」
「アルト卿によれば起こりうるそうです。」
突然変異というよりは、この世界の場合スキルだな。
“彼“が【飛沫感染】を使いだしたのだ。
“彼“が自分のことを障害ではないと認識したせいだろう。
戦ったのは失敗だったか。
いや、出会ってしまった以上、どのみち避けられなかった戦いだ。
たぶん今まで“彼“は自分の大軍には勝てないと思っていたのだろう。
だから今までは【感染】対象を絞り込みやすい【操作】によって【血液感染】をおこなっていたのだ。そして、自分の数が少ない個体を見つけては重点的に感染していくようにしていた。
だが、自分が弱いと判ったので、通常の【感染】行動に切り替えたのだろう。
もしかしたら、単純に【飛沫感染】の効果が発揮できるような数に到達したんで【飛沫感染】に切り替えただけかもしれんが。
・・・腺ペストと肺ペストの違いってこういう事なんか?
前世の感覚でいくと違和感しか勝たん。
「エラスからも同様の報告が入ってきています。」アミールも言った。「人から人へと病気がうつる事が解り、旅人や身近で病気の出た人たちが忌避されています。病気を恐れて商人たちの往来も減っています。」
「アキア諸侯からは、ミンドート側からの入国者の制限を打診されております。」アキア公が申し訳なさそうに言った。「正直な話を申し上げれば、アキアを治める者の視点から見て正しい判断かと思えます。」
「・・・。」アリスは渋い顔をして黙りこんだ。
アリスとして見れば、今まで上手く言っていた商工業や農業の良かった流れまでもがこの病気の蔓延のせいで止まってしまったのだ。
アリスがコツコツと積み上げてきたものが、災害によって崩れ去りかけている。さすがに人命のほうが重いので口には出さないがほぞを噛む思いだろう。
「経済より人命優先ですよ?」ケネスがアリスに釘を刺した。
こいつはそういうのわざわざ言っちゃうんだもんな。
「解ってるわよ。」アリスは不服そうにケネスを睨みつけた。
付き合いの長いケネスは何一つ動じない。
「病気をうつさないように人同士の交流が行える方法を考えなくてはなりませんね。」
「アルトを呼べる?何をすべきか聴きましょう。私たちじゃ何の判断もできない。」アリスは言った。「今、彼以上に頼りにできる人は居ないわ。彼の判断を達成させるのが私たちのやるべきことだわ。」
アルトの知らんところで超絶ハードルがあがっとる。
とはいえ、本人の存在さえ無ければ、あいつはものすごい優秀な人間だ。
アリスたちが彼を頼らざるをえないのも良くわかる。
会議は藁にもすがる思いでアルトを待つこととなった。
王都は閑散としていた。
外に出れば病気がうつるかもしれないからだ。王都の人間たちは互いに警戒を深め、にぎやかだった大通りもノワルもなりをひそめた。
元気な人間たちは病気の人間やその家族を明らかに避け、汚れたものでも見るかのように遠くから眺めた。
時々、身内に病人が出てしまった人間が通りで救いを求めて叫びを上げていたが、街人は皆、家の中へと逃げ込んでしまうのだった。
彼は次々と扉を叩くが、誰も扉を固く閉ざして取り合おうとしない。やがて、彼は駆けつけた兵士たちにさすまたで抑え込まれ、問答無用で連れていかれるのだ。
ついには、アリスを罵りだす人間たちも現れた。そして、赤黒メイドのように今回の病気がアリスが発端となっているのではないかと口にし出す者も現れ始めていた。
商店からも物が消えた。
これは、一部の商人たちが王都やエラスティアとの取引を避けるようになって商品の入庫がされなくなったことよりも、街の人間たちが我先にと買い占めたことによる。商人たちの少なくなった商店街は、農業改革以前のアキアの大通りのような寂しいあり様だった。
無論、こんな時でも積極的に商売を行っている商人も居ないわけではない。
というか、ペストリー卿の商業集団とクイーン商会の二つだけが王都の商流を独占する状態で交易に手を出し続けていた。
クイーン商会は元々ミスタークィーンが率いていたオリヴァの商業団体だ。
ミスタークィーンの名を引き継ぐと同時に、アリスとの関わりを前面に押し出すため、『クイーン商会』と名を冠した。
アリスがこの商会を積極的に利用している。アルトが衛生用品としてノミ避けやアルコールをさばいているのもクイーン商会を通じてだ。
彼らはアリスとの関係性を保つために、そして今回の病気に対する衛生上の商品を扱っている以上、安全な所へ逃げるわけにはいかなかった。
それに、オギーとトッカータがアリスに恩を返したいとばかりに頑張っている。オリヴァも後押しをしてくれている。心強い限りだ。
一方のペストリー卿を核とした商業集団は主にアキアの食糧の物流を担っていた。
ペストリー卿はリスクを負うかどうか悩んだようだったが、食糧運搬網を形成した際の資金回収がまだなうえ、力を入れていた観光業が大打撃を受けたせいで、そもそも手を引くという選択肢がなかった。
加えて、娘のキャロルが夫のキングと共に、アキアの食糧を王国各地へ届けると言い出し始めた。
アリスたちにはまだ伝わっていないが、キャロルは最近になって身重であることが判明したばかりだ。
ペストリー卿はそんな娘を病気の蔓延する所に行かせるわけにはいかなかった。彼はキャロルを説得し、ペストリー卿自らが王国の食の流通を担うと約束することで、娘が王都の辺りをうろつきまわるのをどうにか阻止した。
そのおかげで、王都の食の崩壊は防がれた。
今はメザートの小麦も入ってこない。アキアの食糧が流れてこないと、確実に食糧は不足していたことだろう。
とはいえ、今まで多くの商人たちが我先にと参戦していた王都への物流は二つの商会に絞られてしまった。必然、王都だけではなく、王国全体の生活は貧しくなっていた。
そして、ただでさえ病気で不満の溜まっていた国民たちの苛立ちはどんどんとつのっていくのだった。




