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2-7 b さいきんの冒険もの

 算数の時間あたりから、アリスの行動がキナ臭くなってきた。

 休み時間のやりとりで不機嫌になったとかいう訳ではないのだが、学校というのがちょっと期待していたのと違うのに気が付いたところに、その時受けていた算術の授業がつまらなかったのだ。礼儀作法の授業は身体を動かす授業なのでアリス向きであったし、仮に授業の内容がアリスにとってはつまらないレベルのものだったとしても、アリス自身が完璧にこなそうと思えばどこまででも切磋琢磨していけた。しかし、算術の答えは一つ。しかも座学。そして、アリスにとっては内容が簡単すぎた。

 アリスは露骨に飽きた様子で窓の外をながめ始めた。

 繰り下がりのある引き算。日本だったら、小学校低学年の問題だ。アリス以外の生徒は先生が黒板に書きだした問題を自分たちの小さな黒板で必死に計算している。

 いちおう、この世界には鉛筆がある。鉛筆と言っても細い黒炭の周りに薄い木の皮を巻いて持っている手が汚れないようにしたものだ。その鉛筆で、白っぽく塗られた木の黒板に書いては消す。教科書は紙だったが、紙はさすがにメモに使うには高価なのだろうか、今日はまだ使われているのを見たことがない。

 先生はアリスが黒板に何も記入せずぼんやりと窓の外を眺めているのに気が付いて、板書した計算問題のうち最初の一つを解答するよう指名した。

 アリスは前に出るでも起立すでもなく、板書してあったすべての問題を暗算しその場で口頭で答えていった。

 アリスの前に居た生徒たちが全員振り返って何事かとアリスを眺めていた。


 次の歴史の時間はもっとひどかった。

 それこそ、教科書もなく、歴史の解説がひたすら続く授業だったので、アリスでなくても退屈だ。自分としてはこの国の歴史に興味が無いわけではないが、控えめに言っても先生の話がつまらない。

 そんなわけで、十分も持たずにアリスはすこやかに眠り始めた。

 そして、それを先生に発見されて、やっぱり当てられた。20数人しか生徒が居ないし、そもそもアリスが隠れて寝る気がないのだから当然の結果だ。

 アリスは質問の答えである、ナントカ平原の戦いの起こった理由を端的に説明した。続けてその戦いでの戦術的成功点と戦略的問題点について雄弁に語り、本来あるべき戦略について論じ始めたところで先生に止められた。アリスは「この戦いはレクター将軍の戦術眼と本国のちぐはぐな戦略の乖離こそが面白いところですのに。」と不服そうに先生に呟いて、また眠りについた。

 歴史の先生はこの後、二度とアリスを指名することはなかった。

 



 歴史の授業が終わった後、教室の外から3人の男子生徒が入って来てアリスの席を取り囲んだ。

 休み時間のたびにアリスの席に集まってきていた少女たちが慌ててその場を離れた。

「こんにちは、レディ。」3人のうちの一人、金髪オールバックの少年がアリスに声をかけた。ちょっと顔は濃い感じのイケメンだ。イケメンというよりキザっぽいといったほうが適切な言葉かもしれない。アリスや他の生徒よりだいぶ年上に見える。

「これはこれは、ジュリアス殿下。お初にお目にかかりますわ。」アリスは起立すると優雅にお辞儀をした。

「僕のことを知ってるんだ。良いね。」アリスがお辞儀をした少年がとくに礼を返すでもなく答えた。

 こいつがジュリアスか。言われると何となくサミュエルに似ている。

「白いタチアオイの家紋はベルマリア公爵家直系の文様ですわ。」アリスが答えた。確かに、ベルトのバックル、シャツの襟、腰に下げたサーベルのような剣の柄、いたるところにベルマリア公がつけていたのと同じ花のマークがついていた。これ、ハイビスカスじゃないのか。

「博識だね。地方の貴族が勉学で中央の貴族との差を埋めるのはとても良いことだ。えっと、名前は・・・」

「リデル=ドッヂソンにございます。ジュリアス殿下。」

「そうだった、リデル=ドッヂソン。紫ムスカリなだけあって、アリスにそっくりだね。」ムスカリと言うのはあのブドウっぽい花のことだろう。アリスの筆入れのこの文様を見てアリスの近親者と判断したのだろう。

「ええ、従姉妹に当たりますわ。ジュリアス殿下はわざわざ私を訪ねて来てくださいましたの?」

「ああ、先ほどアリスが健康になって王位を継承するだろうって噂を聞いてね。」ジュリアスが答えた。それで様子を見に来たということらしいな。「いったいどこでそんな与太話を聞いたんだい?アリスの病気は酷くなる一方で、未だに何度も倒れている。それこそここ最近は一回心臓が止まるところまでいったって話だ。ウソを吹聴されるといろいろと迷惑なんだ。特に僕は継承権もあるからね。」

 心臓が止まったってのは毒殺の時のアリス死亡の噂のせいかな。だとしたらその話は病気じゃなくて君の父親のせいだったりするのだが。

 あ。だからアリスの病気のせいで倒れたって知らされてるのかも。

「王女殿下が直々に手紙で知らせてくれましたのよ。」アリスは自分が嘘つき呼ばわりされて少しイラっとしている。てか元気な本人がここに居るわけだし。

「じゃあ、アリスが適当なことを君に伝えたんだね。気をつけたほうが良い、彼女はあまり素行が良くないという噂だ。」

「あら、王女殿下が嘘をついていらっしゃると?」リデルがはジュリアスにアリスをなじられてさらにカチンと来たご様子。その実、本人が目の前で陰口叩かれている構図。

「まあ、嘘にもいろいろあるさ。とにかく、アリスの従姉妹なのかは知らないけれど、君の思い込みで世間を騒がせるのはやめたほうが良い。あと、アリスについても彼女の言葉を額面通りに受け取らないほうが良い。」ジュリアスが告げた。

 アリスの片方の眉がつり上がったのが感じられた。

 アリス?

 手出すなよ?

 初日から乱闘とか無いぞ?

 アリスはジュリアスを睨みつけたまま一つ大きく深呼吸をすると「分りましたわ。」とだけ答えた。

 よーし、よく我慢した。アリスの中で安堵する。

「よろしい。」ジュリアスはそういうと、なんのためについてきたのか解らない二人の取り巻きを従え教室を出ていった。

 ジュリアスが出ていったのを確認してクラスメイトがアリスの周りに戻って来た。

「気にしないで。ジュリアス殿下達って、いつもあんな感じなのよ。きっと、アリス殿下のほうが継承権が上だからいちゃもんを付けに来たのよ。」

「ええ、気にしてませんわ。」表情筋の感じからにこやかに微笑みながら返事を返しているのは判るのだが、おでこに青筋が立っているのも判った。

 ジュリアスの態度はかなり上からで、彼のほうこそアリスその人が目の前にいるのにもかかわらず勝手に決めつけた言葉を吐いているように見える。

 けれど、アリスが最近倒れまくっていたのも、死にかけたのも、素行が良くないのも、それこそ病気が治ってないのも全部事実だから、ジュリアスは実は何一つ間違ったことは言ってない訳で、実はアリスのほうが正しくないんじゃないかって気さえする。身分も偽ってるし。

 かといって、実際元気なアリスがここに居るわけで、誰が悪いかと言われると誰も悪くない。あえて言うなら、自分が悪い気がする。

 いや、待てよ。

 治ったって言ったのも、アリスが死んだって噂流したのもアルトじゃん。一番悪いのアルトじゃないか!




 さて、ひとしきりストレスのたまった状態で休み時間を終えようとしていたアリスは、自分を取り巻いていたクラスメイトが席に帰っていったので頬杖をついて窓の外を眺め始めた。


 そして、最悪なことに、芝生を散歩するクロを発見してしまった。


 確認のために一瞬だけクロに視点を移す。アリスの居る校舎がクロの視界には映っていた。やっぱクロだ。

 すでに先生も生徒も全員スタンバイして、まさに授業が始まろうとした矢先に、アリスは立ち上がると、すぐそばの窓を開けてそこから教室を出て行ってしまった。

 あまりにも堂々と、さも当たり前のようにアリスが出て行ってしまったので、皆、アリスのことを呆然と眺めていた。

 いや、先生止めろし。

 あわててアリスからオリヴァに移る。

 後から考えるとこれが痛恨のミス。

 クロを【操作】して教室のほうに向かわせるのが正解だった。

 アリスまた脱走したぞ。脱走したんだぞー。必死でオリヴァの心に念じかけるが一向に伝わる様子はない。

 【操作】のレベルが上がればできるのか、そもそも人間相手には無理なのか。

 廊下のオリヴァ視点では、教室の扉が閉められているので中の様子は解らない。

 しばらくなんの音もしなかった教室がしだいにざわめき始めた。

 先生もこんなことは初めてだったのだろう。生徒たちがざわつき始めてから少し開いて、ようやく生徒たちに静まるように言う声が教室の中から聞こえてきた。その後、再びしばらくの静寂があり、やがて、どうしたものか困り果てた先生が教室の扉を開け、オリヴァに事態の相談に現れた。

 ここでようやくアリスの脱走がオリヴァの知ることとなった。

 オリヴァの隣に居た兵士が慌てて駆け出すがもう遅い。

 クロを追いかけたアリスはすでに庭から見えなくなっていた。

 

 なお、この時、アリスはすでに学校の敷地を離れ、貴族街を囲む城壁に開いた、ちょうど子供がギリギリ通れるくらいの使われていない排水溝に入っていこうとしていたのだった。

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