10-14a さいきんの王国革命戦記
この国の行く末を決める決闘はアリスの勝利で終わった。
アリスに腹を貫かれたヘラクレスはアルトが診ている。決闘の始まる前にグラディスがこういった時のために連絡していたらしい。
ヘラクレスは腹に刃が突き刺さったままで運ばれて行った。
助かることはないだろう。
仮に内臓に損傷が少なくても、おそらく刃を抜いた瞬間に血圧変動と出血多量で死ぬ。
アルトは縫合の技術を持っているようだが、輸血すら無いこの世界で、あの傷への縫合と止血が間に合うとは思えない。そもそも医療体勢が整っていたとしても助かる怪我とは思えない。
アリスはヘラクレスに必死にすがったが、ついて行くことは許されなかった。
アリスには国民に顛末を説明する義務がある。
王城での革命騒ぎを、ワラキアたちの反乱を、王都の西での大規模な戦闘を、王都に迫ってきた3000のエラスティア兵の処遇を、そして、この決闘を、
アリスはこのすべての騒動の終結を王都の民に宣言し安心させなければならなかった。
友人の最期くらい看取らせてやりたいとも思ったが、これから国民の前に立とうという寸前にヘラクレスの死まで背負わせるわけにはいかった。アリスは父の死も経験したばかりだ。
おそらく、オリヴァやグラディスたちもそう思ったのだろう。ヘラクレスのそばに少しでもついて居ようとするアリスをやさしく引き離した。
決闘の結果、アミールはアリス王にくだった。
アリス自らが剣を振るい、アミールの代理を打ち負かしたのだから他の人間たちも文句のつけようがない。
ヘラクレスは元々こうなることが分かっていたのか、姿を消していたこの2週間の間にロッシフォール旗下に集まっていたアミール派の兵士たちすべてと手合わせを行い、全員をやっつけていたらしい。ロッシフォールと一緒に居なくなってから2週間くらいしか経っていない訳だから、本当なら百人抜きを一日2回、それも毎日続けていた計算になる。
だから、軍の中にはヘラクレスが負けたことに文句を言うものはいなかったし、そんなヘラクレスと互角に渡り合うどころか勝ってしまったアリスに対しても誰一人不満を述べることは無かった。それどころか、アリスは戦いの全くできないアミールよりもずっと好意的に受け入れられたようだ。
ヘラクレスの剣が折れなければヘラクレスが勝ち、アミールが王となっていたのだろう。
だが、そんな偶然はアリスの勝利に何の汚点もつけなかった。
むしろ、決闘を覗きに来ていた市民たちの間からは、あそこで剣が砕け散ったのは神に選ばれた者だから起きた奇跡だという噂が立ち起こった。その噂は瞬く間に王都中へと広まっていった。
一方で、達人たちの決闘に関して神の横槍による決着を良しとしたくない兵士たちは、アリスの続けざまの剣撃がヘラクレスの剣を打ち砕く結果になったと分析した。
アリス自身はヘラクレスの剣があのタイミングで砕け散ったことをどう思っているのだろうか?
自分は父王がアリスのことを約束通り見守っていてくれたのだ、と、せめてそう思いたかった。
アリスはアミールと並んで3000の兵士たちを引き連れて街の中を進んだ。
決闘の間にいつの間にか集まって来ていたオリヴァとミンドート公らも加わり、アリスたちは街の大通りを沿道で市民に見守られながら王城へと向かった。
人々はワルキアから始まった内乱が終結したことを感じ取って、大歓声をアリスたちに浴びせた。
それはさながら凱旋パレードのようだった。
アリスはその先頭で、凛と前を向いて周囲の歓声にも顔を向けることなく静かにゆっくりと歩みを進めたのだった。
父は死んだ。親友にも等しいヘラクレスを手にかけた。
アリスにはニコリとも笑う事が出来なかった。アリス自身が自らにそれを許さなかった。
王城に到着した後もアリスには休む時間も気持ちを整える時間もなかった。
アリスは今回の混乱を治めるため、早急に自らの即位を宣言し、アミールを配下に置いたことを明示しなければならなかった。
それはジュリアスたちのためでもあった。
戦争を収めるためには、アミールが自らの意志でアリスに下ったことを宣言し、反乱軍がアミールにとっても敵であることを急ぎ明確にする必要があった。
貴族街と城の門はアリスたちが通った後も開かれたままにされた。
アリスが城に帰るのを追いかけて来たかのように民衆は中庭に押し寄せてきた。彼らは庭園に咲いていた夏の花など気にもせず城の中庭を埋め尽くした。
城の中に入ったアリスは急ぎ民衆に演説をする準備に取り掛かった。
本来、アリスの今着ているドレスは民衆の前に出て行くために選ばれたものだった。
だが、ヘラクレスの決闘によって、ドレスはそこかしこが切り裂かれてしまっていた。さらには、アリスとヘラクレスのどす黒い赤がドレスに染みわたり、アリスに良く似合っていた明るいスカーレットはほとんど残っていなかった。
グラディスが再び、ドレスの選定にかかろうとした。
が、アリスはそれを押しとどめて言った。
「このまま行くわ。ヘラクレスも皆の前に一緒に立たせてあげたい。あいつにはその資格がある。」
自分は王都の上を天高く飛ぶ鳥の一匹に視点を移した。
今まで、アリスと一緒に王になるために頑張ってきたんじゃない。
アリスを王にするために頑張ってきたのだ。
自分は王になったアリスの姿を見たい。
アリスが王になるために自分がどれだけ役に立ったのかなんて解らない。
こんな形での即位なんて想像もしていなかったから、アリスを王にしようとしてきたことが本当に良かったのかすら分からなくなってしまった。
それでも、この時、この場所はアリスが目指し、相応しかろうと努力してきた場所なのだ。
中庭の民衆たちは、期待を込めてアリスの登場を待っていた。
自分は王城の向かい側、ちょうど城門の真上に降り立った。
城門の対面にある城の3階から張り出したバルコニーで、アリスは自らの即位の宣言を行う。
アリスはこれで、病気で忌避され、立ち振る舞いで敬遠され、生まれで疎まれていた少女ではなくなるのだ。
アリスの生き方がそうは思わせないが、アリスは城の中で、貴族たちの世界の中では極めて孤独に近かった。
それでも、アリスは少しづつ理解者を増やしてここまでたどり着いた。
今、中庭でアリスを待ちわびている民衆たちこそが、アリスの歩んできた道乗りの成果なのだ。
きっとアリスは王になる事などスタートラインの一つの形くらいにしか思っていないだろう。
だが、ここに集まった民衆や、アリスのために立ち上がった革命軍や、今までアリスを支えてきた皆や、その命を捧げた人たちや、そして自分にとっても、アリスの即位は一つの集大成であった。
中庭の民衆が湧いた。
城のバルコニーに八代目ファブリカ国王アリス=ヴェガが歩み出てきた。
アリスの姿が日の光に照らされて明らかになるとともに、民衆のざわめきは水を打つかのように静まっていった。
民衆の前に立つ王の姿としては、それほどまでにアリスの姿は異様だった。
太陽の光に照らされたアリスはところどこと切り割かれたドレスを身にまとい、顔の血こそ拭っていたが全身傷だらけだった。
戦いの後の勝利の証としては、その姿は相応しいものだったかもしれない。
だが、この王城のテラスに出てくる新しい王の姿には相応しくなかった。アリスのような清廉な女王がこのような凄惨な姿で出てくることは誰も予想していなかった。
民衆はアリスの姿を見て、今までの騒乱が彼らが思っていた以上に大事だったことを理解した。
アリスの後方には、アミールとロッシフォール、ミンドート公、そして革命軍の代表としてオリヴァが控えていた。
アリスはバルコニーの欄干まで進み出ると、中庭に向かって透き通ったそれでいて力強い声で宣言した。
「予はファブリカ王国八代目国王、アリス=ヴェガである。」
民衆は声も立てずアリスの宣言を見上げていた。
「予は王となり、我が弟アミールと共に皆を導いて行く。」
アミールとロッシフォールが前に進み出てきた。
アリスがアミールのほうを向くと、アミールはアリスの目の前に跪いた。ロッシフォールもアミールの後ろに同じように跪いた。
アミールはアリスに頭を垂れて宣言した。
「わたくしアミール=ヴェガはアリス陛下のもと、この国を良くするために貢献することを誓います。エラスティアの貴族たちと共にアリス陛下のため邁進いたす所存にございます。」
アミールの宣言を聞いて、民衆たちからようやく割れんばかりの歓声が上がった。
そこかしこでアリス王の名を叫ぶ声が聞こえる。
たぶん、アリスは今、王となった。
それはアリスの今の姿のように傷だらけで血にまみれた王座なのかもしれない。
それでも、アリスの事をずっと見てきた自分はアリスがようやくたどり着いたその場所がとても誇らしかった。
今度はミンドート公が前に進み出てきた。
「反乱を招いた狂王は我々と市民の同意のもと極刑に処された。我々王国の公領はアリス陛下のもと、共にこのファブリカ王国を治めていくことを宣言する。」ミンドート公は大声で宣言した。「我々は、アリス陛下とアミール卿と共に、諸君らを虐げ暴虐の限りを尽くす貴族たちを討ち滅ぼすことをここに誓おう。」
民衆はさらに湧いた。
もはや、何を言っているのかも分からないほどの大歓声だった。
歓声の静まるのを待って、今度はオリヴァが前に進み出てきた。
「革命軍はアリス陛下の即位を以て目的を果たしました。アリス陛下は市民や農民である我々を受け入れ、輝かしき未来を約束してくださいました。」オリヴァは静かに言った。「アリス陛下はこの国を改革し、これまで以上に皆様の暮らしは良くなることでしょう。陛下のご活躍を期待いたします。」
オリヴァはそう言い終えると真剣なまなざしをアリスに向けた。
民衆が三度湧いた。
民衆たちの喧噪の消えぬうちに、アミールたち3人がアリスの後方へと戻っていった。
アリスは再び民衆のほうを向いた。
そして、手を上げて歓声を鎮めると、突然彼らに問うた。
「国とは何か。」
騒めいていた民衆が唐突な質問に完全に静まった。
「国とは民が集まり作られたものである。ならば、国とは民が必要として作り上げたものである。国のために民があるにあらず。民のために国があるのだ。」アリスはその良く通る声で述べた。「ならば王も国民のためにあるべきだ。」
中庭の人間たちは、アリスの精悍な声と雰囲気に呑み込まれた様子でアリスを見上げていた。
「約束しよう。貴君らがより良き暮らしを過ごせる国を。」アリスはさらに声を大きくして誓った。「誰もが飢えること無く甘い菓子を食べ、風雨にさらされることも無く温かい床で眠り、穏やかに過ごすことのできる争いの無い国を約束しよう。」
聴衆が再び歓声を爆発させた。
「我には覚悟がある。そして、努力もしよう。」アリスは言った。「だから皆にも努力と覚悟を期待する。」
最後の最後に付け加えられたアリスらしい注文に、民衆たちが少しだけぎょっとして歓声が少しどよめきに変わった。
アリスの後方で、オリヴァが前を向いたまま涙したのが見えた。
初めての授業でアリスはオリヴァに王としてのあり方について訊ねた。
初めての授業でオリヴァはアリスにどのような王でありたいかと問いた。
その答えが、今、ようやくオリヴァの元に届いた。
「最後に少しだけ時間を欲しい。」
アリスはそう言って後ろを向き、城の奥に向けて合図をした。
一人の兵士が分厚い紙束を持って現れた。
アリスはその紙束を受け取ると民衆に向き直った。
「これから、この革命に命をささげた国民たちに感謝を捧げたい。」アリスは言った。「この国のために身を捧じた者たちだ。そして、新たな国を心から望みながらも、その国の行く末を見ることを許されなかったものたちだ。彼らの命に黙とうを捧げて欲しい。」
アリスはオリヴァから受け取った名簿を読み上げ始めた。
「ネルフェヴル=ライン、ゴードン、ライザ、エクシオ、ネヴィル=マリオット、ケリー=ストラス・・・」
この騒乱で死んだ人たちの名だった。
苗字を持つものはほとんどが貴族、苗字の無いのは市民や貧民だ。アリスは貴族も市民も関係なく彼らの名を読み上げていった。
アリスは彼らの事を知らない。それでもアリスは彼らの名を呼ぶために時間を割くことを決めた。
只々、アリスが静かに名前を読み上げる時間が長々と続いた。
オリヴァやミンドート公たちが分かる限りで書き出したリストの束は本のごとき厚さだった。
アリスはその一枚一枚を一つ一つを大切に読み上げて行った。
新王アリスを見に来ていた人間たちはあっけにとられていたが、それでもアリスは続けた。
「・・・。」アリスが一瞬言葉に詰まった。
そして続けた。
「ハリー=クィーン、ランスロット=ウェリディア。」
ミスタークィーンはアリスを送り届ける死線において命を落とした。
彼がどう死んだかすら知ることは無かった。
彼が最期に何を言ったのか、何を思ったのかも解らない。
気づいた時に彼はリストから消えていた。
あの変わった名前の商人はもう現れることはない。
あの変わった口調の喋りをもう聞くことはできない。
アリスに馬を貸した騎士もその命を落とした。
彼がその命を賭してアリスにとってどれほどの大切な時間を与えてくれたか、アリスと自分以外は誰にも分からないだろう。
そして、ランスロット=ウェリディアがその命を落としたことで、彼や彼の周りの人々のどれほどの大切な時間を奪ったってしまったのか、アリスにも自分にも知る術は無かった。
そういうものなのだ。
きっと。
アリスは呼び続けた。
戦場で死したもの。
革命に興じたもの。
反乱軍に虐殺されたもの。
貴族も平民も関係なく、アリスは名前を読み上げ続けた。
30分以上、名前だけが読み上げられる時間が続いた。
中庭に集まった民衆はこの異常な事態に、この場を去る事もできなかった。彼らはただ、アリスに請われた通りに真摯に黙とうを捧げていた。
「ナザリア、カイエン=タイル、コール、エヴァ。」アリスはリストのすべてを読み終えた。「以上ですべてではない。予に名前を知らされぬまま、この国の未来のために命を捧げた人々がまだ多くいる。予は、私は、そのすべての人々に感謝を捧げたい。」
ヘラクレスの名前はリストにはまだ無かった。
もちろん、アリスの父、ネルヴァリウス=ヴェガの名も無い。
もし、彼らの名が刻まれていたのならばアリスはどうしていたのだろう。
それに耐えられたのだろうか。
「ここに名を呼ばれた者も、名を呼ばれることのなかった者たちにも、等しくすべての人に感謝の意を表する。彼らこそが英雄であり、この国な新たな時代を切り開いた功労者である。」
アリスは長時間に渡る黙とうに少しばかり呆れかえっていた市民たちに大声で言った。
「予は彼らの名にかけて誓う。予は彼らの名に恥じぬよう皆をより良き時代へと導いてみせると。」
民衆が再び歓声を上げた。
アリスは右手を上げて、歓声に答えるとくるりと背を向けて城の中へと戻って行った。
自分もアリスのもとへと戻った。
いつも、こういう時にアリスの中を満たしているはずのドーパミンは見当たらなかった。




