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10-13c さいきんの王国革命戦記

 アリスとヘラクレスの決闘が決まってから、遅れること十数分。

 オリヴァたちが兵を引き連れて到着するよりも先に、グラディスが小さなアタッシュケースのような箱を持ってやって来た。

 以前、搭の中で見た憶えのあるケースだ。グラディスはケースとは別に小さな短剣も携えていた。

 グラディスはアリスの元へと近寄ってくると、そっと、ケースを地面に下ろして開いた。

 中から出てきたのは、戦場でぶん投げて無くしてしまった例の三角形の刃の武器だった。予備に搭に置いてあったやつに違いない。

 「ありがとう。」アリスはグラディスにそっけなく言うと、ケースの中から武器を取り出して左手で握った。

 グラディスはアリスの腰回りを整えて、動きやすいようにドレスの裾を少し高くした。ドレスの裾はここに来るまでの間に茶色く汚れてしまっていた。

 「御武運を。」

 「うん。」

 そう言ったアリスは、いつもならグラディスに必ず向けるであろう笑みは返さなかった。

 そこにはただ、目の前の相手を倒すことに集中するために余分な感情を放棄した人間の姿があった。

 グラディスが短剣を胸元に握りしめた事はアリスの視界にも入っていたはずだった。

 いつもは同じ視界を見ていてもアリスだけが何かに気づくことが多かったが、今回に関しては、グラディスが何かを決意した面持ちで短剣を握りしめたことにアリスが気づいたとは思えなかった。

 アリスは新しくなった武器の様子を確認するように何度か振りながら、ヘラクレスの前に進み出た。

 「そのドレスで戦うんですか?」ヘラクレスがアリスのドレスを見て言った。

 「ここで着替えるわけにも行かないでしょ?」アリスが答えた。

 「なら私も。」ヘラクレスが鎧を外し始めた。

 「やさしいのね。」

 「どうやら、騎士らしいので。」

 ヘラクレスは鎧を外し終え、ラフな格好になると腰の剣を抜いた。

 アリスは自然体で立ったまま、ヘラクレスの前へと進み出た。

 合図をする人間はもちろん、審判もいない。

 この戦いの勝敗を決めるのは二人なのだろう。

 頼む。事故らないでくれよ?

 アキアでの決闘の時、ヘラクレスが思わずアリスを殺しそうになった。

 二人の実力は拮抗してきている。

 いつ何があったっておかしくはない。

 少し、嬉しそうな表情のヘラクレスとは違い、アリスはずっと冷めた様子だった。

 アリスの中に高揚はかけらもない。王が死し、いつもの熱いアリスは冷え切ってしまっていた。

 この国の行く末を決める戦闘は合図も無く唐突に始まった。

 仕掛けたのはアリスだった。

 剣を構える挙動も見せず、ヘラクレスの懐へと飛び込んだ。

 待ってましたとばかりにヘラクレスがアリスの左腕のあたりに突きを入れて迎撃をする。

 その瞬間アリスは、左肩をヘラクレスの攻撃に向かっていくように回転させてギリギリで突きをかわすと、間合いをさらに詰めた。

 いや、かわしてなどいない。

 アリスの肩の背中側からドレスの紅があふれ出たかのように赤が舞った。

 アリスは肩の傷などお構いなしに、左手の武器を振り上げてヘラクレスを薙ぎ上げた。

 ヘラクレスがのけ反るようにアリスの攻撃をかわす。

 アリスは刃を振り上げた動作から流れるようにさらに一歩踏み出して、後ろに反りながら避けるヘラクレスの喉元を貫く勢いで突いた。

 ヘラクレスは身をよじってアリスの剣をかわしながら、その回転を使ってアリスの左側から背後を取るように剣を一閃した。

 しかし、アリスはその瞬間に回転してヘラクレスに背を向けると、右ひじでヘラクレスの剣の腹を跳ね上げた。

 跳ね上がったヘラクレスの剣がアリスの髪の毛を撫でたのが感じられた。

 アリスの右足が大地を踏みしめた。そして、今度は逆向きに回転して左手の刃を横薙ぎに振るった。まさに裏拳だ。

 しかし、ヘラクレスはすでにアリスの間合いの一歩外へ逃れていた。

 舞った紅いスカートがゆっくりと降りてきた。

 アミールもロッシフォールも後ろに居る軍隊も、一言も声を上げない。

 彼らはひたすらに息を押し殺し、二人の戦いを見守っていた。

 再びアリスから踏み込んで、ヘラクレスを突いた。

 アリスは、昔ジュリアスにされたように、流れるような突きを何度も繰り出した。

 アリスは的確にヘラクレスの喉元や目、鎖骨のあたりを狙う。

 アリス。

 それ、一発でも当たればヘラクレスが死ぬんだぞ?

 ヘラクレスがアリスの攻撃をいなす。

 いや、全力で防御する。

 アリスの突きはそれだけ鋭く、そして力強かった。

 リーチの短いアリスには左肩を入れたフェンシングのスタイルが合っているのかもしれない。

 アリスは腕の力だけでジャブを撃つようにヘラクレスの急所を絶え間なく狙った。

 ヘラクレスにだってミスはあるはずだ。そのミスが今起こらないとは限らない。


 そうすれば、ヘラクレスは死ぬ。


 アリスはその事を判っているのだろうか?

 いつもいつも、こいつらの戦いにはハラハラさせられ通しだ。

 じりじりとヘラクレスが後退する。

 アリスは細かくステップを踏みながら自分の間合いを譲らない。

 ヘラクレスもアキアの時のように華麗な防御というわけにはいかなかった。アリスの攻撃は全ての攻撃が全力で必殺だった。今やヘラクレスは完全に押されていた。

 だが、それでも機先を制したのはやはり、ヘラクレスだった。

 ヘラクレスはアリスの立て続けの攻撃の中から一つの突きを選んで、力を込めて弾いた。

 アリスの左手が大きく跳ね上がった。

 その瞬間ヘラクレスはほんの少しだけ剣を引いてアリスを突くモーションを見せた。

 前がかりで、全力の攻撃を繰り出していたアリスの体勢は武器を跳ね上げられ大きく崩れていた。

 ヘラクレスの突きのほうが速い。

 しかし、アリスはそこからさらに前へと、ヘラクレスの突きに向かって自ら刺さりに行くように踏み込んだ。

 アリスは右手を自ら首の周りに巻き付けるようにして守りながら、右肩でヘラクレスに体当たりをするかのごとく突っ込んだのだ。

 一撃で落とされなければ良い。そうすれば、返す刀で獲れる。

 肩なら、腕なら、首以外ならばどこが貫かれても良い。

 アリスの動きはそんな動きだった。

 さすがのヘラクレスも虚を突かれて攻撃を繰り出すのをやめた。もしかしたら、アリスのどこかに攻撃が命中したとしても、アリスが振り上げている刃を喰らうことを免れないと判断したのかもしれない。

 ヘラクレスは大きく後ろに跳ぶと、そのまま地面を一回転して立ち上がり、アリスとの間を大きく取った。

 ヘラクレスはアリスの顔をまじまじと見つめた。


 ああ。

 なあ、アリス。

 嘘だと言ってくれ。


 アリスは全力でヘラクレスを殺しにかかっている。


 アリスの自暴自棄な戦い方はいつもの事だが、今日はいつもにまして命に執着がない。

 それはアリス自身の命にもヘラクレスの命にもだ。

 アリスは自分の命を賭して、ヘラクレスを殺しにかかっている。この戦いの決着にどちらかの死を望んでいるのだ。

 きっと、それがアリスの考えた最も誰もが納得のする終わり方なのだ。

 ヘラクレスはアリスに待ってくれと言うかのごとく剣の構えを解いた。

 アリスも応じて構えを解いた。

 アリスが構えを解いたのを見たヘラクレスはアリスに背を向けてアミールのほうを振り返った。

 彼女はアミールに向けて、ゆっくりと、そして深々と頭を下げた。

 長い間頭を下げていたヘラクレスはゆっくりと頭を上げた。

 そして、アリスに背を向けたまま、ヘラクレスはうなだれたように自分の剣を見つめた。やがて、彼女は天を仰ぎ見ると、アリスのほうを振り返った。

 アリスはヘラクレスにすっと切っ先を向けた。

 「アリス王女?」ヘラクレスはアリスにすこし呆れたような顔でやさしく訊いた。「分かっていますか?」

 「国というものの、重みを知りなさい。」アリスは鋼のような冷徹さで答えた。

 「・・・それもそうですね。」ヘラクレスは言った。「失礼をしました。」

 ヘラクレスの表情から感情が消えた。

 「来い。」ヘラクレスも剣を構え、射貫くような視線をアリスに飛ばした。いつもとは少し違う構えだった。


 多分、今、ヘラクレスはアリスを殺さないことを完全に諦めた。

次週で9章を投稿しきれると思います。

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