10-12c さいきんの王国革命戦記
「放せ!放せっ!」
「アリスよ。予の勝ちじゃな。」王はアリスに告げた。「革命は為される。そなたの革命はなされるのだ!」
「違う!こんなの違う!」アリスが怒りに満ちた声を上げた。「私はこんなの望んでいない!」
「機会は与えた。お前は力及ばなかった。アリス。」王はアリスを見下ろしながら冷たく言った。「お前の理想は解かる。だが、予を止めることすらできぬお前が、予が選んだ方法より優れた方法でこの国を良くできるとは信じられぬ。」
暴論だ。
暴論だが、勝負を決したうえでのストレートな屁理屈はアリスには効果的だった。
「・・・・・・。」アリスは下唇をかみしめて玉座の王を睨み上げた。
「予のほうがお前より理想を通そうという決意が重かったのだ。」王はアリスに告げた。「何年分もの王の重みだ。」
王の重みだ、じゃねえよ。
もっと甘やかせよ。
最期だろ。
親バカじゃなかったのかよ。
子供の幸せも普通に願えないんなら王の器じゃねえよ。とっとと辞めちまえ!
「準備を。」王が近衛騎士に言った。
「お父様!」
アリスが悲鳴のような金切り声を上げて暴れ始めた。
騎士たちがアリスを押さえつける腕に力をこめる。
「お父様!そんなのはダメよ!!」
「陛下、これではアリス殿下があんまりでございます。」オリヴァが王の前に身を投げ出すようにして膝をついた。
「予は父である以上にこの国の王でなくてはならない。それに、父としても、アリスが立派な王となるのを望んでいるのだ。あれは希代の王の器だ」
「父様!オリヴァ、お願い!止めて!!」アリスが悲痛な叫びをあげた。
アリスのこんな声は聞いたことが無いし、聞きたくもなかった。
「陛下、お願いいたします。」オリヴァは深々と頭を下げた。「陛下に陛下としての願いがあるように、アリス殿下にもアリス殿下の願いがあるのです。父は娘の願いを聞くものでしょう。残された時が少ないのならなおさらにございます。」
「予は王ぞ。子供の幸せを願うだけでは許されぬのじゃ。」王は答えた。「予は国民のために在らねばならない。」
アリスの悲鳴もオリヴァの嘆願も王の固く朽ちてしまった脳には届いていないようだった。
「陛下、陛下の王としての責は理解いたしました。処刑でも何でもいたしましょう。」オリヴァは言った。「しかし、あなたは父親としての責任を全うされてらっしゃらない。このオリヴァ、陛下がその責務を果たさぬようであれば、陛下には一切ご協力いたしません!」
「オリヴァよ・・・。」
「私は陛下ではなくアリス殿下の配下にございます。」オリヴァは王を真正面から見つめながら王の言葉をさえぎった。そして、なおも続けた。「一族郎党、断罪されるというのであればそうなさいませ!!」
エウリュスがオリヴァの隣に飛び出してきて、並んで膝をついて頭を下げた。
「陛下、アリス殿下とお話を!」そう王に提案したエウリュスは震え、彼の小手が小さくカタカタと鳴っていた。
「・・・。」
王は困ったように二人を見て、そして、意を決したように玉座からゆっくりと立ち上がると、アリスのもとに向かった。
「アリスよ。」王は取り押さえられているアリスに向けてしゃがみこんだ。「すまぬ。父親として何をすれば良いか解らぬ。」
「お父様!こんな国などいりませぬ。お願いです。こんな事は止めて。」
「こんな国などと言ってくれるな。わしが命を懸して守ってきた国じゃ。受け取ってくれぬか。わしの最後のわがままじゃ。」
「私が王となって父上に恩赦を与えます。」アリスは必死に提案した。
「それは領民が許さぬ。」王は答えた。「予は貴族を何人も廃し、多くの領民たちを犠牲にした。予は罰せられるべき王であろう?」
「それでも・・・」
「予は、お前のその優しさが不安でならぬ。」王は言った。「アリスよ。全てを得ることは無理なのだ。今の我々ごときでは。我々は神ではない。領民もまた無欠ではない。」
「・・・。」
「お前は、少し厳しくならねばならぬ。」王はアリスに諭すように言った。「お前が予に恩赦など与えてみよ、今までのお前の努力が水泡に期すぞ。」
「ならば、せめて譲位と蟄居という形にいたします。」アリスが食い下がる。「それなら、それなら・・・。」
「叶わぬ。誰か咎を背負わなくてはならぬ。お前は予を厳しく断罪をせねばならない。それは民の望みでもある。」王はアリスの願いを即座に却下した。「すまぬな。それに、これは予の最後のわがままなのだ。立派な王となったお前の姿が見たいのだ。」
「お父様。」アリスは弱々しく王を見上げた。「お父様・・・。」
なぁ。
違うだろ?
国の話なんてどうでもいいんだよ。
大勢の人間がアリスをここに送り届けるために命を張ったんだ!
最後の最後まで、そんな下らねえ話を続けてるんじゃねえよっ!!
お前が話すべきことを話せよっ!
せめて、せめて!それが最低の誠意だろ!!
「ああ。」王が呻いた。
王のほとんど何も映っていない視界がいっそうとゆがんだ。
「アリス・・・アリス。」王が情けの無い声を上げた。
視界の中心にはアリスがあった。
きっと、王にはまだしっかりと見えていた頃の小さなアリスの姿が見えているのだろう。
王は言った。
「愛している。」
「ああっ。」アリスの声がうわずった。「父様。私も、私も愛しています。」
「何一つお前のワガママを聞いてやれないですまない。」ネルヴァリウスは言った。「お前が私のために一人立ち向かってくれた事が本当に嬉しかった。私はこの世に生を受けて本当に良かった。」
「お父様・・・。お父様・・・。」アリスは依然地べたに取り押さえられたまま、王を見上げて嘆願した。「一つだけ、最期に一つだけワガママをお願いいたします。」
「すまない。」王はアリスの言葉に少し戸惑いながらも毅然と答えた。「今の予にできることはもう無い。」
「ハグしてくださいまし。」アリスは言った。
「――。」
王は大きく動揺した後、アリスを押さえつけている近衛騎士たちに目線で命じた。
騎士たちはアリスを解放した。
アリスはゆっくりと立ち上がって、ネルヴァリウス王を見上げた。
そして、二人はそっと別れを惜しむように互いをそっと抱き寄せた。
アリスがハッとしたのが分かった。
それほどまでに、ネルヴァリウス王には質量としての中身が無かった。
何をしようとネルヴァリウス王は助からない、アリスはそれを理解した。
もしかしたら、アリスはこの瞬間を狙って何かをしようと企んでいたかもしれない。
しかし、アリスは何もしなかった。
壊れてしまうのを恐れるかのように、消えてしまうのを惜しむかのように、ただただアリスは父を抱きしめた。
「あまり、無茶はするな。わしはいつでもお前を見守っている。」王がそっとアリスの頭を撫でた。「いつでもだ。」
「父様・・・。」
「この国を頼んだ。」
「・・・・・・。」アリスは無言で頷いて、父親の事を見上げた。
アリスがとても寂しそうな顔で見上げたのが王には分かった。
「オリヴァ。娘を頼んだ。」王はオリヴァに言った。「引導を渡してくれ。」
「陛下・・・。」オリヴァはアリスと王を見て少しうろたえた。
「オリヴァ、ごめんね。」アリスは静かに言った。「私がやる。」
その視線は力強く父の目を見つめていた。
王は嬉しそうに、それでいて悲しそうにほほ笑んだ。
「待て。私がやる。」横から出てきてそう言ったのはミンドート公だった。彼は握りしめるかのようにアリスの肩をつかんで割り込んで来た。「私が王国の公爵として執行者となろう。そして、執行後、ミンドート領と王都は新王の元へとくだる。それで、よろしいな。ネル。」
「すまぬ。礼を言う。」王は小さく頭を下げた。
「ミンドート公・・・。」アリスが振り返ってミンドート公を見た。
「アリス殿下。恨んでくれてかまわん。」ミンドート公が言った。
アリスが何かを懇願するようにミンドート公を見つめながら、首を横に振った。
しかし、ミンドート公はアリスには視線を合わせず、声高らかに宣言した。
「此度の騒乱の責を以て、ネルヴァリウス=ヴェガの処刑を命ず!」
王は満足そうにほほ笑んだ。
王は安堵したかのようにゆっくりと膝をつき、頭を垂れた。
「陛下。殿下の前では・・・。」オリヴァが王に囁いた。
「そうだな。すまなかった。」王は言った。「誰か、介錯を頼む。」
王は最期の力を振り絞って立ち上がると、自ら広間の扉に向かって歩み始めた。
部屋中の皆が怯んだ。
アリスは必死に歯を食いしばってじっとうつむき、身じろぎもしなかった。
絵画のように停止した世界の中を、王だけが重い何かを引きずるかようにゆっくりと進んで行った。
なぁ。
それはどうしてもやらなくちゃいけないのか?
最初にエウリュスが王に続いた。
「王よ。我が心は賢王の意志と共にございます。」エウリュスは王に言った。
「すまぬな、エウリュス。」
「私は・・・陛下と共に責を担ぐと決めた身にございます・・・。」
「わしの最期のわがままに付き合ってくれて心から感謝する。」
「・・・もったいなき、・・・お言葉・・・。陛下は・・・陛下は・・・私の・・・世界でございましたっ・・・!」漏れ出る嗚咽の隙間から、エウリュスはどうしても伝えなくてはならない感謝の言葉を絞り出した。
エウリュス以外の近衛騎士たちもゆっくりと立ち上がり、重い足取りで王とエウリュスに付き従った。
「父様!」アリスずっと下を向いて堪えていたアリスがついに耐え切れなくなって王に向けて叫んだ。
開かれた扉の前で王は振り返り、アリスに向かってそれはもう王ではない笑顔を向けた。
それがアリスが見たネルヴァリウス=ヴェガの最期の姿だった。
長い静寂のあと、泣きじゃくるエウリュスが広間に戻ってきた。
結末を伝えに来たであろうエウリュスは嗚咽にまみれ、もはや彼が何の言葉も紡げないことは明らかであった。
しかし、彼が何を伝えに来たのかは明白だった。
オリヴァが何かを隠すようにがむしゃらな大声を張り上げた。
「我々革命軍はアリス=ヴェガ王の擁立をここに願う!」
その声は甲高くうわずり震えていた。
「八代目ファブリカ国王アリス=ヴェガ。皆の望み、しかと受け取った。」
アリスは静かに答えた。
いつの間にか夜は明けていた。




