9-13 c さいきんの農業改革
「小麦の価格については、輸入小麦と同等の金額まで下げることに成功いたしました。アキア小麦の生産高は先年の国内需要の0.8を満たす予定です。価格が安いため、売れ残ることもございません。」
ここは国政会議。
左右に別れた大勢の貴族たちの真ん中の赤いカーペットの前方。王の目の前で、アリスはアキアでの成果を報告していた。
ケネスやロッシフォールがアリスの成果について把握しきれていないため、今回はアリス自身がアキア改革の報告をする運びとなった。
「小麦農業単体での収支はほぼ0でございます。赤字でこそありませんが、この収支ですと領土が立ちゆきません。ですので、夏場の休畑時に豆を栽培しこちらで利益を出します。ただし、豆の生産のために多額の初期投資をいたしました。こちらの回収が5年かかりますため、アキア諸氏には5年ほど我慢の時間を過ごしていただくこととなるかと存じます。」
アリスは報告を続ける。
すでに格安のアキア小麦が市場に出回り、貴族たちだけでなく王国の人間全員の度肝を抜いていた。そのため、会場の人間はみな真剣にアリスの報告に耳を傾けていた。
「田畑の再編と生産高の向上に際して、農民の2割2分が農業を廃しました。併せて彼らの労働力を用いて新規事業への一部転換を測り、こちらでも黒字化を目指しております。」そう言ってアリスは頭を下げた。「以上にございます。」
「素晴らしい。安い小麦が出回り、王都の民たちも活気づいておる。」最初に王が言った。「此度の結果、予は満足しておる。」
会場が少しざわついた。
このまま行けば、次期王が決まる。
「王女殿下、質問がございます。」
会場の貴族の中から、声が上がった。
トマヤだ。
「豆農業による黒字化との話をうかがいましたが、ため池は何年持つのでしょうか?」トマヤは痛いところをついて来る。「今のお話によると突貫工事のため十分な物を建設することができず、すぐに修繕がいるとの噂ですが。」
「そうですわね。」アリスが答えた。「5年立ち、諸侯の台所事情が改善しましたら、随時修繕を行っていただこうかと思っております。」
「それでは、5年後には再びアキアの諸侯たちは我慢を強いられるという事でございますな。小麦では収支無し、豆でもずっと我慢を強いられるというのであれば、アキアでの改革が成功したとは言えないのではないですかな?」トマヤが言った。「所詮、領主に身銭を切らせて、収支が赤字では無く見せかけているだけのように聞こえますが。」
トマヤの言葉に一部の貴族たちから拍手が上がった。少なくない。ほとんどエラスティアの貴族たちだ。
「トマヤ伯。トマヤ伯のおっしゃる事は一理ございますわね。」アリスはどこ吹く風でトマヤの言葉を認めた。
「これでは、以前のほうが良かった。」トマヤは続けた。「以前のアキア諸侯たちは埋められない赤字では無かった。にもかかわらず殿下の改革によって、アキア諸侯は大きな出資を強いられ、一方で生産高が上がった分、無意味な労働が増えた。さらにはアキア外では輸入小麦を扱う商人がこの改革の犠牲になったと聞く。改革とやらで何が良くなったのか分かりませぬ。」
「伯は大きな勘違いをしていらっしゃいますわ。」
「勘違い?」
「私や、そしてこの国がアキアに要求していたことは、小麦の自給率を高めることであります。アキアの利潤を高めることではございません。」アリスは答えた。「小麦の自給を達することこそが、農業改革であり、王の命でありましたのよ。」
「な!?」トマヤ伯が驚いて王を見た。
王は特に反応はしなかった。それはアリスの言葉を否定しなかったという事だ。
「それではアキア諸侯に対してあんまりなのではないのですか。」トマヤは即座に反論を投げた。
「その通りです。あんまりでした。」アリスは答えた。「今まで、国内の食料自給率を理由に小麦畑を維持することを強いられ、儲け易い業種へ乗り換えることも許されなかった。それがアキアでありました。」
アリスがトマヤを見た。
トマヤからも、他の貴族たちからもなんの反論も出なかったのでアリスは続けた。
「それを今回の畑の再区分により、我が国の食料の自給を賄ったうえで、収支が赤字にならない状態にいたしました。そして、これをしてなおアキアは潰れなかった。これが今回の成果です。」アリスは優雅にお辞儀をしてみせた。「今後、アキアは皆様同様、余る労働力で新しい業態への変化を測ることができます。ただし、この改革でお金を大量に使ってしまいましたので、そのための資金が溜まるのを待つ必要がございましょう。それが豆の収益が溜まるのを待つ5年の辛抱にございます。」
「アキアが潤うか潤わないかは、今後のアキア自身の問題であると?」
「そうですわ。」
「つまり、この後アキアがどうなるかは、アキアに丸投げと言う事でございますよね?」トマヤはなおも食らいついた。「たしかに、農業の改革は成されたのやもしれませんが、アキアの今後の状況はまったく不透明という事でございますな。むしろ、殿下の改革が成されたがゆえにアキアが今後困窮することだってあり得るということです。今後のアキアの状況も改善を確認してからでないと、今回の改革が上手くいったかどうかの判断は下せないかと存じます。」
トマヤはそう言うと、今度は王に向き直って言った。
「陛下、慎重にご判断を。」
つまり、時間稼ぎという事かな。この場でアリスの改革を認めさせるわけにはいかないと。
王が死ぬまでアリスの功績を認めさせなければ、まだ混ぜっ返せる。
「その点についてはワシがお答えしよう。」
ケネスと『5人』の公爵たちが並ぶ最前列から声が上がった。
「アリス公の農業改革のおかげで、農民たちに余剰が生まれた。水利作りのための資金も民衆に流れておる。彼らが獲た自由にできるお金が街中を回っておる。それは微々たるものではあるが、アキアの都市部での商業の売り上げを伸ばしておる。」
発言したのはアキア公だ。
今回アリスについて老骨に鞭を打って王都までやってきたのだ。
「さらに、小麦の取引のために商人たちがアキアに来て金を使ってくれるのも良い。」アキア公が続けた。「作物と違ってお金というものは素晴らしいのう。農民や商人が使った微々たるお金が次は服屋や宿屋に渡り、今度は彼らが余剰を持ち、何かを買うてくれるのじゃ。食べてしまうと無くなってしまう小麦とは大違いじゃ。これによってワシらは儲けさせて貰っておる。しかも、どんどん儲けが増えておる。アキアの状況が不透明とはとんでもない。これ以上ない状況じゃよ。」
「トマヤ伯のおっしゃるように、農業では大規模投資が時々必要になるため、農業という業種『だけでは』ギリギリの経済しか築けません。それでは何かの拍子に立ち行かなる可能性もありましょう。」今度はアリスがアキア公のあとを継いで言った。「ですが、農業により活性化した街が農業以外での税収を生みます。アキアの改善は確実です。」
「しかし・・・。」思わぬ大物による援護射撃を食らい、トマヤが口ごもった。
「しかしも、案山子もない。」アキア公が珍しく恫喝するように声のボリュームを上げた。「農業の改革は成され、そのために使用した資金の回収案もアリス公は準備してくれた。それに加えて産業の活性化まで成し、我々が儲けを獲る道筋まで整えた。これ以上の何をかして文句があろうものか。」
「予は改革の資金をアリスとアキア諸氏が受け持てと言っただけだ。その資金が回収されることまでは別に命じておらんぞ。」王が口を開いた。「王領やアキア以外の公領の人間は何一つ資金を出しておらん。アキアの資金が回収が出来ようが出来まいが、それはアキア諸氏の問題。我らが何の文句をつける必要があろうか?」
意外と王はタヌキだ。資金援助を拒否したのは反アリス派につけ込まれるのを回避するためだったのか。
にしても、援助してくれたらアリスはだいぶ楽だったと思うよ?
会議でのやり取りで揚げ足をとられないためだけにアリスが苦労させられてたのかと思うとちょっとやるせない。
「しかし、しかし、何人もの子爵が殿下の改革の犠牲となり、金銭的に破綻して廃領しております。」トマヤは必死だ。
貴族たちが廃領という言葉にざわついた。
「何の罪も冒していない貴族が犠牲になることがあってなるものでしょうか。」
「それらの子爵領については、アリス公の改革に従わなかった者たちだ。」今度はミンドート公が助け舟を出してきた。「私のもとに泣きついてきているが自業自得だな。それにこの春の収穫で大赤字を出しただけで、廃領までは至っておらん。まあ、今から改革にしたがっても立て直せるかどうかは知らぬが。」
「カラパス領!カラパス領についてはいかがですか?」トマヤが必死に吠えた。「あれほどの広域の伯爵領が、そしてカラパスほどの御人が犠牲になっているのですよ。」
「カラパス家の件については、改革のための資金を捻出すべく、カラパス伯ご自身から提案された事にございます。」
今度はミンドート公やアキア公が立っている側の一般貴族たちの中から声が上がった。ペストリー卿だった。
「カラパス卿のご英断により、500万ラムジを越える資金が捻出されております。現在カラパス家の所存は王女殿下の元にあり、改革の成功のあかつきには復興するものにございます。」
アリスが驚いたようにペストリー卿を見た。
正直アリスはそれを大っぴらに口にしたことはないし、今ペストリー卿が言ったことはペストリー卿にとって何一つメリットがない。
自分のペストリー卿へのイメージは大きく変わった。
ズルいし、悪い事もしてきたようだが、きっと根が善人なのだ。
ペストリー卿は500万ラムジをアリスに貸し、小麦の流通網の整備のための資金も捻出している。そのため、彼は家財や宝石などを切り売りし、なおかつ、自分自身の住まう城を担保にいれて借金をしてまで資金を調達している。今が商機と睨んで大博打に打って出ただけなのかもしれないが、それだけで負えるリスクとは思えない。彼もまたアキアを本気で憂いていた人間だったのかもしれない。
「予はカラパス家の終焉は認可しておらぬ。」王が言った。「アリス公が預かっているのであれば、いずれ返されよう。」
アリスは目を閉じて深く、ゆっくりと頭を下げた。
トマヤはもはやぐうの音もでない。
「恐れながら陛下、わたくしからもよろしいでしょうか?」今度はバゾリ候が口を開いた。ちなみに、彼はブラドの後釜に収まって侯爵となった。「殿下の改革のために小麦の値段が下落しました。芋も相変わらず流通しております。そのせいで主食の価格が低下してしまっております。これでは中央が不安定になってしまう。」
「その通りだ!食べ物の価格があまりに下がっては我々の農作物が捌けない。」会場の貴族からも声が上がった。
「それは私のあずかり知らぬこと。皆様が各々頑張ることにございますわ。」アリスはそのことについては無関係であるとばかりに言った。
「我々は海外との貿易でも儲けている。輸入小麦の取引が減じればこちらは大損害だ。」
「アキアの負債をこちらに押し付けるのはいかがなものか。」
つぎつぎと、会場の貴族たちから声が上がった。だいたいはエラスティアとモブートの側の貴族だったが、ベルマリアやミンドート側に立っている貴族からも賛成の声がちらほらと上がっていた。
今まで、アキアにいろいろと押し付けていたのは自分たちだというのに、自らの番になったら文句を言う。ずいぶんと勝手な話だ。こういうのを既得権というのだろうか。
「お前たちは何を言っているのだ?」そんな彼らの反応を見ながら王が不思議そうに言った。「アキアの小麦が売れれば輸入小麦が売れなくなるのは当たり前であろう。」
「しかし、あまりに急峻にございます。」貴族の一人が懇願するように叫んだ。
「急峻も何も、半年前のアリスへの命令をこの場で聞いていたのなら、アキアの小麦が巷に出回ることは解っていた事だ。」王が言った。「何故、準備をしておらん?」
「そのような事に対する準備など半年でいかようにか出来ましょうか。」
「考え、努力せよ。」王は取り付くしまもない様子で答えた。」
「ご無体な・・・。」
「何をか申すか。オネステッド卿に対して努力が足りないと宣っていたのはお主であったはずだが?」
あー、そういやそんなこと言ってた奴いたなぁ。こいつだったっけか。
王もよく憶えてんなぁ。あれって、アリスが初めてこの会議に出た時じゃなかったっけか?一年前だぞ。自分の記憶が確かなら、そもそも、あんた、その発言の時はまだ会場に来てなかった気がすんだが。
老いても一応は賢王ってことか?
「輸入小麦の件については、そなたたちが自ら何とかせい。」
「そんな・・・」エラスティアとモブート側に立っていた貴族たちを中心にざわめきが起こった。
「自信がないのならば、アリスを頼るが良い。アキアを立て直したのはアリスぞ!そなたらの領土も救ってくれよう。」王は大声でそう言うと、後ろに控えていたエウリュスに声をかけた。「エウリュス、手を貸せ。」
エウリュスに支えられて、王は玉座から立ち上がった。
「聞け!勅である。」王は大声で会場の貴族たちに宣告した。
「アキアの改革は成された。アリス公を次期王とする。これからはアリスがお前たちを導いていく。」
言い切った!
アリスも含めて皆が驚いた。
会場のざわめきは王の言葉が終わった後しばらくの間続いた。
ケネスだけは一瞬驚き、それから納得したような安心したような顔でアリスを見るとウィンクしてみせた。
こうして、アリスが王となることが決まった。
しかし、アリスが王になるにあたり、王のこの宣言は何の意味も持たないのであった。
アリスのアキア改革によって、激動の幕が切って落とされていたのだ。
以上にて8章の終わりです。
9章の青稿は大まかにできているのでそこまでお待たせすることは無いと思いますが、次章投降開始にはしばらく期間が開きます。
8月中には再開できるよう頑張りたいと思いますので、憶えておいていただければ幸いです。
その間、いつものように、少々の小話を投稿いたします。
次章、
いよいよ、アリスが王になります。




