9-11 b さいきんの農業改革と戦争もの
さて、時間は少し戻る。
夜の少し前、薄明時。
山のふもとに広がる森の一角に、ダクスの兵士たちが集っていた。
夜襲隊だ。
彼らは、7~8人ずつ、3班に別れて別ルートでこの場所に集まった。仮に野盗たちに見つかっても、襲撃のための部隊ではなく、警戒のために集まった兵士たちだと思わせるためだ。
もう少ししたら、この宿営を離れて野盗たちの砦へ突っ込む。
これから、たった20人程で500人の陣地に突撃をかけようという兵士たちの顔は緊張に固まっていた。
彼らはヘラクレスが選抜した精鋭ではあったが、大規模戦闘の経験はない。もちろん、夜襲も、この人数差の戦闘もしたことは無い。
思い思いに休む彼らの表情は暗かった。
一人が膝に顔をうずめて、大きく息を吐いた。
重苦しい空気が流れる。
夜襲隊にはエウリュスも選ばれている。自分は彼からこの場を覗いている。エウリュスもいつものめんどくさい感じも、無駄にハキハキした感じもない。少しだけ左手が震えているのが、彼の中に居る自分にだけは分かった。
と、そこに、馬の足音が聞こえた。
兵士たちが顔を上げ、剣に手をかけた。緊張して音のしたほうを注目する。
こちらにやってきた馬は隠れるそぶりも見せず、堂々と彼らのほうに近寄ってきた。馬の背には金髪を後ろで縛った王女がラフな服装でまたがっていた。
「馬、乗れたんですね?」ヘラクレスがふらりと現れたアリスに声をかけ、アリスの乗っている馬の轡を取った。
「あんたこそ、馬乗れないって言ってなかった?」アリスはふわりと馬から舞い降りた。
「そんなこと言いましたっけ?」
エウリュスと初めて会った時に言ってたよ。
「何一つ驚かないのね?」アリスがヘラクレスに言った。
ヘラクレスの落ち着きとは対照的に、突然の王女の登場にヘラクレス以外の兵士たちが驚きの目でアリスを凝視していた。彼らには今何が起こっているのか良く分っていない。
「でででで殿下!?」エウリュスが慌てて駆け寄ってきた。顎外れんじゃないか?大丈夫か?「なんで?なんで?」
「まあ、アリス王女の事だから来るでしょ。」ヘラクレスがさもありなんと言った。
「いや?いやいや、『来るでしょ』って、これから行くのは戦争なのですよ?」エウリュスがヘラクレスに言った。ヘラクレスが自分より爵位が高いと知ってからエウリュスはヘラクレスにはちゃんと敬語だ。
「でも、来ちゃうんだな~。」と、アリス。
「来ちゃうって!?」
「後でシェリアさんから説教ですね。」ヘラクレスは平然と言った。
「えー。」
「絶対言う事と聞いてくださいよ。」
「はーい。」アリスが引率の先生に返事でもするかのように手をあげて答えた。
これから死地にも等しい所に向かう兵士たちは、王女がこれからその強襲に付いて来ると知って互いに顔を見合わせた。
「皆、よろしくね☆」アリスが皆にウィンクした。緊張感がまるでない。
状況の呑み込めない兵士たちは、そのままアリスの場をわきまえない可愛さに戸惑っている様子だった。
「殿下、さすがにこれはまずいですよ?ですよね?」エウリュスはアリスに言って、ヘラクレスに確認した。「まずいでしょうとも!ですべきだと思います。」
もうお前何言ってるか解ってないだろ?
「大丈夫よ。」アリスが言った。「私多分こんな中で2番目に強いでしょ?」
「まあ、そうかもしれませんが・・・。」
エウリュスとアリスが例によって押し問答し始めた。
兵士たちはアリスが何を言っているのか、何で王女かやってきたのか理解できずポカンとしていた。が、アリスとヘラクレスの決闘を見ていたらしい数人が他の兵士たちにいろいろと説明して少し目の色が変わった。
「まあ、いいじゃないですか。」ヘラクレスがエウリュスに言った。「精鋭が一人増えるのは大歓迎です。エウリュスさんも王女を守る仕事が全うできますよ。」
「はい!え?いや、戦場で!?」エウリュスが狼狽する。
「王女。礼を言います。」ヘラクレスがアリスの耳元で囁いた。
アリスは何のことだか解っていないようだったが、緊張で委縮していた隊の雰囲気はアリスの登場で大きく和らいでいた。
選抜された兵士たちは精鋭とはいえ戦争の経験はない。エウリュス以外は騎士でもない。今集まっている彼らは、剣の扱いが上手いだけの一般人なのだ。
ちょっとだけ、エウリュスの言っていたことが分かった気がする。
彼らはヘラクレスにピックアップされ、ヘラクレスと共に500人相手に20人そこそこで特攻をかけるのだ。
貴族でも騎士でもない彼らは何を思って死地に赴く現状を受け入れたのだろうか?
騎士ですら、この部隊に配属されることを拒んだ。
ダクスの騎士たちはみんな逃げた。
彼らはその家名を活かして、夜襲隊はおろか包囲部隊からも逃れ、城などの安全な場所の警護へとついた。そして、そんな人間たちをヘラクレスは隊に加わることを良しとしなかった。
500人にたった20人ちょっとで特攻をかける。その中に貴族の家系であるアキアの騎士たちは誰も居ない。
きっと、自分たちは帰ってこれないのだろう。そんな空気がアリスが来る前にはあった。
ところが、そこに王族である可憐な王女が現れた。そして前線に一緒に乗り込むとまで言っているのだ。兵士たちの士気も上がろうというものだ。
ただ、アリスの遠足に行くような軽いノリに、今までとは違う不安が頭をもたげているようでもあったが。
さて、時は過ぎ、日は落ちた。
アリスたちは野営地の火はともしたまま、数人づつ徒歩でその場を離れ山間の合流ポイントに集まった。
馬では夜の山道は無理だ。それに簡単に見つかってしまう。
夜襲が成功したにせよ失敗したにせよ、撤退した後はこの合流ポイントに集合し、包囲部隊に合流するか逃走するかを選ぶ。馬はアリスが合流したところに置きっぱなしなので、敗走する場合はこのこの合流ポイントからさらに徒歩だ。
アリスたちは注意しながら、山合の道のりを灯りもともさず、月明りだけで進んだ。1時間程進み、月灯りが陰り始めたころ、すこし先のほうが明るくなっているのが見えた。
野盗たちの砦の灯りだ。
アリスたちは、歩きやすい道を少し外れて、森の中をこっそりと砦の近くまで進んだ。
エウリュスの偵察の情報から、砦の概要は割れている。
アリスたちは、見張り塔からの視界から遮られるように注意して進み、砦の入り口からほど近い林の岩や茂みの陰に身を隠した。
門には二人の門番が立っていた。砦中央辺りに立っている見張り搭にも一つ人影のようなものが見えた。
時々、野盗が見回りに歩いている。
アリスたちの事はまったくバレていないようだ。砦の警備は警戒態勢を敷いているとはとても言えないものだった。
アリスとヘラクレスは、砦から一番近い茂みまで進み、その陰に身を伏せた。
「静かに!」ヘラクレスが言った。
皆が動きを止める。
数十秒後、後方から誰かが走ってくる足音が聞こえた。
足音の主はアリスたちが潜んでいることには気づく様子も無く、大慌てで砦の門まで行き、門番に中に迎え入れられた。彼はしばらく門番と立ち話をすると、驚いた様子の門番の一人と一緒に砦の奥に駆けて行った。
「私たちの事、バレた?」
「いや、ダクスの城から兵士たちが出陣した連絡でしょう。」ヘラクレスが言った。「絶妙のタイミングです。仕掛けましょう。」




