9-9 c さいきんの農業改革
「どうよ!」カルパニアが勝ち誇った。
スラムはノワル地区となって、アリスが見た最後の時からずっと発展していた。
橋を渡って街の中心に向かう道の両側には他の地区と見まがうような商店が立ち並んでいた。少なくともアキアのシャッター外よりはずっと立派だ。ここはもう王都の商店街だった。
人通りも多く、露店には多くの人が群がっていた。
彼らはスラムの人間ばかりではない。客の大半がノワル地区の外から訪れているのだ。
性能は街に劣るのかもしれないが独自な品物がノワルにはあった。それらが街の人たちを惹きつけた。
正直いうと見栄えに関しては、通り正面だけの張りぼてなところはある。路地を一本入ると、掘っ立て小屋程度の佇まいがいまだに並んでいる。とは言え、アリスがアキアへの出立した頃は、その掘っ立て小屋がようやく普及したところだったのだから、メイン通りだけでも立派になったというのは驚くべき発展の速さと言って良いだろう。
といっても、自分は時々見に来てたから知ってたんだけど。
「通りに人を集めたかったから、ワーカーズギルドの事務所は街の中に移転したわよ。」カルパニアが言った。「あと、タツ君たち早く返して頂戴。工房の連中タツ君たちがいないと、いろいろ考え出しちゃって新しい仕事への取っ掛かりが遅いのよ。」
もはや、カルパニアは新地区の長のようだ。
「悪いけど、しばらくタツは戻せないわ。」アリスがすまなそうに答えた。「その代わり、タツと一緒に儲け話を持ってくるから許して。」
アリスの受け答えも、もはやカルパニアがこの地区の頭領であるかのような言い草だ。
カルパニアとアリス、そしてアピスはノワルの舗装された大通りを3人だけで歩いた。ジュリアスもジュリアスの兵士も居ない。アピスにもお付き無しだ。
それだけ、今、このノワルという街は安全なのだ。
「あ。」アリスがちょうどその安全の源を見出した。
アープだ。
通りを警邏していたアープがアリスの視線に気づいて駆け寄って来た。彼はアリスの前まで来ると大通りの真ん中というのにもかかわらず跪いた。
「王女殿下!殿下のお慈悲に感謝致します。」アープは白昼の往来のど真ん中でアリスに深く頭を垂れた。
「ちょっと!恥ずかしいからやめてよ!」アリスが少し顔を赤くして周りを見渡すように首を振った。
人並みの羞恥心が欠片ほどは残ってたか。
商店の客たちは何が起こったのかとアリスたちのほうを振り返った。ある程度事情を察しているこの街の人々はアープの真似をしてワザとらしく膝をついた。アピスはほほ笑み、カルパニアはニヤニヤ笑っている。
「殿下のおかげで、小生は新たな人生を歩むことができました。」アープが喉の奥を鳴らしながら何とかそう言った。「このご恩・・・このご恩は決して忘れませぬ。」
アープが頭を垂れている地面がいくつかの涙で濡れた。
彼は元はアリスを暗殺しようとした人間だ。
それが、アリスの気まぐれにも似た方針で檻から出され、この街の衛視長として新たな人生を歩みだすことができたのだ。そりゃあ、こうもなる。
アープとカルパニアのおかげでこの街は王都の中で、いや、おそらくはこの国の中で最も安全な地区となっていた。
『犯罪者は血祭りにあげましょう。』カルパニア
『承知いたしました。』アープ
そして、生真面目にアープは働いた。
そもそも、日陰で健気に生きてきたノワルの人たちが犯罪を起こすことはなかった。この街での犯罪は主に街の外からの人間が起こすものだった。
アープは一度失った人生をアリスに還元するかのごとくカルパニアの原始的な指示を全うし、犯罪者を血祭りに上げた。時にジュリアスが文句を言ってもアープは聞き入れなかった。
そのおかげもあってか、ノワル街では喧嘩の類はあっても、少なくとも暴力に根差した犯罪の類は一切なくなった。
そして、もちろんアリスはこの件について「良くやってくれたわ、アープ。あなたのおかげでこの街のみんな笑顔よ。」と褒めたのだった。
まあ、このくらいの時代背景の国だとこれくらい過激な対応が良いのかもしれない。
相変わらずアリスはなんだかんだで上手く物事が回る何かを持っている。
と、思ったところで、ふと気付いた。
もしかして、アリスが持っているのは何だかんだが上手くいく神がかった力ではなくて、人を見る目なんじゃなかろうか。
『スクイージとやらにも、勉強を教えればよかったじゃないですか。』
『いやよ。』
昔のケネスとの会話がふと頭をよぎった。
スラムのごろつきたちの顔を一瞬で憶えられるアリスがクラウスの顔はうろ覚えだったり。
逆にみんなの評価の低いペストリー卿への評価が異常に高かったり。
エウリュスへの態度とか。
アリスには自分にとって必要な人間かそうでない人間かを嗅ぎ分ける嗅覚があるのかもしれない。
「いいかげんに恥ずかしいから頭をあげて頂戴。」
アリスは自分の事をを神のように礼賛するアープをどうにかなだめすかしてから、アピスたちと大通りを奥へと進んだ。
「それにしても凄まじい発展ですわね。」アピスが通りの建物を眺めながら、アリスに言った。
「そんなことないわよ、この街をここまでにしたのはみんなの力だわ。」アリスは顔を真っ赤にして言った。
意外だ。もっとドヤ顔すると思ったのに。
大人になってしまったのだろうか?
それとも、イキり散らした動画を上げてても、それを知り合いに見られるのは恥ずかしい中高生のようなものだろうか?
「ええっと、あそこは今は綺麗になってるけどちょっとした木材と家具を扱っているお店でしょ。」アリスは恥ずかしさを紛らわすかのように街の商店をアピスに案内し始めた。
「最近では自作の家具を販売するのは諦めて、工房の家具の販売代理店をしていますわ。」アピスがアリスの説明を引き継いだ。「大型家具の窓口ですわね。」
「!!??!?!?」アリスが目を白黒させてアピスを見た。
「わたくし、何度もこちらに来ていますのよ?」アピスがアリスの表情に苦笑いしながら答えた。「王都の教育者として、ノワル地区の事を生徒たちに教えないわけにはまいりませんもの。」
「なんと。」アリスはおよそお姫様らしくない感嘆を口についた。
自分もアピスが自らスラムに来ていた事にはビックリだ。
前に進んでいるのはアリスだけではない。アピスだって、カルパニアだって変わって、成長しているのだろう。
「いま、この街は王都のほかの地区から来た人々の需要で潤っています。」アピスはアリスに説明し始めた。「王都の一部の商人がノワルの人々に協力して新たな工芸品や道具を安価に作成しているのです。」
「ミスタークィーンめ。最近姿を見せないと思ったら、私に隠れてそんなことしてたのか。」アリスは眉をひそめた。「さては私から税金を徴収されるのを嫌ったな?」
芋の時にアリスも似たようなこと企てていただけあって、そこら辺の察しが早い。
たしかに最近ロマンとガルデとかいう商人ばっか名前が上がって、ミスタークィーンはなりを潜めている。多分アリスの言う通りなんだろう。
「カルパニア、後でこの辺りの地方税の取り決めについて話合わせてね。」アリスは抜け目なく言った。
目的地であるワーカーズギルドにたどり着く前にアリスたちは少し道を逸れてタツの工房へと向かった。
タツの工房はメイン通りの建物と違い、以前見た姿、つぎはぎで武骨な建物のままだった。
「みんなしっかりやってるか!」アリスが扉をあけて中に向けて言った。
「おお!頭領!お久しぶりでやす。」強人組で見たことのある男がアリスを見て嬉しそうに声を上げた。
「頭領ってやめてよ。」
じゃあ何で『みんなしっかりやってるか』なんて言ったし。
アリスは工房のみんなに一人一人声をかけた後
「筆記具を作る準備をしておいて。」
工房のみんなは新たな商機を王女が持ってきたと目をランランと輝かせてアリスを見た。
「紙が出回るわ。だから、そのうち筆記具が売れるようになるわよ。」アリスは高らかに宣言した。「その後はショウとタツが戻ってくるから彼らのいう事を聞いて。売れるものを作るんじゃなくて、売れるものを創る事にチャレンジしてもらう事になるわ。」
アリスはアキアに居る間に紙を作る手配を進めていた。実は今回の王都への帰省にも最新型の抄紙機を作るための設計図を手に入れることがミッションとして含まれている。さらにはタツとショウにはため池のめどがついたら、文字の複写を楽にする機械を考えるように命じていた。
アリスは識字率の向上に合わせて、文字を使った産業を新規に興そうとしているのだ。
「私、お金がないのよ。」アリスは言った。「だからたんまり儲けてね。税金として上前はねるから。」
アリスの言葉は切実だ。
アリスは母ライラの遺産を、農民を辞めた人々への手当などとして使ってしまった。
と、いうのは解っているが、『上前はねる』ってのは、取られる相手に言う言葉じゃないわな。
案の定、工房のみんなはポカンとしていた。
工房への挨拶を済ませて、ギルドに向かうアリスお金のことが頭から離れない様子で、アピスに道々愚痴を洩らしていた。
「農民への補償は個人的な意地みたいなものなのよ。」と、アリス。「領主たちは、皆、この辺りは出し渋るのよね。」
「健全な国民の数は国の力でもありますわ。その数が多ければ税収も上がります。」アピスは言った。「アリスさんの言っていることは間違っていないと思いますわ。」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。」アリスもアピスに応えた。「皆、黒字化ばかりに目が要っちゃって黒字でも衰退している事に気が付かない。みんなアピスンみたいに考えてくれると良いんだけど。」
「ありがとう。でも、今のはまるまるマスクドケネルン様の受け売りですのよ。」
そういや、アリスにこの考え吹き込んだのもケネスだったな。
「ああ、あの方が学校に居てくれたら、生徒たちにもっと高度な事を学ばせることができますのに。」アピスが言った。「そうすれば、領主たちがより良き政を行う未来がやってきましょう。アリスさん、是非、マスクドケネルン様にもう一度お会いしとうございます!」
アピスは胸の前で手を握ってお願いのポーズを取ると、焦がれるように虚空を見つめた。
「お、おう、聞いてみる・・・。」アリスは困ったように返事を返した。
そうこうしながら、アリスたちはようやく旧極東強人組、現在のワーカーズギルドの新館に到着した。
ワーカーズギルドは質素なつくりではあったが清潔で堂々としたたたずまいだった。建物の前には小さな庭があり、真ん中の白い石畳の開けたスペースを囲うように綺麗な花壇が作られていた。花壇は冬にもかかわらず白い菊のような花が満開だった。
「この間まではコスモスが綺麗だったのよ。」カルパニアは、花壇を見回しているアリスに説明した。
アリスたち庭を抜けて、ワーカーズギルドの大きな扉をあけると中に入って行った。
「広い!!」アリスは驚いた。
建物の中は広いホールになっていた。
奥に長いカウンターがあり、何人もの窓口が設置されていた。すべての窓口に2、3人の列が出来ていた。
「こんなの、どうやって建てたの?」アリスが広いホールを見渡しながら言った。「強人組って、組織としては儲からない仕組みだったはずなんだけど。」
「公金使い込んだのよ。」カルパニアが得意そうに言った。
「え゛?」寝耳に水のアリス。
「んなわけで、いまノワルにお金が無くて困ってるのよ。」カルパニアは言った。「あなた、ちょいちょいここで儲けてたでしょ。橋の工事もしたいんだけど費用出せない?」
正直、アキアで全財産を使い切ったアリスは、ノワルからの税収をかなり当てにしていた。現在進行形で血の気が引いている。
さっき、アリスの人を見る目がどうこう言ったの撤回。
「お金無いの?」アリスが尋ねた。「一銭も?」
「ん?一銭も無いってのはちょっと正確じゃないかも。」カルパニアが言った。
「正確じゃない?」
「お金足りなくて私の実家から借金したから。」カルパニアが答えた。「むしろマイナス?」
「ええええ。」アリス落胆と驚きの咆哮を上げた。「なんで?なんで、公金使っちゃうの?」
「そりゃ、領民の仕事の斡旋なんだから、公金からだすものでしょ。」
「事業ごとに負債が出ないようにしなきゃダメじゃん。建て替えや移転自体は反対しないけど、お金掛け過ぎよ。強人組って儲け少ないから簡単には投資回収できないわよ。」
「投資回収ってなによ?領主としてやるべきことには金を使うべきだわ。あと、今は強人組じゃなくてワーカーズギルドって名前よ。」カルパニアは引かない。
「持続性の必要な事業は極力赤字を出さないで運用するべきだわ。」アリスが反論し返す。「まず、投資と回収率を計算して、リスクの無い運用をしなきゃダメよ。」
「そもそもワーカーズギルドに儲けも何も無いじゃない。それじゃ何年たってもボロ事務所のままだわ。」
なんか揉め始めた。
ざっくり言うと、カルパニアはワーカーズギルドは半分領主が民のためにやる仕事みたいなもんだから領主が赤字を垂れ流すのはしょうがないという主張。アリスは半官半民と言えど仕事ごとに財政は健全化するべきという主張だ。
アピスは中立の立場から興味深そうに二人の言い合いを聴き入っている。
個人的にはカルパニアかなあ。なんか半官半民で黒字化って思想がなんか日本人的に信用できないんだよね。アリスがやってる分には上手くいくんだろうけど。
「組合の入り口で、バカ騒ぎは辞めてもらえないかね?頭領と姐御。」
腕組みをしながら二人の前に現れたケンによって、この言い争いに終止符が打たれた。
二人は少し怒気をはらんだケンの口調に、すこし媚びるように上目づかいでケンを見上げたのだった。
アリスは1か月ほど王都の自分の搭に滞在した。
搭に滞在したと言っても、本当に食事と寝に帰るだけで、ほとんどの時間アリスはいろいろなところに出かけて行っては様々な調整や調達を行っていた。
もちろんヘラクレスは久々の王都という事でアリスの護衛は休みだ。アキアだって休暇みたいなもんだったじゃんよ。
エウリュスは王に返却した。
グラディスはいつもの暮らしに戻った。たまに実験的な料理が発生してアリスを困らせるようになったくらいだ。
自分はアリスや反アリス派の監視をしながら、王都とアキアの両方で地道に【感染】を頑張った。
そして、帰りの旅路の期間も合わせるとおよそ2か月後、アリスはアキアに戻ってきた。
ちょうどその時、アキアはきな臭いことになっているのであった。




