9-9 a さいきんの農業改革
アキアとダクスの移動には時間がかかる。
アリスたちが王都に着くころには本格的な冬になっていた。
日本ほど寒くないこの国だが、それでも少し肌寒い時期となった。4か月ぶりに王都に戻ってきたアリスが最初に出かけて行ったのは意外にも社交界だった。
アミールの誕生祝いだ。
「久しぶり。おめでとうアミール殿下。」アリスが紅いドレスのスカートをつまみ上げて淑女のように礼をした。
アミールは14歳になった。
前回のアミールの誕生会のあとは搭に籠っていたので、3年ぶりの誕生会出席だ。今回はロッシフォールは傍らに付き添ってはおらず、アミールが一人で貴族たちの応対をしていた。
ロッシフォールはアリスに近づかないように遠くからアミールとアリスの様子を遠巻きに覗っている。
「ありがとうございます。お姉さま。」アミールが一礼した。最後に会った時からそれほど長く時は流れていないはずだが、アミールの背は大きく伸びていた。まだ、アリスには届かないが、すぐに抜くのだろうというのが簡単に予想できた。「お姉さまも、お元気そうで良かったです。」
「そうでしょ。ありがとう。」そう言ってアリスが力こぶを作った。相変わらず普段の細腕からどうバンプすればその力こぶになるのかが解らん。
アミールが苦笑いしながらたじろいだ。アミール華奢だから、筋肉ではアリスに敵わないだろうな。
「アミールはもう学校とか行ってるの?」
「いいえ母上があまり良い顔をされないのです。」アミールが残念そうに言った。「姉上は学校に行って良かったですか?」
「当然よ!授業はつまんなかったけど、友達も出来たしとても楽しかったわ。今だって学校の時のクラスメイトと仕事してるのよ。」アリスはシェリアやタツたちと一緒にアキアで行っていることについて自慢げに話しだした。
アリスにとっちゃどうでも良いことなのかもしれないが、タツはクラスメイトではないぞ。
「羨ましいです。」アミールがアリスの話を聞いて嘆息する。「私は同年代に友と呼べる者がおりません。」
「でもこのパーティーにも結構若い貴族来てるじゃない?社交界の友人達ではないの?」
今回、アリスが出席しているパーティーは親族や偉い貴族たちだけが出席できる公式の誕生パーティーではない。比較的、(といっても公式のほうのパーティーと比べたらという意味で)カジュアルなほうのパーティーに出席している。
アリスがアキアからの帰りしなに野草を試すとか言いだして、文字通り道草を食ってお腹を壊し2週間寝込んだことが原因だ。その結果、公式の方のパーティーに遅刻したのだ。
ちなみにデヘアはだいぶ前にダクスを旅立ったまま今も好き勝手にアキアをうろついている。いろんな植物を見ているのだろう。もともとそういう約束だったのでしょうがない。
そんなわけで、アリスがそこら辺の草木に成っていた怪しい実とか葉っぱを食べるのを阻止する人間が居なかった。
グラディス?
グラディスは最近お料理馬鹿の才覚が開花したため、新しい植物の料理には前向きだったよ。一緒に寝込んでたし。
こと、この件に関しては一人だけ断固食べなかったヘラクレスが一番常識人だった。
脱線した。パーティーに話を戻そう。
例によって王は来ていないが、皆、中の良い同士で固まって好きかってに酒を飲み始めている。
アリスにも挨拶によってくる貴族があとを断たなかった。本来は王が登壇しパーティーが始まるまではプライベートな状況なので、近しい人同士がウェルカムドリンクを楽しみながら話すのが通常なのだが、アミールと挨拶を終えたアリスの回りに誰もいなかったので、一部の貴族たちがオフサイド気味につめかけてきてアリスに挨拶を始めた。
前回アミールの誕生会に出席した時とは大違いだ。アリスを囲む貴族たちの輪は徐々に人数を増していった。
「王女殿下のお誕生パーティーは何時なのですか?」アリスを取り囲んでいた貴族たちの中の一人が尋ねた。
「ん?無いですわよ?」
あれ?
良く考えたらアリス、王女だった。
何でアミールだけこんなパーティーがあるんだ?おかしくね?ずるくね?
「え?」貴族がまずいことを聞いてしまったと慌てた様子になった。そして作り笑いでフォローを口にした。「お誕生日は何時なのでしょうか。是非ともお祝いをさせて頂きたい。」
「秋くらいですわ。別に気を使わなくても良ろしくてよ。今年はアキアに居ましたし、今までも特になんかしていたわけじゃありませんから。」あっけらかんとした様子でアリスが答えた。いっそう気まずくしていくスタイル。
貴族たちは続く言葉を思いつかず困ったように顔を見合わせた。
当のアリスは、この話題にはまったく興味が無いらしく、新しく運ばれてきた料理に目線を走らせていた。
「あまりお気になさらないで。」アリスが貴族たちの困った様子に気がついて言った。「私あまり、こういった場は慣れておりませんので。」
「慣れておりませんのでじゃあありませんよ。」アリスの後ろから声がした。ケネスだった。
「あ、ケネス。元気だった。」アリスは公共の場であることを忘れて緩み切った返事を返した。
「元気でしたよ。アリス殿下ほどではありませんけどね。」ケネスは答えた。「脇目もふらずアキアに飛び出してっちゃうから皆ビックリしてたんですよ。」
「え?改革して来いって下命されたとき、あなたも居たじゃない。」
「いくら何でも、早すぎですよ。」ケネスが言った。「陛下やロッシフォール公が、殿下の誕生パーティーと快気祝いを盛大にやろうと準備していたのに。」
「え?そうだったの!?」アリスが驚いたように言った。なんだかんだで声が嬉しそうだった。
「おお、是非、そのパーティーを催して頂きかった。きっと、素晴らしいパーティーになりましたとも。」貴族たちがここぞとアリスをよいしょする。よいしょというか、気まずい空気から逃れようとしているんだろうな。
「んー。でも、アキアのほうが重要だし、まーしょうがないわ。」
「まーしょうがないわ、じゃないです。」と、ケネス。「陛下、とてもガッカリしてましたよ。ようやく王女殿下の誕生日をきちんと祝えると思ったのにって。」
「そっかー・・・。気持ちだけ受け取っておくことにする。」アリスは嬉しそうにニッカリ笑った。
ケネスを交えて貴族たちと談義をしていると、部屋の隅にたたずんでいた近衛騎士が声を上げた。
「ネルヴァリウスの王おなり!」
王は杖をついて、近衛兵に支えられるようにして現れた。
アリスが小さく息を飲んだのが分かった。
アリスが王都を離れた4か月で王はさらに弱々しくなっていた。いよいよといった感じだ。
3年前、3年間は死なないと言っていたが、どうにかその約束を守った形だ。もう来年の約束はしまい。
小麦が取れるまで踏ん張ってくれよ。もう少しなんだ。
アリスのアキアでの結果が出るより先に死なれてしまうとアリスの王位は無くなる。
「みな息災なようで余は非常にうれしい。」王はそう言いながらちらりとアリスのほうを見た。
アリスの心配している場合じゃないって。多分、今一番息災じゃないのはあんただって。
「此度はアミールの14歳の誕生を祝う。此度皆の者がこの場に集ってくれたことを感謝する。」王が宣誓を口にした。「この国の発展と繁栄を願うにあたり、アミールは姉を助けこの国を導いていく事になろう。」
皆が、真剣に今の言葉を呑み込んだ。
アリスをアキアにやってなお、王の中での王位継承の序列は、アリス、アミールの順で決して変わっていない。そのことを明確に告げた発言だった。
「一同、今後ともアミールの事を良しなに頼む。それでは祝いの席を始めよう。」王は短い挨拶を締めた。
王の挨拶が終わると貴族たちが王とアミールに押しかけていった。前回出た時のパーティーの時も似たような後継だったが、今回はそれよりも激しかった。出席者にはそこまでアミールと繋がりのない貴族たちも多いのだろう。この機を逃すまいという必死さがあった。例えるなら、正月の福袋や限定セールに群がる人たちのようだった。
囲まれたのはアミールだけではなかった。
アリスにも今回は貴族がつめかけた。
今までは病原菌扱いで遠巻きにしていた王都の貴族たちだったが、いよいよアリスが本当に王になるかもしれないと解ったのだ。
現金なもので、貴族たちはアリスが王位につく可能性に屈し、アリスの元に集まってきたのだ。
主役であるアミールよりも大きな人だかりが出来ていたくらいだ。
王に話しかけに行きたかったアリスだったが、その前に貴族たちに取り囲まれてしまった。アミールに少し王と会話をさせてからと様子を見たのがあだとなった。パーティが始まってしまうと挨拶に来る人間を相手にするのは義務なのだ。
アリスは少しイラっとはしていたが、それは手のひら返しの貴族たちにではなく、父王に話に行けないことに対してのようだった。時々、目線が王のほうを心配そうに追っていた。ただし、アミールの誕生会なのにアミールより先にアリスに挨拶しに来た貴族が居るのにはあからさまに不服なようだった。
だが、アリスはそんな気持ちを顔に出すこと無く、アキアでもそうだったように完ぺきに彼らの応対をこなした。
実のところ興味半意でやって来ていた部分もあった貴族たちはアリスの美しい所作に舌を巻いた。
まあ、こんなモブ貴族たちについてどうこう言っていてもしょうがない。
こっちも見習って【感染】、【感染】っと。
「ぬう。やっぱ社交界は苦手よ。」
ようやくアリスが解放されたところを見計らって3人の人物が寄ってきた。
ジュリアスとカルパニア、そしてアピスだった。
「久しぶり!!みんな。」アリスは嬉しそうに声を上げて3人に駆け寄った。
「アリスさん。大事な弟殿下の誕生会でしてよ。はしたなく走らない。」アピスがアリスを嗜めた。アピスらしい言葉だったが、その叱咤には昔とは違った先生としての風格のようなものが感じられた。そう言ってから、アピスはいかにも彼女らしい完ぺきな身のこなしでアリスに礼をした。「お久しぶりでございます。ご機嫌麗しゅう。アリス殿下。」
「お久しぶりです。頭領。」カルパニアも身のこなしだけは貴族のそれでアリスに挨拶した。
「久しぶり、アリス。」と、ジュリアス。
ジュリアスは今日はカルパニアのエスコートをしている様子だ。なんだかんだで二人は上手くいっているのかな?
「ノワル地区を僕らに丸投げしたと思ったら、そのまま挨拶も無しにアキアに行くものだから驚いたよ。」
「え、ちゃんとアキアに行くって言ったじゃない。」アリスは反論するが、あれは挨拶じゃなくて連絡って言うんだ。「って、ノワル地区??」
「ああ、知らなかったのか。国が税を取っている地区について、いつまでもスラムだのと呼ぶのは印象が良くないというという事で、ロッシフォール公がつけたんだ。」
「そうなの!」アリスが破顔した。めちゃくちゃ嬉しそうだ。
本当はアリスが決めて良い名前だったんだよな、これ。
いつまでもスラムって呼ばれるのは可哀そうだけど、せっかくならアリスが決めたほうが良かったよな。
ロッシフォールは出過ぎたことを。手柄をかすめ取るみたいに。
ちなみに『ノワル』とはこの国の言葉で『新しい』って意味だ。フランス語と似てる。
「そういえば、ロッシフォール公は、極東強人組も『ワーカーズギルド』って名前変えたわよ。」カルパニアが言った。
よくやった。ロッシフォール。
思い返せばアリスは名前を決めさせたらダメな子だった。
「えー何で?」こっちはちょっと不服そうなアリス。
「え?」ジュリアスがアリスの質問と反応に戸惑う。「そ。そりゃあ・・・・やっぱ・・・・王都全体の職業を手がけるようになったから、極東って言うのが合わなくなったんじゃないかな?」
「おお、なるほど!」
ジュリアスは適当な説明でアリスが満足してくれたのでそれ以上は何も言わなかった。
「後で、ノワルには寄ってよ?」カルパニアが自信満々に笑って言った。「結構凄いことになってるから。あと、みんなも会いたがってるし。」
「ほんと!?楽しみだわ。」
「私もごいっしょさせて貰いますわね。」と、言ったのはアピスだった。
「もちろん!!」思いもよらずアピスがスラムに来ると言い出したのでアリスは嬉しそうに叫んだ。何人かの貴族が何事かとアリスのほうを振り向いたくらいだ。




