9-8 a さいきんの農業改革
アキアでの活動はどんどん進んだ。
まず、ため池の出来を確認した学士院の面々が各自の領地へと戻って行った。
彼らは帰っていった先できちんと仕事をこなしていくことだろう。
デヘアも学士院たちに合わせてダクスを出立し、どっかにウリ畑を作りに行った。
本来ならタツたちも学士院の人々と一緒にアキア各所に散っていき、ため池作りの準備を始めている予定だったが、ギムルと共にダクスに残ることになった。
理由はこの間のため池づくりのプレ試験で、タツたちが一人で面倒を見ることのできる人数がどんなに頑張っても100人までだろうという結論に至ったからだ。
一方で、アリスとギムルでアキア全土のため池づくりの計画を見直すと、馬車馬のように工夫を働かせたとしても大工は最低5000人は必要だという事が判った。さらに言うと、アリスが農業を辞めさせたい人間は10万人を超えている。どちらの数字もタツたちが20人で面倒を見るには多すぎる。
といった訳で、アリスとタツたちは、文字が読め、計算ができ、タツたちの作ったため池作りの作業標準書を理解することのできる技術者を突貫で育成することにした。
アリスたちはこの間ため池づくりに協力してくれた数百人をクラス分けして育成を行う事とした。
ショウやタツ達とギムルが技術を教え、キャロルが文字と計算を教えた。
キャロルも学士院の一人だが、農地を無くしたペストリー領に戻る必要も無いのでアリスの居るダクスに残っている。
キャロルの教室ではギムルも学んでいたりする。タツたちを見て、自分の技術が後世に残せるのならと、あのメモを自分自身が作りたいと考えたようだ。
ため池づくりの準備は着々と進んでいた。
そして、アリスの考えた増税が発布された。
アキア候の使い達が、ダクスの周りの農民たちに新しい畑の区分と税について説明をして回った。
ちなみに今までのダスク周辺での税は、一つの畑当たり150サクの小麦の納入であった。
サクというのは小麦を測るときの量の単位で、納税用の袋一つに値する。10袋で一人が小麦ばっかり食べて暮らした時の1年間分にあたるらしい。
農民たちは、通常世帯ごとに一つの畑を与えられる。彼らはだいたい200サクの小麦を作り、税を納めた残りの50サクを自分たちの家庭で消費していた。
アリスが考えた新しい新税に関する内容はこうだった。
その1:一つの畑を大きくする。
その2:畑を大きくした代わりに、税は今までの150サクから200サクに増やす。
その3:小麦の要らない分は5サクにつき1ラムジで買い取る。
その4:夏の休畑期に豆を植えることを義務とする。豆の税は農民たちに50サクを課す。
その5:豆の要らない分は5サク1ラムジで買い取る。
この発布に先立って、農民たちの畑の区画が仕切り直されていた。基本的には辞める農民たちの区画の分、だいたい2割くらい畑が広くなっていた。
実は、この件に関しては税の発布前から農民たちの間で不満の声が上がっていた。
そりゃ、仕事量が増えるので喜ぶわけがない。豆の栽培にしたってそうだ。二毛作になれば仕事量は倍になる。不満も出ようというものだ。
しかも、畑が増えたのは2割なのに税は3割以上がっていたりする。
ただ、農民たちは計算できないので、ここらへんは気づいていないようだった。税が発布された際に税率について文句を言うものは誰も居なかった。
アリスの発布した税制のポイントは3と5にあった。
『いらない分を買い取る。』
余剰生産がお金に換えられるのだ。
つまり、農民たちが儲けを出せるのだ。
今までも、農民たちは自分の取り分を売ることは出来た。ただ、販売チャネルがなかった。小麦は儲けにつながらないので誰も買ってはくれなかったのだ。結果、彼らは、自分たち家族の食べる分と税を納める分くらいしか小麦を作っていなかった。
ところが、今年は小麦を沢山作れば領主が買ってくれることを約束してくれた。作れば作るほど売れるのだ。
農民たちはこう考えた。
以前の畑で少なくとも200サク取れるのは知っている。なぜなら、今までちょうど200サク作っていたからだ。そこに、今回畑が増えたわけだ。やろうと思えば、その増えた畑の小麦を丸々お金にすることができるのだ。もちろん、自分たちの食い扶持は確保しなきゃいけないのだが、今までは本気で小麦を生産していなかったのだからそのくらいは何とかなるはずだ。しかも、夏場に豆を作ればその余りも買ってくれると言う。
結果、この税制はかなりの歓迎を持って受け入れられた。この発布を見て農民たちの目の色が変わったとさえ言えた。
アリスの目論み通りだ。
実はこの小麦の買い取り価格、これでも相当買いたたいているのだ。
内情を良く知っている自分から見ると、農民たちは仕事量を増やされ、税を増され、小麦もゴミみたいな値段で買いたたかれている。だが、彼らは小麦の販売ルートを得られたという一点だけでこの税制を歓喜で迎え入れた。
アリスはこの税政策についていろいろと複雑なことを計算していた。目的は、今までアリスがずっと言っていたように、農民一人当たりの生産高を上げることだ。
この点について、自分の理解できている範囲でざっくりとまとめてみよう。
もともと農民たちは一畑当たり200サクを作り、150サクを納めていた。50は農民たち家族が食べる量だ。
これを農民を減らし、畑を再編して一人頭の畑を広くすることで、農民たちが持つ畑は1.2倍の240サク相当になった。さらに、農民たちが本気で生産することでこの畑で300サク近く作れるとアリスたちはふんでいる。これはデヘアの計算に基づいている。さらに、農民たちは豆を生産する訳だ。彼らがもし、自分たちの食べる分をすべて豆によって賄ったとすると、生産された小麦はすべて納税もしくは販売されることになり、この300サクがまるまる国に納められることになるのだ。
アリスは一人当たりの小麦の取り扱いを2倍にすれば、貴族商取引法のような保護政策がなくても海外の小麦と戦えるラインだとふんでいて、そこを目標値と置いている。そして、今の計算だと農民一人当たりが納める小麦の量が、150サクから300サクへと二倍になっているのだ。机上の数字としては目標を達成しているのだった。
この皮算用をよくよく見ると農民が豆だけを食べるとかズルい仮定もあったりする。
最初、アリスは農民を削減して畑を3割5分くらい増やすつもりだった。最初の学士院の集まりではそういう試算が成されていた。ところがふたを開けてみると地方では辞めたい農民が少なく、畑を3割5分増やすにはリストラが大量に必要という事になってしまった。というわけで、辞めさせる農民を少しでも少なくできるように、二回目の学士院の集まりで屁理屈をこねて数字を合わせたのだ。
そもそも、貴族商取引法がある現状下では二倍は必達目標ではない。
アリスはそのラインを農民たちのために譲歩したわけだ。
ちなみに、目標を達成したのは『農民』だけだ。
小麦売買には運搬もあるし、そもそも領主が税金として利益を獲るのが普通だ。彼らの取り扱う小麦の量が2倍になっていないのだ。
とくに運搬についてはキャロルの父親を脅して安い運搬網を構築させているものの、馬が運べる小麦の重さがいきなり二倍に増えたりはしない。ここを安くするのは難しいんじゃ無かろうか?
領主に関してもそうだ。農民一人当たりの納税量は2倍になっているが、農民の数が減っているので、領主に納入される小麦の量自体は6割増えるかどうかというところらしい。アリスの言っていた、貴族を減らしたいとはこの事なのだ。
じゃあ、領主の儲けを減らせば良い、と思うかもしれないが、そもそも領主たちは農業では儲けなどほとんど獲られていない。むしろ赤字だったりする。農民たちから税という名のもと徴収した小麦で獲られたお金は農業維持のための設備投資ですべて消えてしまっていた。アキアに限ったことではなく、この国では農業は儲からず、その他の産業が儲かる。ペストリー卿が言っていた通り、農業には魅力がないのだ。
だから、農業比率が高く、領地も広かったカラパス家はアリスの改革に耐え切れずに潰れた。他にも風前の灯の貴族たちの領土は農業率が100%に近い。逆に、農業はそっちのけでアキアの商流を掌握したペストリー卿はただ一人だけ黒字だ。つまり、領主には減らすことのできる儲けがないのだ。領主にこれ以上我慢しろと要求する事は出来ない。
だからアリスは、アキア公に言ったように、スラファに見抜かれたように、農業に関わる領主の数そのものを減らしたいのだ。そして、この事については学士院や領主たちには隠している。
さらに、アリスは農業で儲からないという前提自体をくつがえそうとしている。それが、豆の二毛作であり野菜の栽培なのだ。この利益を貴族たちに還元し、運搬に関して改善しきれない部分に回すことを考えているのだ。アリスの計算では豆の儲けは貴族と農民と商人で山分け(均等ではない)になるはずらしい。
もちろん、これは、アリスの机上の空論である。
実際の所、アリスは、いろいろな場合について何パターンも想定し、今話したことなんか粗筋にすらならない程の膨大な事象を織り込んだ計算を繰り返している。さらには新しい情報が入るたびに修正し、そして、ようやく数値をはじき出しているのだ。
以前、あまりの計算量と要求される情報量の多さに根を上げた学士院の一人に、アリスはこう言った。
「机の上でだけでも上手くいかせておかないと、実際なんて上手くいかない。私達は机上論の精度を上げて、いろんな状況に対応できるように様々なパターンを試算しておかなくちゃいけない。」
実際、計算通りに物事は進まず、後々アリスは大困りすることになる。
ただし、これについては計算が間違っていたというより、デヘアが勝手にオフサイドして、そのことを特に報告もしなかったせいで起こったことで、それを除けばアリスの綿密な試算通りに物事は運んでいくのだった。だが、これはもう少し先の話。




