9-5 b さいきんの農業改革
次にアリスがやったのは農民たちとの談話だった。
アリスはダクスの街のはずれにある公会堂のようなところに自ら赴いた。
アリスはグラディスとアキアのメイドたちを前もって公会堂に派遣して、農民たちとの会合のためにケーキを準備させていた。
アリスはアキアの街でグラディスが仕入れた簡素な服に身を包んで公会堂に向かった。
グラディスは普段のドレスのほうが良いと主張したが、アリスは今回は王女である必要のない集まりだから汚れてもいい質素な服がいいと譲らなかった。前回、ドレスで一週間川の掃除をしたのでいくつもダメにしてしまった事を反省したのだと思う。つまり、絶対農作業をする気だ。
質素な服を買って来てと命じておきながら、実際に着てみると肌触りが悪いのが気に入らなかったアリスはインナーだけは持ってきた物を着用した。そして、グラディスに命じて、ようやく長く伸びきった長い金髪を一本の大きな三つ編みに結わせた。
と、扉がノックされた。
アリスが返事をするとシェリアが入ってきた。
「向こうの準備できたみたいですよ。」シェリアが言った。
「じゃあ行きましょう。待たせちゃ悪いわ。」
アリスが麦わら帽子を手に立ち上がった。
アリスはヘラクレスとエウリュスを連れて城を出ると公会堂まで馬車を急がせた。
馬車が目的地に到着すると、アリスはゆっくりと馬車から降り、自ら公会堂の扉を開けて中へと進んだ。
おんぼろな公会堂の大広間には机が並べられ、これから企業のセミナーでも受けるかのごとく、農民たちが前を向いて座っていた。
「殿下!こいつらは農民ではないですか!」公会堂の中に入るなりエウリュスが吠えだした。「農民たちと一緒の場で王女たるものが食事なとあってはなりません。」
「文句があんならアンタは出てなさい!」アリスはそう言ってエウリュスを蹴り出すと扉を閉めた。
扉の向こうで「殿下!御考え直しを!!」と叫ぶエウリュスを放っておいて、アリスは部屋で固くなって座っている農民たちに向き直った。
エウリュスは叩き出されたが、部屋の中にはアキアの兵士たちが数名、槍を持って控えていた。
いきなり動員されて、兵士に軟禁されて、エウリュスに怒鳴られて、農民たちは完全に怯え切っていた。
グラディスが言っていたように、農民たちはそれほどやつれてはいなかった。ただ、何と言うか幸薄そうという表現の似合うたたずまいだった。
「こんにちは、皆さん。王女のアリスと申します。」アリスは農民たちに優雅且つ丁寧に膝を折って挨拶をした。
服装が質素でも気品が仕草からあふれ出ている。ほんと、普段からそれやれよ。
「今日は皆さんの事を教えて欲しいの。」
ぼろっちい公会堂の風景にアリスの所作がそぐってなくて完全に浮いている。
漫画だったら完全に勘違い王女の登場シーンだ。
実際には勘違い王女ではないことを願いたい。
「本日は、皆さんへのお礼に、一緒におやつを頂こうかと思いましたの。」アリスは農民たちにほほ笑んだ。
農民たちは緊張しきりで、喜びもせず、むしろ、若干迷惑そうにしているのが伝わってきた。
グラディスとメイドたちが農民たちにケーキとお茶を給仕していく。
農民たちが目の前に出されたクリームの乗ったミルフィーユ状のケーキを前に、これは何ものかと不思議そうな顔をした。農民たちは怪訝そうに皿の上のケーキを見ながら隣同士でひそひそと話をし始めた。
「こちら、王都で人気のケーキですの。とっても美味しいので召し上がってくださいまし。」
アリスはそう言って促したが、農民たちは互いに様子を見ながら手を付けようとしない。多分、作法とか解らないんだろう。ケーキだけじゃなくてフォークのほうにも目線を走らせているのが見て取れた。
「いっただきまーす。」
アリスは自分の前にケーキが置かれると、嬉しそうに食べ始めた。
農民たちは目の前でアリスが美味しそうに食べ始めたので、恐る恐る真似をして目の前の食べ物を一口食べた。
後は夢中だった。
最後の一口を呑み込んでしまった農民たちは、まだ食べ終わっていない隣人たちのケーキを物欲しそうに眺めた。
彼らはケーキの無くなってしまった皿に残っているクリームを少しでも食べたいようすだったが、王女の前で作法を間違えてしまってはと悩んでいるようだった。そして時々誘惑に負けて、周りの様子を見ながらこっそりとフォークでつついてはちらっと舐めた。
そんな農民たちの様子に気づいたアリスが豪華に皿の表面を豪快に指でなぞって舐めた。
農民たちがアリスの所作を見て、あ、あれはやっても大丈夫なんだとばかりにみんなで皿のクリームを指で拭って舐め始めた。
アリスのせいで要らん独自マナーがアキアに誕生してしまった可能性がある。由々しい。
「美味しいですか?」アリスはお姫様が民に話しかけるかのように訊ねた。
「こんな美味しいものは初めて食べました。」農民の一人が答えた。
「よかった。」とアリス。「皆さんの作っている小麦が主原料ですのよ。」
「そうなのですか。しかし、私どもには砂糖みたいな高価なものが入った食べ物はそうそう食べれませんので、このような美味しいものは食べたことがございません。」
「機会があれば、また食べたいですか?」アリスが訊ねた。
アリスと話していた農民は何か罠があるんじゃないかと一瞬隣と顔を見合わせたが、素直に答えた。「是非。」
「そう!解りましたわ。」アリスが嬉しそうに言った。
待て待て待て。
『ケーキ食べたい』=『アキアを改革したい』の図式がアリスの脳内にさん然と輝いているのが解るんですが。
この人たちが言ってるのは『ケーキ食べたい』だからね?
「私があなた達がたくさんケーキを食べられるようにしてあげます。」
農民たちはぽかんとした目でアリスを眺めた。
アリスの中にはドーパミンが満ち満ちていた。
この後、アリスは予想していた通り、農民たちに農作業を見せてくれと言い、戸惑う農民を引き連れて農作業に勤しんだ。
農民たちはドン引きしてた。




