9-4 b さいきんの農業改革
会議が終わると、この会議での決定事項を貴族たちに飲ませるための面談の調整がシェリアによって始められた。
というか、アリスが気ままに貴族たちの所に乗り込んで行こうとして止められた。
アリスがデータをいじくりながらいろいろ計算をし始めてしまい暇だったので、その間、自分はシェリアがスケジュール調整を行っていく様子を覗いていた。
シェリアはまずアキア公に許可をとり、各貴族たちとの面接の日程を偉い順に決めていった。日程に文句をつけようにも自分より偉い立場の人のスケジュールには意見できないからだ。忘年会の幹事の時、似たような事やったなぁ。
シェリアは次々と貴族たちとの会談のスケジュールを取りまとめてしまった。
そして、スケジュール調整の終わったシェリアがアリスの所に報告に戻る最中、廊下の向こうからエウリュスの声が聞こえてきた。
「貴殿は平民の分際で、アリス殿下に馴れ馴れしすぎる。少し自重したまえ。」
対して聞こえてきたのはグラディスの声だった。
「だから何だというのですか?エウリュス様にアリス様のお世話ができるとは思いません。」
「どうしたの?」シェリアは慌てて廊下を曲がって二人の元に駆けつけた。
「シェリア殿!シェリア殿からもなんとか言ってください。この者は殿下の回りで姦言あさましい。」エウリュスは見るからに不機嫌な様子だ。「そもそもグラディスは貴族の家の生まれではないというではないですか。そのような者が殿下に意見をするなど本来あってはならないことです。」
会議室を追い出されて一日中会議室の前で放っておかれたのでちょっとイラついてるのかな。
「王女殿下に怒られますよ?」シェリアはエウリュスに言った。
「そもそも、平民風情が王女の周りをうろつくこと事態が良ろしくないのです。現にこの娘は過去に数々の事件を起こしていると聞きます。シェリア殿も子爵の御令嬢なればその点お判りでしょう。」
「グラディスさんはアリス殿下に意見をしてしかるべき能力を持っている方です。」
「能力の有無など関係ありません。平民と貴族では負っている誇りと責任の重みが違います。」エウリュスはなおも続ける。「平民は君主のためにも国のためにも命をかける志も覚悟も持たない。麦を食むだけのやからが次期王の回りで身勝手に意見を囀るなぞ、この国のためにならないのです。」
「王女殿下が良いと言っているのです!貴殿は王女殿下の命が聞けないのですか?」エウリュスのあまりの物言いにシェリアは珍しくきつめな口調でエウリュスに迫った。「グラディスさんはアリス殿下の選んだ殿下にとって不可欠な方です。それを蔑ろにするのは王女殿下の考えを蔑ろにしているのと変わりませんよ?」
シェリアはエウリュスを睨みつけた。
エウリュスも睨み返す。
二人の目線の間に火花が散った。
「ふん!」睨み負けしたエウリュスは大きく鼻を鳴らすと蟹股で去って言った。
エウリュスが見えなくなったのを見て、シェリアはグラディスの袖をぎゅっと握った。
「怖かったぁ。」
「ありがとうございます。シェリア様。」グラディスは自分を守ってくれた小さな女性に嬉しそうにほほ笑んで頭を下げた。
「えへへ。」シェリアは言った。「何かあったら言ってくださいね。」
「ええ。」グラディスはそう言ってから、ふと思いついたように言った。「では、一つお願いがあるのですが・・・。こんなことをお願いしたものか・・・。」
「はい。何でしょう?」シェリアはグラディスからすぐさま頼み事が出てくるとは思わなかったので、ちょっとドギマギしながら尋ねた。
「いえ、でも、やっぱりよろしいですわ。」グラディスは願い事を呑み込んだ。「ちょっと大変なお願いですので。」
「大丈夫ですよ。あまりに無理そうでしたら、ちゃんとお断りしますし。」
グラディスはしばらく躊躇してから言った。
「その・・・私がアキアを回っている間、アリス様のことをお願いできないでしょうか。」
アリスと貴族たちとの会談は早くも次の日の午後から始まった。
最初はアキア公とだ。
アリスは二毛作を行う事、農民を減らすことを説明し、今後の方針として、税の見直し、農民と畑の再編、農民を辞めた人々を使って豆栽培のためのため池の工事を行うことを伝えた。
「・・・と言うわけで、新しい税制の発布と畑の再編の許可を頂戴。あと、治水工事への初期費用を投じてもらうわ。」
「最初の二つについては構わないが・・・。」アキア公は言った。「初期投資については簡単にはOKできんのう。」
「ええ。どのくらいのリスクがあるか説明させてもらう。」
アリスはこの話が進んだ場合の総投資金額と年度ごとの回収率について何パターンかを説明した。
「うまくいかないと投資の回収はならないと言っているようにも聞こえるのだが。一番振るわなかった場合の試算など投資回収率は半分だ。」
「その通りよ。この投資によってアキアが得るものは賭けた資産の増額じゃない。」アリスはきっぱり答えた。「アキアの自立。」
「なるほど。我々が腹を切れということか。」
「そりゃあ領主なんだから。」アリスは言った。「でも自立してしまえば、農業を辞めて余った人員で商業なり工業なりの儲かる産業をやり放題よ。」
「そう言えば聞こえはいいが、食いあぶれた民草をどうにかしろと押し付けようとしているだけにも聞こえるが。」
「そうとも言う。」アリスはぬけぬけと答えた。
今思った。アリスは商人みたいではあるが商人には向いてない。正直すぎる。
「アキア公、父に協力しろって言われてるでしょ?私は必要経費はアキア公に何とかしてもらえって言われてるわよ?」アリスが脅すように尋ねた。「あなたには出してもらうわよ。」
「まあ、王の方針ですからね。正直殿下の提案のお金であれば許容範囲内ですしな。」アキア公はやんわりと承諾し、しかしアリスに釘を刺した。。「しかし、少々ご無礼な頼み方ではないですかな。」
「悪いけれど、あなたには協力してもらわないといけないのよ。」
「『には』とは?」
「実はアキアの小麦が高いのって固定費の問題だから、小麦を安くするという点だけを見ればいずれは絶対に成功するの。」アリスは言った。「でも、それじゃよっぽどの人たちをリストラしなくちゃいけない。だから、豆の栽培に投資をするわけ。でも、豆の栽培はあくまで投資。のっけから農民を犠牲にしてしまえば必要のない話。だから、領主全員がこの提案に乗るとは限らない。」
「つまり、私を引き込むことで皆を取り込みたいと?」
「いいえ、違うわ。」アリスは言った。「アキア公、今からの話はここだけの話でお願い。」
「ほう?」
「もし、アキアの半分以上をこの話に乗せることが出来たら、小麦の価格はぐっと下がる。小麦で儲けることは難しくなるの。その結果、話に乗らなかった領主たちはたぶん潰れる。あなたにはそちら側に居て欲しくない。」
「それほどの事が、殿下の改革を行うと起こり得ると?」
「アキアの小麦が輸入小麦より安くなるのよ?みんなそっちに流れる。そして、仮に足りなくても輸入分で補う。これならアキアにも顔が立つ。だから、話に乗らなかった領主の小麦は元の値段で売っても何一つ売れないわ。だから、とんでもない安い値段で小麦をさばかなきゃいけない。ペストリー伯のような小麦を絡めた宝石売買も成り立たなくなる。小麦しか作ったことのない領主たちは完全に収入を絶たれることになる。」
「だから、アキアの3分の1の領土を保有する私は必要だと。」
「いいえ。私はさっき、小麦に関わる人が多すぎるから減らしたいと言った。それは農民だけじゃない。小麦に絡んでる貴族だって多すぎるの。私は貴族も減らしていかないといけないと思っている。」アリスはアキア公の目をまっすぐ見つめた。「あなたは5公。まだこの国に必要な人材だと認識しているわ。そっち側には居て欲しくない。」
「・・・・・・今の話を黙っていろと?」
「そうよ。私は農民たちには彼らが望む形の助けを提示できるかもしれないけれど、没落した貴族たちを簡単に助けられるほどの術は持たないわ。」
「承知しました。もとは我らの問題ゆえ。」
アキア公は短くそう言うと、今まで見せたことのなかった、アリスの臣下のような態度でアリスに頭を下げた。
ここでアリスの言う『固定費』とは人件費のことになります。




