2-3 b さいきんの冒険もの
そして、朝。
一番最初に目覚めたアリスは、ビッチョビチョのタオルを母親に乗せると、しばらく暇そうに部屋の中でダラダラし、その後、家を出てシャドーを始めたわけだ。
ひと汗かいたアリスはすっきりした顔で、少年に話しかけた。
「スタン、お母さんの具合はどう?」
本当はタツって名前だった気がするが、アリス的には最初に紹介された名前で通すようだ。
「さっき起きたけどなんかめっちゃ調子良くなってた!」スタンが言った。
アリスがスタンに向けて黙って手を伸ばしたので、スタンは一瞬考えて、そばに置いてあったバスケットからタオルを取りだしてアリスに渡した。
それ、たぶん、本当はタオルじゃなくて布巾なんだけど。
アリスはそんなことお構いなしに首の後ろを拭き始めた。
「おい、タツ坊!」突然横から声がかかる。「そのベッピンさんは誰だ?」
物陰からボロをまとった小汚いおっさんが現れて、いやらしそうな目でアリスを見た。
「えーと・・・」少年がここにきてアリスがどんな人間かよく知らないことに気づく。「知らね!」
「だれ?」アリスが少年に訊いた。
「となりのおっちゃん。スクイージ。」
「嬢ちゃん。いいおベベ着て、こんなところでなにしているのかね?」スクイージはアリスを見ていやらしそうな笑みを浮かべた。
「訓練よ。」と、アリスがスクイージが想定していたのとは違った前提で答えを返した。
「お貴族様にあれやこれやされるので、こんなとこまで逃げてきたんかいな?」
「良くわからないけど、逃げてきたのは当たりよ。」アリスはまじめに答えた。
メイドには冷たいのにこういうおっちゃんはちゃんと相手すんのな。アリスの基準が良く分からない。
「ひゃっひゃっ。」スクイージが下品な笑い声をあげた。「嬢ちゃんみたいんなのが、お仲間になってくれるとはワクワクしちゃうねぇ。まあ、いろいろ教えてやんよ。」
「スタンに教わるからいいわ。」何を言われているか良く理解していないアリスのセリフに、スタンが気まずそうに下を向いた。
「まあまあ、そうつれないこと言うなや。おいちゃん、ここらへんのことならいろいろ詳しいかんよ。どこに嬢ちゃんの寝るとこ作ったらいいかとか、どうやって生活費稼いだらいいかとか、いろいろ教えてやれっぜ?ひゃっひゃっ。」
「そこまで長く居るつもりは無いわよ。」アリスがスクイージのほうを見ずに汗を拭きながら言った。
「お嬢ちゃんも、お貴族様から逃げてきたんだったら、もう、街に居る上級国民様みたいには生きていけないさ。まあ、クソみたいな場所だけど、こんなところで道端に転がっている何かを拾い集めて生きてくしかないんだよ。俺も嬢ちゃんも。それでも、きっとお貴族様のところに連れ戻されるよりはましだぜ。ひゃっひゃっ。」
スクイージが、アリスを値踏みするかのように見た。まさにアリスこそが、スクイージにとっての道端に転がっていた何かなのだろう。つまり、アリスという少女を使って金儲けをしようということだ。
「まあ、嬢ちゃんなら、お金のほうが集まってくるかもだけどな。」
「んー。」お金という言葉にアリスが考え始めた。
ダメだよ!!
この子はいろいろいかん。子供で王女だからしょうが無いけど、ちょっと素直すぎ。悪意に弱すぎる。親はどんな教育してんだ?親はあの国王か。
もう、状況が最悪に近い。このままいくとアリスはちょっとやそっとのひどい目じゃすまない状況に陥ってしまう。
「な、な?いい話だろ?嬢ちゃんのできないことを俺がやる。嬢ちゃんは嬢ちゃんしかできないことをヤル。なかなかいいと思うんだが。ってあれ?ん?」アリスが少し考え始めたのを見て、これはしてやったりとアリスに近づいてきたスクイージだったが、はたとアリスの顔をみて止まった。「はて、別嬪の嬢ちゃん?どっかで会ったことないか?」
「ないわよ。たぶん。」汗を拭き終わったアリスが髪を下ろした。
まぶしい金髪がふわりと舞って、いつもの凛々しくも可憐なアリスが出現する。
「あんた・・・?」スクイージが絶句した。
「ん?どうしたんだよ?」スタンが、スクイージが突然青くなったのを見て訊ねた。
アリスがヤバッとばかりに今更横を向いて、布巾を盾にして顔を隠した。
うすうす思ってたけど、自分が王女であること忘れてたな。
「お前、アリス王女だろ!!」スクイージが大声で叫んだ。「何でこんなところに王女様が居やがる。」
「どうした。どうした。スクイージ。」瓦礫のような壁の裏から、のそのそと騒ぎを聞きつけた人たちが集まってきた。うわ、この辺り、こんなに人居たのか。すでに最悪と思っていた事態がさらにその向こう側の最悪な展開へと進み着く。次々とボロをまとった人々がゾンビのようにアリスたちの周りにはい出てきた。
スタンは何が起こったか解らず、アリスとスクイージを交互に見上げている。
アリスはバレちゃったらしょうがないかとでも言うように、顔を隠すのを止めた。
ちょっと追い込まれたら、すぐ開き直るのやめようよ!
人が集まってきたせいで、【ネズ子】がアリスたちを覗き見ていた穴から引っ込みたがった。ときどき暗がりに戻ろうとする【ネズ子】を何とかなだめながら、アリスたちの様子を引き続き覗き見る。【ネズ子】の視界に入る範囲だけで20人くらい集まってきているようだ。
「王女様がこんなところになんの様だ?俺たちをこんな場所に追いやっただけで飽き足らず、笑いに来たのか!」スクイージが叫んだ。
「私はあなた達を追いやったりしてないわよ。」アリスは憮然として答えた。
ってかヤメテ!刺激しないで!
「なにを言うか!お前ら貴族が金をむしり取って俺たちをこんなところにおいやったんじゃねぇか!」スクイージがアリスに詰め寄った。
「貴族たちは別にあんたのことなんかどうとも思ってないと思うし、それこそあんたに何かしたことなんてないと思うわよ?」アリスは腕を組んでスクイージを睨み上げた。「そもそも、あんた、取られるほどお金持ってそうに見えないし。」
アリス、ほんともう、刺激するのやめて・・・。
スクイージはアリスが一歩も引かなかったのでその場で止まった。が、顔を真っ赤にしてアリスを睨みつける。
アリスも微動だにしない。
一触即発だ。
周りの群衆も二人のやり取りの行方を注目して見守った。「ほんとに王女なの?」「そっくりだぜ?」「こんなとこに居るわけない。」などとひそひそ声が聞こえる。今でこそ観客の群衆だが、いつ暴徒と化すか解らない。その時は少なくともアリス側につくことはないだろう。
マズいな。どうにか兵士たちが駆けつけてくれればいいのだが。昨日の夜の【あの兵士たち】から、アリスがスラムに居ることは王城に伝わっているだろうか。
自分は【ネズ子】の中からアリスとスラム住民のやり合いを心配そうに眺めつづけた。
「この服の違いをみろ!」スクイージが自分のぼろぼろ服を乱暴に引っ張った。拍子に破れかけていた胸元が少し割けた。「俺たちの金を巻き上げて、お前ら王族がそんな豪勢な服を着てるから、俺たちはこんなボロしか着れねぇんだ。」
「この服は私のじゃないわよ。」アリスは間違ったことは訂正する人間だ。「これは私のメイドの服よ?」
「うるせえ。そんなことをいってるんじゃねぇ。てめえらが贅沢してるから俺たちが貧しいんだ!」
「あんた、農民なの?」アリスが訪ねた。
「農民に見えるか?農民がこんなところに居ると思うか?」
「じゃあ商人?」
「商人の訳あるか。こんな身なりで商人がつとまるか?」
「工夫とかお医者さんとか。」
「そんなわけあるか!きちんとした仕事が無いからこんなところに居るんだ。」
「? じゃあ、そもそも納税すらしてないじゃない。別に何も取られてないのに何で貴族に怒ってるのよ?」アリスが心底不思議そうに訊ねた。
「な・・・。」スクイージが怒りのあまり目をまん丸くして絶句した。
「仕事しなさいよ。」アリスがにべもなく言った。「あんたが働らけばすむことじゃない。そうすれば納税も増えるから、邪魔しないわよ。」
「その仕事がねえんだよ!」
「そんなの知らないわよ。やることなんて山ほどあるでしょ?できることもたくさんあるでしょ。まずはそれからしたら?犯罪じゃない限り止めないわよ?」
「てめえらには分かんねえんだよ。貴族様は黙ってても金が入ってくるんだからずりぃんだよ!」
「あなた達が貧しいからって、私が豪華な暮らしをしてはいけないって理由にはならないわよ?他人がずるいからって自分が何もしないで良い理由にはならないわ。自分が不幸せだからって、他人の幸福を妬んで何になるの?状況は改善しないわよ?」アリスが淡々と言う。
自分より背の高い男に睨みつけられていることも、スラム民に囲まれている状況もアリスにとってはいっさい関係ない。
「それとも、私たちがあなたにお金を恵まないから怒ってるの?私は働いてもいない人間に賃金を払うのはいやだし、大事でもない人間にお金を恵むのもいやよ?」
王女だからって言いたい放題だなぁ・・・。
「それが国民に対して王女の言うことか!?」スクイージが真っ赤になって叫んだ。今にも殴りかかってきそうな勢いだ。
「あなたは私を知っているのかもしれないけれど、私はあなたを知らないのよ。」アリスは言った。「王や王女だからって、個々人を助けるのは役目ではないわ。それに私個人からしても見ず知らずの人間を助けるほどお人好しではないの。」
「貴様!!」そうスクイージが声を上げた瞬間、
「お前たち、なにをしている!散れ!」大勢の兵士達が大声をあげてアリスたちのもとになだれ込んできた。
間に合った!




