9-4 a さいきんの農業改革
次の日。
朝食を終えた、アリスとスラファ、キャロル、シェリア、デヘア、そしてグラディスが会議のために用意された20人くらいが入れる大きな会議室に集まっていた。
このあと、学士院の面々がやって来てここで会議が始まる。
ヘラクレスは例によってサボっている。
エウリュスも部屋には居ない。「このような侍従風情が王女殿下と同じ壇上で会談をするなどとんでもない」とグラディスの事を指さしたため、アリスに激ギレされて追い出された。
スラファがけだるそうに机に突っ伏していた。やけに消耗している感じだ。
「スラスラ、お疲れね。」アリスは心配そうにスラファに言った。
「アリスン私、もう社交会出ない・・・。」
「なんで!?どうしたの?なにがあったの?」アリスが驚いて尋ねた。
「みんなにアリスンの学校の時の話聞かれるんよー。」スラファが大きくため息をついた。
「?。??」アリスがスラファの答えの意味が解らず不思議な顔をした。
まあ、アリスの『あの』学校生活に公に話せる事なんてないよな。
ちょうどそこに扉を叩く音がした
学士院のメンバーのご到着だ。
学士院のメンバーは歳をとった人間ばかりなのかと思っていたが、若い人間が多かった。昨日アリスが話した貴族本人も何人か混じってた。以前国政会議で話をしていたオネステッド卿なんかがそうだ。皆、どちらかと言うと頭脳派寄りな印象だ。
互いに軽い紹介と挨拶をすますと、アリスはいきなり本題に入った。
「データを見させてもらったわ。」アリスは言った。「とてもいいまとめだった。」
アリスは昨日のパーティーのあと例の本棚の資料のすべてを読み込み、頭の中に入れていた。
こういったハイスペックさがあることを普段のアリスを見ているとついつい忘れてしまう。
そんなアリスは昨日はほとんど寝ていない。データを頭に叩きこんだ後、ずっと何やら計算をしていた。
「データを見る限り、問題はたった一つ。」アリスは席に着くなり言った。「一人当たりの小麦の生産量が少なすぎる。」
「大量に作っても売れないのです。結局海外品の価格に負けているので、量を作ったところで売れません。」
「仮にアキアの畑フル回転で小麦を大量に作ったとしても、輸入小麦の底値に対してようやくトントンなのです。二期作が出来れば上手くいくかもしれませんが。」
「我々の所でも一度二期作は試したのですがあまりうまくいきません。土がすぐダメになってしまいます。」
「私どもの地域では雨季が収穫とかぶるため、二期作がそもそもできません。」
学士院の人々が口々に反論を述べた。
「いくら作っても小麦では大きな儲けになりませぬ。それに畑当たりの作れる量にも限界があります。」学士院の一人がやはり反論を口にした。
「今の話、あなた達の考えに二つ、間違いがある。」
みんながアリスを見つめた。
「一つ、小麦をつくれってのが国の命令だけど、小麦で儲けろってことじゃない。」アリスが言った。「小麦は国内需要を満たしていれば良いの。」
「もしかして、二毛作ですか?」オネステッド卿が言った。「いくつかチャレンジしたのですがやはり土地が持ちません。」
「小麦と合うものを育てないとダメ。」ここぞとばかりにデヘアが言った。「豆なら、二毛作したほうが土地は死ににくい。」
「しかし、同じ土地で植物を続けすぎるとどんどん土地が痩せていくものなのでは?」
「多分、豆の使う栄養と小麦の使う栄養が違うと推察。豆は小麦の使わない養分を使って育つ。そしてそうやって育った豆の葉や茎や根には小麦に必要な栄養を持っているのではないかというのが私の仮説。豆の根っこにあるこぶがその栄養だと思う。今、そのこぶについて研究している。」
「なんと、そうなのですか?」学士院の一人が少し興味を持った様子で言った。「しかし、アキアは雨季はありますが、それ以外は水が少ない。水が潤沢なところ以外では育てられる作物には制限があります。豆は少し厳しいかもしれません。」
「それはアリスが何とかする。」
デヘアが王女の事をしれっとアリスと呼んだので学士院の面々に動揺が走る。
「豆の二毛作についてはインフラを整えるわ。人手にはあてがある。」アリスは続けた。「その代わり、その分の費用は各領主に負担してもらう。私も多少負担するわ。」
「殿下。申し訳ありませんが、我々の所にはそこまでの余裕はございません。」学士院の一人が言った。彼もどこかの領主のようだ。
オネステッド卿も辛そうに頷いた。
「あなた達が想像しているよりも格段に安く済ますつもりよ。それに豆が上手くいけばじわじわ回収できるわ。」
「アキアは農業地域ゆえ、大工がかなり少ないのです。工夫の単価も高くなっています。それ故にアキア全土で用水をとなると相当な額になるかと。」
「そこも任せて。この後そのあたりの細かいところは説明する。まずは全体を理解してもらわないと繋がらない。」アリスは言った。
「たしかに、インフラが繋がり、豆で二毛作をすれば土地が死なないと言うのが本当であれば、豆で儲けて小麦の負債を埋めるという考えかたはありですね。」オネステッド卿がこのままでは話が進まないと思ったのか、アリスの案を後押しした。
「小麦でも負債はダメだと思いますの、その分豆の値段が上がってしまう。結局今度は安い豆が入ってきた時に負けちゃいます。」と、スラファが反論してきた。
「ええ、だから、少なくてもいいから小麦でも儲けが出せるようにはしないとダメ。作ると赤字の商品なんて作る意味がない。それじゃあ、アキアの農業を取り返したとは言えない。だから一人頭の小麦の生産量を赤字では無いレベルまでは増やすわよ。」
「畑の面積を増やすのですか?」
「もちろん、休んで居る畑は復活させる。」
「作っても売れないから休ませているのです。それを復活させた程度では外国の小麦には叶わない。新たに開墾にも手を付けるということでしょうか?」学士院の一人が尋ねた。
「小麦を作り過ぎたって売れないわ。豆も作るのよ?人のお腹には限界があるもの。」アリスが即座に答えた。「隣国も小麦の生産能力を上げ過ぎて余っちゃったからこっちに流してるんでしょ。」
「とすると?」
「それが間違っている事の二つ目。」アリスは言った。「少ないのは一人当たりの生産量なの。小麦の総生産量じゃない。」
「もしかして、小麦を増やすのでなく、農民を減らすという事ですか!?」真っ先に口を開いたのはグラディスだった。
「そうよ。」アリスは首を縦に振った。「国内で消費する小麦の量は人口で決まっている。売れる量と価格から逆算すると農民が多いわ。」
「なるほど、それは一つの手段だ。」オネステッド卿少し真剣に考え始めた。
「そこまですれば、貴族商取引法の穴を突けると?」別の貴族っぽい学士院の一人がアリスに訊ねた。
「穴っていうか、貴族商取引法の価格ってアキアに課せられた目標値なんでしょ?」アリスは答えた。「私たちは貴族商取引法が無くなっても大丈夫な値段まで小麦の値段を落とさないといけない。今、一部の貴族たちは宝石や他の輸入品と抱き合わせで小麦を輸入している。輸入小麦の商人も貴族のほうも儲かっている。だから、仮に同じ価格に下げた程度ではまだ足りない。諸侯にとっては仕入れ値が似たようなものなら海外の人と取引したほうが宝石の儲けの分良いのよね。諸侯を通じないって手もあるけれど、結局、そうやって買ってもらうためにはアキアの小麦は輸入小麦よりずっと安くしなくちゃいけない。」
「・・・・・・いったいどこまで価格を下げろというのです。」学士院の一人が眉をひそめた。
「そこまでは解らないわ。ペストリー家の取引内容から逆算しましょう。抱き合わせで入手した宝石での儲けが概算できると思うわ。」そう言ってアリスはキャロルに声をかけた。「キャロルン!」
「はい!」
「あなたのお父様、小麦の輸入してるでしょ?それに付随してて同時になされた物品の取引の対照表を回収してきて。税金として払われた物品も併せてね。」アリスはキャロルに言った。「提出しなければ潰す、ごまかしても潰す、ちゃんと提出したら対照表の内容については不問にする、と伝えて。」
「承知しましたわ!このキャロルにお任せくださいまし!!」キャロルはアリスに頼られて大喜びな様子だ。
喜んでるけど、場合によってはあなたの実家潰れるんですが。それはいいのか?
「つまり、やりたいことは二つ。豆を使って利益率を上げる。小麦については赤字にならないところまででいいから一人頭の生産量を上げる。良い?」
グラディスとデヘアを除いた。皆が頷いた。デヘアは興味がない。グラディスはなんか苦い顔をしていた。農民を辞めさせるというのが引っかかっているらしい。
「まず、これから二毛作するにしても、小麦のほうが先に植え付けになるから、まずは小麦の生産量を高くするための施策が優先ね。小麦を作っている間に豆の準備をしましょう。」アリスは言った。「小麦の生産量を上げるにおいて、やるべきことを示していくから意見を頂戴。」
アリスは一息おいて、質問や反論を待った。しかし、学士院の面々は特に口を開かなかった。
「やる事その1、税の見直し。新しい生産条件での徴収額を決めなくちゃいけない。まあ、ぶっちゃけ増税。」
真っ先にそれかい。
学士院の面々にも動揺が走る。
「一人当たりの生産量を上げるのはむしろ大幅に増税するためよ。農民たちの取り分を差っ引いた分を私たちが回収するの。小麦をただで大量に徴税する訳だから、その分流通させる小麦の単価を下げられる。これから生産量が上がるし、豆でも儲かるから農民の生活自体はかならず良くなるわ。だから増税するとしたらこのタイミングなのよ。」
「そんなの、農民たちが納得しますかね。」
「徴収の仕方があるのよ。」アリスは言った。「むしろ、歓迎されると思うわよ。」
学士院の面々は顔を見合わせた。そこまで納得はできていないようだった。
「やる事その2、さっき言ったように、休んでる畑は復活させて、農作物に関わる人間の数は減らす。」
「アリス様、辞めた農民たちはどうなってしまうのでしょう。」そう言ったのはグラディスだった。
「しかたあるまい。」アリスではなくオネステッド卿が答えた。「アキア全体が窮地なのだ。多少は身を切らねばならない。農民を減らすというのに活路を見出すのは悪くないと思う。」
「アキアの民はアキアそのものよ。簡単に切り捨ててはいけないわ。」納得いかなそうなグラディスの代わりにアリスが答えた。「グラディスの言う通り、そこが問題。ここを上手く回すのが最も大変。それが、やる事その3、農作物に関われなくなった人間を何か別の職業につける。ペストリー伯や中央がやった業態変換は正しいと思う。」
「新しい職業とは?」
「まずは、土木作業ね。豆用の治水とかいろいろやってもらう。豆用に雨季に水を貯められるため池を考えているわ。」
「なるほど、先ほどおっしゃっていた安い工夫のあてとはこの事ですな。」
「そ。」
「でも、それだとみんなで農業しているのと同じになっちゃうから、今までと同じことになっちゃうんじゃない?」と、シェリア訊ねた。
「そうなのよ。農業止めた人が農業関連の土木整備だけで食つなぐと、農業しているのと同じことになっちゃう。これは過渡期の一時的なものでなくちゃいけない。だから、ここの支出は私と各領主持ち。私達がこの仕事を提供している間に、畑を捨てた人たちに農業からの転換を果たして欲しい。農民や貴族に余剰ができるようになれば何かしらの職業が発生するはず。私たちはそうなるように回していかないといけない。アキアは大工が少ないそうだから、一部はそのまま大工になれるわね。」
ちょっとついていけなくなってきた。
会議参加者も大部分が話についていけてないようだ。勉強会メンバーは余裕で理解しているのか涼し気な顔だ。キャロルですらそうだ。デヘアは寝ている。
「しかし、農民が土木工事なんて出来ますかね。」
「それもまかせて、いい感じの先生たちを手配済み。」
「というわけで、以上3つが小麦についてやる事のポイント。まずは小麦について一人当たりどのくらいの面積を保有させるか、税をいくら取るかのなどの数値についてある程度計算してみましょう。多分数字を見れば、これが上手くいくことが理解してもらえると思うわ。豆については、まだデータと準備が足りない。インフラの工事にいついては早めに始めたい所だけど、豆の植え付け開始は半年以上後だから、そっちのほうの細かい数値の決定は後にしたいわ。何か意見は。」
「計算などしなくても解る。農民を思い切って減らすのは良い作戦だ。豆の事が本当で水利の原資が確保できれば、この作戦は上手くいく。」オネステッド卿が言った。
「減らした農民の再就職も考えないとダメよ。」アリスがオネステッド卿に釘を刺す。「特に大きな反対意見が無いようなら、少し数字をはじいてみましょう。」
大まかな改革案についてのすり合わせが済み大きな反対が無さそうと見ると、アリスたちは今度は詳細を詰め始めた。
アリスたちは、グラディスがあらかじめ手配しておいたサンドウィッチを取りながら、休憩抜きで夕方まで話し合いを進めた。
話し合いが進み、少しずつ数字が出来上がってくるに従い、学士院たちの目にやる気と希望の光が灯ってきたのが分かった。
アリスのやろうとしていることは簡単に言うとリストラだ。農民の数を減らせば、その分お金が浮くので外国の小麦とも戦えるようになるという事だ。
「農地の再編はスラスラと学士院中心にお願いできる?辞めてもらう農民の募集は私から領主たちに依頼するわ。」
「OK。」スラファが任せてとばかりに握りこぶしを作った。
「あと、豆について。豆の準備と手配は私とシェリア。」
「大丈夫だよアリスちゃん。」シェリアが答えた。
「それと、各地域で豆をどうやって作るか、作れるのかのデータ取りをしたい。これはグラディスとデヘアに任せたいわ。その土地土地で豆づくりに必要な物を学士院に要求して。」アリスは続けて指示を出した。「学士院の面々にはグラディスとデヘアのサポートをお願いしたいの。地理的にどこにため池を作ると効率的かも学士院が決めてちょうだい。」
学士院の面々がそれぞれ頷いた。
グラディスとデヘアは言われたことが呑み込めず不思議そうな顔をしている。
「デヘア、アキア各地を回って豆で二毛作できるかを決めて来て。」アリスは不思議そうな顔をしているデヘアに言った。「それから、グラディスはデヘアについて行ってサポート。地理と気候条件とかをデヘアに伝えてあげて。ヘラクレスもつけるわ。」
「え?私も行くのですか?」グラディスが驚く。「アリス様は?」
「エウリュスとここに残る。」
「デヘア。グラディスと一緒に各地で二毛作ができるかどうかの選定をお願い。」
「??」
「んんと、アキアでいろいろな植物見てきていいから、その場所で豆ができるか見てきて。あと各地で豆の育成に足りないものを詳しく教えて。必要な水の量も。」アリスは言った。「豆ができなかったら好きなものを二毛作してもいいわ。」
「おお、やる。」デヘアの声からちょっとうれしそうな感じが漏れた。
「小麦との二毛作前提よ。売れるなら食べ物じゃなくても良いわ。任せる。あなたが良いというものをお願い。そのために足りないものがあれば私が準備する。」アリスが言った。「悪いけどひと月以内でお願い。」
デヘアはアリスにVサインをした。グラディスはメイドなのに突然とんでもない仕事が降ってきたので困惑している。
「農民を減らす件については、各領主の説得をしなくちゃいけないから私が担当ね。諸侯がダクスに来ててくれて助かったわ。」アリスは言った。「シェリアはミスタークィーンに連絡の準備を。豆の材料の手配と水利工事についての依頼を進めたい。シェリアに伝えればすぐにミスタークィーンに伝わるって、って手筈になってるはずなんだけど?」
「大丈夫だよ。」シェリアが答えた。
「ひと段落着いたらお願いすることになるので、すぐアポが取れるように用意しておいて。」
詳細とスケジュール、分担もすべて決めてしまった。
「参りました。いままでで一番上手くいきそうな気がする。」オネステッド卿が言った。
「当然上手くいくわ。一人当たり石高を上げて小麦の値段を下げるところまでだけなら、絶対にいける。」アリスは言った。
「計算は完璧ですの。」キャロルがアリスを後押しするように言った。
「私は正直心配です。特に原資の確保が。」学士院の一人が言った。「皆様協力してくれるでしょうか。」
「計算通りに行かなかった領地については切り捨てて考えるのよ。」アリスは答えた。「まずは上手くいった領地だけでも成功させる。そうすればみんなついて来る。最初はアキア全体が成功しなくたっていい。それこそ、各領地の中で計算どおりにいったところが少しでもあれば良いの。後はそれをなぞればいい。」
「そう言われると、少しだけ気が楽ですかな。」
「しかし、殿下が加わっただけで、みるみる間に決まってしまった。」別の学士院の貴族が言った。「学士院ができて1年、何も進まなかった事がとても面目ない。」
「私も領主として恥ずかしい思いだ。」
「決めるのなんて時間も努力もいらないじゃない?良いほうを選ぶだけじゃん。」アリスはいつもの天然ぶりであっけらかんと言った。
普通それができないんだがなぁ。妬ましい。
アリスはそう言ってから、自分の前に置かれていた学士院のデータがまとめられた本を持ち上げて言った。
「でも、このデータは一朝一夕では出来ない。みんなの努力と苦労の賜物でしょ。私がたった一日でしたことなんて大したことないわよ。」




