9-3 a さいきんの農業改革
アリスの乗った馬車は一面の草原を走っていた。
馬車にはアリスとグラディスとヘラクレス、そしてデヘアが乗っている。
グラディスはアキア出身とのことだから里帰りになる。
一応、ウィンゼルもついてきている。彼女は馬車の扉の取っ手に座って窓の外をアリスと一緒に眺めていた。
今回、ネオアトランティスはお留守番だ。カルパニアが面倒を見ることになっている。
旅立ちのアリスはしばらくの間べったりと窓に張り付いて初めて見る城の外の景色を眺めていた。王都の外に出るのが初めてだったアリスは窓に張り付いたまま、興奮気味に窓の外に見つけたものについてあれやこれや騒いでいた。
のどかな風景も目に映るものすべてがアリスには斬新だった。
昨日も一昨日も宿に泊まればば、また大騒ぎだった。アリスは初めて見るものについて子供のように逐一訊ね、グラディスが答える。そんな感じのやり取りが小一時間続くのだ。
ヘラクレスもグラディスも楽しそうなアリスを嬉しそうに眺めた。
デヘアはそういうのは興味ない。植物じゃないから。
アキアへの旅も数日が経つと、しばらく同じ風景が続いたせいか、ようやくアリスは少し落ち着いてきた。
少し飽きてきたアリスは窓の外を眺めながら、グラディスとデヘアの話にぼんやりと耳を傾け始めた。
なんと、この数日間で意外にもデヘアとグラディスの気が合ったのだ。
グラディスが草花に詳しかったり農業について詳しかったりしたので、植物しか会話の出入口がないデヘアと双方向で話が通じたのだ。アリスとの会話のように情報の流れがデヘアからアリスへの一方通行ではなかった。グラディスは本を読んでいるだけでは分からないリアルな情報をデヘアに提供できたし、デヘアの話にも共感ができた。
デヘアのほうも家柄や職種で人間を判断しない。彼女にとって人間とは植物の話ができるかできないかのツータイプしか存在しない。
馬車の中で二人は農業談義に花を咲かせていた。デヘアはアリスと初めて話をした時のように笑顔だった。
グラディスとデヘアは、現状アキアの問題点について、アリスを差し置いて話し合っていた。その二人の会話をアリスは興味津々に聞いていた。
植物オタクとメイドがアキアについて話し合い、アキア再建の命を受けた王女がそれを聴講する。
上下逆な気がするが、デヘアとグラディスの二人以上の会話を行える人間はおそらくそうはいないだろう。デヘアは農業を研究しているこの国随一かもしれない植物オタクだ。グラディスはアキア出身で過去に農業に触れ合ってきており、なおかつ学もある。そして、何といってもデヘアと普通に会話ができる。
アリスは今回のアキア改革に関して、この国で有数の手駒をすでに手にしているのではないだろうか。
「アキアでは3年に一度、栽培をお休みさせることで、土地が疲れるのを防いでいます。」
「多分、そんなには要らない。小麦の年一作なら、毎年でも大丈夫なはず?」デヘアは言った。「麦は帰している?」
「どこも帰しているはずですわ。」
なんの話だろう?
二人の会話はだいたいこんな感じだ。こっちはついて行けない。
アリスにも理解できなかったのか必死で耳をそばだてている。アリスは二人の会話が重要だと捉えているようで、二人の会話に割り込んで自分の解らないことを訊ねるような事はしない。
「うーん。帰すのが少ないのかも。腐葉土も混ぜる。」
「腐葉土は小麦にはあまり良くないと聞きましたが。」
「種類による。私知ってる。でも、豆を育てるからだいじょうぶ。豆を挟むと、土地が疲れにくい。」
すでに馬車の中でアキアの改革はこの二人によって開始されている気がする。
と、馬車の後方からものすごい大声がした。
「そこの馬車!止まれ!!」
一同が窓を開けて外を覗く。
馬車の後ろに居たのは馬に乗り甲冑をまとった男であった。馬で必死に追いかけてきている。
エウリュスだ。
早いな。
取るものも取り合えず、追いかけてきたらしい。
「そこな馬車は王女殿下の馬車であろうか?」
「そうでございますよ。旦那。」御者が答えたのが聞こえた。
アリスが御者に声をかけ、馬車は速度を緩めた。
「やっと、ほんとの馬車に会えた・・・。」エウリュスがほっとしたように言ったのがうっすら聞こえた。
エウリュスは窓越しに覗き込むように馬車の中を見渡した。
「王女殿下におきましては、ご機嫌麗しく存仕上げます。」エウリュスは大きな声でそう言ってから、胸を張って甲冑を叩いた。「わたくしは誉れ高き近衛騎士団所属のエウリュスと申し・・・うわああっと!。」
馬上で急に背筋を伸ばしたものだから、馬が驚き、エウリュスははずみで大きくよろめいた。
「『やっと』って?あんた、ほかの馬車にもこれやってきたの?」アリスが窓の外のエウリュスに声をかけた。
「は。いち早く王女殿下の元へと馳せ参じるため、追い越す馬車すべてを確認してまいりました。」
「恥ずかしいからやめてよね。」
「も、申し訳ございません・・・。」開口一番アリスにダメ出ししたものだから、エウリュスが小さくなる。
「近衛騎士よね?」アリスがエウリュスの鎧の胸に飾られた紋章を見て言った。「お父様の使い?」
「殿下のご明察の通りです。殿下の護衛をするよう拝命いたしました。」
「別にいいのに。」
「そこの者。」エウリュスが今度は馬車の中のヘラクレスに向けて声をかけた。「そなたは平民であり、傍使えでないにもかかわらず、王女殿下の馬車に同乗するなどというのは不相応であろう。」
あ、こいつ、こういうタイプか。
「というか、お前は殿下の護衛の兵士ではないのか?」
それな。
「そば使えでもない平民風情が王女殿下と同じ馬車に乗るなどがあってはならぬ。無礼千万なうえ、怠惰であること甚だしい。」
「いや、私、馬持ってませんので。」ヘラクレスはめんどくさそうに返した。
「ならば、私のを貸そう。」
「いやぁ、騎士さんの馬に私が?それこそ恐れ多い。」ヘラクレスは珍しく低姿勢に言った。「なんせ、騎士さんの馬には騎士さんみたいな立派な人じゃないと似合わないでしょう?」
「それはもちろん当然なのだ。」
「それに私みたいな平民が王女の馬車の外を警護していたとあっては、王女殿下の評判に関わりますよ?」
ヘラクレスがこんな卑屈なことを言うとは思わなんだ。
アリスもそう思ったらしく、ヘラクレスをじっと睨んだ。
「ほら、王様の周りなんて騎士さんの中でも選ばれた方しかいらっしゃらないじゃないですか?」ヘラクレスは相変わらずエウリュスをよいしょしまくる。「それは、王様の警護に平民の私のような人間がいてはいけないからです。だから、私なんかが馬車の外で目立ってはいけないんですよ。」
「そ、それもそうだな。」と、エウリュス。
「そのような大役をこなせる人なんてこの国では少ないでしょう?」
「ふむ、なるほど。」
「あなたみたいな騎士さんが見張っていればとても絵になると思うんですけどねぇ・・・。」
「何を隠そう、私は王直属の誉れ高き近衛騎士の騎士なのだ。王女殿下の警護のためここに参った。」エウリュスはもう一度自己紹介した。たぶん褒め上げれば何度でもするな、こいつ。
「おお、王様はなんと慧眼なことか。見目麗しきアリス殿下の護衛に相応しき貴方のような御人を派遣なさるとは。」ヘラクレスのよいしょがすげぇ!こいつ意地でも馬車の中で楽していたいとみた。
アリスが顔を信じられないものを見るような目つきでヘラクレスを見やった。きっと今、駅前で酔っ払っていびきかいて寝ているサラリーマンを見るような目をしているに違いない。
「ふむふむ、たしかにお前のような平民に王女殿下の護衛などはなはだ無理な話であった。」エウリュスが自信満々の顔で答えた。「王女殿下の護衛は私が勤めよう!」
「ええ、騎士の中の騎士であるあなた様のようなかたでなければ務まりません。王女を守る騎士としての栄誉は、あなたのような立派な貴族でないと釣り合いませんとも。」ヘラクレスがここぞとばかりに持ち上げる。「私のような平民はいざというときに肉壁となるのが務め、ですので王女のそばに控え居なくてはならないのです。」
「ふむふむ、そうであったか。」
「アリス殿下からも、声をかけて差し上げてください。」ヘラクレスがアリスを促す。
「・・・エウリュス、頑張ってね。」アリスが少し呆れた感じでヘラクレスの要請に乗った。
「は!!!ありがたき幸せ!!」エウリュスはそれでも大喜びだ。
が、エウリュスの返事がアリスに届く前にヘラクレスがピシャリと窓を閉めた。
「ちょろいもんです。」
「あんたねぇ・・・。」アリスが呆れた声を出した。
「ああいうのは、適当に褒めて使っとくのがいいんですよ。」
「それは別に良いけど、あんたアミールの騎士でしょ?あんな態度でいいの?」
「あっ。」ヘラクレスがハッとしたような顔をする。こいつ忘れてたな?「い、いや。べ、別にほら、役割分担を決めただけですよ?ほら、あ、珍しい鳥が飛んでますよ。アレッ!?」
露骨に話を逸らそうと、大袈裟に外の鳥を見て驚くヘラクレ・・・アレッ!?
「話逸らそうとしたってだめよ、あんたが卑屈に見られるとアミールまで卑し・・・・えっ!?ネオアトランティス!?」
馬車と並走して飛んでいたネオアトランティスがアリスを見てキリリとどや顔をした。
こいつ脱走してきやがった!カゴはおろか搭すらも出れるんじゃねえか。
「む、そこの鳥!!これなるは王女殿下の馬車であるぞ!」窓枠外からエウリュスの大声が聞こえた。「畜生のくせに無礼である。離れよ!」
馬車の窓にエウリュスがフレームインしてきて、ネオアトランティスを追い払おうと剣を振り回し始めた
「クケェ!」ネオアトランティスが上空、エウリュスの剣がギリギリ届かない辺りに対空する。
エウリュスは剣を振り回すが、ネオアトランティスにからかわれるようにギリギリでかわされている。
「ちょ。」エウリュスを止めようと、アリスが慌てて馬車の窓を開けた。
あ。
アリスが窓を開けた瞬間、ネオアトランティスに届かせようと馬上で伸びあがったエウリュスが落馬して、はるか後方に流れて行った。




