8-1 c さいきんのギルド運営
「ネルヴァリウス=ヴェガ王のおなり。」騎士が大声でそう宣誓した。
一同が前を向いて、静粛になる。
そして、騎士のラッパの音とともにネルヴァリウス王が入ってきた。
こうやって公の場での姿を久しぶりに見た王は前にもましてやつれていた。正直長くはあるまい。アルトは何を持って一年持つと言ったのだろう。アリスに向けての彼のやさしいウソだったのだろうか。
「活発な議論。何よりである。」王は玉座に着席すると厳かな声で言った。ジュリアスを見て少しほほ笑んだような気がした。「報告すべきはすべて済んだか?」
「アキアのセリオウス代表の報告を残すのみです。」ロッシフォールが口を開いた。
「そうか。では、セリオウス、報告をせよ。」
「はっ。」セリオウスと呼ばれたのはさっきオネステッド卿の隣で声を上げた貴族だった。「アキア公領、およびアキア中央群、東方領はオネステッド卿の報告せし西方領同様に、農業からの減収が悪化の一途をたどっております。」
「うむ。」王は一言そう言って片づけた。「苦労をかけるが、今後も自助努力を絶やさぬよう。」
ほとんど何も言ってないに等しい王の言葉に、オネステッド卿の周りに居た貴族たちに落胆の表情が浮かんだ。
「では、これより、王女アリスの公爵任命の議を執り行う。」王は今までの会議の流れをぶった切って宣言した。「アリス。前へ。」
「はいっ!」途中で飽きていたにもかかわらず、脱走も居眠りも我慢したアリスが返事をして、貴族たちの列から中央のカーペットに進み出てきた。
せっかくなのでジュリアスに移ってアリスの晴れ姿を見ることにする。
そこには幼いアリスは無かった。神々しく、厳粛で、それでいて清楚で美しい、大人の女性がそこにはあった。
貴族たちが息を飲んだのが分かった。
アリスは王の前に進み出ると、赤いスカートをふわりと舞わせて膝まづいた。アリスの新しいドレスが広間の床に大きな円形の赤い花を咲かせた。
「王女アリスよ。そなたにアリス公爵の名を与える。」
「ありがたく拝命いたします。」アリスがうやうやしく頭を下げた。
「ここに、アリス公爵の誕生を宣言する。」王が高らかに声を上げた。
アリスは黙ってもう一度深く頭を下げると、毅然と立ち上がり、元自分のいた場所に戻って行った。
意外と何事もなく簡単に終わるのね。そりゃあ、来なくていいかアリスが尋ねたくもなるわな。
「アリスには公爵としての初仕事としてアキア地方の立て直しを命じようと思う。意見を述べよ。」アリスが元の場所に戻るのを待って王は唐突に宣言した。
「陛下!?」声を上げたのはケネスだった。
王の発言はケネスの目論見とは違うのか。
「王よ。それは政界に入ったばかりの殿下にはあまりに酷な命かと存じます。」ロッシフォールも意外にもアリスを助けるような発言をした。
王の発言にうろたえたのはケネスとロッシフォールだけではない、この場のすべての貴族たちが、アキアの貴族たちも含め、皆ざわめき立っていた。
「アリスでは役者不足であると言うか。」
「残念ながら。」ロッシフォールは頭を下げた。
「我々もそう思います。」ミンドート公も同意した。隣ではジュリアスも頭を下げている。
「この国の農業の改革は一朝一夕でして良いものではありません。」ケネスも声を上げた。
「そもそも、そのアキアの困窮の原因の一端がアリス殿下の立ち振る舞いにございます。」最前列ではない貴族の中からも声が上がった。
トマヤだった。
トマヤも反対なのか?
「アリス殿下が都市下で勝手に農作物を生産し、税率をかけることも無く安値で市場に回しております。それがアキアの財政状況をより一層圧迫しているのでございます。」トマヤは言った。
「その通りでございます。」トマヤの隣に居た貴族が追随して意見を述べ始めた。「アリス殿下が栽培した芋が安く市場に出回っているため、我々としても小麦を市場に投入しづらくなっております。アキアの皆様には心苦しいのですが、私共はアキアからの小麦の取引を少量とせざるを得なくなっております。」
「誠かね?ブラド侯爵。」王が今意見した貴族を名指しで尋ねた。
「まことにございます。王女殿下の考え無き行動が少なくとも我々の領地にとっては大きな迷惑となっております。その代償として我々はいろいろと他の分野でのやりくりを行っております。ひいては、同朋たるアキア諸氏との健全な交易を抑えざるをえません。」名指しされた侯爵が胸にこぶしを当てて答えた。
「そんなにたくさんは流通させていないわよ?」アリスが反論する。
「国単位としてはそうでしょうが、この王都の東の一角を治めるバゾリにとっては大きな問題にございます。」ブラド候は答えた。
ブラド候の発言にトマヤの隣に居た貴族が大きく頷いた。彼がバゾリなのだろう。
「恐れながら陛下。芋の流入以外にも王女殿下の考え無しの所業が我々に迷惑をかけております。王女殿下の後先を顧みない行動のため、ただでさえ貧しいスラム街になお貧富の差ができ始め、治安が悪くなっているのでございます。その影響は私の担当する王都の東地区に大きな影響を及ぼしております。」バゾリと呼ばれた貴族が付け加えた。
「王女殿下ですので公爵になるのは仕方ございません。ただ、そのような問題を起こすような人間を国の大事な政に参加させるのはいかがかと存じます。」トマヤが堂々と上申した。
なんか、農業の問題からアリスの糾弾に話がすり替わってしまった。
「スラムの人々の暮らしはみな良くなっていましてよ。」アリスは少しムッとした様子で言った。「それに治安が悪くというより、スラムのみんなの活動が活発になって目についているだけだと思いますわ。皆様の地域に迷惑をかけるようなことはしていないと思いますけど。」
「スラムの人間の暮らしが良くなったからなんだというのだね?」トマヤが返した。「その様なおままごとで国の政に関与したとでも思っているつもりか。」
「カツアゲや偽商品での詐欺なども横行している。」バゾリも憤慨したように反論した。「そもそも汚い格好で街に近づかれること自体が迷惑なのだ。」
「税は払わず、犯罪は起こす。汚いものをまき散らす。」ブラド侯爵も続いた。「最近はスラムのごろつき共が徒党を組んで暗躍しだしたと聞きます。」
「これからは税も払いますわ。納税方法については今4公の間で検討中とのことです。犯罪については何かの間違いでしょう。」アリスが反論し返す。
「間違いも何も、被害にあっている者が何人もいるのですぞ。」バゾリは仰々しく大声を張り上げた。「殿下の王様ごっこが引き起こした問題で我々はいたく困っているのです。あのような場所はふたをして放っておくか、消してしまったほうが良いのだ。」
「殿下はあくまで王女なのです。形だけの公爵が、他の諸氏のまねごとをされても迷惑なだけです。」今度はトマヤが静かに言った。「自分の周りだけ整えて、他の者には迷惑をまき散らすような殿下に国の仕事が務まるとは思えませぬ。」
「まあ、スラムのような場所だからこそ領主として釣り合って相応しく見えているだけではないでしょうかな?」トマヤの隣に居た別の貴族が少し声を大きめに言った。
合わせて、エラスティア側に居た何人もの貴族たちが声を上げて笑った。
面白かったからではない。
彼らがアリスをどう思っているかを伝えるために笑ったのだ。
「諸君。アリス公爵には、問題となっているスラムの大掃除をお願いするのはいかがでしょうか。」ここにきてロッシフォールがついに声を上げた。これは4公会議で話し合われていたもともと提案する予定だったことだ。「自らの引き起こした事は自らで決着をつけていただく。必要であれば芋畑も廃して貰っても構わん。」
「それは、妙案ですな。」トマヤがニヤリと笑った。「殿下の広げた風呂敷だ。殿下ご自身の手でたたんでいただきましょう。」
「陛下。飼い犬に鎖もつけずに餌だけ与えて、人を噛んだのに知らんぷりなどというような事が許される訳ございません。殿下もお若いとは言え、もう子供ではございません。」ブラド侯爵がアリスを盗み見るように確認した。「殿下にはご自身のしでかしたことの責任を取らせるのがよろしいかと思います。」
「我々はあのような小汚い場所にはとても参れませぬ。」バゾリも言った。「恐れを知らぬ殿下にこそふさわしい仕事かと思います。」
「王よ。いかがでしょうか?」ロッシフォールも彼らを後押しするかのように尋ねた。
ロッシフォールやトマヤたちはアリスの手でスラムを取り締まるように誘導するつもりのようだ。アリスが取り締まれば、スラムとアリスの間に軋轢が生まれる。それを狙っているのだろうか。
「ふむ。確かにアリス公爵の成したことであれば本人が責任を取るのが当然なるな。」王は言った。「アリス公よ、まずは自身の起こした問題を片付けよ。ブラド侯、バゾリ伯、アキア諸氏よ。それでよろしいな?」
「は。ご英断感謝いたします。」トマヤが言い、周りにいた貴族たちが深く頭を下げた。
「失敗したとて、何ら問題のない気楽な仕事でございますしな。出来れば綺麗にスラムを消し去っていただきたいものです。」ブラド侯爵がアリスに向けて言った。
「陛下。拝命いたしました。」アリスも受諾した。「スラムを掃除するとなると人手が要りますわ。兵士を何名か貸していただくことは出来ますでしょうか。」
「いきなり兵士の借用ですか。」アリスの言葉に王が口を開く前にトマヤが真っ先に声を上げた。「アリス公爵。貴女はこの件で国に税を納めていない。そして、これは貴女の起こした問題だ。いの一番に国に対して兵士を要求するなどと恥ずかしくないのですか?」
「・・・・。」アリスがトマヤの言葉に口を閉ざした。
王は動かない。アリスのことを試しているのだろうか?アリスがどう切り返すのかを待っているのだろうか?
アリスも腕組みしたまま何か打開策でも考えているようだが言葉が出てこない。
「スラムの大勢の人間を取り締まるには、武力が必要です。徒党を組んでいるならず者が居るならなおさらだ。」ジュリアスが助け舟を出してきた。「必要なら私が兵をお貸ししましょう。」
「ベルマリア公、甘やかすのはよろしくございませんな。」こんどはブラド侯爵が声を上げた。「これは王女殿下が自ら解決すべき話。殿下の責任の問題なのですぞ。それに、協力をまず仰ぐならばバゾリ伯爵にお願いするのが場所としても筋でございましょう。もちろん何かしら通すべき筋は通していただかなくてはなりませんが。」
ブラド侯爵はそう言ってアリスをニヤニヤと眺めた。
「協力?むしろ王女殿下がわたくしどもに協力してスラムの人間を追い出すのが筋でございましょう。」バゾリ伯は不機嫌そうにそう言ってアリスを睨んだ。
彼らはアリスに兵を貸さずに嫌がらせをするつもりらしい。アリスがスラムの人間を取り締まれずに手をこまねくのを狙っているようだ。
「バゾリ卿に協力すべきとはいうのは何故か。スラムをバゾリ卿の管轄とするならば、そもそもアリス公が責任を負わねばならないという点から間違っていよう?」ジュリアスが反論した。
「私は被害者なのですぞ。」バゾリが言った。「殿下は何の謝罪も報告もせず、あまつさえ私が迷惑しているのが嘘だとまでおっしゃられているのです。そこまでおっしゃられるのであればご自身の手で何とかしていただくのがスジでございましょう。」
「バゾリ卿が困っているというのなら、なおさら誰かが兵を出さねばならぬであろう。これは王女殿下の問題だけではなく国事でも・・・。」
ジュリアスに食い下がったところで、ジュリアスの真後ろから「パン」と手を叩く音がした。
さっきまで、しばらく黙って考えていたアリスだった。
「分かりましたわ。皆さんのおっしゃる通りですわね。」アリスはジュリアスの助け舟を豪快に無視して言った。「だいたい理解したので行って来ますわね。」
「「は?」」論戦を重ねていたジュリアスと貴族たちが、いや、王も他の貴族たちも、アリス以外のすべての人たちがアリスがさらっと言った言葉の意味を計りかねてアリスに注目した。
アリスは衆人が見守る中、広間の真ん中のカーペットまで進み出た。そして、王に優雅にお辞儀をした。
「陛下、お先に失礼いたしますわ。」
「え?」頭の回転がアリスの行動についていけなかった王が威厳もへったくれもない声を上げた。。
アリスは皆が言葉を失って見守る中、クルリとスカートを舞わせて振り返ると、言葉通りそのまま出て行ってしまった。
「あいつは、一人で何しに行くってんだ・・・?」ジュリアスの横でミンドート公が信じられないものを見たかのように呟いた。




