軽戦車って、それは無いでしょう!
昭和十一(1936)年、帰国した俺はとうとう運命の戦車に関わることとなった。
その始まりは七月だった。八九式軽戦車に替わる新歩兵直協戦車の開発計画が持ち上がった。
なぜ、八九式が軽戦車のままなのか、史実においては中戦車へとクラスチェンジしているはずだった。本来なら10トンまでを軽戦車、それ以上を中戦車とし、重戦車とはこの当時20トン越えを指した。九五式重戦車とかいうカスも作られはしたが、あっという間にお蔵入りとなった。
ところが、この世界では少し歴史が変わってしまっている。変えたのは俺だ。
九五式軽戦車の開発にあたって、ある報告書を提出している。そこでは欧米の情勢として、軽戦車は概ね主砲として37ミリ砲を採用しており、その砲弾に耐えるために20~30ミリの正面装甲を持つのが標準となっており、重量も10~13トンに達していると記していたからだった。このことから、日本でも軽戦車を13トン程度、戦闘重量では14トン程度までは軽戦車とすることに決定された。
そのことで、将来型軽戦車は日本においても12トン程度を目指し、欧米戦車と伍する主砲が必要であるとしていた。
のだが、この会議の席上で発表された案は非常に不満なものだった。空冷ディーゼルは既に当たり前であったが、問題は主砲だった。
A案はあくまで八九式の任務を引き継ぐものとして、短砲身57ミリ砲の継続採用した12トン戦車。
B案は九五式が優秀であることから、その車体に57ミリ砲を載せることを軸にした7トン戦車
C案は俺の主張である対戦車戦を主眼に置いて長砲身47ミリ砲を装備した16トン戦車。
作戦課は
「今回の戦車において必要なのは歩兵支援、しかも、軽量であることが望ましいのでB案が優れている」
軍事課は
「歩兵支援は言うに及ばず、インフラが心もとない。進軍時においては仮設橋程度で渡河することも多いのだから10トンを超えないことが望ましい」
戦車学校は
「装甲が薄いB案は頂けない、少なくとも、対戦車砲に対応できる装甲が必要である」
戦車学校の主張はまだマシなのだが、それだけだった。レベルの低さに付いていけなかった。
「皆さんは一体何を見て、何を議論されているのでしょうか?世界の趨勢は、『戦車の敵は戦車』なのです。歩兵の支援をするにも、まずは敵戦車を排除し、わが方有利な状況を作り出さない限り、作戦遂行はままなりません。そのためには、まず、敵戦車を撃破し、しかる後、敵陣地を蹂躙する必要が生じます。そのためには、最低でも敵戦車の主砲より威力を持つ砲を持ち、敵の砲弾を防ぐ装甲を備えた戦車としなくては意味がありません。敵戦車を排除してしまえば、相手の備えは手薄になります。機関銃陣地の破壊や対戦車砲の破壊には多少威力の低い47ミリ砲をもってしても十分可能なはずです」
俺はそのように主張したのだが
「敵戦車の排除は九五式戦車で事足りるのではないか?」
という意見が盛んだった。いくら反論してもらちが明かなかった。
「では、将来的な対戦車戦闘を考慮に、A案に爾後47ミリ砲装備が可能な余裕を持たせるという事でどうだろう?」
結果的に、幾度かの会議で出された回答はそのようなものだった。
正直、あれだけ言ってこの程度かという失望しか湧いてこなかった。
そうは言っても、いつまでも小田原評定をやる暇はない。その間に試作を始めた方が早いという事で、結局は妥協することになった。
やる気が起きないのだが仕方がない。こうして57ミリ短砲身を主砲とする戦車の開発をスタートさせることとなった。基本設計は九五式同様にトーションバーと直巻きバネ付きダンパー併用式の足回りとして車輪を4個から5個に増やして車体の長さと幅を増して将来47ミリ戦車砲の搭載に対応させている。砲塔も当初から47ミリ砲前提の大型なものを載せ、主砲と同軸に機関銃を装備することとなった。今回から6.5ミリではなく7.7ミリとなったが、まだ箱型弾倉のままである。
こうして設計を行い、実際の試作車が完成すると、重量は12.5トンに達した。戦闘重量は13トンを超えることになるが、今の基準では14トンまで軽戦車なので、これは軽戦車となる。
装甲も正面は30ミリにしてあり、傾斜と相まって一応の防御力は備えていると思う。
そんなやる気が無い試作を行っていた昭和十二(1937)年七月、あの盧溝橋事件が発生した。事態は日に日によく分からない展開を見せ、下旬にはとうとう交戦が拡大、八月に第二次上海事変が起きたことで決定的となった。
本来なら、競作として10トン程度の軽戦車も試作されているはずだったが、俺の頑強な抵抗で初めから12トン戦車一択となり、事変によって採用が決まるという状況には至っていなかった。
このまま、史実を見ればノモンハンまで対戦車戦闘を意識することなく57ミリ砲なんだろうなと思っていたのだが、11月には衝撃的な情報が飛び込んできた。
作戦自体はほぼ成功裏に行われているのだが、ソ連製のT26軽戦車が共産軍に渡っており、ドイツの教練を受けた国府軍にも37ミリ砲を装備した火力強化型のL-60が存在しているというのだった。しかも、防御力で劣る日本の戦車、装甲車は次々撃破されたという。幸いな事に、数が少なく、組織的な運用はほとんどされていなかったので、九五式軽戦車が敵を撃破して事なきを得たが、今後の作戦に重大な影響が予想されるとして、急遽、新戦車に急ぎ37ミリ戦車砲を搭載した型を制作しろという指示が出された。未だ試作すら始まっていない47ミリ砲も至急開発に入る様にと指示が出されている。
相手は軽装甲だが、砲の威力では明らかに敵が上だった。特にT26には45ミリ砲が装備されており、完全に俺の指摘通りの展開となってしまった。
新戦車こと、九七式軽戦車はすぐさま37ミリ砲へと換装され、バタバタと制式化され、生産が急がれることとなった。
ホント、事が起きないと動けない日本の悪弊だよ、これ・・・




