旨い話には……
結局アデラが参加できるパーティーは今のところ仮面舞踏会くらいしかない。
会場に入る前に仮面を渡されるが、アデラの素顔を知る者は少人数存在している。入口で仮面を渡す者だ。
彼らも既に仮面をつけたままではあるが、しかし会場入口で他者と遭遇するような事がないようにしているのもあって、アデラはその事実に気付いていなかった。
それはまるで幼い子供が、休日は全ての者に共通していると思い込んでいるかのように。
既製品のドレスしか手に入らなかったとはいえ、それでも毎回同じドレスなのもどうだろうと思ったアデラは、ドレスに刺繍をしてみたりちょっとした小物をアレンジして、どうにか前回と全く同じという状況は免れているものの、しかし見る者が見れば一発である。
一度くらいの遊びなら手を出してもいいかな、なんて思ったある種ゲスな思考でもって近づいた男性が今回もアデラに声をかけるかと思われたが、しかし今回は違った。
仮面で顔を隠しているといっても、アデラだって気付かないわけではない。
あらこの人、前にも確か……なんて気付く者もそれなりにいるのだ。露骨に声を変えているならまだしも、そうでなければ声で気付く。
だからこそその人物はアデラにとって初対面であると言えた。
「ねぇ君、聞いた話だとこんなところじゃなくてもっと煌びやかなパーティーに参加したいんだって?」
「え、えぇ、そうね。参加したいわ。でも……」
思い切りその話題に飛びつきたかったけれど、しかしアデラはそうしなかった。
がっつきすぎていると思われたくなかったのだ。
既に周囲が充分それを把握しているとは思ってもいない。
「何度かここで君をみかけたけど、他の……誰かに頼んだりしなかったの? パートナーとか」
「だって」
何度か、と言われた事でアデラは今話しかけてきている男の情報を脳内で探す。
けれども全然記憶にない。
「あの、顔もわからないのにあたしの事、そんなわかりやすい?」
男の問いにこたえるよりも疑問が勝ってしまって、アデラは思わず質問に質問で返していた。だが男はそれに気を悪くした様子はない。
「そうだね、結構わかるよ。雰囲気とか、立ち居振る舞いとか。そういうの、わかりやすいんだ。
それに」
「それに?」
「可愛いからね。たとえ顔が見れなくても、全体的に」
「そ、そう……?」
「うん」
顔の下半分だけが出ている男の口元が笑みの形になっているのを見て、アデラは思わずつられるように笑った。
口説き文句としてはどうかと思うくらいベタなものだけど、褒められて嫌な気分はしない。
そうでなくとも最近のアデラは褒められるという機会に恵まれていなかったのもある。
別邸での生活は、仮面舞踏会と言う刺激を知ってしまってからは退屈でしかなくなってしまったし、けれどもここでの遊びもまんねりだと思うようになってしまったのだ。
だからといって、明らかに自分を遊んだ後捨てるだろうなと思う相手に身を任せるつもりもなかった。
アデラは勉強が得意ではないけれど、それでも損得勘定ができないわけではない。勘だけどなんとなく避けた方がいいかも……と思った相手とは露骨に揉めないように距離を取ろうと試みるくらいはしていたのだ。
相手からすればアデラのその程度の抵抗は何の意味もなかったけれど、面白がって放置されただけだ。
いつかその気になれば、如何様にもできる。それがわかった上で、相手の余裕によって見逃されているに過ぎない。しかしアデラは気付かない。気付いていない。無事にどうにか自力で逃げおおせたと思い込んでいる。
それらを踏まえてじわじわと逃げ道を塞がれつつあったのだが……それすらアデラは気付いていなかった。
ベタベタな口説き文句で簡単に落とせると思われて、この後二人きりでどう? なんて明らかに身体の関係を迫ってくるような相手だったらアデラも早々に退散しているところだったが、この男はそうではなかった。
口調も穏やかで、男女の関係を望んでいる風でもない。
だからついアデラも相手の話に耳を傾けつつあった。
「連れてってあげようか?」
だから。
「え?」
「パーティー。こんな顔を隠して誰が誰なのかもわからないようなやつじゃなくて、ちゃんとしたやつ」
突然すぎる申し出に、アデラは最初何を言われたのか理解ができなかった。
「いい、の……?」
「君が良ければ」
「でも」
「でも?」
「あたし、あまりドレスも持ってなくて。飾りだってないし、ちゃんとしたパーティーだと、そういうのもちゃんとしてないと駄目なんでしょ?」
一応父に強請れば既製品のドレスは手に入る。新品の、綺麗なドレス。けれども同じように仮面舞踏会に参加している女性たちの装いを見れば、途端に新品のアデラのドレスはみすぼらしく思えるものだったのだ。
アデラと違い、他の参加者女性たちは間違いなく貴族だ。自分のためのドレスを一から誂えているのだと、アデラだって見てわかるものなのだ。
であれば、アデラが着ているドレスについても見る者が見れば明らかだろう。
確かに綺麗なドレスではあるけれど既製品でしかないこのドレスは、アデラのためのものではない。
他の誰かが着ても似合うような、その他大勢のためのもの。
誰が着てもそれなりに似合うだろう、個性も何もないドレス。
そこに少しだけとはいえアデラなりのアレンジを加えていても、それすら微々たるものでしかない。
細やかなアレンジなど、最初から最後まで自分のためとして作られたドレスと比べれば印象が薄れるのも仕方のない事だった。
アデラが想像するようなお城や立派なお屋敷で行われるパーティーに参加したいという思いは確かにある。
もし参加できるなら、その時は自分のための自分だけのドレスを強請りたいという思いもあった。
けれどもナタリアはアデラに優しくなどしてこないし、父も母もあまり頼りにならない。
今までは頼りがいのあるはずだった父は、しかしナタリアが当主となった時点でただ別邸で飼われているだけの存在に過ぎなかった。そしてそんな父に縋っているも同然である母と自分は、それよりももっと脆い位置にいる。
それくらいは理解していたし、けれども理解したからといって受け入れられるかは別の話だ。
しかし目の前にぶら下げられた餌をキッパリと振り払うような真似を、アデラはできなかった。
「それじゃあ、用意してあげようか?」
「えっ!?」
あまりにも旨すぎる話ではないか。
そう思ったのが相手にも伝わったのだろう。
実はさ……なんて男はそのまま話し始めた。
曰く。
パートナーが今領地に戻っていて、今回は参加を見送ろうと思っていた事。
けれども友人も参加するらしく、しかも滅多に会う機会が無い事から折角ならそこで会って話をしようと誘われている事。
だが、パートナーを連れずに行けば未婚女性に話しかけられるだろう事。
それらを断る手間が面倒だから、だったら自分のパートナーとして参加してくれそうな相手を連れていけばいいと考えた事など。
「一応普段パートナーをしてくれている相手の了承も得たからね。僕はその後友人と語らう事になるから君の相手はできないだろうけれど、君も君で他に誘われたならダンスをするも良し、用意された食べ物や飲み物を味わうも良し。下手な騒ぎを起こしたり明らかに相手がいる人に誘いをかけたりして揉め事を起こさなければ好きにしていいよ」
お城のパーティーと比べたら駄目だけど、でもそれでもここと比べれば充分立派なパーティーさ。
なんて言われてしまえば。
「本当に……いいの?」
「君さえよければね」
「でもドレスだってそれ以外だって用意するってなると」
「こっちから誘ったんだからそれくらいはするよ」
「え、えぇ……」
アデラは戸惑っていた。
今まで仮面舞踏会以外のパーティーにも参加したいと願ってはいた。
けれども頭の片隅では、薄々叶わないのではないかとも思っていたのだ。
ナタリアが言うようにきちんとした礼儀作法や教養を身に着けたならそれも夢ではなかったかもしれないが、あまりの厳しさに早々に諦めたのはアデラ自身。
もう一度頑張ると言ってもナタリアは聞き入れてはくれなかったので、一生憧れ続ける事になるのだろうなとすら思っていたのに。
それは言うなれば、痩せたいダイエットしなきゃ、と言いながら結局何もしていないかのようなもの。
アデラにとってのきちんとしたパーティーは、それと似たような立ち位置へとなってしまったのである。
だがしかしそれは今、現実のものに変わろうとしている。
これを断れば次の機会は永遠にやってこないかもしれない。
そしたらきっと、後悔するなんてものじゃない。
きっと、一生あの時ああしていれば……となるに違いなかった。
参加して恥をかいて後悔するかもしれないけれど、でも行かないままならきっとずっと一生引きずる。
そう考えて、アデラは男の誘いに乗った。
「えぇ、だったら是非、お願いしたいわ」
顔も知らない男の誘いに乗るなんて……と思いはしたが、しかし男に、じゃあこれから予定を詰めようか、なんて言われて。
男が参加予定のパーティーが行われるのは一月先だと言う。
それだけの時間があるのなら、本来パートナーをしてくれる相手だって領地からこちらに来れそうなものなのに……と思いはしたがアデラはそれを言わなかった。
下手な事を言って、じゃあやっぱり君とはなかった事に……なんて言われてしまえばと考えたのだ。
男と二人、テラスへと移動して、そこでそっと男は仮面を外して見せた。
そして名前と身分などを告げる。
男は伯爵家の人間であった。
ナタリアと同じ身分。アデラは男の家名を聞いてもピンとこなかったが、ナタリアに聞けば教えてもらえるだろうか……?
そんな風に考えていたのが伝わったのか、男は少しばかり困ったように笑う。
「リコット女伯爵の噂はよく耳にするよ。まだ若いのに大したものだ。
彼女にこの事が知られたら恐らく阻止されるかもしれない。うちとリコット家とは派閥が違うから。あぁ、敵対しているというわけではないんだけどね?」
そう言われてしまえば、ナタリアにこの話をしない方がよさそうだ。そう判断して、アデラも同じように仮面を外していた事で、神妙な顔をして頷いてみせた。
アデラは決して外出に制限をかけられているわけではない。
だからこそ昼の間に外に出て、少し離れた場所から迎えの馬車に乗りアデラのドレス一式を用立てる。
それは決して難しい話ではなかった。
後日。
アデラは男に言われた待ち合わせの場所へ向かった。
男の言葉が嘘で騙されたのだとしても、ぬか喜びするだけで被害はそこまで大きなものではない。
夜に来いと言われていたのなら犯罪の可能性も考えたけれど、昼で待ち合わせの場所は人の通りが多いところだ。危険はそれほど感じられなかった。
待つ事しばし、馬車がやって来て、アデラは男の言葉が嘘ではない事を知った。
そうして連れていかれた先はアデラが行った事のない店。高貴な者以外の立ち入りを禁じていると言わんばかりの雰囲気で、普段のアデラが足を踏み入れようとすれば間違いなく早々に追い出されそうな――そんなアデラにとって縁のなさそうな店だった。
パーティーは一月後。一からドレスを仕立てるには少々時間が心もとない。
金に物を言わせて急がせれば可能かもしれないが、男がアデラのためにそこまでする義理はない。
だからこそ、既製品のドレスに手を加える形でドレスを仕立てる事となった。
そうはいっても、アデラが親に強請って買ってもらったドレスよりも質の良いドレス。既製品と言えどもむしろこのままでも充分だと思えるようなもので、アデラはこれに更に手を加える……!? と少しだけ躊躇ってしまった。
けれどもその躊躇いもすぐに消えた。
アデラが自分自身で手を加えてアレンジした物と、そもそもプロが手を加えた物とを比べる時点で間違っていたのだ。
まるで魔法のように鮮やかに案が決められていく。
ドレスのサイズもアデラに近しいサイズというわけではなく、驚くほどにピッタリだった。既製品だという事でそのあたり懸念もしていたのだが、何も心配する必要がなかった。
ドレスが決まれば後はそれ以外だ。
ドレスに合う靴。アデラを飾る装飾品。
親に強請ったところでこれほどまでの一式をそろえるとなれば、絶対に無理だろうグレードの品々。
これを、自分が身につけて構わない……?
信じられない気持ちのままそれらを見るアデラの瞳は、かつてこれからアデラは貴族の娘になるのだと父に言われて浮かれていた時のように――いや、それ以上にキラキラと輝いていた。
細かい部分の仕上げには少し時間がかかると言われて、それでもアデラは待ち遠しかった。
早くパーティーの日がこないかと胸躍らせて日々を過ごした。
折角のパーティーなのだから、誰に誘われても綺麗に踊れるように……と自分の部屋の中でステップを何度も繰り返すなんて事もしていた。
そして当日。
アデラはいつものように屋敷を抜け出して、そうして向かったのだ。
夢に見たパーティーに。
アデラが今まで参加していた仮面舞踏会は、少しばかり薄暗い照明である事が多かった。
相手の顔が正確にわからないように、お互いの姿を誤魔化すように。
明るい場所もあったけれど、全部が全部明るかったわけではない。
けれども今日、男に連れられて向かった先は。
アデラが思い描くパーティーそのものといった雰囲気で。
シャンデリアに照らされたホールはどこもかしこもキラキラ輝いていて目に眩しい。
それだけではない、周囲の人たちも皆仮面をしていないのだ。
アデラは顔を晒すのであれば、とメイクも気合をいれて準備してきたのだが、ドレスを着る際にそのメイクだと合わないと言われてメイクはやり直されてしまった。
けれど、やっぱりちょっと薄くないかな……? と思い始めるくらいには、周囲は輝かんばかりで。
どこか退廃的な雰囲気もあった仮面舞踏会とは違う、どこを見ても眩しさ溢れる場。
楽しそうに会話に花を咲かせる者や、優雅に踊る者。
アデラを連れてきた男は事前の言葉通りに友人の元へ行くらしく、
「それじゃあ後は楽しんでくれ」
そう告げて離れていった。
「あ……」
わかってはいた。
わかってはいたけれど、それでもここまで連れてきたのならパートナーとして一曲くらい踊るのではないかと思っていたのでアデラは思わずどこか空気が抜けたような声を出してしまった。しかし男は振り返る事もなく去っていく。
男の後をついていくべきかとも思ったが、流石に親しいわけでもなく単に表向きのパートナーとして連れてきただけのアデラを男だって友人に紹介しようとは思わないだろう。
憧れていたと言っても過言ではないパーティー。
けれども男の言うように、果たして本当に楽しめるものなのか……仮面舞踏会と違ってここでは顔を晒している。故に、誰かのパートナーに下手に声をかけるような事をすれば相手に睨まれる可能性もある。
仮面舞踏会では気になった相手とその場の流れに身を任せるように動く事もあるので相手連れかどうかなどあまり気にする事もなかったのだが……それこそ明らかに今パートナーと行動していますよ、というようなのでなければ。
けれどもここではほとんどがパートナーを伴っている様子だった。
あの人素敵、なんて思っても隣にいるのはこれまた素敵な美女なのである。
アデラは自身の外見に自信があるけれど、しかしそれでも今目をつけた男性に声をかけて、隣の美女から奪えるか……と考えて無理だと判断した。決してべたべたくっついているわけではないが、周囲の空気がとても甘ったるい。むしろ下手に近づいたら自分が当て馬になりそうだった。
素敵な誰かと一緒に踊りたいけれど、素敵だと思った相手にはほぼ確実にパートナーがいる。
丁度いい感じの人が見つからず、仕方なしにアデラは会場の片隅に用意されている食べ物の方へと足を運んだ。しぶしぶといった感じで手を付けて、次の瞬間目を輝かせた。
思っていたよりも美味しかったから、下がった機嫌は早々に吹き飛んだ。折角来たんだし、なんて言い訳するように呟いて、あれもこれもと気になった料理を取り分けていく。
そうして食べる事に集中していたら、知らぬ間にアデラの近くに誰かが近づいていたらしい。
「んっ!?」
「あぁ、失礼。あまりにも美味しそうに食べているものだから」
苦笑とともに言われて、アデラの頬がさっと赤く染まる。慌てて口の中のものを飲み込んで、うふふ、と誤魔化すように笑った。
単純に見られているだけならアデラもそこまで慌てたりはしなかった。
けれどもそこにいた相手が、とんでもない美形だったのである。
先程ちょっと素敵、なんて思いながらも隣にパートナーがいた男性よりも。
ぶっちゃけて言えば、さっきちょっといいなーなんて思った相手以上に今声をかけてきた男性はアデラにとってどちゃくそ好みだったのである。近くにパートナーらしき女性もいないし、向こうから声をかけてきたのならこの機会にぜひともお近づきにならねば……なんて思い始める。
けれどもアデラのそんな意気込みはあまり意味をなさなかった。アデラが行動に移るよりも先に、男によろしければ一曲踊りませんか? なんて誘われてしまったので。
顔を赤らめたまま、アデラは頷く事しかできなかった。
本当はもっと素敵な淑女然とした態度で何かを言うべきかと思ったのだが、目の前の男性にすっかり舞い上がってしまい、上手く言葉が出せなかった。
男にエスコートされる形で移動して、そうして曲に合わせてステップを踏む。
ダンスに関してだけは練習もしていたし、仮面舞踏会でもそれなりに踊ってきたから失敗はしないと思っていたけれど、それでも目の前にいるのが自分好みの素敵な男性という事もあってアデラはわかりやすいくらいに緊張してしまっていた。まるで初めてダンスをした令嬢のような頼りなさはあるけれど、しかし男にリードされているので危なげもなく足は動いた。
まさしく夢のような一時だった。
ここに連れてきた男性に楽しんで、なんて気軽に言われた時は本当に楽しめるかどうか不安になっていたはずなのに、気付けばすっかり夢中で目の前の男と踊り、余裕ができてからはステップを踏みながら会話をするまでに至ったのだ。
そこで知ったのは、男がカルロ・マーテリーという名である事。身分は侯爵である事。年齢はアデラより年上だが、しかし思い切り離れているわけではなかった事。
カルロが一つ情報を明かせば、アデラも黙ったままはよくないのではないかと思って同じように自分の事を語った。とはいえ、彼女自身本来の身分は平民である。ここに平民が紛れているなんて知られたら、もしかしたら追い出されるかもしれない。そう思わせるだけの雰囲気は確かにあったのだ。
故にアデラはリコット伯爵家で世話になっている、と言葉を濁した。
この言い方ならどうとでも受け取れるだろうと、どうにかなれと願いながら。
アデラは直接目にした事はないけれど、一部の貴族の中には平民を人間と思わず扱う者もいるのだとか。
身分が高い程そういう傾向がある、なんて話も耳にしたからこそ、アデラは自分が平民だなんてこの場で堂々と言えるはずもなかった。
今目の前で穏やかかつ優しくアデラを見つめているカルロが、アデラが平民だと告げた途端豹変する可能性が無いとはアデラだって言い切れなかったので。
多少言葉を濁す事はあったけれど、それでもカルロはそれを咎めたりはしなかった。
言いたくない事は誰にでもありますから、なんて微笑まれて、アデラの胸のときめきは止まらなかった。
一曲と言わずその次も、その次の曲も踊り続けて、気付けばすっかりアデラはカルロに心奪われてしまった。
楽しい時間は永遠ではない。いずれ終わりがやって来る。
これで終わって、もうカルロに会う事はないのかもしれない……
そう思えば胸が張り裂けそうに痛んだし、もっと一緒にいたいという気持ちばかりが溢れてくる。
いっそ思い切って言ってしまおうかしら……
こんな素敵な人が、自分とずっと踊っていたけど婚約者とかいないのかしら……
いえ、いても構わないわ。愛人でもいい。一緒にいたい。
そんな風に思考がどんどん突き進んでいって、アデラの口からとんでもない言葉が飛び出す直前で。
よろしければまた会って下さいませんか?
なんて言われてしまえば。
言おうと思った言葉はすっと喉の奥へ戻っていって、はい、是非、なんて声へと変わる。
仮面舞踏会でさえ、少しばかりいいなと思った男性とは次また別の仮面舞踏会で出会えたらその時は……みたいな話だった。そして実際に運よく出会える事はなかった。
けれども、と今ではその二度目の出会いがなかった事を幸運だとさえ思った。
もしそこで二度目に出会ってそちらとくっついていたのなら、カルロと出会う事はなかったかもしれないし、出会えてもその時には気軽にカルロに近づく事などできなかったのかもしれないのだから。
家の事情などもあるでしょうから、とカルロがアデラと会う時は直接迎えに行く事はなかった。
事前に手紙がきて、そうして約束の日に待ち合わせ場所へ向かい、そこで迎えの馬車に乗る。
行き先は様々だった。
有名なレストランであったり、人気らしいと噂の歌劇場であったり。
美術館や演奏会などに誘われたりもしたが、悲しい事にアデラには知識が足りなかったので、素敵な絵だなと思ってもその作者がどういった人物であるだとか、この絵が描かれた背景だとか、そういったものはさっぱりだったし、音楽も同様に素敵な曲ね、とは言えてもそれ以上の事は言えなかった。
けれども、そんなアデラに呆れるでもなくカルロは柔らかく微笑むものだから。
この先も彼といるのであれば、もうちょっとお勉強した方がいいのかも……なんて思うようになっていった。
以前はパーティーに出たいとナタリアに我侭を言ってもう一度教師をつけてほしいと強請ったが、あっさりと却下された。けれども今なら。
自分のためだけではなく、カルロのためにももう少し自分は知識を身につけたい。
純粋にそう思ってしまったのだ。
そうしてカルロとは何度か誘われてあちこちに出かけた。その中にはドレスコードが必要な場所もあったが、それすらカルロは用意してくれたのである。
ドレスだけではない。それに合う靴やイヤリング、ネックレスといった装飾品まで用意されて、アデラはただエスコートされるままにしていればいいと言われて、カルロと出会った時のようなパーティーに参加する事もあった。時折自分を蔑むような目で見てきた令嬢がいたけれど、直接嫌がらせをされたわけでもない。
それに、そんな令嬢たちの目から庇うようにカルロが立ってくれたから、アデラはそんな場所に目を向け続けるよりもカルロを見ているだけで良かった。
なんだか巷に溢れている恋愛小説のヒロインにでもなったような気分だった。
アデラにとってカルロはどこまでも理想の王子様のような存在だったのである。
そんなある日、カルロはアデラに言った。
「君さえよければ結婚してほしい」
それを言われた瞬間のアデラの衝撃は凄まじかった。
カルロは侯爵家の人間で、自分は伯爵家で世話になっているだけの平民でしかない。
父が死んだらその後、ナタリアはアデラと母の面倒を見る義務さえないのだ。そうなればきっとあっという間に路頭に迷う事になるのだろう。
そうなる前に、愛人であろうとなんだろうと、生活に困らない相手を見つける必要があった。
しかしそれも難しい状況だったのだ。遊び相手としてなら、貴族の男性であっても見つかるだろうけれどしかし末永く付き合い続けられるような相手は仮面舞踏会で知り合う事はなかったのだから。
遊びでちょっとだけ付き合えたとしても、間違いなくそう遠くない未来で捨てられるだろうな……なんて漠然と思うような相手しか、今までアデラの周囲にはいなかったのだ。
だが、そういった相手に身を任せるような事をせず、いつかきっと素敵な人と出会えるはずだと信じていた甲斐があった。
カルロの言葉はそれくらい、アデラにとって素敵な衝撃を授けてくれたのである。
「嬉しい……あ、でも」
その場の勢いで受け入れて、そのままの勢いでカルロの胸に飛び込みたい衝動に駆られたけれど、しかし直前で思いとどまる。
「あたしの両親も、いずれ追い出されるかもしれないの……あたしだけ出ていくのはちょっと気が引けるっていうか」
両親はきっとカルロとアデラが結婚すると言っても反対はしないと思っている。それどころかむしろ喜ばれるだろうとも。けれど、アデラが嫁いだ後、リコット伯爵家の別邸で生活をしている両親はどうなるのだろう?
カルロと結婚するのなら、アデラは侯爵夫人である。そうなるとナタリアよりも身分は上。
そんなアデラを恐れたナタリアが、先手を打って両親に何か――酷い事をするかもしれない。
ナタリアがそんな人間かはわからないが、アデラはナタリアと親しいわけでもないので、絶対にそんな事はしないとも言い切れなかった。
せめて、両親も別邸とか別の家でもいいから、あの家から一緒に連れてこれないかと言えば、カルロはそれもあっさりと頷いてくれた。
それくらいお安い御用さ、なんて。
準備ができたら迎えに行くよ、なんて言われて、アデラはすっかり天にも昇る気持ちだった。
同時に、社交界に出たいのなら礼儀作法と教養を身につけなさいと言っていたナタリアの言葉に、
「別にそんなものがなくたって、素敵な人は見つかったし見つけてくれたわ」
なんて思った。
なんだ、どうせ出て行く事になるのだから、最後に今まで我慢して言わなかった事とか全部言ったって、いいんじゃないの……?
だってあの勉強は本当につらかったし厳しかったのだ。一時期自分はいない方がいいのではないかと思うくらいに自己肯定感が下がる一方だった。その時の気持ちをぶつけてやっても、いいんじゃない? なんて、そんな風に思ってしまったからこそ。
同時にこれから侯爵夫人になる自分に対して、今までのような態度に出られないよう気をつけなさいと忠告してやる気持ちで。
アデラはナタリアに話があると呼びだしたのである。




