思い通りにはいかなくて
ナタリア・リコットは最近母の後を継いで女伯爵になったばかりのいわば新人女当主である。
本来ならば当主となるのはあと三年後くらいだったのだが、母が病に侵されて先が長くないとなった事もあり、急遽予定を繰り上げた次第であった。
それというのもナタリアの父が何やらよからぬ事を実行しようとしている可能性が高かったからだ。
ナタリアの両親は政略結婚であった。
父の実家がねじ込んできた、政略といっても別に母にとってはそこまで利益があるでもない結婚。
リコット家は代々女性が当主と定められている家だ。しかし女当主という存在は別に珍しくもなんでもない。数代前なら女性が後継者となる事はできなかったそうだが、ぶっちゃけて言うとお家乗っ取りなどをやらかそうとした輩が一定数、一時期急速に増えた事もあって法が改正されたのである。
ナタリアの父親はあくまでも当主の伴侶というだけで、別にこの家の実権を握っているわけではない。
けれども実家と比べれば自由に振舞える事があるからか、いつしか何かを勘違いした可能性はあった。
ナタリアの母は父の事を別に愛してはいない。
親が昔のよしみで、と頼み込まれた結果断り切れずに結ばれてしまったというものでしかない。
それでもナタリアの父は、見た目はそれなりに良かったので母も種馬としてならまぁ……と良かった部分を無理矢理見つけ出した上で結婚した。
他に探せばもっといい男はいたかもしれないけれど、面倒だったのよね――というのが本音であった。
幼い頃のナタリアはそんな話を聞かされて、うわぁ、と素直に反応したのだがそれはさておき。
父親として、当主代理としてという意味では、正直全くこれっぽっちも期待されていなかった。
何故なら父は母と結婚する前から密かに恋人がいたからである。
婿入りするならすっぱり別れるなり別れたくないのなら駆け落ちするなりすればいいのに、母と結婚した上で恋人は愛人という立場にした上でずるずると付き合い続けていたのである。
ナタリアとしても父の顔より執事の顔の方がたくさん見るくらいであったので、正直父親という存在に対して思う事はない。
だが、母が病にかかり先が長くないとされたところで、ロクでもない可能性を教えられたのだ。
ナタリアがまだ後を継ぐ前であったなら、間違いなくあの男は自分こそがこの家の伯爵だと勘違いしてこの家を乗っ取ろうとするかもしれない。
真顔で母に言われた時、ナタリアは「そんなまさか。お父様ってそこまで頭がよろしくないのですか……?」と本気で困惑した。対する母は「良いのは顔だけ」と一切の冗談もない声でこたえた。
母がそう言うのなら本当にそうなのね……と納得した上で、ナタリアは母の言葉を聞いた。
愛人との間には既に子供がいるらしい。
ナタリアの年齢より一つ下の娘。
母が死んだ後、意気揚々と父は愛人とその娘を連れて屋敷にやって来るだろう。
そうしてナタリアを追いやって、愛人との間にできた娘をこの家を継がせようとする可能性がとても高い。
「犯罪ですね」
「えぇそうよ」
「本当にお父様がそのような愚かな真似を?」
「可能性で言うなら九割ってところかしら」
「わぁ。やらない可能性がたったの一割って」
「なので予定から早くとも手続きをした上で貴方をこの家の当主とする必要があるの」
――と、あの時はそれでもまだちょっと大袈裟ではないかしら……? なんて思っていたのだが。
まさか母から当主としての座を受け継いで、その後母が亡くなって間もなく本当に愛人とその娘を連れて屋敷にやってきた父に、ナタリアは「本物の馬鹿がいる」と思わず呟いてしまったくらいだ。
今日から自分がこの家の主人だ! なんて言う父に、しかしナタリアが従う義理はない。
そもそも母の補佐として家の事や領地の事に少しでも貢献したならともかく、そうでもないのだ。
父の実績はナタリアが生まれたというただそれだけ。種馬としての役目を果たしたか、と言われるとリコット家の正式な子供はナタリアだけなので、正直ちょっと微妙である。
せめてあともう一人か二人、弟なり妹なりが生まれていれば話はまた違ったのだが。
愛人との間に子供を一人作られても、それはリコット家に何の関係もないので数に入れるはずもない。
母が死んだあと、既にこの家の実権はナタリアのものだ。
使用人たちだって、ナタリアの味方である。
今までロクに館に滞在すらしていない父がどれだけ偉そうに言ったところで、誰も従うはずがなかった。
何故って、使用人たちの給金を支払うのは父ではなくこの家の後を継いだナタリアなので。
常識を理解していない父に、ナタリアは心底丁寧に説明してあげた。
自分より年下の――というか自分の子供に常識を説かれ、母が死んだ時点で父には何の権利もなくなった事までも。
ナタリアの背後に控えていたリコット家の私設騎士たちが睨みをきかせていた事で、父が暴力に訴えるという手段にも出られず、話が違うわ!? と叫ぶ愛人とその娘に、ナタリアは「お可哀そうに」なんて同情すらしていた。
きっと今まで散々都合のいい事を言われて甘い夢を見せられてきたのだろうなぁ……と。
だがその夢をここで叶えようとすればその時点で彼らは貴族の家を乗っ取ろうとする犯罪者だ。
ナタリアにとって父は一応父親という扱いではあるけれど、ナタリアが当主となった時点で父は引退したも同然である。今の今までロクに何もしていないので引退も何も、という話だが。
もし仮に父がマトモに父親をしていたのであれば。
母が亡くなった後も彼は本邸に住む事を許されていたと思うし、ナタリアが立派に当主としてやっていけるとなり、婿を迎えた時点で別邸などで生活をするくらいは可能だった。
その上で、新たに愛する人を見つけたから再婚したい、というのなら、まぁそれも可能だっただろう。
ナタリアが当主となった時点で父が新たな再婚相手と子を作ったところで、リコット家の後継者はナタリアが産んだ子になるのだから。
けれどもそんな順番も何もあったものではない状態で。
肝心のナタリアと父親の仲は、と問われれば血が繋がってるだけのほぼ他人である。
もうお父様だった方は用済みですので、なんて言って追い出されても仕方がないくらいに今まで父親として何もしてこなかったのだ。
この機会に生家にお戻りになられては? なんて言われても何もおかしくないくらいである。
もっとも、父の生家に戻ったところで彼の居場所は既にないだろうけれど。
かつてナタリアの母との婚約をねじ込んできた父の生家は、ナタリアの父の兄が後を継いだ後、両親は領地の片隅に押し込められたと聞いている。ナタリアにとって父方の祖父母である彼らは、正直貴族としてやっていくには難あり……という感じであったらしく、まぁ色々な噂が聞こえてきた。
このままではあちらの家も危ういと思ったからこそ、父の兄は家を継いだ後、これ以上余計な事をしてくれるなと追いやったので、愛人とその娘を連れて弟が戻ってきたとして、間違いなく居場所など与えられないだろう。
というか、あちらの子爵家にも既に後継者として育てられた令息がいるので、余計なものをつけて戻ってきたとなれば目の敵にされてもおかしくはない。
父は見た目だけは極上である。母もそう言っていた。
そしてそんな父が見初めたらしき愛人も、まぁ、見た目は良い方だった。貴族の女性と比べるとなんというか色々と……ナタリアの美意識や社交界の女性の美の基準からはずれているような気もするが。
ついでにそんな二人の愛の結晶らしき娘も、見た目は悪くはない。
悪くはないだけで絶世の美少女というわけでもないのだが。
最初こそ意気揚々と今日からこの家の女主人よ、とばかりだった愛人も、今日から貴族令嬢として振舞えるとばかりだった娘も。
容赦なく現実を突き付けられた事で、しおしおと萎れていったのである。
力尽くでナタリアを排除しようとしたところで、そうなればリコット家の騎士がバッサリやるのが目に見えている。全てを力で蹂躙できる程の実力を持っているのならまだしも、愛人も娘もそんな剛の者ではない。
ナタリアに気迫で負け、背後の使用人たちや騎士たちに迫力で負け、ついでに最終手段の暴力なども実行したところで数の暴力で負ける。
勝ち戦だと信じていたそれが、実際は処刑台に続く道であった……みたいな状態であった事から。
彼らは潔く白旗をあげる形となったのである。
今の今までロクに役に立った覚えがないとはいえ、それでも父は父なので、大人しくしているのなら別邸で暮らすくらいは赦してやらんこともない、と伝えれば父は即座にナタリアの言葉に飛びついた。
こちらの邪魔さえしなければ生存を許可してやらんこともない、と言う意味なのだがわかっているのだろうか。
別邸で毎月決まった生活費を支給して、その範囲でなら好きに過ごせばいいとは言うものの、しかしそれ以上のことを望み弁えずにやらかせば即座に始末できる環境である。
いつ何が切っ掛けで始末しましょう、となるかもわからないのにそれでもここで暮らす事を選ぶとか、案外図太いですわね……とナタリアは思った。
もしかして何にも考えてないだけかもしれない。
冷静に考えたらむしろある程度の金を恵んでもらった上で旅立った方がマシだと思うのだが、しかし出て行く事を選んだ場合、その先は未知であるわけで。
先が見えない状態よりも、住む場所と一定の額が支給されるという状況なら安定した暮らしが可能な点から、確かにこちらの方がマシに思えなくもない。
危険度的にはどちらも同じように思えるが、しかし、とナタリアは思う。
確かに別邸暮らしの方が良く見えるのかもしれない。
ここを出てどこか別の場所で暮らすとなると、先行きが不安なのもわかる。
けれど、少なくともこの家から離れてしまえば、ナタリアとしてはそれ以上どうこうする気は一切ないのだ。
仮にどこか新天地を求めて旅立ったとして、それを追ってまで始末しようなどとは。
けれどナタリアの目の届く範囲にいるという事は、うっかりナタリアの機嫌を損ねるようなやらかしをした場合、その時点で始末されてもおかしくないのだから、彼らは常に命の危険があると言ってもいい。
先がわからないから、と目先のものに飛びついたけれど、案外どこか別の町で生活しようとした方が、意外と上手くいくかもしれないのに。
もし本当にナタリアの邪魔をするようなら、その時は情けをかける必要もなく本当に始末するつもりでいるという事を、果たして父や愛人たちはどこまで理解できているのやら……
元々ろくに帰ってこないで愛人のところに入り浸っていた父なので、本邸に彼の部屋なんてものはなかった。
一応それらしい体裁を整えた部屋はあったけれど、それは普通に客室である。
その事実にも気付いていなかったのだから、父の頭の出来はお察しだろう。今は亡き母も「顔だけが取り柄」としか言えないのも……とナタリアが嘆息するのも無理はなかった。
別邸はリコット家の敷地内に存在してはいるけれど、そもそも建てられたのは比較的最近だ。
母が生きていた頃に、父の荷物などを本邸に置いておくのを嫌がって作った見た目がちょっと豪華に見えない事もない倉庫である。
一応部屋数もあるので別邸で生活ができないわけではないけれど、本邸と比べるとみすぼらしさは否めない。
美しきリコット邸で暮らせると夢を見ていた愛人とその娘からすれば、その後見る事となった別邸はさぞガッカリするものだっただろう。
それでも平民が暮らす家と比べれば充分お屋敷なのだとしても。
別邸から本邸へ続く道には新たに騎士を配備して父や愛人、更には娘がこちらに乗り込んでこないようにしておいた。許可なくこちらに立ち入ろうとした時は処分して構わないと伝えてある。
己の立場を弁えずにやってこようとした娘が逃げ帰っていくのをナタリアは既に執務室の窓から三度目撃している。
「懲りませんのね……頭の中身までお父様に似たのかしら。
よかったわ、わたくしはお母様に育てられて」
誰かが聞けば憤慨しそうな事を呟いて、それからナタリアはいくつかの書類に手をつけた。
――ケニー・リコットというのがアデラの父の名前である。
リコット伯爵。そう聞いていた。
だったらどうして自分はこんな……そこらの平民と同じ家に住んでいるのかとずっと疑問に思っていたけれど、それには事情があるのだと言われていたから。
いずれ明らかになると信じていたというのに。
蓋を開けてみればケニーは伯爵でもなんでもない。単なる入り婿。妻が死んだ時点で伯爵代理となり身分を勘違いしていた可能性があったが、しかしそれより早く既にナタリアが後継者として女伯爵となっていたと言うではないか。
であればケニーの存在はナタリアにとっては父親であってもリコット伯爵家にとっては既に何の価値もない。
伯爵家のために何か功績を出したわけでもなく、妻が亡くなった時点で娘との関係もほとんど没交渉となれば、再婚相手と共にとっとと出ていって下さっても何も困りませんのよ? とそりゃあナタリアとて言うというのをアデラは思い切り納得してしまったくらいだ。
愛する二人が引き裂かれて泣く泣く父と母は日陰の立場にいるのかとも思ったが、どうもそうではないらしい。
これから貴族のお嬢様として贅沢な暮らしができると浮かれていたのに、現実は容赦なかった。
もう少し早い段階であったなら、ナタリアが家を継ぐ前にリコット女伯爵が死んでいたのなら。
そうしたら父は大手を振って中継ぎの立場としてでも実権を握るくらいはできたかもしれない。
そうしてアデラたちも勘違いして好き勝手振舞っていたかもしれない。
けれども意気揚々とリコット伯爵家にやって来たアデラたちに、ナタリアは猿でもわかるくらい簡単に、それでいて詳しくみっちり説明してくれた。
もしそんな事をしてナタリアが死んだ場合、アデラたちはお家乗っ取りの犯罪者。重罪であるので無事で済むはずもない。
ナタリアが成人した年齢で正式に後を継いだなら、その時点でやはりナタリアを虐げていたアデラたちの未来は真っ暗である。
それならまだ何かをしでかす前にナタリアが女伯爵となった今が一番アデラたちにとっても傷が浅い。
理解はしている。
しているけれど、やはりここに来る直前に思い切り夢を見てしまったせいでアデラは中々諦めきれなかった。
確かに今まで住んでた家より別邸は立派だけれど。
それよりももっとずっと素敵で豪華で立派なお屋敷がすぐ近くに見えているのだ。
同じ敷地内というのもあって、いやでも目に入る。
もしかしたら、自分だってあっちで暮らせたかもしれないのに……!
そう考えると、どうしたって諦めがつかなかった。
嫌なら出ていってもいい、と言われても、ここを出ていっても行くアテなどない。
今まで住んでいた家は父がこれからは屋敷で暮らせると言って早々に処分してしまったので、今更戻ったところできっと今頃別の誰かが暮らしている。
そこに戻ったところでアデラたちにはもうその家に対して何の権利もないのだから、叩き出されたとして文句も言えない。
こんな事になるなんて思ってもいなかったから、戻るつもりだってなかった。
出ていくなら最低限の餞別はお渡ししますよ、と言われてもどこに行けというのか。
ここよりももっと住みやすい場所のアテがあるならまだしもそれすらないのだ。
父の生家がある場所は……? と母が聞いていたけれど、父はそっと首を横に振っていた。
父の生家がある領地は、ここより広いけれど建物よりも畑の方が多い所謂農作地帯であるらしく、戻ったところで兄が家を継いでいるとなれば自分たちの存在を快く受け入れてもらえるかは微妙、との事だった。
仮に受け入れてもらえたとしても、何もしなくていいなんて事もない、と父に言われて。
朝から晩まで農作業に従事する羽目になるとまで言われれば、絶対にイヤ! と思わずアデラは叫んだ程だ。
今までの生活でもお小遣い稼ぎにちょっとしたお手伝いをした事はあるけれど、話に聞くだけでも農作業が大変である事はわかる。アデラはそんな大変な思いをしたくはなかった。
だったら、この別邸で生活している方がマシに思える。
一定の生活費が支給されるらしいし、思い描いていた贅沢はできなくてもそれでも前よりはマシなのだから。
そう言い聞かせて、内心で夢見た贅沢を諦めきれないままであっても、それでもアデラたちは別邸で過ごす事を選んだ。
ところが人間の欲望というのは際限がないものなので。
以前に比べれば確かに豊かな生活を送る事ができるとはいえ、何もかもが自由というわけでもない。
別邸から外に出るにしても、警備の目があるしやはり興味が尽きる事がないので本邸へ近づいた事もあった。
そのたび追い返されたけれど、敷地内から外へ出る事まで制限されてはいなかった。
制限されてはいなかった……のだけれど、それが余計にアデラの胸を燻ぶらせた。
リコット邸の周辺にもいくつかのお屋敷が存在していた。どれもこれも、平民でしかないアデラにとっては一生縁のなさそうな素敵な建物だ。
父が貴族の血を引いているとはいっても、アデラの母が平民で、なおかつ父も貴族としての立場がない以上既に立場としては準貴族みたいなものだと父は言っていた。実際そうではないのだが。
アデラの母と再婚したも同然で既に他の貴族たちからすれば平民と見なされているのだが、アデラは詳しくは知らない。ナタリアに説明された時に、だからアデラが思い描くような貴族としての生活はできないのだ……と漠然と思いはしたけれど、それだけだった。
貴族のお嬢様として自分のまわりにも使用人やメイドたちが傅いて蝶よ花よとちやほやしてもらえると思っていたのが完全にアテが外れたのもあって、外を出歩いても少しばかり気まずいのだ。
今までアデラたちが暮らしていた平民たちばかりが集まる場所と違い、こちらは貴族街と呼ばれている場所だ。
いかにも下町然としたアデラたちが今まで住んでいたところと比べて、何もかもが違いすぎる。
ゴミ一つ落ちていない綺麗な道路。出かける際に使用される馬車。
普通に歩いている者もいるけれど、それだって今までのアデラだったら手も出せないくらい綺麗な他所行きの服を着て、お洒落だって抜かりがない状態なのだ。
お城のパーティーといったアデラの思い描く貴族の世界のキラキラだって、アデラの想像力が貧困なせいか大体いつもぼやけたものばかりだったけれど、そんなぼやけた想像よりもハッキリとした現実は、アデラを色々な意味で打ちのめした。
今までと比べればアデラも綺麗な服を着ている。
けれども貴族のお嬢様とはとても言い難く、別邸での暮らしは使用人がいるといっても最低限の事を済ませたら後はさっさと撤収されるのだ。特に用事もないけれど呼びつけてあれこれ我侭を言おうとしてもできないのである。
理想と現実の剥離。
今だって充分いい暮らしではあるけれど、身近にそれ以上が存在しているとなれば諦めたくても諦めきれない。
別邸とはいえ貴族のお屋敷生活なのだから、お茶会とかパーティーにだって参加したい。
けれども、どうしたらそういった催しに参加できるのか。アデラにはとんとわからなかった。
貴族になれば勝手に向こうから招待状が送られてきて、参加すれば招待客として持て成されるのだと思うだけのアデラには、そもそも招待してくれる伝手がなかった。
だから父におねだりをしてみたけれど、結果は芳しくなかった。
気まずそうに目を逸らしながら、あぁ、だの、うん……だのと煮え切らない返事しかしない父にアデラは勝手に腹を立てた。
母だって思い描いていた社交界に参加したいに決まってる! と母を巻き込むようにしてみて、実際母も乗り気ではあったけれど。
既に家の実権など何も持ち得ていないケニーになんとかできる手段など、どこにもなかったのだ。
だからこそアデラは行動にでた。
本邸に行くのは禁じられていても、それでもナタリアに必死にお願いしたい事があるのだと警備をしている者に訴えて言伝を頼み込んだ。
結果としてナタリアは現れた。
本邸にアデラを呼び寄せたりはしない。一度でも足を踏み入れたら、二度目も三度目も許されると勘違いされると困るからだ。
だからこそ中庭で。
ナタリアの背後には数名の使用人と護衛らしき者が控えた状態で、アデラとの話し合いは行われたのである。
「社交に参加したい? 無理ね」
「どうして!?」
「だって貴方そもそも平民だもの。招待されるはずなんてないでしょ」
当然である。
ナタリアからすれば思い切り当然な常識でしかない。
ケニーの血を引いていても、彼には何の権力もない。
引退した元伯爵代理――しかも代理として機能する事すらなかった――と、果たして誰が付き合いを続けたいと思うものか。
いや、引退後も引っ張りだこになってる者はいる。
いるけれど、それは現役時代に人脈を築き、色々な結果を出してきた者たちである事が前提だ。
結婚して子供を一人作った時点でさっさと愛人宅に入り浸り、ロクに社交界で貴族の友人たちとの仲を深めるでもなく遊び暮らしていただけのぼんくらと縁付きたい、なんて思う貴族はそもそもいない。
種馬として以外にも何か――それこそ政略結婚だとしてもナタリアの母と共に社交の場に参加してだとか、そういう事すらほぼなかったのだ。
「平民でも優秀であるだとか、そういう誰かしらの目に触れる何かがあるならまだしも、貴方には特に何があるでもありませんから」
「でっ、でもあたし可愛いもん! そこらの着飾ってる子たちよりずっと!」
「でも、別に貴方がナンバーワンというわけでもありませんからね。正直貴方程度の見た目なら、掃いて捨てる程おりましてよ。それに貴方が見た近所の着飾ってる令嬢と思っている相手のほとんどは、屋敷で働く使用人です。低位身分の令嬢も確かにおりますけれど、礼儀作法を厳しくしつけられた平民もおりますの。
それと比べて自分が上、と言われましても……ね」
「えっ!?」
てっきりお嬢様なんだと思っていた相手のほとんどが単なる使用人だと言われてアデラは衝撃を受けた。
あれくらいなら、自分が着飾ればもっと上だと思っていたのに比べていたのが使用人。
「身内からは可愛いと言われていても、それはあくまでも身内だからであって他人からすれば正直、別に……」
心底興味がないとばかりのナタリアにまで言われて、アデラはますますショックを受けた。
それを言ったナタリアが不細工だったなら負け惜しみね! と言えたけれど、ナタリアもまた美しい娘であったが故に。
「貴方のお父様もかろうじて貴族であったのだから、そちらの伝手を使えば……と思いましたが、そもそもその伝手もないのよね」
「なんでっ!?」
「ロクに仕事もしないで愛人……あぁ、失礼、貴方のお母様の家に入り浸っていたからですわ。
社交界でわたくしのお母様の名は知られていても、お父様の名前なんてほとんど知名度ゼロですもの。
噂じゃお母様がどこぞの愛人との間に作った子、なんて言われていた事もありますのよ。困った事に。
貴方のお父様でわたくしのお父様でもあるけれど、つまりそれだけ社交界にいなかったからいない者扱いでしかありませんの。いてもいなくてもどちらでも大差ない、そういう存在ですのよあの人」
父親が不甲斐ないせいでリコット家が少々侮られる結果となって、一時期苦労したものですわ……なんて溜息混じりに零してみたけれど。
多分アデラは理解できていないな、とナタリアは内心で思っていた。
実際いてもいなくても何も困らない、どころかいても無駄な出費がかかるだけ。いない方がマシかもしれない、とまでナタリアは思っていた事があったのだ。母が死ぬより随分と前に。
種馬としての役目を一応こなしたから超えてはならない一線を超えなければ放置で構わないわ、と母が言っていたから放置しているだけ。もし母の病が父が母を排除しようとして毒を盛っていた、とかであったなら早々に彼は死んでいた。まぁ毒を盛る以前に滅多に姿をみなかったから放置でいいや、となったのも確かなのだが。
「正直ね、貴方のお父様が若かりし頃に友人として付き合いがあった相手の伝手を頼ろうとしても、難しいと思うの。婿入りして遠い領地で生活している人とか、家を継げる立場になかったから文官や騎士になって自力でどうにかした人たちとか。
多分今、そんな彼らに父の名前をだしたところで、あぁいたなぁそんなの、で終わりますわ。間違いなく」
「え」
「だってそうでしょう?
学生時代に付き合いがあったからといって、成人後にとんと連絡が途絶えた相手ですもの。そんな相手の事をずっと思うより、身近な人間関係を大事にするのは当然の事だし、そうなれば付き合いが途絶えた相手の事なんて記憶の片隅に埋もれていくだけ。手紙だとかで交流をしていたわけでもなければ余計にね。
貴方だって、こっちに移り住んでから以前住んでたところで関わっていた友人とか、連絡をとったりしていないのでしょう?」
「それは……」
言われてみれば確かにそう。
一応こちらに来る以前、アデラにだって友人はいた。
可愛い自分をちやほやしてくれる男の子たちとか、時々口喧嘩をする悪友みたいな女の子とか。
けれども、自分には貴族の血が流れていてこれからはお嬢様として優雅に暮らすのだと言われて思い切り浮かれて。
きっといつか、自分には王子様みたいな素敵な人が恋人になっていずれ結婚するに違いないのだと思った事で。
平民のお友達は自分には相応しいものじゃない、と切り捨てたのだ。
そうでなくとも前に住んでいた場所から距離があるから気軽に会う事もないし、と簡単に、バッサリと。
仮に手紙だけでもやり取りをしようと思ったとしても、文字の読み書きができない子もいたから付き合いが続くかは微妙なところだし、現実を知った今、かつての友人と会って現状を話せるか、となればもっと無理だった。
お嬢様になるのよ、と思っていたのに実際はそうではないのだ。
なんか思ってたのと違うね? なんて本心から疑問ですとばかりにでも言われようものなら、アデラはきっと癇癪を起こしていたかもしれない。
アデラが求めていたのは、どこまでも自分に優しい世界と、称賛や羨望といったものなので。
「じゃあ、あたしこれから先もお茶会とかパーティーとかないの!?」
「ないですわね」
「そぉんなぁ!」
「仮に招待されても今の貴方じゃ礼儀作法に難ありとされて、二度目はないでしょうね」
「えーっ、やだやだやだ行きたい参加したーい!」
「ならば教師を寄こしますので、身につけなさいませ。礼儀作法や教養を」
とても面倒そうに言うナタリアに、アデラは。
「それもめんどくさい」
「だったら諦めなさい」
思い切り本心を漏らせば、ぴしゃりと返されたのである。当然だった。




