第93話 鐘の下
「ここなら、時間になるまでは誰も来ませんし、密室ではないので外聞も悪くないかと」
アルフィアーナが何の話をしているのか、今の脳みそではよく分からないが、彼女が立ち止まったのは、大広間から二階に上がって、渡り廊下を渡って、塔の螺旋階段を上った、大きな鐘の下だった。
「あ、試供品、どうでした? 使い勝手がよかったら、また寄付しに来ますよ」
ふと思い出して、当初の目的を達成するために声をかけた。
試供品、試供品、聞かなきゃ。くらいの内容しか、現在考えられない状態だ。
「試供品? 今はそれどころでは……。
まぁでも、とても良かったことは、お答えしておきます。
赤子もよく寝ますし、ヤギの乳より喜んで飲みます。排泄物の清掃も、格段にやりやすくなりました。数は全く足りないので、是非またご寄付を……」
そこまで答えて、アルフィアーナは頭を抱えた。
「って、違ぁう!!」
「ですよね。ごめんなさい」
ライチもさすがに今聞くことではないことくらいは分かっている。うっかり話をそらせたりしないかなぁ、なんて、足りない頭で考えて聞いてみただけだ。
「……はぁ……。
まず、相談室の仕組みから分かっていないようなので、そこからご説明します」
露骨な溜息をついて気を取り直すと、アルフィアーナ側の環境を教えてくれた。
「相談室の聖道具は、基本的に一方通行です。市民の相談やお話の妨げにならないように、聖職者は聞くのみとなります。
最後に、きちんと聞いたことだけをこちらからお返事して、安心して出ていただく……そういう部屋となっております。ここまでは、聞きましたよね?」
ライチの認識とは全く違う仕組みだ。最初に思った、告解室や懺悔室に近いシステムに、ライチは頭を抱えた。
「いや、そんな風には言われなかったです。声に出したらスッキリするよ、みたいな感じだと聞きました」
「それは……説明者が言葉足らずでしたね……。申し訳ありません」
アルフィアーナが上品に額を押さえて、“頭が痛い”というポーズを取る。
「相談内容は、大聖堂への依頼や、困りごとなど、多岐にわたるので、聞き手はメモを取りながらしっかりと聞き入る役目があります。聞いた内容は、精査して、役所や領主に届けることもあるからです」
「はぁ。メモ」
ライチの気の抜けた声に、アルフィアーナは目を瞑ったまま、木札を差し出した。
「あなたの発言です。一度よくご覧になってください」
(見るの怖……。どれどれ)
・異世界に飛ばされた自分を、神は見ているのか。
・異世界の家族に送金できるなら、家族と通信させてほしい。
・家族の状況を教えてほしい。
・家族に送金したお金の振込者の名前は何か。神なのか、自分なのか。
・家族に送金を怪しまれていないか。
・百万Gの送金がいくらになっているのか。
・神の異世界転移は不親切である。衣食住が満足でない。
・授けられたスキルには感謝している。
・父性でクラフトできるのも、サーチスキルで得られる知識も助かる。
・衣食住には困らなくなってきた。
・神を感じられるこの世界は悪くないと思う。皆が優しい。
・今後も能力を使って人を笑顔にしたい。
・前の世界では死んだ身だから、この世界で頑張る。
(わぁぁ〜。トップシークレット満載ぃ〜)
どう言い逃れすればいいのか、手もつけられないくらい、綺麗に全部話してしまっている。
頭のおかしい人のフリをするか、夢の話でした〜!で攻めるしかない。
「どう見ても嘘ですよね。狂人の妄想です」
(よかった、方向性は同じだぞ)
「しかし、相談室を守る神が、これらを真実だとわたくしに突きつけてくるのです……」
「……へ?」
なんだ、このまま変人としてやり過ごせるやと気を抜いたライチに、“真実”という言葉が迫る。
「神への誓いはされたことがありますか?
神へ誓うと、神の御心により、誓いを破る気すら起きなくなるという、思考操作が起こります。
あの部屋での相談内容は、市民の声としてそのまま上へと報告されます。ゆえに、虚偽が紛れ込まないよう、あの部屋で相談するということ自体が、“真実を告げる”という、神への誓いとなるよう、聖道具によって守られているわけです」
告解室の、神様パワーで嘘が言えないバージョン、ということらしい。ヴェルさん、そんなところにも出張っちゃってるんだ。
「は、はぁ……。それってつまり……」
「神のお力により、あなたは真実だけを述べていたことに……なります」
嘘でしょう、嘘と言って、とでも言いたげに、アルフィアーナは立ち眩みでもしたように、近くの木箱に座り込んだ。
二人とも次の言葉が続かず、しばらく沈黙が訪れる。
鐘を囲むように空いたアーチ型の縦長の穴から、風が吹き込んできて、二人の髪を揺らす。
ライチは誤魔化すことを諦めて、正直に話すことにした。
「…………そうなんです。俺、実は、別の世界から飛ばされてきたんです。
ヴェルさ……神様には、死にかけたところを、たす……助けてもらいまして、代わりにこの世界にご恩返しでもしようかな、って、まぁそんな感じでやらさせてもらってます」
こんな突飛な自己紹介をしたことがないので、なんと言うのが正解かわからず、最後は漫才師のような締めくくりになってしまった。
「ちょ、ちょっと、わたくしの思考の限界を越えているので、一旦そのメモの内容を咀嚼するお時間をいただけますか。
あなたは、もう二度とこのようなお話を人前でされない方がよいかと思います、本当に」
木札を見つめるアルフィアーナに、釘を刺される。
「人前じゃなくて、神前かなぁと思ってたんです、本当に……。
なんか……ごめんなさい」
ぼそっと言い返して、ライチはアルフィアーナを待つことにした。
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「お待たせいたしました。何度も何度も読み込んでいるうちに、ようやく意識改革できてきましたわ……。
ライチさんの身の上話は、神の御意志も関わっており、わたくしから勝手に上に報告して良いものではなさそうなので、メモはあとで燃やし、聞かなかったことに致します。
その前に、神の御業について、個人的にご質問してもよろしいでしょうか」
(あの鐘、今落ちてきたら即死だな〜)なんてぼんやりと待っていたら、しばらくしてアルフィアーナがキリッとした表情になって、立ち上がった。
「ご配慮ありがとうございます。
どえぞどうぞ、なんなりと聞いてください」
あのメモが真実だとバレたなら、もうライチが隠すことは何もない。
上司や領主に報告されないと聞いて、ライチは大きく胸を撫で下ろした。
「まずは、父性エネルギーというものは――」
それから、アルフィアーナは、父性エネルギーとは何か、どんな事ができるのか、クラフトとは、スキルとは、すでにどんなクラフトをしたのか、送金とは、家族は、元の世界は、と、なぜなに期の子供のように、とことんまで細かく質問してきた。
ライチが答えれば答えるほど、目が輝いていくところを見ると、意外と好奇心と知識欲旺盛な柔軟なタイプなのかもしれない。
「…………ありがとうございます。未知の世界が実に興味深く、時が経つのを忘れてしまいましたわ。
あっ、さっきのスーパーバクテリアくんのクラフトの説明にあった、父性エネルギーは魔力にも神聖力にもなる、とは、具体的にはどういうことですか?」
締めの挨拶を言いかけては、次の質問が降りてくる……というやりとりを何度もしている。
ライチは笑いながら答えた。
「“魔力と神聖力は、神から授けられし創造の力である父性エネルギーにより代替が可能です”って、クラフトのスキルさんが教えてくれただけで、実際のところ、どういうことなのか、俺にも分かってないんです。神様も、質問しても答えてくれるわけでもないし」
謎すぎて、保留になっている項目だ。代替って、何? である。
「なるほど……。
無尽蔵の父性エネルギーが、魔力として使えるなら、荒地も緑地になったり、大きな魔道具を動かせたり、神聖力として使えるなら、聖道具に込めて、強大なモンスターを倒したり……いろいろなことができそうな気がしたのですが……」
顎に、曲げた人差し指を当てて考える仕草をしたアルフィアーナの言葉に、ライチは衝撃を受けた。
「荒地が…………緑地に…………」
どうして今まで思いつかなかったのだろう。
肥溜め池が、浄化されて別物になるようなエネルギーだ。荒れ地に撒けば、何か作物が育つようなものがクラフトできるかもしれない。
「ほんとだ! すごい! そうか、魔力や神聖力の代替になるって、そういうことか! 魔力を持っている人が身近にいないから、全く気づかなかった!」
ずっと頭を悩ませていた、“スピネラ村の周りの原材料だけでは、大量生産が叶わない問題”も、もしかしたらうまく解決するかもしれない。
「すごい。早く荒れ地に行って、何かクラフトできないか、サーチしてみたい。アルフィアーナさん、ありがとうございます。素晴らしい発想です!」
ライチは興奮そのままにお礼を言う。
こんなに人や社会のことを考えられる女性だ。罪人の証という黒の魔石も、きっと何かの間違いだろう。




