第90話 ホワイトソース
「おっ、いいねいいね、もう根付いてる」
ライチは郊外村をあとにして、大聖堂のあたりまで戻ってきた。
村の男性とともに、塗布と植え付けをした場所を確認すると、横たわっていたフロステ草が、しゃっきりと立ち上がり、すでに石畳の下水溝に根を這わせ始めている。
葉っぱ一枚、茎一本からでも根が出てくる、バジルや、サツマイモのようなたくましさだ。
大聖堂の周りに植えられた神聖な見た目の花に、下水溝掃除の役目もない市民はノータッチのようで、無事に撤去もされずにいるようだ。
「おぉ〜。少し影にすると、ちゃんと薄ぼんやりと光ってるのが分かるな」
まだ空は明るいが、屈み込んで花を手で覆い、暗くすると、ほんのりと光っていることが確認できた。
(光る花が咲く汚物のない道。綺麗だろうな)
「明々後日には終わってるかもしれないのか。楽しみだな」
自分が作業したゾーンの、綺麗さと悪臭の無さを再度実感し、それが街全体へ広がる期待を胸に、ライチは意気揚々と屋敷へ戻った。
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屋敷に戻ると、飛んできたサピダン料理長に、夕食の準備を見てくれと言いたげな目で見つめられたが、まずは入浴!入浴!とアピールをして回避した。
ギルドホールの会議では覆面の下で嫌な汗をかいたし、その後も下水溝掃除や、肥溜め池の進化と、汚れ仕事が続いた。
皿を返しに行ったところを捕まりでもしない限り、できれば汚れ仕事をした身体と服では、厨房には入りたくはないのだ。
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「……今日は、一つのレシピだけですよ」
風呂上がり、厨房からのお使いが部屋の前に来て、めちゃくちゃ圧をかけてくるのに屈して、ライチは厨房に出向いた。
なんのレシピを伝授するか悩み、ふと自分が食べたくなったのもあり、材料も揃っていて、分量も覚えやすい、ホワイトソースの作り方を教えることにした。
「バターと、ふるった小麦粉を同量用意します……あっ、ここのは保存用にかなりしょっぱいバターなんで、出来上がってみてしょっぱかったら、バターは少なめにした方が良いかもしれませんね」
日本のバターをイメージすると、かなりの塩味に驚くような味なのだ。冷蔵庫もない中で、防腐効果を狙うと、必然的にそうなるらしい。
「はじめに、ルウ、というものを作ります。
鍋で溶かしたバターに、小麦粉を入れてひたすら混ぜながら中火にかけたあと、火から遠くしてとろ火で加熱します。
完全に火が入ると、コシが切れてさらりとしてきますよ。これでルウは完成です。
白さ命なんで、焦がさないように注意です!」
たかだかこれだけの工程だが、中世初期的なこの時代から見れば、ルウ化は千年弱ほど進んだ技術のはずだ。フランスで出来上がったもので、“ルウ”とは、その加熱時間での変色から名付けられた、“赤茶色の”という意味の言葉だったはずだ。
(ルウって、なに? なんでルウって名前なの? って子供からキラキラした目で聞かれないと、なかなかこんな歴史も調べないよな。
子育てしながら、親としても育ててもらうんだよなぁ)
ライチは一瞬遠い目をしながら、説明を続ける。
「牛乳はバターと小麦粉の十倍量を用意します。
鍋に少し入れては、中火で火入れして、少し入れては火入れする……を繰り返します。
半分ほど牛乳が減ったら、ヘラから泡立て用の小枝の束に入れ替えて、ちゃっちゃか混ぜながら少しずつ牛乳を増やしていきます。
完全に火が通るまでひたすら混ぜればホワイトソースの出来上がりです!いろんな料理に使えますよ。
乾いた部分がダマになって舌触りが悪くなるので、置いておく時は濡れた布を落とし蓋にしておくといいかもしれません」
慣れればほんの十分ほどでできるような簡単な工程の説明に、サピダンは大きく頷きながら聞き入った。
「小麦粉でとろみをつけるのは、これまでもやっておりましたが、バターと小麦粉を炒めると、ルウというものができ、さらに、ルウを牛乳でのばすと、こんなにクリーミーなソースができあがるのですね……!食感が素晴らしい!」
千年ほど先の技術だ。驚くのも無理はない。
喜ぶサピダンに、ソースの活用例として、鶏や魚や野菜のホワイトソースがけ、ホワイトシチュー、パングラタンあたりをすすめておく。
たった一レシピだったが、サピダンは、燃える!燃える!創作意欲がかき立てられる!と大喜びしてくれた。
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夕食の時間になった。
「ふむ。また新メニューか」
ライチと作った試作品は、バターの塩味を考慮して塩抜きにしたのが、結果として丁度よい味付けになっていたようで、夕食のメニューに採用されたようだ。
好みでハーブの香り付けもすすめたので、試作品よりも外国らしい香りが足されている。
「似たような白い見た目のミルクスープは飲んだことがあるが……この滑らかさはなんだ?」
プルデリオがホワイトシチューを匙で持ち上げ、口に運びながら、首をかしげている。
その隣で、すでに結構な量を食べ進めているアルジーナが、美味しい、美味しい的な意味の言葉を、上品オブラートに包んでこぼしている。
「ライチ君がいると、本当に退屈しないな。……いい意味で」
(言い方が、“いい意味”っぽく聞こえないのは……気のせいだな。……多分)
食後、いつも通りに老紳士からレシピ代を受け取り、また懐が潤った。
十万G……百万円。日当が毎日どえらいことになっている。
しかし、ライチが嬉しかったのは、懐が潤ったことよりも、今日の報告と就寝の挨拶に来たお子様二人の言葉だった。
「ライチさん、今日のシチューという新メニュー、本当に美味しかったです」
「チチュー、おいちーの!」
(誰に美味しいと言われても嬉しいものだけど、やっぱり子供の喜ぶ顔は別格だなぁ〜)
ベッドに寝転びながら、一日を振り返る。
ギルドホールでの会議も上手く流れ、下水溝問題も進められ、最後は子供たちの笑顔で締めくくったいい日だった。
(明日は孤児院に顔を出してみよう)
ほくほくとした気持ちで目を閉じると、すぐに眠りについた。
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「フェラド、おはよう」
「あれ、ライチさん、おはようございまっす。これから業務前の時間で、さくっと郊外村に道具運ぶとこっすけど……ムリーナいるんで、人手もロバ足も足りてるっすよ?」
色々考えて、朝食の前に、フェラドの場所を聞いて声をかけに向かうと、すでに賄いの軽食を済ませたのか、昨日お願いした郊外村への荷物運びに出発しようとしているところだった。
「わ、もう出るんだ!厨房で軽食もらってくるから、一緒に行ってもいいかな。
作業を依頼した郊外村の人たちに、鍋とか服とか、お礼になるものを届けたいんだけど、どんな物を選べばいいか怪しいし、運ぶにも人手……いや、ロバ足が足りなくて」
眠りに落ちる前に、ふと思いついたのだ。
鍋などの重いものが入ると、村の皆の分の報酬を運ぶのも一苦労だし、飼い主なしのライチ一人でムリーナに働いてもらう自信はないし。
「買い出しもっすか〜!!なら、ほんと急がないとっすね!
この店でこれ買うといいよ〜って先に教えるんで、ライチさんが買ってる間に、オレは塗りつけの作業道具の受け取りに回っとくっすね」
臨機応変で本当に頼もしい。ライチは頭を下げてすぐに厨房へ向かった。
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「そこそこいい感じにたっぷり買えたんじゃないっすか〜!」
「全てフェラドさんのおかげでございます……」
フェラドの指示通りに買い出しをしてみたが、中古の服や、修繕鍋や修繕包丁でも、数をそろえると結構な出費で、塗布道具と合わせて、手持ちの現金がすぐに底をついてしまった。
フェラドが、ライチと別行動になる前の初っ端からそれを見越して、各店舗に『一旦頭金だけで、ご勘弁を〜!あとで現金をおろせる時間になったら、すぐこの人が支払いに来るっす!』と顔出ししてくれなかったら、銀行もまだ開いていないこの時間では、とても買えなかっただろう。
フェラドさまさまだし、彼と一緒に来ることを選んだ自分、ナイスである。
「急いで郊外村に向かうっすよ!レッツゴー!ムリーナ!」
村中に配る、塗布道具のモップもどきと、バケツ。そして報酬の鍋やらだ。
ムリーナがいなければ、ライチにはとても運べる量ではないし、重さを感じさせず、器用に運べている彼女が本当にすごい。




