第84話 メルカトの姿
ライチの客室のドアを、控えめにノックする音が響いた。
使用人は手持ちのベルを鳴らすので、違和感を感じて一気に眠りから意識が覚醒する。
「(ライチさん、メルカトです。朝早くにすみません)」
(メルカト……?)
ぱっと掛け布団を払って立ち上がり、扉を開けると、そこには思わず目を見張る姿があった。
「めっ、メ、メルカト……!? 昨日の昼に別れて……えっ……どゆこと?!」
目の前に立つメルカトは、まるで別人のようだった。
長く顔を覆っていた前髪はばっさりと切り落とされ、さらに全体もすっきりと短く整えられている。
額の右上から左のこめかみにかけて、斜めにかけられたアクセサリーが、左目周囲の火傷痕の上でチリリと揺れている。
ポリエクロスだろう。白いリボンを細く編んで作られた紐に、小さな小さな銀の円盤がいくつもぶら下がって、光をキラキラと跳ね返していた。
左目の上は、半円状になるように、垂れる紐の長さに変化がつけられている。目の下の火傷痕は隠せていないのだが、それよりも露出した顔立ちの整い具合と、豪華な煌めきに視線が奪われる。
「め、めちゃくちゃイメチェンしたんだな」
ライチは衝撃の中で、なんとか感想を絞り出した。
(こんなに顔面をチャリチャリさせてたら、鼻ピアスと口ピアスがチェーンで繋がってるにいちゃんみたいな印象を受けそうだけど、全然!
やたら美形のメルカトがつけると、エキゾチックなヘッドアクセサリーって感じになって、魅惑的な綺麗さがあるな)
ついしげしげと見つめてしまう。
「今日のギルドホールでの会議に向けて、さっそく昨日のライチさんのアドバイスどおりにしてみたんですが、なにぶん急ごしらえだったので……変でしょうか?」
そのやや自信のなさそうな様子に、珍しくライチはピーンときた。
「…………もしかして、君の商人のご家族も、今日の会議に参加する、とか?」
メルカトは神妙な顔つきになって、こっくり、と頷いた。
「行商人なんて、もちろん普通は組合のトップの会議には出ませんが……昨日、フォークなどの報告とともに、今後もプルデリオさんのところでお世話になりたいと頼んだら、さっそく今日の新製品の説明担当に抜擢されまして」
「おぉ!メルカトが説明役をしてくれるなら、かなり安心だな」
これは朗報である。一気に会議に味方が増えた感じだ。
「ありがとうございます。父と兄は、プルデリオさんに次ぐ、かなり大きな商会のトップなので、今日の場に現れるんです。
……なので、プルデリオさんにお願いして、既製の装飾品を細工して、ライチさんの発案をもとにしたものを作っていただきました」
メルカトは、まだ装着に慣れない様子で、こめかみあたりの円盤をチャリ……と弄ぶ。
「仕事が早いな〜! うん、俺が思ってたのよりずっといいものになってる! プルデリオ家の推しの銀と、新商品のポリエクロスの合わせ技で、今日の場にピッタリだと思う! お父さんもお兄さんも、背筋を伸ばして働く姿を見たら、きっと喜ぶと思うよ」
後半はもう父親目線の言葉になってしまったが、メルカトはそれを聞いて、ほっと安堵の息を漏らした。
「……で、朝早くに、わざわざお披露目会をしに来てくれた感じかな?」
しっかり者のメルカトにしてはあり得なさそうな寝起き突撃だが、緊張して不安だったと言われれば、ギリギリ納得できなくもない。
「あ、いえ。スピネラ村の村長の晴れ着がありますよね。ポリエクロスの。あれを、今日の会議の場に説明のために着ていこうと思いまして、お借りしに来たんです」
「ああ!晴れ着! 確かに、俺は隠れてるから着れないし、服だけテーブルに置くより、メルカトみたいな美形が着たほうが、絶対宣伝になるよな」
どうして自分が思いつかなかったんだろう、と思うようなナイスアイディアだ。
又貸しになってしまうが、グレゴル村長は『村を頼んだ』と言っていた。ライチでなかろうが、会議で着て宣伝することに、何の異も唱えないだろう。
というか、冴えないライチが着るよりも、絶対宣伝効果が期待できる。
ライチは、客間の隅に置かれたチェストに向かった。
(クローゼットとか、ハンガーは、まだないんだよなぁ)
農村や下町では、ぼろぼろのマントなんかを、ひょいと壁の木製フックにかけて置いていたりするが、『虫はくるし、盗られるかもだし、伸びて型くずれする』などの理由から、高級な場所になればなるほど、しっかり箱にしまって服を保管するようだ。
(気が向けば、ハンガーとかも作りたいなぁ)
重厚な木材のチェストだ。蝶番や留め金は金属製で、装飾の金具や鍵もついている。
使用人が、綺麗な麻布で服を丁寧に包んで、鍵をかけずに蓋を閉じてくれている。
キィ
小さな蝶番の音を聞きながら重い蓋を持ち上げて開くと、防虫のためなのか香り付けなのか、ふわりとハーブの香りが漂った。
包みを取り出し、布を開いて確認する。
丁寧に畳まれた薄紫のロングチュニックと、純白の帯。
それぞれ、布と刺繍が美しい、現段階でのポリエクロス最高級の晴れ着。
(メルカトの再出発が、良いものになりますように)
「はい。“破るなよ。汚すなよ”」
「“必ず綺麗なままお返しします” ね」
いつかのスピネラ村でのやりとりを再現して、二人は笑った。
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その後、新製品についての説明の仕方をメルカトと確認していたら、朝食の時間になった。
無駄に給仕に加わっているサピダンから、熱い視線を送られながら朝食を済ませ、この世界の会議がどんなものになるのかと、あれこれ空想しているうちに、いよいよ出発の時となった。
(どんな人が来るのか……新製品は受け入れられるのか……)
念の為に、屋敷の出発時点からプルデリオやメルカト達とは離れ、ライチは目立たないように行動するようだ。
付いてきてくれる使用人とともに、“大聖堂と貴族街を繋ぐ一番高貴な庶民大通り” とトルヴェルに説明された大通りを歩いていく。
高い建物も少ない街だ。黒い二本の塔を目指せばすぐに到着した。
商人組合の建物の向かい、市民登録をした役所:ギルドホール。
門扉の上では、様々な組合のものとおぼしき紋章の旗がゆったりと揺れている。
「お客様。本日はこちらより出入りいたします」
まだ建物に近づかないうちから、大通りを外れ、こちらへ、と使用人に案内されたのは、以前使った役所の間のある表口ではなく、建物の裏口だった。
使用人は、いよいよライチの名前すら呼ばなくなっている。かなりの警戒度である。
大通りを外れる際に、ライチは頭からすっぽりと布をかぶって、目だけを出したイスラム教のニカーブのような出で立ちになった。どう見ても不審者でしかないが、これで顔バレは防げるだろう。
通気性の悪くない布の中で、ライチは短く息を吐いた。
「……よし」
使用人が裏口の番と二、三話をすると、すっと扉を開けてくれた。静かに裏口からギルドホールへ入る。
相変わらず、石壁の冷たい空気と、小粒でもやたら明るい魔道具の照明が印象的な室内だ。
廊下の奥からは、ざわざわと喧騒が聞こえ、先日訪れた役所用の広間があることが感じられたが、今日はすぐに階段を上って二階へ向かう。
使用人と二人、無言のまま二階の廊下を進み、役所広間の上に位置するであろう大広間の手前で止まり、横にあった扉を開いた。すぐに現れた狭い階段を、さらに上る。
「こちらが、お客様の待機場所となります、大会議室の吹き抜け上部の“書記席”です。
音がよく通りますので、所作にはお気をつけください」
書記室には机や椅子がしっかり整えられているが、配置的には“部屋”というより、舞踏会などでBGMとなるアンサンブル用の、隠しバルコニーに近い作りだった。
構造的に天井はかなり低めで、手を上げると天井に触れてしまう。椅子に座れば下からは着席者が見えない作りだが、少し腰を浮かせると、階下であるニ階の大きなホールを見下ろせた。
目立たないようにしなければならないので、立ち上がって会議の様子を目視することは叶わなさそうだが、声が聞けるだけでもありがたいだろう。
使用人は階段の近く、ライチは階下ギリギリの一番声がよく聞こえる席に陣取って、会議の時刻になるのを待った。




