第81話 おやすみの挨拶
「お父様、お母様、ライチさん、お食事中お邪魔いたします。夜のご挨拶に参りました」
「おやしゅみ、しましゅ」
昨日と同じく、夕食中に子供たちが就寝の挨拶にやってきた。
「セリオ、ロゼッタ、今日も上手に言えたな。おいで」
とろけた狼フェイスで軽く手招きをするパパデリオ。
「こんばんは。おじいさんとの泳ぎの練習、二人ともとっても上手だったね」
ライチが声をかけると、二人は両親の隙間で、ニコニコと顔を見合わせた後、自慢げな顔で両親の反応を見た。
(ふふ、そうそう。どんなときも、両親がどんな顔でいるのかな〜?って気になって見ちゃうんだよな。自分たちが褒められて、どう?ってね)
もちろん、両親は揃って『当然だろう』という顔で満足そうに頷いている。
「で、今日はどんな日だったんだ?」
プルデリオが聞く。昨日は客人が多かったから省いた、日課の報告のようだ。
すでに使用人から報告は聞いているだろうが、子供たち自身の口からも言わせるらしい。
「今日は、まずおじい様と泳ぎの練習をしました。ぶくぶく……パッと、息継ぎが上手にできました。水に浮くのはまだ難しかったです。
その後、お昼寝をして、お勉強をしました。文字の読むことや、礼儀作法は少しずつできるようになってきましたが、お金の計算はまだ難しかったです。お父様とお母様を目指して頑張ります。
おやつのあとは、侍女とおにごっこをしたり、庭師と長枝で決闘ごっこをしました。とても楽しかったです」
「ロジー、たのしかった でしゅ。ぶくぶく、でちた。 ねんね、でちた。」
四歳のセリオの達者な報告(と、二歳のロゼッタの可愛い報告)を聞いて、ライチは感激した。
(おお〜、なんて上手にまとまった報告!
お昼寝もちゃんとしてるし、勉強だけでなく、遊びも取り入れてるのか〜。健やかだな〜)
お金持ちはガンガン詰め込み教育でもしてるのかと思ったが、意外と休息や遊びを取り入れていて安心だ。
(うちのルノは全く文字を覚える気がなかったけど、レントは生まれたときから文字が大好きで、二歳の早いうちから、ひらがな、カタカナ、数字、アルファベット、と、全文字マスターしてたなぁ……。
リノやお義母さんは『絵本くらいしか読んでないよ〜』とか言うし、“みゅ”とか“ビュ”とか……ほんといつ覚えたん?って驚いたっけ。
ついつい『うそっ!レント天才!』とか周りが褒めるから、触発されてルノも必死に覚えようとしてたなぁ……。あー愛しい)
どんなに小さくても、何に興味を持って、何を覚えるかは本当に人それぞれ、と三人を育ててみてよく分かった。
ルノは口が驚くほど達者で、完全に小さいお母さんになってたし。
……末っ子のロクは何が好きになっていったのだろうか。半年ほどしか見守れなかった父親で申し訳ない。
(音楽教育はないのかな? ABCの歌とかには三人ともお世話になったから、ここも音楽面がもっと発達してれば、いい刺激になりそうなのに。
音楽なんて、祈りの歌と吟遊詩人くらいしか聴かないもんなぁ)
ドレミの音階や、ピアノやバイオリンのような楽器が下町まで普及するのはまだまだ先のようだ。
そもそも音楽というものが、布教目的で発展したものなので、ここまで神様がゴリゴリ前に出てる世界だと、布教を頑張る意味がなくて、もしかしたらまだまだ発展しないのかもしれない。
その後の発展につながる、貴族の権力誇示としてのマウント合戦用の音楽なら、もしかしたらライチが知らないだけで、今も貴族街では一般的なのかもしれないが。
(音楽、いいのになぁ……)
庶民にこそ音楽が欲しいところだ。
大人だって、謎言語でベラベラ喋られたら、完全に耳がスルー状態になるものだが、謎言語でも歌なら聴く気も起きるし、聴いてるうちに覚えてしまうものだ。
子供に声をかけるときも、いくらお小言を言ってもスルーなのに、歌いだした途端に『ハッ』として聞き入ったり。急いで!と百回言うより、運動会の曲でもかけた方がよほど急いでくれたり。
音楽の力は子供にとって本当に偉大なのである。
(ここの文字って、確か、J はI 、U はV で、Wはなかったよな。
例の星の歌に合わせて、『ABCD EFG♪ HIKL MNO♪ PQR STV♪ X Y & Z』なんて歌を広めるのはどうだろ?
作曲者のジャンさんには盗作で申し訳ないけども……。異世界ということで許してください!)
楽器は、木琴やリコーダーなんかもクラフトしやすそうだが、元の世界にも古くからあった手持ちハープがここにもあるなら、それを寝かせて鍵盤と連動したハンマー構造でも付ければ、ほぼピアノ的なものが作れるはず。
(ここの楽器事情について調べてみて、子供向けに良いものがなかったら、フェラドとメルカトと作ってみてもいいな〜)
難し設計はフェラドに丸投げ、お金のことはメルカトに丸投げだ。
また一つクラフトしたいものを思いついて、ニコリと微笑む。
子育て親の同士として、ついついあれこれと是非について思案してしまったが、相手家庭に、暴力暴言があったり、助言を求められたりしてもいないのに、勝手によその家の教育について口を出すのは、子育て界の“ご法度”だ。
ライチは思案の全てを口に出さず、心のメモに記録することにした。
「セリオ。今日もとても上手に一日を振り返れたな。できた点、できなかった点をしっかり見直せていて、よかったぞ。
ロゼッタ。ぶくぶくとねんねができたことを、じょうずに言えたな。二人とも、また明日もよろしく」
プルデリオはメロメロの笑顔で、椅子に座ったまま、二人にハグをした。
「挨拶に来てくれてありがとう。いい夢を見るんだよ。おやすみ、パパの愛しい子たち」
昨日と同じ挨拶をして、両親がそれぞれが頭を撫でて、二人の両頬にキスをする。嬉しそうに頬を染めて、ライチにもおやすみの挨拶をしたあと、子供たちは退室して行った。
昨日は少しセンチメンタルになったシーンだが、子供たちの笑顔だけにフォーカスすると、とても尊い時間であろうことがよく分かる。
子供の笑顔は万人のエネルギー。思い出を重ねてしょんぼりするなんてもったいない。
(明日ももっと頑張ろう)
ライチはそう思いながら、閉じる扉を見やった。
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「……えーっと。今日は、フェラドの実家の金属加工工房に、自分のための食事用の食器を発注しました。フェラドにはものすごい設計の才能があって、びっくりしました。
そのあとは、郊外村を案内してもらって、下水処理に使えそうな素材を集めてきました。屋敷で試作品を作ったら、思ったよりいい感じにできていてびっくりしました。
あとは、厨房を見学して助言がほしいと言われたので、いくつか助言をしました」
二人からの視線を感じて、ライチは、キャベツを果物ナイフのような割と鋭利な刃物で切って、スプーンで口に運びながら、今日あったことを思い返して説明してみた。
子供たちが報告した後に、自分も報告をする流れが、なんだか気恥ずかしい。
「ふっ」
「…………」
アルジーナが、小さく吹き出して、口元を布でさっと押さえて平静を装い、プルデリオは分かりやすく頭を抱えるジェスチャーで、片手で額と片目を覆った。
「……報告とか相談ってこんな感じですか?」
子供たちとの、この反応の違い……!
確かに、自分でも、小学生の無理やり書かされた日記のような文章になっている自覚があったので、半ばヤケクソで開き直って聞いてみた。
「…………報告どころか感想にしかなっていないが……それでも、ないよりかはマシだな。
厨房については料理長から。“フォーク”や“ハシ”などは、メルカトから詳細な報告は上がっているのでいいとして……メルカトたちと集めた肥溜め池の水と草で、下水処理をする気なのか? なんのために?
さっぱり分かりかねるが……君は何を企んでいる?」
(まぁ、そうなりますよねぇ……)
お偉いさんに止められないように、あまり事を大きくせず、ひっそりこっそりと街を美化していく作戦なので、商人組合長といった権力者には、なんとか内緒にしておきたいところである。
「実は……郊外村の汚水の実情が酷くて、見て見ぬふりができなくて。悪臭だけでもなんとかしてあげたいなと試行錯誤中なんです。
にわか知識で効果のありそうなものを作ってみたら、結構いい感じに臭い消しができそうなんで、今後、郊外村に伝えたいな、と思ってまして」
結果、ライチは軽やかに、一番報告すべきであろう街の美化計画を、秘匿することにした。




