第78話 出汁と蜂蜜のアドバイス
「……あとは、えーっと、黄金タマネギでしたね。
まずはタマネギを薄くスライスします。
油を少し入れて、弱火にかけて、時間をかけてじっくりと炒めます。一回の食事にかける時間くらい? 焦がしたら終わりなので、とにかく忍耐強く木べらでかき混ぜ続けてください。
タマネギが黄金色に変わって、甘い香りが立ち昇ったら完成です。
こちらも保存はできないので、調理の前に作り始めるような使い方がいいかなと思います。
肉料理のソース、煮込み料理以外にも、お湯を加えて塩で味を調えるだけでタマネギスープになるくらい美味しいですよ!」
「タマネギにそんな調理法が……!奥の深そうな食材だと思っていましたが、これはすぐにでも試してみたいですね」
と言いながら、本当に調理師たちに指示を飛ばし始めるピ料理長。できる男である。
「あとは、干しキノコの戻し汁……とは……」
ピ料理長がおそるおそる尋ねてくる。
そんな、タコのニュルニュルを落とした片栗粉を、今から料理に使おうとしてる変人みたいな目で見るのはやめて欲しい。あ、タコのぬめり入りの片栗粉は、もちろん料理には使わないよ!
「生のキノコはもちろん長くは保存できないので、農村でも干したキノコを見かけるんですが、実は……水に漬けて戻す際、干したキノコからは栄養も旨味も水に流れて出てしまうんです。
結果、その美味しさがたっぷり出た汁は、スープやソースの旨味の引き上げにピッタリ!」
「なんと、にわかには信じがたいですな。あの黄色い汁は、汚れが出た汁だとばかり思っておりました……。
干したキノコと言えば、今からが旬の、ずんぐりと丸い“ブタキノコ”ですね。ちょうど収穫前の今の時期は、干したものがございます。
秋から冬が旬の、小さくてまんまるの“コケキノコ”は、保存がきかず、生で出回るのが基本ですし」
西洋でずんぐりキノコといえばポルチーニ茸。
干さないまんまるのキノコといえばマッシュルームだ。
実物がどうかは、見ていないので分からないが。
「さっそく干しブタキノコの戻し汁を作ってみましょう!」
ライチの後押しに、ピ料理長が、半信半疑ながらも調理師に指示を飛ばす。
(うん、これでスープにもかなり奥行きが出るはず)
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「あと……メモついでに、パンのこともお話してもいいですか?」
転移して一ヶ月あまり。ライチはとうとう痺れを切らして、パン作りについて、素人ながら口を出すことにした。
「パン作りの基本は、小麦粉と水、それに酵母液を使うことですよね。
酵母液はビール酵母でもワインとかの果実酵母でもいいんですが、これが発酵の元になります。ここまでは合ってますよね?」
「そうですね。果実そのものが高価なものですし、果実酵母にはムラっ気があり、膨らむ場合と膨らまない場合がございます。
その点、ビール酵母は、オスティア河港の造酒所から安定して仕入れられますし、やや酸味のあるパンにはなりますが、常に同じような膨らみ方をするので、失敗の許されない貴族様も王族も、これで焼いたものを食べているでしょうな」
ピ料理長は、王族お抱えのシェフにも負けない気概で普段料理をしているようだ。素晴らしい心意気である。
「農村では酵母は使われていないようで、カッチカチのハードパンでしたが、こちらは柔らかめの白いパンですね」
「農村については詳しく存じませんが、下町でも生地をこねてすぐ焼くような、硬くて平たいパンがございます。手間もかからず、日持ちもするので、低収入者はよく購入しているようですね。
わたくし共は、しっかりと膨らませるために、お出しする前日から生地をこねております。
こちらの大きなかまどは、一度火を消して冷えてしまうと、再度熱くするまでにかなりの時間がかかってしまうため、常に火を絶やしておりません。ですので、室内は常に高温となっており、パン種も半日ほどでしっかりと膨らんでまいります。
ギリギリまで膨らませて、食卓にお出しする直前に小さくまとめたら、最後はこのかまどで、高温で短時間焼き上げます」
(ふむふむ。一次発酵ありの、二次発酵なし、ね)
「えっ、パン焼き用の窯でなく、ここで焼くんですか」
吊り下げ式のかまどだと、オーブンのように上から火が入らないから、ひっくり返さないと焼けない気もするが……?
「毎食焼きたて、という時点で保存は必要がないため、小さめのパンなら充分焼き上げられますね。
保存用の大きなパンは、上からも熱が通るように、口の小さな専用のかまどで焼かねばなりませんが。
こちらでは、かまどの火を一気に強くしたあと、薪を寄せて中央を空けて、空いた炉床に直接生地を置きます。下と横から通る火で、生地の中も上も焼き上がるのです」
鼻高々、という様子で手順をアツく語るピ料理長。これがこの世界、この時代の最先端の調理法であろうことはよくわかった。
(高級宿の白パンはパサパサでもそっとしてたし、ここのパンは、ちょっと柔らかいフランスパンに近いというか……。表面の香ばしさはあるけど、しばらくもぐもぐ噛みしめる系なんだよな。独特の風味と酸味も気になるし)
「甘いパンや、ふわふわと軽くて柔らかいパンがないのは、好みですか?」
念の為、確認する。
意外と、最初にオススメしようと思っていた果実酵母は取捨選択で切り捨てているようだし、ふわふわとしたパンそのものが好みでない説もあるためだ。
「高級なパンといえば、外は硬く香ばしく、中はずっしりもっちりとしている、との認識でございます。
ふわふわと軽い……ですか。あまり考えたこともございません。食べた気になるものなのでしょうか?
また、甘いパンに関しましては、果実酵母ではハチミツや甘い干し果物などを練り込めますが、ビール酵母では、甘みによるものなのか発酵が進まず、ぺしゃりと膨らまなくなるのです」
そこまで話したピ料理長は、何かを思い出してハッとした。
「ぁ……そうです。ロゼッタお嬢様!
お嬢様は、牛乳や水でふやかしたパン粥は好まれず、かといってそのままのパンでは硬くて食べられずでして……。
結果、現状では、蜂蜜入りの甘い焼き菓子などにて、パンの代わりの満足感を得ていただいております」
(なぬ?!ロゼッタちゃんが?!)
ロゼッタがずっしりパンを食べられずにいると聞いて、ライチの父性エネルギーが一気にたぎってきた。
戦闘能力を見られるゴーグルなどがあれば、五百倍くらいに跳ね上がっているはずである。
「もしパンを、甘く、ふわふわと柔らかく軽くすることが可能ならば、お嬢様にも喜んでいただけるかもしれません」
これは、なんとしてもふわふわに膨らんだ柔らかいパンを作らなければならない。
そして、いつものごとく、一つスルーしてはならない大切な注意は忘れない。
「とりあえずパンの話の前に、赤ちゃんの食事の大前提として、蜂蜜には、一歳未満の子がどうしても勝てない、強力な小さな毒生物の芽が潜んでいる場合があるんですよ。熱にも強いので、加熱はほぼ無意味でして。
その芽が、内臓に届くと、たくさんの毒をまき散らして、ときに小さな赤子を殺します。
毒に負けなくなる一歳を超えるまでは、決してあげないようにと、料理長のお力で、よかったら普及してもらえたら、と思います」
ライチが伝えた先人の知恵に、ピ料理長がぽかんとする。
現代日本でも、アラフォー以前に生まれた赤子には、甘くて栄養満点だからと与えられていたくらいだ。ここでは更に寝耳に水だろう。
「なんと……おっしゃいました?
蜂蜜は、栄養食でございます。
滋養によく、甘くて食べやすく、さらに消化を助け、体を温めるもの、ですが……。大聖堂での治療でも、頻出しますし……」
衛生環境も最悪で、“子供なんて、弱かったらすぐ死ぬもの。だからたくさん産むのだ” という理念のこの世界に、ライチの知る一般常識とのギャップを埋めることは不可能だろう。
今後も多くの乳幼児がボツリヌス菌によって死ぬかもしれない。
もしかしたら、この世界にはボツリヌスのような菌はなくて、死なないのかもしれない。
また、神聖力の浄化の力とかそんなもので、この世界の蜂蜜は、実はすごく安全に口に入れられるものなのかもしれない。
(……それでも)
万が一でも、兆が一でも、ライチの手の届く範囲にいる子が、ライチが防げるような理由で亡くなるのは、絶対に許せない。
「命は、うしなったら戻りません。
自分の身体に入るものを、自分で選べないのが赤ちゃんです。すべての責任は大人にあるんです。
ロゼッタさんはもう大きいので大丈夫ですが、今後食事を出す赤ちゃんのために……どうか……どうか、よろしくお願いします」
ライチは必死に頭を下げた。




