第76話 日本人としてのアドバイス
どうしてこうなった。
(朝も早かったし、あちこちよく動いたし、今日はこれにて閉店!飯食って寝る!の、はずだったのになぁ……)
実験のため、厨房から干し肉や焼き骨付き肉なんかをもらったりとゴソゴソしていたところ、素敵スマイルで立ちはだかった人物が。
総料理長だ。
皿を返しに行ったところを捕獲されてしまった。
(ピ……? なんとか料理長さん)
名前は忘れてしまったが、とにかくピ……料理長にぐいぐいと引き込まれ、厨房の隅で夕食作りの様子を見学することになってしまった。
汚物を扱うために汚れ仕事用のボロ着を借りて着ているので、腕までしっかり洗って、エプロンも貸してもらう。
「本日の夕食のメニューは、はじめにお出しするのが、熟成チーズと、軽く炙った燻製ニシン。飲み物は水で薄めた赤ワインです。
続いて、キャベツの煮込みと白パン。
メインは牛のステーキに香草バターを乗せて。
レンズ豆と小麦の香草粥でお腹を休めたあと、デザートに焼いたリンゴと干しイチジク、となっております」
「へぇ。ワインってわざわざ薄めてたんですね。薄めで飲みやすいなぁとは思ってましたが」
耳慣れないワードにライチが思わず聞き返すと、ピ料理長は不思議そうに片眉を上げた。
「ええ、勿論でございます。原液のままでは悪酔いいたします。口当たりもきつく、ドロリとして臭みや酸味があるものもあるので、料理の味を邪魔してしまいますので。たっぷりの水で割っております」
「なるほど……」
(言われてみれば、造酒のための発酵の管理も、保管の衛生環境もずさんそうだし、いくら気をつけて作ったとしても、密閉容器もワインセラーもフィルターもない世界だし。味のムラがあったり、酸化が早かったりしてそう)
ピ料理長が、流れるように説明を続ける。
「どちらかと言うと、酒の力で、水をより安全にするような気持ちで飲まれ始めたのがワインでございますからね。
水だけではなく、ときに蜂蜜やシナモンなどを加えて甘く煮ることもございます。奥様が好んで飲まれますし、冬は、体がよく温まりますよ」
「おお!ホットワインですね!クリスマスマーケット感あるな〜」
口からぽろりと懐かしさが転げ落ちてしまい、ライチは苦笑した。
ピ料理長が『はて?』と首を傾げている。現代日本では冬のイベントドリンクだったものが、ここでは日常の飲み物なのだ。
「おほん。……他の料理に関しては、聞いた感じだと気になるところはなかったですよ」
充分完成されたフルコースだし、美味しそうだし。特にライチが手伝えることはなさそうだ。
「……ライチ様。一通りご覧になっていただいて、何か気になることがあれば、遠慮なく仰っていただけると非常にありがたいのです。道具でも、工程でも、どんな些細なことでも構いませんので」
(ははぁ……)
朝にはっきりと、今日のレシピ講座はおしまい!また今度!と宣言したつもりだったが、ピ料理長はどうしてもライチから何か新しい調理情報を引き出したいようだ。
ライチも、居候の身であり、この世界での料理事情について、ほぼ農村の知識しかないので、大人しく見学することにする。
(なにか言う、か。アドバイス、ねぇ……。いろいろ外国は行ったけど、アジア圏と西洋って、そもそも求めてる味が違うんだよなぁ〜……)
日本人としては、当然、日本の食事が一番うまい!白米!みそ汁!寿司!和食!世界一!!と思っているが、実情、意外とそんなにウケは良くないのだ。
外国人観光客に和食会席を振る舞った料亭が、ほとんど残されてガッカリ……なんてニュースも目にするほどだ。口に合わないものは仕方がないが、捨てるなら是非食べさせてほしい話である。
外国でも日本食が人気です!なんて言葉の裏では、現地カスタマイズに成功した “……これは、日本……食……?” と目を疑うような例が散見される。
寿司はソースとチーズでギトギト。ラーメンもこってりこてこて豚骨背脂マシマシだ。とある西洋の人は、『俺はツウだから、日本の回転寿司でも美味く食べれる』なんて語るからよくよく聞いてみると、サーモンチーズ一択で、さらに、醤油ではなく必ず甘ダレをたっぷりかけて食べる、という話だった。それくらい、味覚がもう違うのである。
若竹煮とか、栗ご飯とか、土瓶蒸しとかが、大ブームになっているなんて聞いたことがない。
(うわ。思い出すと食べたくなってきた。和食ぅぅ……恋しいぃ……)
貧乏旅行ではあるが、海外を回り、あちこちの現地食を食べてきたライチである。
西洋食で言うなら、よくあったのは、何を頼んでも付いてくるフライドポテト!そして、ガーリックバターと塩胡椒もりもりのステーキ!レモンとピクルスでお口直し!のような、パンチ力が命!の、油!塩分!スパイス!な料理だ。
空腹であれもこれもと料理を頼んで、その全てに山盛りのフライドポテトが乗っていた日には、『もう揚げた芋はいいって……』とポテト恐怖症になりかけたものだ。
現地では、油と塩たっぷりのフライドポテトが、白米の代わりだったのだ。
たまに食べればとても美味いが、毎日それだと舌と胃がドン引きする。
朝食はパンにチーズとハム、小さなリンゴ、なんかがセオリーで、“出汁の香り”なんてものは、どこからも鼻に届かない。
(某カレーの国なんか、ホテルバイキングの全てがカレー味だったしなぁ)
ポテトや目玉焼きすらカレー粉まみれだったときには、ちょっと本気で崩れ落ちたものだ。
カレー味はもういい。卵は卵の、芋は芋の旨味があるから、それを味わわせてくれたらいいんだ……。いや、美味いけどさ、カレー粉。
(もっと日本との違いをあげるなら、調理に関して、細かいことを気にしない豪快な人も多いんだよなぁ。
ここであれこれ言っても、受け入れられるかどうか……)
夕食に、ちょっと気取って、ヨーロッパ都市部のお高いレストランに行った時のことだ。
(エビのパスタを頼んで、楽しみに大口で頬張ったら、ね……。ザリリィッ!っと、ね……)
へぇ……ふぅん……こんな感じのレストランでも、背わた、取らないんだ〜、と無言で、口内のザリザリ入りのエビを飲み込むしかなかった。
日本なら家庭料理でも勿論背ワタは取るのに。たまたま当たりが悪かった……のではなく、ナイフで背中を切り開けば、全てのエビにたっぷり背わたが詰まっていたのである。
(う〜ん!これぞ現地!これぞ旅行!いいね!!って思って食べたけど、ほんと日本の感覚とは違うんだなぁと思い知るよな)
某都市部の骨まみれのサバサンドもすごかった。あちこちから漂う焼き魚のたまらない匂いに、買ってすぐに大きな口で頬張ると、ズラリと並んだ骨がブスブス!と口内を攻撃してくる仕様だ。
日本の市販品では食べたことのない攻撃力。うまく食べれないと口内炎必至案件なのである。
(出汁は? 下ごしらえは? 旬の食材独自の甘さや食感は? ってすぐに舌と消化器が悲鳴を上げて、結局どこの国に行っても、韓国料理屋に逃げ込んだり、おやつに持参した煮干しをかじったり、持参のカップ麺でホッと一息ついちゃうんだよな〜)
味覚の違い、下ごしらえの感覚の違い、などの埋めようもない常識の違いが、ライチがこの世界のどこに行っても、料理指導にあまり乗り気になれない要因の一つだった。
これらは、保存食の文化の違いが由来だと聞いたことがある。
塩漬け、酢漬けが基本の西洋。
発酵、乾燥が基本のアジア。
西洋は塩と酸味の表面のパンチ力から食の安心を求め、アジアでは熟成度合いを旨味で測って安心を求める、らしいのだ。
日本人が噛めば噛むほど奥に見つけられる旨味を、外国人では見つけられず、結果『なに? この味のしない怪しくて信用ならないやつ……』と残す。
反対に、外国人が料理で繰り出すパンチ力を、奥にある旨味で安心を探し慣れている日本人では受け止めきれず、結果、ギブギブ!と数日で消化器が悲鳴を上げる。
白米こそ正義!旬こそ正義!出汁と醤油こそ正義!な日本人に、中世ヨーロッパ風のこの場所でのアドバイザーは、正直全く向いていないのだ。
(日本のいいところ番組とか、異世界ものでよくある、日本食で料理無双!みたいなのって、美味さを感じる味が国によって全く違うから、なかなか難しいと思うんだよなぁ……。
日本人が美味いと思うようなアドバイスをしても、ここの人たちには受け入れられないだろうし)
本人たちは聞き入れる気満々のようなので、日本人なりに美味くなるように指摘するのは、全くやぶさかではないのだが。指摘した結果が、お口に合わなくても知らんよ? ということで。
(ま、各国で食べた感じを思い出しながら、口出ししてみるか)
ライチは散々もやもやと考えた後、最後にそう心に決めて、厨房を見学することにした。




