第75話 スーパーバクテリアくんづくり 後半
「……と、まぁ、言われましても、いちおう……ね」
小難しい説明だったが、理解が追いつけない時には追加説明をしてもらえると分かっただけでもありがたい。
脳内育コツメモのおかげで、何度も反芻して整理することも出来た。
「“生命には干渉できない”、ね」
ライチの悩みのタネはこの言葉だけでほぼ解決である。
「で、桶とか、下水溝にうっかり落ちちゃった洗濯物とか、塗布のためのモップ的なのとか、そういう“意志を持って存在するもの”も分解されない、と。
逆に、あんまり下水溝をゴシゴシ掃除してると、うっかり塗布したものが流れちゃうかも、ってことか。これは、フロステ草の根が張るから、守れるかな?」
このあたりも、目の前で大桶が無事であることから、納得だ。こすれば落ちると分かったのもよかった。
「……とはいえ、脳内の言葉と、目の前で見た分解の危険さで言ったら、やっぱり目の前で見た方を信じちゃうよねぇ〜」
ライチはそう独り言をこぼしながら、机の上に、陶器の皿を三つ並べる。
スキルの返答の脳内整理をしている間に、実験用に屋敷からいただいてきたものだ。
一つ目には、捨てる気満々の、干し肉と骨付き肉。ふと食べたくならないように、なんとなく砂もまぶしてみた。
二つ目には、布。骨でできた櫛。そして、今から食べる気満々の、干し肉と焼いた骨付き肉。
そして三つ目には、自分の手を乗せる。
ドキドキしながら、スーパーバクテリアくんの桶から、少量のゲルをすくい、各皿にかけていく。
一つ目。生肉、干し肉、骨、の順に分解され、皿には粘土が残った。
二つ目。布、変化なし。骨でできた櫛、変化なし。食べる気の干し肉と焼いた肉、変化なし。
「同じ肉でも、食べる気があるか、捨てる気なのかで結果が違うのか!凄いな。
これは確かに、生物としてのバクテリアというより、AIバクテリア?みたいな感じだな」
ゲルが乗って、ちょっとあんまり食べたい感じのお肉ではなくなってしまったこの二つだが、洗ったらまだ食べる気になるだろうか。……いや、申し訳ないが後ほど捨てさせてもらおう。
……ず……ずず……
そう心に決めた瞬間、ゲルが乗っていた干し肉と焼き肉がぐずぐずと溶けてなくなった。
「こわっ!その物に込められた意志を読んで、溶かすかどうか決めるの、怖い!」
神への誓いも、父性エネルギーも、祈りの神聖力も、全て“意志の力”のようなところがあるから、ここはそういう世界なのかもしれないが、得体のしれない生物が心の中を読んでそこにあったものを抹消してくるのは、非常に恐ろしい体験である。
(まぁでも、『うっかり落としちゃったけど、汚れたからもういらないや〜』みたいなゴミはなくなるってことだな。便利、べんり、べんり。……うん)
そう無理やり納得して、意識を切り替える。
三つ目の皿は……
「ヒッヒッフー。……こわっ、こわい、こわすぎ」
今目の前で、肉どころか骨まで溶かしたゲルだ。平然と自分の手に乗せられるやつがいたら、だいぶイカれている。
「……いや、待て待て俺。手は不便だからさすがにやめよう。壊死してスパッと切り落とすならどこ……足? 足の小指? うわぁ、やだなぁ……」
もうどこになっても嫌すぎるが、念の為に用意した包丁も構える。スーパーバクテリアくんに体が喰われていった場合には、前世の記憶に倣い、すぐさまそこを切り落とす覚悟だ。
「……よし。やるぞ……。生命には干渉できない、生命には干渉できない、生命には干渉できない……それっ!」
硫酸なんかをかけるくらいの恐怖だ。目をつぶりたいほどではあったが、かける場所を間違えては大変だ。目をかっぴらいて、靴を脱いだ右足の小指の爪の生え際あたりに、ゲルを気合いで乗せてみた。
「いち……にぃ……さん……」
少し待つ。
痛み、無し。変化、無し。
スーパーバクテリアくんは生命には干渉できない、ということが実証されたようだ。
「おっし!……最後は……はぁ。体内に取り込む実験だ……」
これも、劇物であるという認識と、さらに肥溜め池からすくってきたものだという記憶から、ものすごくものすごくやりたくない実験だ。
しかし、無責任に街に塗りたくった結果、うっかり赤ちゃんなどの口に入って、何か害があった日には、自分で自分が許せない。よって、人体実験は必須である。
「足の指も大丈夫だった。生命には干渉できない、生命には干渉できない、無害、無害、むがい……」
今度は目をつぶって、指で桶からすくったゲルを舌に乗せる。
味、無し。舌の変化、無し。
……なんならバイオフィルムを分解して、歯磨き代わりになったり?
あ、人体には干渉できないか。
なんてあれこれと考えて気を紛らわしながら、目をぎゅっと閉じてゴクリと飲み込んだ。
「喉痛、食道痛、腹痛、無し。身体の外側の変化、無し」
あとは下痢をしなければ、体内に取り込む人体実験もほぼクリアだ。
本当は傷口に塗り込む、という実験方法も思いついたが、破傷風も余裕であり得るこの世界では、小さくてもあまり傷は作りたくない。スキルの言葉と、ライチの気合いのごっくんで許してもらうことにした。
「よし、よーし!無害!無害!よかった〜!」
石橋を叩いて叩いて、ようやく一安心である。
(スキルさんも、最初から細かく説明してくれたらよかったのに〜。“無害”だけ言われても、怪しくて納得できないっての)
端的に告げて、『これだけ言えば分かるよね』感を出すのが、なんとなくだが嫁のリノを思い出させた。
よく、
「あのねぇ。“ミルクを飲ませて”って言葉には、前のミルクから何時間経過してるかアプリで調べて、その時間に遅れて脱水にならないようにアラームをかけて、哺乳瓶を消毒液から専用ハサミで取り出して乾かしておいて、普段飲んでるミルクの量をアプリで調べて、時間になったら手を洗って消毒して、お湯を沸かして、粉ミルクを計量して乾いた哺乳瓶に入れて、お湯でダマができないようにしっかり溶かして、流水や氷水で人肌まで冷やして、ちゃんと人肌になってるか腕の内側にかけて調べて、赤ちゃんが飲みやすい環境と姿勢で飲ませて、アプリに飲み始めの時間と量を記録して、ゲップをさせて、しばらくは吐き戻しがないように目を離さないでおいて、うんちが出たらオムツから漏れる前にすぐ替えて、もし漏れてたら全身着替えさせて敷きパッドも洗濯して、オムツ替えの時間とうんちやおしっこの様子をアプリに記録して、哺乳瓶は洗って最低一時間は消毒液につけておいて、ミルクのストックが減ってたら買い出しリストに入れたりネットで買ったりして……って意味が込められてるからね? ライチのやってるのは、“哺乳瓶に入ってるミルクを、赤子の口に入れてじっとする”と“ゲップをさせる”だけだからね、それ。あとは、ぜーんぶ私がやってるから。正直、それだけならほぼ授乳補助クッションとかでできちゃう仕事なのよ。自分では生きられない命を預かってんだからさ、パパとして、早くちゃんとできるようになろうね」
などと、逐一説明を受けたものだ。
たった八文字の指示に、これだけの工程をしなければならないと、誰が思うだろうか? 普段見てたら分かるでしょ? ときたもんだ。
任せきりでちゃんと見てませんでしたスミマセン、ハイ……。
『ゴミ出しといて』『皿洗っといて』『洗濯物取り込んで』、なども気をつけないと、複数の意味が込められているワードだ。
(リノ、元気かなぁ。送金は役に立ってるかなぁ……。もうすでに、スキルのちょっとした不親切からリノを感じるくらい、懐かしいな……)
こんなわけのわからないことで思い出すほど、やはり家族に飢えているらしい。
今のライチにできることは、送金だけ。立ち止まるのは、死亡保険金を上回る仕送りができてからだ。
「……なんせ、生物にも物にも無害だと分かったことだし、次は塗布だな!
この量の肥溜め池の水から、これだけのスーパーバクテリアくんが作れるなら、あの池全部のバクテリアならかなりの量ができそうだ」
ひっそりと心配していた【そもそも元のバクテリアが足りない問題】は、この変換率ならおそらく大丈夫そうだ。
「持ってきたフロステ草が枯れる前に、さっそくお試しでも下水溝に塗布していきたいけど……。もう時間が遅くなっちゃったな。
どうせ街全体に塗るにはマンパワーが必要だし、フロステ草もバクテリアも足りないか」
とりあえず、実験も兼ねて、フロステ草は大桶に水を張って、先ほど分解して出てきた栄養たっぷりのヘドロを入れてそこに浸けておくことにした。
淡く光る花らしいが、煌々と照明の火が灯されているこの部屋では、よく分からない。
「今日はここまでにして、あとのことはまた郊外村まで行って、村長さんに相談してみよう」
一つのクラフトを成功させた達成感を胸に、ライチは皿や包丁などを片付けながら、ひとりごちた。




