第72話 発注
「……弟よ、この人が、何言ってるか分かるんか?」
「いんや。全然。こんなん、木札何枚あっても足りねぇって」
「ほんとそれ」
「……ぐぬぬぬ……」
五人が一人の客に向かって木札を突き合わせている光景は、どうにもセンセーショナルだったらしく、『どんな難題を押しつける客が現れたんだ?』と、わらわらとギャラリーまで集まってきていた。
「『違う違う』って、そればっかし言うなら実物を持ってこいや!なんだァ?クリームを絞るって? 先の金具が取れないけど、取れるようにして欲しいって、矛盾してるだろうがよ!」
ノーを出しまくるライチに、フェラド父が我慢の限界を迎え、キレ始める。
兄たちも、一応いくつか発注書を書き上げているが、どれも実用性の全く無いものだ。
「……先の穴へ、圧をかけ続けられて、クリームが出続ければいいんすよね? 片手で使うんすか? 両手?」
フェラドだけが食いついて、真剣に質問をし続けてくる。脳内イメージだけで完成品を組み立てているようで、発注書にはまだ何も描かれていない。
「うーん。ケーキの乗った皿を回しながら絞ることもあるから、片手で使えるのが理想だけど、試作品は両手用でもいいかも」
ライチ自身も、フェラドの細かい質問に答えていくうちに、この世界での実用化のイメージがどんどん湧いてくる。
「ふむ。加工するなら、筒型より角型の方が簡単っすね。寸法合わせがしやすくて、押し出す方の器具も作りやすいし。
先端の金具は、別に金具だけ取り替えなくてもいいっすよね? 押し出す面ごと交換可能にすると、穴を開けるのも鉄板そのままだから加工しやすいんすよ。このやり方でも、ライチさんの希望通り、穴からクリームが出せるかなと」
「あ〜!なるほど!ところてん突きの先が、あみあみじゃなくて、絞り穴になってるってことか!それ、金具作るより絶対加工が楽じゃないか!……あ、でも、繊細な絞りをすることになるから、先は面じゃなくて、尖ってる方が、手元が見えやすくて、シェフはありがたい気がするんだよなぁ」
「じゃあ、先端面に円い穴だけ開けて、それより大きくて尖った金具を中からはめましょっか。そしたら、押し出す圧で抜け落ちないでしょうし」
「そうそう、絞り袋と絞り金具って、ほんとはそんな感じで袋に引っかかるんだよ……って、フェラド!見たことも聞いたこともないのに、贔屓なしで、ほんとに凄い!」
フェラド家族だけではなく、ギャラリーまでもが、そのやりとりを呆然と見守っている。
「それでよかったら、ほんとすぐに作れるっす。一旦一度に入る量は度外視して、片手サイズで作るとしたら、こうなって、こうなって、ここの長さがこうで……」
ついに発注書の木札に書き込み始めたフェラドの手元に、全員が注視する。
「……こうっすね!」
ようやくフェラドの発注書が出来上がった。
金属製のところてん突きの先に、円い穴が開いているものだ。そして、その穴より大きめの寸法で、円錐の絞り口の金具が描かれた。金具はモンブラン用、星、円、花など、ライチの希望のものを数種類チェンジしてはめ込めるような構造になっている。
「これで、全員の分が完成しましたね。……では、できた発注書の、どれを買い取るか、選びますね」
ニコリと笑うライチに、フェラド父が片手を挙げた。
「……いや。いい。
何年鍛冶やってると思ってんだ。一番形にしやすくて、客の要望を叶えてるのがどれかなんて、客に選ばれなくても分かるわ。
フェラド……お前、すげぇじゃねぇか。未知のモンの発注書書きなんて、そんな才能があるなんて、誰が気づくよ。やっぱりお前も、鍛冶屋の息子だったんだな」
フェラド父のまっすぐな言葉に、ギャラリーから『おお〜』と歓声が上がった。
「フェラド、やるじゃ〜ん!」
「長年アニキしてたけど、こんな技持ってるなんて、知らんかったわ」
「オヤジにどやされてないフェラドなんて、初めて見たわ、俺」
全員に手放しで褒められ、フェラドは顔を紅潮させて鼻を掻いている。
「へ……へへへ。俺、オヤジの息子なのに、超絶ぶきっちょだったけど……ちょっとはいいところあったんすか……ね?」
「フェラド!君のイメージ力と具現化力は、本当に本当に得難い才能なんだって!これからの鍛冶屋の発展に多大なる貢献をする人物だよ!もっと自信持って!」
それでもどこか自信なさげなフェラドに、ライチは全力で太鼓判を押した。
「お客さん……いや、ライチさん。うちの息子の良いとこを見つけてくれて、あんがとな。
どやしてもどやしても上手くならねぇし、最後には出ていきやがるし、郊外村なんかに住みやがるし……どうしてやったらいいか、分からなくなっちまってたんだ」
人のいいフェラドを育てたご家族だ。できないことをネタにはしていたが、決して愛がなかったわけではなさそうだ。
「フェラドくんの凄さが伝わってよかったです。……では、この三つの発注書をもとに、さっそく加工をお願いしたいです。料金の相談をお願いできますか?」
ライチが商談に移ると、フェラド父は、『オラ!お前らは散れ散れ!働け!!……ユード、ドゥオド、ツレド、てめぇらもだ!』とギャラリーとお兄さんたちを追い払う。
「……あ、郊外村で思い出したんすけど、俺、今日から商人組合長のお屋敷で働くことになったっす」
ギャラリーが解散する前に、フェラドが何気なく行った報告により、工房はひっくり返った。
「な、なにぃ?! あのプルデリオの大大大豪邸で、だと?! こらァ、フェラド!どんな怪しい手を使ったら、郊外村の行商人ごときがそんなとこに潜り込めるんだ!……てめぇ……まさか……犯罪に手を染めやがったのか?!あァん?!」
その後、胸ぐらに掴みかかる勢いのフェラド父をなだめて説明をするのに、結構な時間がかかってしまったが、無事、ライチはフェラドへの支払いと、工房への前金の支払いを済ませ、工房を後にすることができたのだった。
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「ライチさん、ありがとうっす。あんなにみんなに褒められたの初めてで、なんか……胸がいっぱいっす」
ほくほく顔でそう話すフェラドと、店舗通りを歩きながら、遅めの昼食を済ませる。
嬉しそうで何よりだ。ライチも大満足である。
朝食が甘いものづくしだったので、パンは硬いが、塩気の効いた生ハムが美味しい。
(ハムは美味しいけど、何せパンがなぁ……天然酵母だと膨らませるのもかなり時間と技術がいるらしいし、せっかくクラフトスキルがあるんだから、ドライイーストとかベーキングパウダーが作れたらいいのになぁ……)
この世界で生活していると、あれもこれもと作りたいものは浮かぶが、ベーキングパウダーもそのうちの一つである。お子様といえば、ふわふわのパンだろう。
しかし、『ベーキングパウダー 主成分 赤ちゃん 影響』などで検索した程度のライチのにわか知識でも、その主成分である重曹作りには、電気分解やガス注入、結晶の取り出しなど、越えるべき山だらけだ。
(エンジンが作れたらなぁって時も思ったけど、なんとな〜くで作り方を知ってたとしても、今度はここの技術力が追いつかないんだよなぁ)
こうなると、あとはもうスキル頼みで解決するしかない。それと、父性が滾る条件待ちである。
ライチが食べたいな〜と思う程度では、何も起こらないのがこのスキルの特徴だ。子供を思う気持ちが大切なのだ。
「ライチさんはこのあとどうするっすか? どっか寄りたいところとか、あるっす?」
フェラドが、右も左も分からないライチを気にかけてそう言ってくれる。
ライチはしばらく考えてみた。
「うーん。木工とか革製品、焼き物の工房には、街に詳しい人に顔を繋いでおいてもらいたいけど、注文したいものが今のところないから、また今度でいいかなぁ」
家を持って、部屋の家具や調理器具なんかを作ることになったら、大変お世話になるだろうが、正直プルデリオ家にお世話になっている間は、どれも必要がない。
スーパーバクテリアくんを下水溝に塗りつけるのに、おそらくモップのようなものが必要になる気もするが、まだどんな物体が出来上がるかすら分からないので、注文をするのは時期尚早だろう。
木の棒に布を巻いただけのモップもどきなら見かけるので、一旦それでもいいし。
「オッケーっす。なら、おおまかに『ココは何の工房〜』みたいな街の案内だけするっすね」
頼んでもないのに案内を買って出てくれる、いつも優しいフェラド。ライチの一回りほど年下の、まだ二十歳やそこらだろうに、実によく出来た子である。
「お屋敷に帰りがてらでいいから、よろしくお願いします」




