第64話 朝食スイーツビュッフェ
「ふわぁぁ……」
気が抜けてしまったようで、あくびが止まらない。
自分は指示を出すだけだったが、何人もが同時進行で作業を進めるので、確認と指示と工程組み立てだけで、かなりのエネルギーを持っていかれた。
試食でそこそこお腹も膨れているし、時間が許すなら二度寝と決め込みたいところだ。
服がシワになるのもお構い無しに、布団に潜り込み、うとうとと眠りに引き込まれていく。
「……ライチ様。お休みのところすみません。朝食のお時間となりました」
体感で十五分は眠れただろうか。使用人に案内され、ライチは軽くシワを叩いた服で、食事部屋へ向かった。
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「おう、おはようさん。朝からやらかしてくれたみたいだな」
甘味シートの購入・提供者のトルヴェルがニヤニヤしながらお誕生日席から声をかけてきた。
周りが怪訝そうではないところを見ると、どうやら朝のライチの頑張りは、すでにこの場で共有されているようだ。
皆に順に朝の挨拶をしてから、トルヴェルに向き直る。
「高級品をお買い上げいただいたんで、腕を振るわせてもらいましたよ」
ライチにとっても自信作だ。堂々と返してみた。
「客人に早朝から手を煩わせてしまい、すまない。甘味シートの使い方を実地で教えてもらうだけのつもりだったのだが……まさか、どこにもないレシピを次々と披露されるとは思わず……今は、当家全体で困惑している」
プルデリオが、夜に我慢した分まで、愛しのロゼッタを抱っこして可愛がりながら声をかけてくる。
「いえいえ。おもてなしの分を返しただけなんで」
「…………君は、等価交換というものをもう少し学んだ方がいいだろう」
カッコよく返したつもりが、呆れ顔のプルデリオにそう言われてしまった。メルカトやトルヴェルも頷いている。
(な、なぜだ……。無難にジュースくらいにしたほうが良かったってこと? 甘味シートの可能性を伝えたんだから、それで良いんじゃないのか?)
「……とにかく、全員揃ったことだし、ライチ君特製の朝食をいただこう。……ロゼッタ。セリオを見習って、おりこうに食べるんだよ」
「ロジーのことはお任せください。お父様」
ちょっと背伸びをしたセリオの声が聞こえる。おませな様子が実に可愛らしい。
長い大人用の食卓とは別に、今日は小さな低い丸テーブルが用意されている。母親のアルジーナの背後で、子供二人がそれぞれ侍女二人に挟まれて、六人だけで食べるスタイルのようだ。
ライチの席は昨日のアルジーナの横ではなく、プルデリオの横になっていた。その横に、フェラド、メルカトが横並びで続く。
なるほど、これなら母親は近くで気を配れるし、お客人に子供が振り回したソースなどが飛ぶこともめったにないだろう。
「ライチさんのお菓子、スピネラで試食したぶりなんで、楽しみっす」
隣のフェラドが、ワクワクした様子で声をかけてくる。
心の安定剤でもある愛しのムリーナは、いつの間にか使用人が高級宿のイン・セレーナに迎えに行って、この屋敷の馬屋に繋がれているそうだ。下町出身で郊外村在住の行商人として、借りてきた猫のように大人しくしているしかないフェラドの、珍しい笑顔である。
(この笑顔だけでも早起きの価値があったな)
実物が口に合うように祈りながら、ライチはフェラドに笑顔を返した。
「おはようございます、皆様。
ライチ様のご指導の新レシピ、ということで、わたくし総料理長のサピダンが、簡単にご説明させていただきます」
先ほどぶりのサピダンが、綺麗に整えた調理制服で現れる。
「まずはこちら、“薄焼き生地のクリーム重ね”でございます。断面が美しい、とのことで、カットする場面をご覧に入れたいと思います。その後、取り分けをして皆様にお配りいたします」
プルデリオとトルヴェルの間に現れた木製ワゴンに、水切りヨーグルトとカスタードクリームのミルクレープが、どどんと乗せられている。
サピダン自らの手で、ワンカットにケーキが切られる。恭しく皿に乗せられ、お披露目される。
(うんうん、上手い。断面が綺麗)
一度切るごとに、包丁をお湯を絞った布巾で拭くと、余分なクリームが断面に付かず、カットもスムーズにいくことを伝えておいたのだ。さすがプロ。とても美しい断面が表れた。
「なんだぁ、こりゃ」
「これは……また、美しい……」
ざわざわと皆から声がする。見た目のウケは上々だ。
(ただ、低いな)
サピダンは気づいていないが、もう少し高く上げないと子供たちに見えない高さである。美しい所作だが、ライチからすると、子供ファーストでないことが少し気にかかった。
子供の目線は大人が思うよりかなり低いものである。ベビーカーに乗った子供に、『ほら見て!あれ!』と大人が声かけてるシーンを目にするが、大体の場合、それはベビーカーの高さからは見えないのだ。
「次は、“焼きリンゴのクリーム山”でございます」
なるほど。ホールケーキ系をまずは目の前でカットする手筈のようだ。
「なんて美しい見た目なの……」
「こんなりんごの飾り方は見たことがねぇな」
まずホールの見た目でひと感激いただいたようだ。サピダンが包丁を縦にして、ツンツンとクッキー台をつつくようにして切っていく。
(そうそう……一気に線で切り下ろすとクッキーが変な方向に割れるから、まずは鋭い刃先で点線を描くようにして、割れグセをつけるといいんだよな)
カスタードクリームの水気も浸透し始めていたのか、難しいタルトの切り分けも、問題なくこなしてくれた。
「ザクザク聞こえるなと思ったら、下に焼き菓子が仕込んであるのか」
「美しく輝く花のようなりんごに、卵のクリームだけでなく、土台の焼き菓子まで……かなり手が込んでいるな」
ホールカットのデモンストレーションはこれで終了のようだ。一度ワゴンごと全て裏に片付けられる。
「それでは、実食していただきましよう。まずは赤カラの実のジュースと、焼きたての柔らかい“浸し卵パン”からです。どうぞお召し上がりください」
ジュースが注がれ、焼き立てで湯気があがっているフレンチトーストが全員に配膳されていく。忘れず蜂蜜甘味水もかけてくれているようだ。
朝食には乾杯はないようで、特にいただきますなどの挨拶もなく、全員の配膳終わりを待って、各々が食べ始めた。
「甘酸っぱい!!あの酸っぱい赤カラの実がこんなに甘いジュースになるとは」
「これは……!よくある浸しパンかと思ったら、なんて甘い……」
感動する面々に、うんうんと頷く。パンが小さめにカットされてるので、見た目が少し不格好だが、中も外も甘味たっぷりなので、甘みのパンチは強烈だ。
「おいちいね」
「ジュースも甘くて美味しいし、パンは柔らかくて、ロジーにも食べやすいな。よかったな、ロジー」
子供テーブルの、とても微笑ましいやり取りが聞こえてくる。
(そうそう。フレンチトーストの良いところは、栄養価の高い牛乳と卵とパンを、子供の咀嚼力でもパクパクとテンポよく食べれちゃうところだよな。急いで食べて欲しい朝とかに重宝したなぁ)
ライチは予定がある日のドタバタの朝を思い出して、ふ、と笑った。




