第62話 プルデリオ家 厨房
「(ライチ様、ライチ様。おはようございます。お休みのところすみません。約束のお時間でございます)」
「うぅん……ゃく……そく……?」
布団の上から優しく揺すられつつ、寝起きドッキリのような小声で声をかけられる。
(えー……っと。湯船浸かって、ご馳走食べて、百万円送金して、ふかふかの布団で寝たんだったな……やくそく……約束……)
「……あ!そうだ、朝食準備の時に、甘味シートの使い方指導をして欲しい、とかそんなでしたね!」
布団を剥がして飛び起きる。目の前には昨日風呂の世話をしてくれた使用人の男性がいた。
「早朝にすみません。すでに厨房の準備が整っております。取り急ぎ、お支度の手伝いをさせていただきます」
優雅に一礼をしつつ、彼の手でテキパキと洗面桶の洗顔やら着替えやらで変身させられていく。起き抜けにいきなり他人にお世話をされるのも、楽っちゃ楽だが、なんともせわしない。富豪も大変である。
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「おぉ〜。ここが大富豪の新築の厨房」
開いている扉を通ると、むわりとした暑さと、煙の香りが肌を撫でた。
床や壁は石。天井の梁は黒く燻され、重厚な雰囲気づくりに一役買っている。天井近くには、吊り下げられた燻製肉の束と、編まれた籠の中の乾燥野菜。煙が部屋全体を緩やかに漂っていた。
中央には大きな木の調理台。上には小麦粉の袋、卵が入った籠、ミルク壺、鍋、木のボウル、匙、そして……こちらに来て初めて見る、鉄板が置かれている。
(あれで昨日のステーキを焼いたのかな? 地味にここって焼き料理ってレアなんだよな。焼くだけなのに。フライパンがなかったから、バルゴさんちでクレープを焼くのも苦労したし)
フライパンは見受けられないが、鉄板があるなら料理の幅が広がりそうである。
正面には、例の、動く城にある火の悪魔がいそうな巨大なかまどが口を開けていて、乾いた薪が音を立ててはぜていた。
(ふむふむ。かまどはやっぱり、中のフックに吊り下げる方式か)
下からの加熱に特化してるので、オーブン系の調理をしたいなら、ダッチオーブンのような、蓋の上に炭が乗せられる鍋が必要そうである。
(暑いと思ったら、この規模で換気扇どころか煙突すら無しか)
一・二階の吹き抜けにしてあるため、天井が高く、一応熱気が一階部分にこもらないようにはなっている。火の熱と煙を逃さず、梁に干したものを燻す目的もあるようだ。一階部分にはガラス窓があって明るいが、二階部分は壁に小さな穴が空いているのみである。
更に、右手奥には、なんと二基目のかまどがあった。一気に調理ができるのは素晴らしいが、これでは換気が追いつかず、暑くなるに決まっている。火が部屋中を温め、まるでサウナのようになっていた。
(熱中症で倒れる人が出ませんように……)
部外者のライチにできるのは祈ることだけだった。クーラーも無いし、暑さには慣れているだろう……と、いうことにする。
壁側は、石壁に沿って調理用の棚が設置され、木製のボウル、陶器の壺、金属製の鍋――どれも手入れが行き届いたものが並んでいる。
特に目を引いたのは、壁一面に並べられたスパイス、砂糖、塩、酢、油、干物、蜂蜜、乳製品などの文字が書き込まれた大小の瓶類だ。料理にかける本気度が見える光景だった。
その厨房に、濃紺の制服を着た十人ほどの料理人が、ズラリと並んでライチを待っていた。
まだ早朝。しかも、今日はお客はいるものの、毎日で言うならばバルゴ家より少ない、四人家族の食事の支度のはずだ。簡単なものなら一人いれば回るはずなのに……プルデリオは食に対してかなり気合を入れているようである。
ライチが部屋の中央に進むと、十人が無言のまま一礼した。その中の一人が、一歩前に出る。
「総料理長のサピダンと申します。ライチ様、早朝よりご教授ありがとうございます。主人より、よくよく学ぶよう仰せつかっております。どうぞよろしくお願いいたします」
「いえそんな……いち旅人ですし、プロの方に何か伝えられるほどではないんです、ほんと……。でも、頑張りますね。よろしくお願いします」
サピダンは、そのまま簡単に厨房メンバーを紹介してくれた。
申し訳ないが、早くて全くライチの理解が追いつかなかったので、途中から『ふーん……』と聞き流させてもらった。ごめんなさい。特徴ある服装と役割だけはなんとなく把握した気がするので、許してほしい。
当のサピダンは、濃紺の帽子とチュニックに、革の腰エプロンを締めている。四十歳手前ほどの男性で、顔つきだけ見ると素朴なように見えるが、伸びた背筋と所作が、凛として美しい。
昨日のあの豪華なフルコースも、この人が手掛けたと思うと、不思議な気持ちになった。
次は火番。
上半身裸に、革の首掛け全身エプロンを巻いた、煤で黒ずんだ顔の三十路頃の男性たちだ。腕には火傷よけの分厚い布が巻かれ、顔と同じく煤のついた布帽を深く被っている。
肉魚係。
三十代半ばのごつい男性たちで、腰には革ケースに入れられた包丁が複数吊られていて、つい目を逸らしてしまう。
野菜・副菜係。
服の袖を絞った、五十代の男性と女性だ。腰には干したハーブの束がぶら下がっている。
製菓・乳製品・卵係。
製菓と聞いて身構えたが、意外と穏やかそうな若い男女だ。知識や経験は分からないが、お菓子作りに必要な体力と繊細さがありそうで何よりである。
あとは調理補佐に、配膳、皿洗い、見習い……と紹介されていく。
ほぼ若い子だし、見習いに至っては、若いどころかほぼ子供だったので、見込みのある子はどんどん育てていく職場なのかもしれない。
「旅人のライチです。どうやってこの国に来たのか、記憶をなくしていますが、その他の記憶はあるので、他国の調理についてはそこそこお話できると思います。
ただし、調理器具も違うし、そもそもが家庭料理のレベルなので、プロの目で見て感じたことはどんどん声をあげて磨き上げてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」
最後にライチから全体へ自己紹介をして、いよいよ調理へと移ることになった。
「まずは状況を把握したいんですが……食材を冷やす器具はありませんよね?」
冷蔵庫・冷凍庫的なものがあれば、生クリームやアイスクリームなどの選択肢が増える。
「“氷庫”でしょうか。魔力を家庭に使うことを許された貴族のみの所有品ですね。残念ながら当家にはございません」
サピダンをさっそくしょんぼりさせてしまった。
「あ!あとは、フルーツ、乳製品、スパイス、粉類の種類と、調理器具を教えて欲しいです」
慌てて材料について尋ねると、サピダンは嬉しそうに紹介し始めた。
「お任せください。こちらは貴族家にもそうそう負けない品揃えとなっております。フルーツでしたら――」
時間もないので、ものすごい早さで紹介してくれたものを脳内整理し、自分のレパートリーと照らし合わせる。
(オッケーオッケー。ふっふっふ……お菓子作りならそんじょそこらのパパには負けないぞ)
何せ元々が、小麦粉と砂糖でなんとかスイーツをひねり出しいた甘味大好き貧乏学生だ。
お金を稼いで、子供までできたら、台所育児をしないワケがない。子供が甘味を食べて『おいしい〜♡』と言うのを見るのが何よりの幸せなのである。
(もちろん、子供お菓子作り教室も履修済みだ!
あの、子供の調理シーンを、親がガラス越しに見守るやつ。
四歳から可だったから、行けたのはルノだけだったけど、コックさんの格好は可愛かったし、うちの子は他の子より上手だったんだよなぁ……絶対天才だったよなぁ〜……)
うんうん。と思い出に浸ってしまう。
子供だけで教室の調理をしたあとは、別日に自宅でライチ・リノと親子料理教室をして復習までする徹底ぶりだ。レントにも手伝わせていたので、家族みんなでめきめきと調理スキルが上がっていたのが懐かしい。
「ありがとうございます。これだけあれば、かなりのものが作れそうです。とりあえず今日は時間がないので、下ごしらえのいらない、ぱっと作れるものにしましょう」
そう言って提案したメニューが、以下だ。
一、フレンチトースト
二、水切りヨーグルトのミルクレープ
三、焦がし蜂蜜のカラメルプリン
四、りんごのカスタードタルト
五、赤カラジュース(例のバルゴ家で作っていた)
「甘味シートの甘味水は、砂糖と違って飴になったり、焦げたりしないんです。なので、本当に甘くなるだけのものだと思ってください」
メニュー名は伝わらない気がしたので、調理法を伝えたのだが、このお品書きに、一同がざわつく。
「ライチ様。卵牛乳液に浸けて焼くパン以外は聞いたこともないメニューですし、蒸す……とは……?我々に作れるでしょうか……。
更に、砂糖は本当に貴重品の中の貴重品でして……。蜂蜜もこれだけのメニュー全てに入れるほど使ってしまっては、後が残りません。
……甘味シートとやらは、本当にそんなに甘くなるものなのでしょうか……」
サピダンに心配そうに確認されるが、ライチは胸を張って答えた。
「甘味シートはゲロ甘……じゃなくて、舌が驚くくらい甘いんで、安心してください。あと、どのメニューも、とても簡単に作れるものなんで、ご心配なく!」
使用人の男性が持ってきてくれた調理服を上から被り、ライチは満面の笑みで拳をあげた。
「よっしゃ。プルデリオ家にご恩返しといきましょう!レッツ クッキング!」




