第58話 大聖堂
チャリッチャリッ
無事二回の出金を終え、建物の外に出た。現在、ライチはとても裕福な心地になっている。一十百千の硬貨が、それぞれ十八枚ずつ。結構な重さと安心感だ。
受け取りの際のことを思い出す。
枚数を確認しながら、それぞれについて勉強しておいた。
一Gは、小さな銅貨。
十Gは、大きな銅貨。
百Gは、小さな銀貨。
千Gは、大きな銀貨。
(どうどう、ぎんぎん、ね。オッケーオッケー)
気になって万Gについて尋ねたら、“銀で、フチが金”だと教えてもらえた。さすが日本円にして十万円硬貨。めちゃくちゃ高そうである。
全て、裏に返すと、三本のバラが✕の葉でまとめられた紋章が刻印されている。
「これは何のマークですか?」
と尋ねて、相手の顔は見えないのだが、若干白い目で見られてしまった気配がした。
「……我らデコティリア王国の紋章です。銀の硬貨は、他領どころか他国にも使える国際通貨なんですよ」
(でこ、ティリアおうこく……国際通貨……つまり他国あり……)
また新情報を知ってしまった。正直ここの領地名も、アゼ道? シルバー? とまだあやしいライチである。そっ……と、この情報は胸の奥にしまっておくことにする。
なんにせよ、銀は硬貨としても世界的にめちゃくちゃ需要があって、それに関わるプルデリオが、死ぬほど儲けているであろうことは容易に想像できた。
(……あれ? そういや五系の硬貨がないな)
かつてマルタから差し出された五Gと、五十Gが無かったので、興味本位で尋ねると、銀行員さんから意外な返答が返ってきた。
「近年、それらの五系の硬貨は出回っていません。持っているものを使用することはできますが、入金時に回収され、出金での新規の流通は止められています」
ライチがユイ婆からもらって、まだ手元に残している五十Gと、あの日ATMにそっと入れた五Gの硬貨は、ゆくゆくは幻の存在になるものだったようだ。五十Gは、今後も初出店、初送金のお守りとして持っていてもいいかもしれない。
「なにはともあれ……これで、ちょいとそこでパンを買って食べたりできる。嬉しい〜……」
海外旅行先では、パスポートやカード、高額の現金なんかは、薄い腰ベルトポーチにしまい、ズボンの中に隠して持っていた。スリや強盗対策だ。
ここでもそれに倣うことにした。二回目の出金後、しばらく個室を出ず、ゴソゴソと麻袋を腰に巻き付け、簡易ズボン内ポケットを作った。千G、十八枚だけをそこに入れ、隠し持つことにする。
残りは普通に袋に入れて懐の方の内ポケットにしまい込んだ。卵三個分くらいの結構な存在感だが、幸せの重みと思うことにする。
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「おぉ……ここが大聖堂……」
上水橋の頂点。街の円の中心。神に最も近い場所。市民を救済し、医療や清めなども行う場所。
敷地を囲う塀を抜けて、大聖堂の前に立った瞬間、ライチは思わず息をのんだ。
美しい白い石造りの重厚な建物。背後にそびえる高く大きな六角形の本堂から、何度も増築を繰り返したのか、前へ横へと次々に建物がせり出す不思議な形をしている。外には飾り用なのか、実用するものなのか、むき出しの石階段が複数生えている。
正面にある大扉にはアーチがついていて、白地に、水色と銀のモザイクで美しく装飾されている。上には巨大なアスタリスクのマークが埋め込まれていた。
正面左にそびえ、上水橋を引き上げるのは、こちらもアスタリスクにちなんでいるのか、白く細長い六角形の塔だ。二階建ての建物が多いこの街で、四階ほどの高さがあるこの塔は、かなりの威厳を感じさせた。
「中……入っていいんだよな……?」
扉は開け放たれているし、人の出入りも見られる。海外の、入場に事前チケットがいるような有名観光地を思い出し、ライチはおっかなびっくり大聖堂の建物へと入り込んだ。
「あ……うわ……すご……い」
ぼんやりと開いた口から、知らず感嘆の声がこぼれ出る。足を一歩、また一歩と踏み出すたび、息を呑むばかりだ。
外観は白一色で無機質なように感じられたが、中は精巧に作られたモザイクの別世界だった。ライチの心は大いに揺さぶられた。
最初に視線を奪ったのは、正面の、天井まで伸びた半円の部屋に掲げられた、巨大な*のマークだ。
以前、オスティア河港の修道院で見た、木製のものとは違い、白い石に、銀の装飾が施されている。その中央の青白い球体も、かなりの大きさだ。
はて、魔道具はモンスターの額の魔石を元に作られるそうだが、これだけ大きな聖道具は……? と少し考えて、人身御供しか思いつかず、ライチは考えることを放棄した。
次に目についたのは天井。
六角形の天窓から差し込む柔らかな光が、天井に描かれた空と雲のような模様のモザイク画と、最も高い位置に描かれた銀の*をキラキラと照らしている。
床に目を落とせば、幾何学模様のモザイクが埋め込まれていた。
全体を見ると、中心円を六つの半円が取り巻く構造をしている。
中央の天井と、半円一つ一つの天井から壁一面を覆うのは、白と水色と銀を基調とした神話的なモチーフの精緻なモザイクだ。
*の形の輝きに、手を合わせる人々、嘆く人々、喜ぶ人々……遠目には一枚絵に見えるが、近づけば一つひとつが指先ほどのガラスや貝殻、石の粒でできていることが分かる。
数多の手が、この空間に“神の存在”を刻もうとしたのだ。目が眩むような荘厳さである。
「凄いな……歴史的建造物が、ほぼ劣化なしで見られると、こんなに美しいものなのか……」
姫路城も大改修で、建築当時の白鷺城として、屋根も壁も真っ白に戻された。
今ここにあるのは、改修後の美しさではなく、リアルタイムの瑞々しい美しさだ。感動が止められないのも納得である。
「なんかよく分からないけど、手だけ合わせておくか……」
オスティアでも見たが、祈りの姿勢が、横回転した*になるように、立ったまま祈るのが正解らしい。ライチも周りを見習って、鎖骨の下、胸のあたりに両手を交差して当てて、目を閉じてみた。
(え〜と……神様、神様。
本日、いただいたスキルで、結構稼ぐことができました。今晩、リノたちに送金しようと思います。死にかけてた身で、家族のためにできることがあるのは、とても嬉しいです。……最初に、めちゃくちゃにキレてしまってごめんなさい)
なんだかほんのり周りがざわついている気がするが、気にせず祈り? を続ける。
(欲を言えば、ルノたちの様子も教えて欲しいです。……もともと死にかけの身で、調子こいてすみません。元気かどうかだけでも教えて欲しいです。俺もこっちの世界を良くするために頑張るんで、よかったら、よろしくお願いします……!)
結局最後は、日本式に願望を押し付ける感じになってしまった。これは果たして祈りと言うのだろうか? 謎だが、神様への感謝と、世界の多幸を祈願したから良しとしよう。
――パァァ……
パチリと目を開けると、目の前に掲げられた*の中心の石が、音でもしそうなほど強くまばゆく光っていた。なるほど、急に光り出したからざわついていたらしい。
(へぇ〜、丁度祈りの時間と被ると、こういうことになるんだ。これは良いものが見られたな)
ライチは神聖なもの全てに心が洗われたような気持ちで、祈りの大広間を後にした。
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「――で。孤児院はどこなんだ? 併設って言われたけど、声をかけようにも修道士さんたちが見当たらないことには、どうしようも……」
大聖堂を出てすぐにある広場で立ち尽くす。綺麗な芝に、上水橋の放射線状の影が落ちている。
ライチはひとまず人を探して、祈りの大広間の建物の周りを回ってみることにした。
「はっ!」「とう!」「たぁ!」
細長い塔とは反対側に歩き始めてすぐに、どこかから響いてくる声があった。鋭く、規律を帯びた男性たちの声。
声の方に近づいていくと、芝の庭からひと続きになった場所に、胸くらいの木柵で囲まれた空間が見えた。
木柵の内側からは、声の他に、鈍い木と木の衝突音に、砂をざりざりと踏みしめる音も聞こえてくる。
柵の至近距離まで来ると、中を覗うことができた。複数の若者が槍を持って並び、指導者らしき男が喝を入れている。
「食われるぞ!距離を取れ!脇を締めて……突けっ!」
訓練場だ。そういえば、大聖堂と併設で聖騎士団の施設もあると、聞いたような聞いていないような。
少年たちの足元は、芝ではなく踏み固められた乾いた砂土。中央には木製のモンスターのような像が据えられている。
訓練場の脇には、槍以外に、木製の剣や盾が立てかけられていた。
年端もいかぬ者もいれば、もうすぐ一人前になりそうな青年もいる。みな、砂で汚れた白いチュニック姿で、髪を汗で濡らし、真剣な目つきをしていた。
チュニック首部分には、水色の帯で縁取られたスリットが空いている。そこから例の神聖石が顔を覗かせていた。
「……すごいな」
中央の像は、ヒグマのような形に見えるが、大きさがその三倍はあり、どう見てもモンスターだ。
あんな物に、今構えている槍や、置かれている剣と盾で向かっていくとしたら、聖騎士とはなんと勇敢で恐ろしい職業だろう。三分の一のサイズのヒグマですら、何人も殺しているというのに。
大きくて強いモンスターからは、良い魔石が取れる、モンスターは聖道具を操る聖騎士にしか倒せない、と確か説明を受けたはずだ。
言葉にすれば、「へぇ、ありがたい」で終わる。
しかし、実際に目の前で年端もいかぬ少年が、小さな武器で巨大な敵に立ち向かうために訓練をしている姿を見ると……。結構いい年のライチとしては、なんとも言葉にし難い、もどかしい気持ちになる。
(……いつか、何かで力になれる日がきたら、きっと助けます)
今は、そう心に決めることしかできなかった。




