第九七話 星幽迷宮(アストラルメイズ) 〇六
「しかしこれは……視覚がおかしくなるね……」
エツィオさんのぼやきと共に星幽迷宮はその形を大きく変えていく、壁は私たちより遥か遠くへと移動していき、それと合わせて天井と床面が迫り上がって簡単な階段状へと姿を変えていく。
遠ざかる壁と今立っている階段の間には、ただ漆黒の空間が広がっており……その先に何があるのか少しだけ疑問に思う。
「新居、落ちるなよ? 星幽迷宮の中で空間の狭間に落ちるということは、永遠に抜け出せない隙間に落ちることに等しい」
「そりゃまた……怖すぎますね」
リヒターの冷静すぎる言葉に、少しだけ私は背中が冷たくなった感覚を覚えて一歩下がる……そうか空間の狭間に落ちるということは……もし落ちてしまったことを想像すると流石に怖いな。
この世界でも度々起きる『神隠し』という現象……KoRJの研究者によると世界と世界の狭間、認知できない空間に墜ちるのではないか? と仮説を立てて論文にしている人がいて、なんとなくその論文を読んで腑に落ちた部分があるのだ。
ただまあ……いまこの世界で起きている現象を考えると、それもまた不思議ではないのだよな、と思う。この世界へ異世界から移動してくるものたち……リヒターが軽く話してくれたが、世界をつなぐ通路というのが存在していて、そこを伝ってこちらへと移動するのだという。
一度移動すると、魔素の薄さから向こう側へと戻ることが難しい……説明が難解でわかりにくかったのだが、通路を維持するコストというのも馬鹿にならないらしく、アンブロシオ達はそれを魔素や生贄などによって補っていたという。
通路から外れた場所へと好奇心から移動してしまい、そのまま行方知れずになったものなどもいるそうだ。
歩き続けていると再び壁が通路へと迫ってくる……階段だったはずの床は平面へと変化し扉がひとつ目の前に現れ、リヒターがその扉を開くと……再び壁がせり上がり、新しい扉が構成される。
新しい扉を開くと、その行手を阻むかのように再び扉が構成されて、リヒターはイラついたように扉を乱暴に開けていく。
「全く……趣味が悪すぎるぞ……何度扉を開けさせるというのだ」
「嫌がらせ、かな?」
エツィオさんの言葉に、リヒターが肩をすくめて扉を開ける……今度は新しい扉は構成されず、今度は床面が大きなパネルを敷いたように全方向へと広がっていく。壁は再び遠くへと遠ざかり天井すらも恐ろしく高く、遠くにたくさんの窓が見えるが、そこにはこちらを除く何者かの目が光っている。
しん、と静まり返るような空間……私たちが立っている一〇メートルほどの床しかない空間に今私たちは立っている。
「何もない……ですね」
周りを見渡すと、遠くに壁が見えるだけで床面の端からはドス黒い空間だけがずっと広がっているのが見えるが……何かが羽ばたく音が空間に響き始めると、私たちは一斉に警戒体制に入る。
どこからだ? 私があたりを見渡すと急にその部屋の床面が恐ろしい速さで、大きく倍以上のサイズへと広がっていき、それと合わせて遥か遠くに見えている壁がゆっくりとこちらへ向かって迫ってくるのが見える。
「……上だ!」
「……竜!?」
エツィオさんの声と同時に私とリヒターが上を見上げると、遥か遠くに見える天井から翼を広げた巨大な蜥蜴……いや、前世で何度も見た、生物における頂点……竜の姿が迫ってくるのが見える。
わたしたちを威嚇するようなそんな咆哮を上げて、ゆっくりと目の前の地面へと着地する竜……体高は八メートル程度か? 竜としては中くらいのサイズになるだろうか。
前世で戦った竜の知識を思い出していく……竜といってもその種別はたくさん存在しており、亜種を含めると一冊本が書けてしまうくらいの数がいて、竜研究だけを追い求める学者などもいたので、まあ異世界においても実は人気のある生物だったりもする……実際かっこいいからね。
古竜……神話の時代から生きている竜をこう呼ぶが、このクラスの竜は普段はずっと寝ていることが多く、人が出会うことはほぼ無いと言われている。実際ノエルですら見たことがない種類だ。
山一つが丸々古竜だった、という記録もあるくらい超巨大な存在だ。
真竜……前世における新世代の竜をこう呼んだが、古竜よりも若く活発的な個体を指していたのだが、基本的には自分の領域の中でしか行動せず知能が恐ろしく高いために人との関わりを持たないように、国と盟約を結ぶケースが多く脅威とはなり得なかった。
下位竜……前世では竜といえばこいつで、知能はそれほど高くなく本能に従って動く超巨大で空を飛び、家畜や人を襲う蜥蜴だと思えばいい種類だった。
ノエルが戦った経験のあるのはこの下位竜だったが、それでもめちゃくちゃ苦労して討伐をしていた記憶があるので戦闘能力は抜群に高いと考えて良い。
東方龍……ミカガミ流の伝承に東方に住んでいる不思議な形をした竜の記録が残っている。知能が恐ろしく高く、羽もないのに空を舞い、気に入ったものに叡智を与えると言われている不思議な存在だ。
見てくれは超巨大な足の生えた蛇で、顔つきは普通の竜よりも平たく、細長いと言われている。現地では神格化されており、学者の間では古竜なのではないか? と噂されていた存在だ。
とまあ、一部を説明するだけでもこれだけの量が存在ししかもまだまだ種類としては多く存在している……私は以前ぶった切った蛇竜も種別としては竜に分類されていたし、前世でも竜研究というのはなかなかにロマンのあるお仕事だったりもしたのだ、ノエルも楽しんで文献を調べていた記憶がある。
目の前の個体は……下位竜だろうか、私たちを見て何度も咆哮している。口元からは炎が覗いており、なぜか既に怒っているのがわかる……なんでだ?
「あらら、お怒りだねえ……何がそんなに気に食わないのか……」
エツィオさんが肩をすくめて……刺突剣を鞘に戻して魔法を使う準備へと移る。彼の持っている剣は一度触らせてもらったことがあるが、素晴らしい業物だったのだけど……竜の鱗を貫くのは難しいという彼なりの判断だな。
「新居……わかっていると思うが鱗は恐ろしく固い、日本刀を折る可能性があるから気をつけろ」
私は頷いて日本刀を両手で構える、片手の斬撃では威力が足りなくなる可能性が高いからだ。私の腕力で鱗を切り裂けるか、現世ではやったことがないのでどうなるだろうか。
前世と違ってそこら辺を竜が飛んでるわけじゃないものなあ……飛んでたら大騒ぎになっちゃうだろうし。
「切れるかしら……でも切らないといけないですよね……」
私は肩に日本刀を担ぐような構えを取り……前傾姿勢を強める。前世のノエルはどうやって竜を倒していたか……基本的には動きでかき回して相手を疲れさせてから、一撃で首を落とすというオーソドックスな戦い方を好んでいた。
竜は体が大きく、実はそれほど小回りの効く行動が得意ではないのだ……尻尾などでその死角を埋めてくるのだけど、くるとわかっていれば対して怖いものではない……と私の記憶が語っている。
「速度で掻き回して……疲労させるッ!」
床面を蹴り飛ばして私は放たれた矢のように竜に向かって突進する。凄まじい勢いで突進する私を見て竜が前足を振り上げて予想進路へと振り下ろす。
エツィオさんが火球を竜へと叩き込む……魔法の炎が炸裂し爆発するが、竜の鱗には全く傷ひとつ入っていない。
「なんて硬さだ……」
「エツィオ、雷撃の方が効果が出るはずだ、移動しながら新居の援護をしてくれ」
リヒターの冷静な指示に頷くとエツィオさんは私が接近している場所とは反対側の方向へと走りながら、雷撃を放っていく。
その雷撃を翼に受けて、竜は流石にその威力にたじろいだのかエツィオさんに向かって火炎を吐き出すが、その炎をエツィオさんは防御障壁を展開して防御する。
「よそ見してていいのかしら?」
竜がエツィオさんに気を取られた隙を狙って、私は一気に跳躍して体を縦回転させて大瀧……体全体を使っての縦斬撃を竜の頭に叩き込む。
強い衝撃と共に日本刀が鱗に少し食い込んだところで凄まじい抵抗を感じて私は目を見開く……なんだこの硬さは。
竜はそれ以上切り裂くことができていない私を見て、歪んだ笑みを浮かべる。私はその目を見て、背中に凄まじく冷たいものを感じて咄嗟に竜の体を蹴って後ろに飛ぶ。
それまで私がいた場所を、竜の凄まじく鋭い爪の一撃が轟音を立てて通過していくのを見て、思わず息を呑む。
あの一撃はヤバい……あんなものを食らったら、と考えるだけで体が凍りつくような恐怖を感じて、私は着地と同時に大きく竜から距離を取る。
「なんて化け物なの……ノエル、あなたとんでもないのと戦ってたのね……」
_(:3 」∠)_ ダンジョンといったらドラゴンでしょ! 的なノリ
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