第九二話 星幽迷宮(アストラルメイズ) 〇一
「ここだね……随分巧妙に隠されているもんだ、感心するよ」
今私とエツィオさん、リヒターは三人で先輩が消息を絶った地下街にあるとある扉の前に立っている。目の前には大きな緊急用脱出扉……普段は閉めたりしないはずの金属製の扉が閉まっていることに私もここにきて初めて気がついた。
それまでエツィオさんもリヒターが調査をしている間、私はずっとここから出たい、行きたくないという気分を強く感じていて不安を口にしたりしていたのだが、これも魔法による隠蔽だったということだろうか。
「私……なんとなくここに来てはいけないって気分になってました、これも隠蔽の影響でしょうか?」
「お嬢さんでもそういう影響が出てるってことは、よほど鈍い人間以外は絶対にここへは近寄れないな。」
エツィオさんとリヒターはお互いを見つめ合って頷く……彼らには大きな影響は出ていないのか、表情は大して変わっていない。リヒターは見た目骸骨だから全く表情もわからんのだけど。
ずっとここにくるな、ここにいてはいけない、早く別の場所へ行けと心の奥底で誰かの声が響く……誰だ、こんなことを言い続ける奴は……心をかき乱されて不安げな私の顔を見たリヒターが赤い目を輝かせて話しかけてくる。
「新居……一度深呼吸をしろ、ゆっくりだ。この隠蔽魔法は心の隙間に強いストレスを与える」
言われた通りに私はふうっ、と大きく息を吐くとゆっくりと息を吸い……何度かそれを繰り返していく。何度目かの深呼吸ののち、私はそれまで感じていた漠然とした衝動的な不安感やその場から離れたいと思っている気持ちが嘘のように消えていくことを感じた。
「ありがとう、落ち着きました……ただ、心にまだざらつきがあります……」
「心配だろうが、まずはこの星幽迷宮を攻略することを優先しろ、青梅のことはそれからだ」
リヒターがカタカタと顎を鳴らしながらも冷静に非常に冷たく宣言する……そう言われても、私の頭の中は先輩でいっぱいになっているわけで……モニター越しに血だらけになっていた先輩の姿を思い出した。
急に心臓が締め付けられるような気分になって私は腰から鞘に入ったままの日本刀を外して、抱き抱えるようにして少しだけ震える。
もし……もし先輩死んじゃったら私どうしたらいいんだろう? いや、ミカちゃんに何て説明すれば……あとは先輩の家族に何て顔してあえばいいんだ? 助けられる力を持っていながら、身近な人を助けられないなんて……前世でも感じていた強い無力感を感じて私は少しだけ俯いたまま立ちすくむ。
心臓の鼓動が大きい、息が少しだけ上がっている気がする体が震えている……どうしよう、どうしたら良いのだろうか?
「新居……今は目の前にあるものを見ろ、不安はわかるが……油断すると死ぬぞ」
リヒターの感情のない赤い瞳が煌めき、彼は優しく私の肩に骨だらけの手を置く。その冷たい手の感触を感じて、少しだけ私は自分が言いようのない不安だけで押しつぶされそうになっているのが理解できた。
私は軽く頷くと、ちょうどエツィオさんが扉を開けるためのハンドルを見つけてぐるぐる回しているところだった。彼は細身なのに思ったよりも腕力があるらしく、扉はゆっくりと開いていく。
「これで開くかな……油断するなよ」
大きな音を立てて扉が開くと……そこに広がっている光景はもはや私の想像を超えた、不思議な場所が広がっており、私たちは思わず息を呑む。
まず……地下街にあるはずなのに扉の向こうにはそれまでの構造と全く違う、地下街ではない空間が広がっていた。
壁は煉瓦と漆喰で作られた邸宅のような通路がのびていて、それは永遠とも思えるかのように真っ直ぐ……果てのない通路だ。壁にはランタンのような灯りがぼんやりと灯るが、その周りを蛾のような見たこともない色彩の昆虫が舞っている。
床面にあたる部分は、赤い絨毯のようなものが敷き詰められているが、そこに書かれた装飾は見るだけで不安感を感じるような、眼球をモチーフにした図柄が描かれている。
その意匠を見て、私は再び不安な気持ちを掻き立てられる……何かが引っ掛かっている、見られているようなずっとこちらを見ているような視線を感じて私は周りを見渡すが……そこには何もない。
それと音は全くしない……恐ろしいまでにひんやりとした空気と、しんと張り詰めたような静寂がただひたすらに目の前の空間には存在している。
「……迷宮主のイメージがこの屋敷なのだろうな」
リヒターの冷静な声を聞きつつ、私たちがその中へと足を踏み入れると急に通路が振動を初め、それまで天井となっていた部分が天頂方向へとゆっくりと空間の先へと伸びていく、それと同時に永遠に真っ直ぐ伸びていると思っていた通路が急に折れ曲がっていき、右向きの通路へと変化する。
軋み音と無理矢理に構造が変化していくことで、埃や壁から剥がれ落ちていく漆喰などが床へと落ちていくが、不思議と床面は綺麗さを保ったままだ。
「な、なにこれ……生きている?」
「!? ……しまった! 出口はどこだ?!」
私が驚愕の表情を浮かべて通路の変形を見ているとエツィオさんの緊張した声が響く。慌てて後ろを振り向くと、そこには私たちが足を踏み入れた防火扉は存在せず……漆喰の壁が立っている。
ええええ! もしかして私たちここに閉じ込められたってこと!? 慌てて私が壁を何度か叩くが、漆喰の壁に私の拳は当たらずに、空間に波紋のような軌跡を残して威力を減衰させられる。これは多分攻撃しても破壊できない建造物だな……。
閉じ込められたことでさらに不安感が強くなる……もし先輩を見つめても出れなかったら? 先輩も助けられなかったら? 私が途中で死んでしまったら……普段は絶対に感じない言いようのない恐怖を感じる。
何度か叩いてもびくともしない壁に私はため息をついて二人を見ると、エツィオさんは肩をすくめて、リヒターは顎に手を当てて何かを考えるかのような仕草をしていたが、私の視線に気がつくと口を開く。
「……出口が迷宮主の部屋ということもある、戻れないなら先へと進むしかなさそうだな」
「あ、ちょっとまって……」
リヒターの冷静な宣言に、私とエツィオさんは顔を見合わせてお互い不安な表情を浮かべるが……リヒターはそんな私たちを待とうともせずに通路の先へと歩き出す。慌てて彼の後を追いかけ始める私たち……。
通路を進んでいくに従って、まるで私たちを誘い込むかのように右へと伸びていた通路と床が競り上がり……階段状へと変化して、真っ直ぐに通路は伸びていく。
まるでパネルを組み立てるかのように、有機的な動きを見せる迷宮を見て、私は心に強いストレスを感じている。
「きたか……やはりあの女剣士の身内を捕らえたのは正解だったな」
テオーデリヒは迷宮主の間で監視用の水晶を眺めながら、三人の侵入者の動向を確認している……。
侵入してきたのは新居 灯、そして強大な魔力を持ったエツィオ・ビアンキという男性、せっかくこの世界へと呼び出したのに何処かへと逃げてしまった不死の王であるリヒターの三名だ。
テオーデリヒは憎々しげに水晶へと映るリヒターの顔を見て歯軋りをすると、もう一度水晶を見直してやはりリヒターであることを確認すると、改めて苦々しく映像を見つめる。
「リヒターめ……碌に働きもせずにいたくせに、こういう時には人間の味方をするとはな……」
元々この不死の王との契約は緩かった、いや緩すぎた。アンブロシオが別にそれでも良い、という態度だったからなのだが、この世界に来てからはほとんど連絡も取らずに、彼自身が興味あるものを調べることに熱中していたようで……ほとんど不死者を作り出しもせずにいなくなってしまったからだ。
異世界では高名な侍祭だった彼が、不死の王へとなった経緯はテオーデリヒもよくわかっていない……。
本人もその辺りの経緯は話そうとしなかったし、そもそも移動直後からあまりアンブロシオたちとも連絡を取ろうともせずに何かに熱中していたからだ。
しかしアンブロシオは知識欲を優先させるリヒターのことを罰するどころか、放置していた。苦々しく思うものもいただろうが……彼自身の戦闘能力は非常に高く、竜牙兵という護衛もあってそう簡単に倒されるような存在ではなかったからだ。
いうことも聞かずに何度かちょっかいをかけに行った獣人達がものの見事に撃退されていくのを見て、テオーデリヒは不干渉を決め込んだ……ララインサルも似たようなものだ。
流石に見かねてアンブロシオに直接尋ねたこともあったが……彼はさもつまらなそうな顔で、興味もないと言わんばかりの態度を示していた。
『あれはコントロールができない、強者だが愚者でもある……因子の一つとして考えればよい。因子は重要だ、混沌を巻き起こすにはちょうど良い』
その時の答えは全く理解ができなかったが、おそらくテオーデリヒには想像もできないくらい先のことまでアンブロシオは予測し、深い意味で理解しているのだろう。
リヒターの顔を苦々しく見つめた後、テオーデリヒは水晶を操作して黒髪の少女を映し出した。
今ここで新居 灯というか弱い少女にしか見えないミカガミ流の女剣士を倒せば……その次には彼らが望むアンブロシオの導く素晴らしい未来が待っているのだから、その未来を信じてテオーデリヒは戦い抜くだけで良いのかもしれない。
水晶に映る美しい黒髪の少女のどこか不安げな顔を見つめて、テオーデリヒは笑う。
「……ミカガミ流の剣士。その神にも等しいと謳われる剣術を私に見せてほしい……楽しみだ……」
_(:3 」∠)_ 今回からダンジョン回です!
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