第二二〇話 混沌の核(ケイオスコア)
「これでよし……望楼の設置準備はこれで問題ない。あとはタイミングを合わせて煉獄の花の開花を促せば良い。一仕事終わったねえ」
仕立ての良いスーツの上から、白いマントをかけたまるで舞踏会にでも出るかのような格好をした男性……エツィオ・ビアンキが隣で書類を抱えている制服姿の女性……立川 藤乃へと話しかける。
立川は手に持った書類とエツィオが設置した望楼の触媒……まるで不気味に脈動している心臓のような得体の知れない物体を見て、少し嫌そうな表情を浮かべる。
「……これ、なんですか? 生きてるんです?」
「触っちゃダメだよ望楼って言ったって、この世界のものとは違うんだよ。こいつは周りの生気を吸い上げて成長する。煉獄の花が開き切るまでの間、こいつの自己防衛能力でKoRJを足止めするんだ」
脈打つ物体の一部が裂けて、まるで口のような器官が裂け目のように広がるとその口がまるで生きているかのように開くと息を吸い込むように何かを吸収し始める。
なんだか麺類を啜る人みたいな口をしているな……とその様子を見ていた立川は思ったが、目の前で口が別の場所からもパックリと裂けるように出現したことで、思わず後ずさる。
「うわ! キモっ! なんなんですかこれ……生気って私たちは大丈夫なんですか?」
「これは混沌の核だからね……貪欲に成長していくよ。完成予想図は君が持ってる書類に書いてあるよ、まあ見ないほうがいいと思うけどさ」
立川は言われて興味が湧いたのか、何枚かの書類を流し見するが……目的のものを見つけたのか、うげっという表情を浮かべると黙ってその書類を手持ちの鞄へとしまい込む。
エツィオは薄く笑うと、順調に大きくなっていく望楼の核を見て、まあ美しくないな、と改めて立川の言葉に納得する。
大魔道エリーゼ・ストローヴが死を克服するために色々な知識を求め、そしてさまざまな実験を繰り返していた中で混沌に触れる機会があった。
混沌……それは言葉にするのが難しい存在だ。
不定形であり、不安定でもあり、不浄でもある……蠢く泥濘とも称されるが、基本的には不安定な存在そのものともされている。エリーゼは混沌の記録を残しており、その記録は最終的にキリアン、つまりアンブロシオの手に渡る事になった。それほど活用できたわけでもなく、蔵書の一つとしてでしか認知されていないかも知れない。
現世に蘇ったエリーゼの記憶、その記憶を持つエツィオの中に混沌をどう扱うか? の知識が存在していた……望楼もその知識の一つから拝借している。
「……エリーゼの研究はある程度抑制をかける事には成功している、混沌と言っても制限があればそれは人の予想の範囲内に収まる……それがエリーゼ、僕の前世の導き出した答えだ」
「……本当ですか? それにしたってキモすぎるんですよねえ……」
立川が次第に口を増やしていく核を見て、苦々しい表情を浮かべる……生理的に不快感を与える形状と動きだな、と思う。なんかこうピクピク動いてるし……と立川はその場からすぐに離れる。
そんな彼女の様子を見てクスッと笑うと、エツィオは彼女の跡をついて歩き出す……育成はうまくいくだろう、そして煉獄の花を使って異世界の軍隊をこの世界へとノーリスクで召喚する、それがアンブロシオの計画の一つ、ただこれは成功してもしなくても今後もこの世界へと攻撃を続けることは可能だと思う。
「ただ、剣聖という不確定要素が彼を焦らせている……ということかな。まあ、踊るといいよキリアン……僕は僕の目的をきちんと果たすから」
「うーん……新譜がこんなに早く配信したのはいいんだけど……何でこの名前なのかしら……」
Word of the Underworldの新曲……デジタル配信されたのだけど、スマートフォンの画面にその新曲の名前が「灯 -Light-」という実にシンプルな名前で表示されていることに困惑している。
そしてその歌詞がWord of the Underworldでは今までにないラブソングということもあって、世間では話題になっているんだけど……これってやっぱりあの時名乗ったからこの名前になってるんだよね、絶対。
「あかりん、新曲と同じ名前だねえ! なんかロマンチックな歌詞だよねえこれ」
「う、うん……同じ名前で嬉しいやら恥ずかしいやら……でも私のことじゃないしねえ、あはは」
私はミカちゃんの言葉に苦笑いで答えるが……あの時の状況から察するにWor様は吊り橋効果で美化された私を思い起こしてそんな歌詞を歌っているんだと思っている。
歌詞で『君の美しい顔をもう一度見たい、君の声を聞きたい、そして僕を再び見つめてほしい』とかベタすぎて、くっそ恥ずかしい歌詞をWor様が熱唱してるのだけども、あの時の状況を思い返してみると絶対これ私のこと言ってる……『夜の闇に輝く髪が靡いて』とか、もうやめて私のHPはゼロよ! 的な何かを感じる。
聞けば聞くたびに、ファンとしては新曲で嬉しいのだけど……どう考えても状況証拠というか、歌詞にそのまま使うんじゃねえよ、バカー! と叫びたい気分で赤面してしまう。
完全ワイヤレスイヤフォンで新曲を聴いていた心葉ちゃんが、片耳を外して私に近づくとそっと耳元で囁く。
「……これ絶対歌ってる内容は美化された灯さんですよね……不味くないですか? こんなの」
「まずいって分かってるんだけど、世に出ちゃったらどうしようもないじゃん……って美化って何よ」
「……美化されまくってますよ、こんなの……中身全然違うじゃないですか」
私と心葉ちゃんがボソボソ何かを喋っているのを不審そうな顔で見ているミカちゃんもいるため、私たちはそれ以上の会話をやめて普通にする事にする。
しかし……Word of the Underworldがちゃんと活動してくれてるのは嬉しいな……結局翌日以降のライブは中止になってしまって返金騒動なんかもあったわけだし、SNSなんかで降魔被害に巻き込まれたからだって、邪推する人すらもいたのに沈黙を貫いて活動を再開したというのはファンとしては素直に喜ぶべきだと思っている。
動画共有サイトで発表した談話ではいきなり謝罪から入ってて、Wor様の誠実さに感動するファンも出てきてるくらいだしな。
「ま、でも今までのWord of the Underworldにはない曲調だし、案外みんな嬉しいんじゃないかなあ……ちょっと中性的なイメージあったしねWor様」
「そうだねえ……事務所の方針だったのかもねえ、でもこの曲自体は男性が前に出てるよね、絶対」
「そうそう、なんかちょっといいよね!」
ミカちゃんと私がキャーキャー言い始めたのを見て、心葉ちゃんがため息をついて少し呆れ気味の顔をしている……いやいや、ここでそうじゃないってやったほうがミカちゃんは不審がるから!
帰宅途中で騒いでいる私たちを見ている青葉根の生徒たちが興味深そうにこちらを見ているが、それもまあごまかしにはちょうど良いはずだ。そんな中、ミカちゃんは十分話したと感じたのかスマートウォッチを見て慌て始める。
「あ、私今日バイトだった! 先行くね!」
「あ、うん。行ってらっしゃい、また明日ね」
「また明日〜」
ミカちゃんが慌てて走り始める……なんとか不自然にならずに済んだだろうか。黙ったまま心葉ちゃんが隣に立ち一緒に歩き始める……。
なんだろう、いきなり二人だけになると話題がないな……お互い何も喋らない時間が過ぎつつ、なんとなく一緒にいる時間が経過していくが、どうしようかなって思ってたら突然心葉ちゃんが口を開いた。
「……魔王の攻撃、全然無くなりましたけど……これって何かあるんですかね」
「……そうね……手駒が少なくなっているという気もするけど、それだけじゃないと思うよ」
そうなのだ……あの日以来、魔王の攻撃はほぼゼロにちかい状態で、大阪支部では多少被害が出たという話をしていたけども、東京は平和すぎるくらいの状況で私たちもKoRJへと呼び出されることがなくなっている。
先輩も連絡をくれていて、呼び出しがないけどそっちはどうか? と心配したようなメッセージが飛んできている……これは全世界的にも同じ傾向だそうで、ニュースサイトなどでも不可解なくらいに事件が減少したことに疑問を感じている人が多く存在しているのだという。
「このまま何もないと思いますか?」
心葉ちゃんが無表情のまま、私に尋ねる……そうだね、そうだったらいいけど絶対にそんなことはない、と私は思っている。
前世のキリアン……彼は信念を曲げるような人物ではなかったはずだ、一度決めたことはどんなことがあってもやり遂げる、それ故に勇者だったのだから。
『……お前の想像通りだ、平和なら良いかと思っていたが……混沌の気配を感じている。おそらく数日中に奴らは動くぞ……いや既に手を打っているのだろうな』
全て破壊するものの声が心に響くのと同時に、私のスマートフォンが振動して思わず私は思い切りビクッ! と体を震わせてしまう。
驚くって……このタイミング! 全く……スマートフォンを取り出して画面をみるとKoRJの緊急メッセージが表示されている……なになに……緊急招集だと?
心葉ちゃんもスマートフォンの画面を見てから、私の顔を見て目を合わせた後に頷く……これは魔王に動きがあったのかもしれないな。私たちはそのまま駅へと駆け出す。
「いきましょうか……」
「そうだね……どうやら何かあったみたいだしね。戦いが始まる予感がするよ!」
_(:3 」∠)_ やはり混沌は捨てられない……次回から戦闘開始のはず。
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