第二〇九話 神の使い(セイクリッド)
「……ちょ、ちょっと待って、喉がおかしいな……」
体を震わせる低音に身を委ねるようにリズムをとっていく、体の奥から絞り出すように歌を奏でこめかみに流れる汗も、音楽に身を任せながら揺らす体も芯から熱くなって行く気がする……その時。唐突に喉に違和感を感じて軽く手を振って僕は音楽を止めてもらう。
軽く喉を押さえて咳き込むが、ユニットのメンバーは心配そうに僕の顔を見ている……軽く苦笑いをしてからテーブルに置いているドリンクを軽く口に含む。
調子は良い、というか良すぎて喉が痛みを発している気がする……それまでこんなに声出てたっけな、僕。
「雅空、めっちゃ声出てるじゃん、むしろ出過ぎてて心配なんだけど」
「うーん……なんでだろうね、久々のライブでテンション上がってんのかね」
プロデューサーの心配そうな顔に僕は笑顔で応える……でも確かにこの調子で声を出すとライブの途中で簡単に潰れてしまうかもしれないからだ。
Word of the Underworldはアニメ主題歌を歌っていることで色モノ扱いされがちだが、専門家からの評価も高く僕個人としては音楽性で勝負をしたいと思っている。だからこそ、手が抜けない……全力で目の前のライブを成功させたいのだ。
「よし……じゃ続きやろう……いけるよ」
軽く発声練習を繰り返していくと、自分の思った通りの歌声が出せるようになる。少し抑えめに発生した方が調子が良く感じる。
ドクン、と心臓が大きく鼓動を上げる……テンション上がってきたな……僕はマイクの位置を調整すると再びライブに向けた練習を再開する。
先日きたあのおじさんが連れてたアルバイトの女子高生、立川さんって言ったっけ、ちょっと可愛くてよかったな。僕のファンは女子高生も多いけどちゃんと制服では来ないようにお知らせを出しているからなかなか見ない格好だなあと思って新鮮だった。
「う……ぐっ……」
あの子だけじゃなくて、ファンの子は皆可愛い子が多くて……みんな僕のことを見てくれているんだよなあ。再び心臓が高鳴るように動き始める……体が熱くなる、まるで自分が自分自身ではなくなるような……。
強く、強く自分の中に押し込めていた感情が熱風のように吹き荒れていく……他者よりも上の存在になりたい、誰もが僕を好きになってほしい、そして他人を支配したい。
そんな感情が強く吹き荒れていく……どうしたんだ? 僕は今までこれを欲していたのだっけ? 強い感情に翻弄されるように僕は頭を押さえてその場に座り込む。
「お、おい……雅空? どうした?」
「雅空! お、おいまずいぞ! 救急車、救急車呼んで!」
僕は急に体の自由が効かなくなるような感覚に襲われて床へと倒れてしまう……体が凄まじく熱い……まるで、熱が出ているような……視線の先に自分の手が見えているが、そこで異変に気がついてギョッとする。
まるでその手は人の手ではないかのように虹色の鱗が露出し、鋭く尖った爪のようなものが生えた、怪物のような手に見えたからだ。
だが、何度か瞬きをしてから再び手を見ると自分の手がそこにはある……目も熱い……苦しむ僕を懸命に開放しながら、プロデューサーやユニットのメンバーがあわてて僕を揺り動かしているのを、どこか遠くにいるような感覚で見ながら、僕の意識は浮遊感に包まれていく。
その時、暗闇の中で僕に語りかける声が聞こえる。その声はまるで神様のような……とても威厳のある声で僕へと優しく話しかけてきた。
『……望みを言うといい……君は私の象徴を手にしている。君の叶えたい欲望を私が叶えてあげよう、望みを言うといい、それが君と僕との約束事になるよ』
「Wor様の欲望ってなんなんですか?」
リムジンの後部座席でアンブロシオと向かい合って座っている立川が唐突に口を開く……窓の外を眺めながら、アンブロシオは薄く笑みを浮かべると、そのままの姿勢を崩そうとはしていない。
無駄なことを聞いたな……と立川が手にしているスマートフォンの中から最近のWoUに関するニュースをチェックし始めると、アンブロシオが窓の外を見たまま話し始める。
「人間の欲は深いものだ、食べること寝ることに代表される欲望は全ての人間が持っているものだ」
「は、はあ……」
急に話し始めたアンブロシオに驚いてスマートフォンをあわてて鞄へと詰め込むと、立川は姿勢を正して魔王様の次なる言葉を待つ。
急に話しかけないでほしいなあ、もう……立川が心の中で悪態をついていると、アンブロシオは再びくすくす笑う。まるで立川の仕草や考えが面白いとでも言わんばかりの反応で、彼女は思わず心を読まれているかもしれないという恐怖感に囚われて、背中が寒く感じる。
まだ傷が完全に癒えているわけではないので、なんとなくだがその傷がちくちくと痛むような気がして顔を顰める。
「彼はあの象徴を言われるまでもなく自分で選んだ、特に虹色大蛇は特別だ」
虹色大蛇は異世界においてこの大蛇は神話の時代にとある神に愛された小さな神の使いとして生まれ出た一族だ。
神の使いとして知られるものは牙猪や剣虎、大山猫などもその分類に該当し、祖先となる個体が神話時代から存在している。
さて、祖先となる最初の虹色大蛇は美しい鱗の紋様は見るものを魅了し、支配し、そして操る能力を有しており彼の飼い主であった神はまた従順なこの神の使いとその能力をこよなく愛した。
あの象徴はその最初の個体と繋がるための呪物……彼の欲望が虹色大蛇を動かすかどうか? はまだわからない。
アンブロシオがまだキリアンと言う名前で活動をしていた頃、別の神の使いたちと邂逅する経験が数回あった。神により生み出された神の使いは最初の個体でなくても人の手には余るレベルの戦闘能力を有しており、地方によっては信仰の対象となることすらあった。
あの絆の牙猪もその一族の中でも祖先に近い存在だったはずだ。それ故に普通の人間ではそう簡単に倒せるような代物ではない。
この世界で顕現させた場合どうなるのか? それはそれで興味深い結果をもたらすのだろう。
「……魔王様に文句を言うわけじゃないですけど、私本当にファンだったんですよ……幻滅してます……」
本当に傷ついた表情で立川が頬を膨らませて抗議をし始める……アンブロシオが窓の外を見ることをやめて彼女を見ると、ほんの少しだけ目に涙を溜めている立川を前にして、彼は黙って彼女の頭へと手を乗せてそっと撫でる。
驚いた立川がアンブロシオを見ると、その表情は恐ろしく慈愛に満ち、まるで天使を目の前にしているのか? と思うくらいの神々しさを放った笑顔を浮かべている。
立川は黙って彼の顔を見つめていると、アンブロシオはそっと彼女の頭を撫でていた手を元に戻すと黙って窓の外へと再び視線を動かす。
「……人の欲望は限りない、それは私も同じだ。彼が支配を選ぶかどうかはまだわからんよ……ファンは続けてあげなさい」
『Word of the Underworld、ボーカルWor様が倒れるも、復調へライブは開催予定』
「……あかりん、私たちの祈りが通じたね……無事だって」
「よかったねえ……これで私たちもちゃんと応援できるね!」
ネットニュースに流れたこの話題を見て、私とミカちゃんはほっと息を撫で下ろした……明日開催のライブが初日なのだが、私たちは翌々日のライブに行く予定なのだ。
嬉しさのあまり二人で騒いでいると心葉ちゃんがあまり興味のなさそうな顔で、スマホの画面で同じニュースを見ているが、彼女もほっと胸を撫で下ろすかのような、軽いため息のようなものをついたのを私は見逃さなかった。
「……心配だったでしょ?」
「いいえ、別に私はライブに行けなくても問題ないので」
私が彼女へとニコニコと笑いかけるが、心葉ちゃんは黙って視線を外す……またまた、知ってるんですよぉ。授業中もしれっとスマートフォンに入れてあるWord of the Underworldを聴いていることを! 彼女は結構なんやかんやハマってるようで、通学中も完全ワイヤレスイヤフォンを耳に突っ込んでずっと聴いていると言うことも……。
軽く彼女の肩を叩くと、私は自分のスマートフォンでそのニュースを開いて見てみる、いやあ尊いなあ……前世でもお気に入りの吟遊詩人に街へ来たら歌いに来てくれ! とキリアンとノエルはよく頼んでいたのだけど、それと同じような気分だな、うん。
『……お前が本当に前世がノエルなのか疑いたくなってきた……なんなんだこの音は……』
全て壊すものが思い切り呆れたような声を響かせるが……いいの! 私はノエルの記憶や魂を受け継いでるけど、今は日本の女子高生なんだから!
そう心で答えると、やれやれと言わんばかりの感情を浮かべて黙り込んでしまうが、それでも私がそういう感性や、趣味を持っていると言うことはノエルも実は素養はあると言うことだろうしね。
だがしかし、私はそのネットニュースを見て少し疑問を持った……退院したWor様が手を振っている動画が流れているが、彼の後ろにどこかで見たようなスーツの男性が笑顔で立っているのが見えたからだ。
『……どう言うことだ?』
それは私も聞きたい……このスーツ私は見覚えがあるぞ……私の胸が不安感を感じて大きく高鳴る。そのスーツと金色の髪、そして背の高い東欧貴族風の外見。
少し解像度が高くないので細かいパーツまでは見えていないが、紛れもない……これは。姿形は変わってしまったが、その姿はあの煉獄の花でも出会った前世の仲間、そしてこの世界を侵略している異世界の魔王。
「アンブロシオ、いやキリアン・ウォーターズ……どうして……」
_(:3 」∠)_ 音楽ユニット編の話はずっと書こうとしてなかなか手がつけれんかった部分なんで、ちょっと楽しみです。
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