第二〇六話 栄光の軌跡(トラジェクトリー)
ニムグリフ暦五〇二三年、遠征より戻った後、王国治療院の部屋にて
「なあ、いいだろ……? 今度俺としっぽり……ぎゃああっ!」
怪我をしてベッドに寝かされているノエルの傷口に本当に塩を塗り込んでいるシルヴィとエリーゼを見て、僕は思わず口を覆う……うっわーそれ痛いって! あんな怪我をしている怪我人に塩を刷り込むとかどんな拷問だよ!
だがノエルが悲鳴を上げている間、めちゃくちゃグラマラスではち切れそうな体の治療師のお姉さんはくすくす笑っているだけだ。
「……ノエルさ〜ん、ダメですぅ……ほらお付きの人がお怒りですからぁ」
「お付きじゃないわ! あんたそんな服着てうちの剣聖を誘惑しないでよ!」
エリーゼがすごい剣幕で治療師の女性を追い払う……そのお姉さんはノエルが最近口説き始めたばっかりなのに……軽く手を伸ばす彼を見て再びシルヴィが青筋立てたままの笑顔で彼の傷口に塩を刷り込んでいる。
それ絶対痛いこっちまで痛くなる! ノエルは悲鳴をあげて必死に抵抗するが……二人は連携しているのか、笑顔を浮かべたままノエルへの攻撃を止めようとしない。ひどいよ! あいつがお婿に行けなくなっちゃう!
「全くノエル兄はすぐにエッチなことしようとするんだから……」
呆れ顔のシルヴィが一番塩を塗り込んでいる気がする……ノエルはなんとか二人に弁解をしようとしているが、まあ無理だろう。
三人が寝台の周りでギャアギャア騒いでるのを離れた場所から見て、さすがにあれだけ怪我したノエルにあんなことしたら可哀想じゃないかなあ……いくら彼のことが好きだからって嫉妬はいけないよ、うん。
僕の名前はキリアン・ウォーターズ、この世界を守るために日夜戦っている勇者……とはいえ、僕自身は世界を救うという今の使命にいまいちピンときていない部分も強いのだけど。
心配だから来たけれども、ノエルの介抱はあいつらに任せればいいか……僕は薄く笑うと黙ってその場から離れ、王城へと向かうために治療院を離れた。
一見平和に見えるこの世界……僕が勇者としての使命に目覚めた頃、人類は魔王との戦いに敗北しかけていた。各地では人間とその同盟種族による抵抗が続いていたのだけど、散発的だったし劣勢は明らかで世界は蹂躙される寸前だったのだ、今ではそう思えないくらい復興は進んでいる。
「ゆうしゃさま! ゆうしゃさまだ!」
道を歩いていると笑顔で子供たちが俺に向かって走ってくる……僕は意識した笑顔を作って色々まとわりついてくる子供の相手を始める。
勇者、といえば聞こえばいいが全ての負担が自分達に押し付けられている、とも感じている……先日は僕とノエルだけで単騎駆けのようなことをやらされたし、今回ノエルが怪我をしたのも味方が僕たち光をもたらす者達以外に全く援護がなかったからなのだ。
もはやこの国の支配者層すら信用ができない……僕が信じれるのは、自分自身と仲間しかいない……そんな内面を見せないように、僕は子供たちに爽やかな笑顔で手を振って別れを告げると僕は王城へと歩いていく……そして時は流れていく。
「……この道は変わりがないな……懐かしい……」
今私は若き頃勇者として子供たちに見送られながら城に向かって歩いた道を改めて歩いている……あの時私を見ていた子供たちの目は憧れと羨望の光が宿っていた。
だが、道の脇に平伏す人間たちが私を見る目には恐れと、畏怖の色が浮かんでいる……そう、今の私はこの世界を支配する魔王として君臨しているからだ。
王城へと向かいこの街道はあまり変わっていない、ただ違うのは子供たちが遊んでいた場所に今は私を恐れ、恐怖の眼差しで見つめる人の姿しかないだけだ。
強欲の魔王アンブロシオ……人の身でありながら神界へと至り、人では無くなり世界を恐怖に陥れた人類最悪の裏切り者、恥知らずの反逆者、堕ちた勇者……。
私を表す言葉は様々だ……だが、私は後悔をしていない、なぜならば私は魔王として恐れられながらも、いまだに世界を救う勇者としての責務を果たそうとしている。
神界に至る旅路……英雄の道の中で私は知ってしまった……この世界はバランスを失っている、それは私が勇者だった頃に行ってしまった罪に起因しており、その贖罪のために私は世界を救う努力をしている。
「魔王様〜、みんなガタガタ震えてるのに目は反抗的なんですよぉ、笑っちゃいますよね」
闇妖精族最強の男であるララインサルがくすくす笑いながら私の隣を歩いている……彼には私の心の内を話したことがある。
それは私が犯してしまった罪を拭うための旅路、世界への贖罪を行うための巡礼、そして血で血を贖う浄化のために、他の世界を侵略するのだと伝えているが、彼は黙って笑うだけだ。
「憎まれるのは私だけで良い、私はいくらでも憎まれよう……それでも私は彼ら全てを愛している、愛さざるを得ない」
この世界は滅びる……だから私が救う。
私はお前たち全員を救いたい、なぜなら私の息子、娘、孫のようなものだから。
皆を導き、安住の地へと誘う。慈愛の心をもって、私は全てを愛する。
そう……私は君たちを全て愛している、その慈愛の心を持って出来うる限り君たちを救う。
この世界はバランスを失っている……それは楔を私自身が壊してしまったからなのだが。
それを贖うために皆を救うために犠牲が必要になる。別の世界という贖罪の山羊を持って二つの世界を統合し、新たな世界を創出する……そのために様々な遺物を探し出した。
侵略先の世界はすぐに見つかった……魔法文明が発達しなかった機械と欲望が渦巻く薄汚れた世界。それは偶然の産物だったが、その世界で起きた事故が空間に大きな亀裂を入れた、そこを伝って私たちの世界との道ができたのだ。
道が出来上がっていれば、送り込むには魔力があれば可能だった。だがたどり着いてみて驚いた……その世界は魔素が恐ろしく少なかったのだ。
それ故にそのまま世界を統合してしまった場合、大転倒と呼ばれる世界崩壊のきっかけを作ってしまう可能性が予想できた……それ故に私たちはその世界の魔素を増やすために時間と手段が必要だと認識したのだ。
滅びゆく私たちの世界から新しい世界へと魔素を送り込み、バランスをとる……そして静かな水面のように、世界を平面化し、そしてゆっくりと溶け合わせるのだ。
「あの世界は私たちと共に、そして統合された世界の中で私は全てを平等に愛すると約束をしよう……」
「……懐かしい夢を見た……」
ふと気がついて目を開けると、私は暗いホテルの一室で目を覚ました……チラリと時計を見るとまだ真夜中だ。都会の喧騒はいまだ衰えず、この世界の夜は騒がしいな……とため息をつく。
目の前に置かれているノートパソコンは電源は入ったままで、途中まで書かれたメールが送信待ちの状態になっている。どうやら椅子に座ったまま寝てしまっていたらしい……夢で見た最初の記憶はまだ私が勇者だった頃、輝かしい栄光の道を歩んでる時の記憶だ。
懐かしい……あの時のノエルの顔は見ものだったな……シルヴィも、エリーゼも怒ってはいたが、彼女たちは本当にノエルに惚れ込んでおり、私やアナ、ウーゴからするとまたやっている、としか思わなかったものだ。
ノエルの顔もこれほどはっきりと思い出せるのは久々だ、もう一度会いたいと思ってしまうのはまだ私に人の心が残っていたからだろうか?
「新居 灯……ノエルがこの世界では美しい女性になっていると知ったらシルヴィは嫉妬するかもな……」
くすくすと自然と笑みが漏れてしまう、こんな顔を今までいた部下には見せられないな……そしてエリーゼが男性になっていることも面白くて仕方がない、この間一緒に温泉に入ったらわざわざタオルで前を隠していて吹き出しそうになったのだから。
私が呆れてタオルを取り上げたらあの姿で悲鳴を上げていたのも面白かった、魔王として恐れられていた自分だが久々に昔に戻ったような気分を味わえた。
ゆっくりと椅子から立ち上がると、自ら棚からウイスキーのボトルを取り出し、グラスに氷を放り込んでからそっと注ぐ……既に、この世界に来てからかなりの時間が経過している。
この世界の人間としての生活も楽しんでいる……会社を経営している敏腕経営者、という隠れ蓑も慣れたもので、今では名刺を渡す動作もいつの間にか洗練されてしまった。
グラスに入ったウイスキーを軽く呷ると喉の奥に焼けるような熱気が伝わる……人の身ではないにもかかわらず、基本的な肉体の構造は人とは変わらない。
食事を必要としているわけではないが、楽しむことはできる……女を抱くこともできるが、私の愛は私の世界へと向けられており、その行為自体が自分にとって空虚なものにしかならないのだ。
「もう愛する人を持つことはできない……全てを平等に愛してしまうから、一人を対象にはできなくなったのだ」
この世界を守ろうとする意志のようなものが存在するのであれば、その意志がノエルをこの世界の少女へと転生させたのかもしれない、それはかつてキリアンを勇者たらしめた意志と同じものだ。
だからこの戦いは単なる魔王と、勇者の戦いなどではないのかもしれない……世界と世界、どちらが勝つのかを競うための茶番のようなものなのかもしれない。
自らがキリアンであった昔、アンブロシオである今も誰かの意志によって動かされている気がしている。だがそれを後悔したことはない。
『……手に入れなさい、この世界をキリアン……いえ魔王、強欲のアンブロシオ』
常に心に声が聞こえる、同じことを繰り返す、呪詛のように私の心を縛っている。
これは罰なのだろうか? 贖罪の旅路はこの世界を統合することで終わるのだろうか? これは呪いなのだろうか? 世界を手に入れた後、この声は聞こえなくなるのだろうか?
それは罪なのか罰なのか……もう私には理解できていない、ただ内なる声に従って私は動くだけだ。魔王というのはそういうものなのかもしれないな。
「……お前がこの世界の勇者であるならば、魔王である私と戦う運命だったのだろうな、ノエル……美しい少女の姿になっても、お前はまだ私の友だ、我前へくるのだ……」
_(:3 」∠)_ 魔王様の過去を少しだけ書いてみる……
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