第一八六話 守る勇気(カレィジ)
ニムグリフ歴五〇二一年……王立魔法大学の図書室にて。
「おや、ノエル……久しぶりだね、今日は調べ物かい?」
図書館の館長が目敏く俺を見つけて、声をかけてくる……この図書館の個室は俺のお気に入りのスペースで、気を利かせてくれる受付や図書館の職員が『剣聖専用』なんて言って自由に場所を使わせてくれる場所でもある。
剣の修行や冒険の合間、俺はこの個室に篭って過去の文献や冒険の記録などを調べ、自分の手記と照らし合わせてそれをまた書き起こすという趣味に利用していた。
「ああ、この間の冒険で遭遇した怪物の記録をまとめ直しているんだ、こういうのをまとめておくとキリアン達に見せるのに楽だしな」
「……お前さん、本当に剣聖か? って思うことが多いな……まあ自由に使ってくれ」
館長は感心したように俺のまとめた手記を眺め、にっこりと笑うと扉を開けて部屋から出ていく……そうだな、それは仲間にもよく言われる。
剣の道を歩んでいる自分と、こうやって学者のように調べ物や書類をまとめている自分、本当にどちらが正解だったのかわからなくなってきているのは確かだ。
でもどちらも切り離せない、自分自身の生き方だと考え、あくまでも自分のためではなく冒険者仲間の、いや唯一キリアンという勇者のために自分の時間を使っていく。
『……お前はそれで満足なのか?』
ふと机に立てかけている大刀……愛剣である全て破壊するものが振動するように俺に念話を飛ばしてくる。
三年前に不死の王であるディーレットが隠し持っていたこの魔剣を手に入れ、それからこの魔剣は俺に声をかけてくるようになった。
「満足……とは? 俺は仲間のために時間を使うことには疲れてないぞ?」
『そうか……だがお前の仲間、いやお前が心を寄せているあの少女のために少し時間を使ったらどうだ?』
……そう言われて、そういえば最近シルヴィと会ったのはいつだったか? と少しだけ記憶を辿る……五日前にギルドで換金を手伝ってもらって、その後はどうしたんだっけ? すぐに俺はキリアン達に分配金を渡して……。
そうか酒を飲みにいってそのままエリーゼに絡まれて、シルヴィとはそれっきり会っていないんだっけ……しまったな、という気持ちで俺は思わず頭を抱えてしまう。
『で、その怒りの姫君がご到着だぞ、相手してやれ』
「え? 怒りの姫君って……」
その言葉と同時に、扉が開く……ふわりと花のような香りが辺りに広がる……そこに立っていたのは、普段の防具姿ではなく彼女にしては珍しくスカートを履いたシルヴィだった。
俺は思わず椅子から立ち上がってしまう……久しぶりに見たシルヴィがあまりに綺麗に見えたからだ……故郷の村にいた時に一度だけこんな格好を見せてくれたことがあったな。
「ノエル兄……またこんなところに篭って……」
「え? な、なんで? なんでここ分かったの?」
シルヴィは部屋の中へとつかつかと足を踏み入れると、扉を少しだけ乱暴な感じで閉め、俺に向かって少し頬を膨らませたような、昔子供の頃によく見せた表情で俺に近づく。
思わず俺は心臓がどきりとしてしまう……そ、そんな表情俺にとっては可愛すぎるだろ……頬が染まる、だめだいつものクールで格好いいノエルお兄ちゃんに戻らなければ。
だがシルヴィはそっと上目遣いで俺の胸に軽く手を添えるとじっと俺の目を見ている……少しだけ潤んだようなその瞳に見つめられて俺は手が震える。
「いつもここにいるって、エリーゼから聞いたの……で、少し聞きたいことがあって……」
「そ、そっかエリーゼにはここ教えたんだっけなあ……あはは……」
だめだ、俺はシルヴィに何かしてしまいそうな気分になって思わず目を逸らす……ずっと子供の頃から彼女と一緒にいて、その笑顔も、その優しい目も、そしてちょこまかと後ろをついてくる姿も俺にとっては凄まじく眩しいものだった。
次第に大人になっていく彼女を見ると、ずっと手の中へと収めたくなる……でもそれは俺の欲望でしかない気がして、俺はずっと彼女に自分の気持ちを伝えることを戸惑っていた。
好きだ、というのはとても簡単だったかもしれない。でも俺は彼女との関係性、そしてもう一人の仲間であるキリアンとの関係性が壊れるのが本当に怖かった。
『……ノエル、シルヴィに好きだって言いなよ、俺はシルヴィと幼馴染だけど、友達以上ではないかな』
キリアンに一度どうしたらいいのかわからなくて相談をしにいったことがあった。キリアンとシルヴィは生家が隣で、俺と知り合うまでは仲良く遊んでいたらしい。
でもキリアンはその頃からずっと遠くを見ているような子供で、シルヴィからすると少し異質な存在だった、と後で聞いた。で、その後同じ村の中でガキ大将をしていた俺と知り合い、俺はその頃からシルヴィのことが気になってずっと気持ちを伝えられずに今に至るというわけだ。
『お前、あれだけ娼館では大暴れなくせに、彼女には随分と……』
「エリーゼにはここ教えてるのに、私には教えてくれないんだ、ふーん。もうエリーゼと一緒になっちゃえば?」
シルヴィが少し不満そうな顔で俺を見ている……いや、エリーゼが最初にここ紹介してくれたんだよね……だからある意味彼女に教えたというのは少し間違いであって、別にシルヴィに教える気がなかったというわけでもない。
俺は少しドキドキしつつも彼女の肩にそっと手を触れ、少しだけ体を離す……いや色々当たってんだよ! 反応しちゃうの! 俺の男が! 謎の弁解を心の中で叫びつつ、俺は苦笑いを彼女に返す。
「隠してたわけじゃなくて……なんとなく言いそびれてただけで……エリーゼは別にここには来ないし……あいつとは何ともなくて……」
しどろもどろでなんとか弁解を続ける俺を見て、急に笑顔になって彼女はくすくす笑い出す……その間も必死になんとか取り繕うとする俺だったが、シルヴィがそっと人差し指で俺の唇を押さえる。
細い指だ……滑らかで細く、しなやかだ。でもところどころにゴツゴツとした部分があって、この指は戦士の指なんだなと理解する。
シルヴィはとても悪戯っぽい笑顔を浮かべて俺の頬にそっと手を添える……こ、これは……。
「言い訳はいいから、お詫びが欲しいな私、ここに招待してくれなかったお・詫・び」
「お、お詫び? そ、そうだな……おいしいお茶を入れて、この間買ってきたお菓子を食べながら、今から一緒にここで俺と資料作りを……」
その言葉にシルヴィはプクッと頬を膨らませると、腕を組んでそっぽを向いてしまう……あ、あれ? 俺なんかやっちゃいました? 俺が唖然として彼女の顔を見つめていると、その視線に気がついたのかそっと手の甲を俺に差し出す。
んー……ああ、そっか資料作りじゃなくて、か……俺は恭しくその手をとると、軽く手の甲へと唇を落とす。その行動に膨れっ面だったシルヴィが耐えきれないという感じで笑い出す。
「なにそれ、ノエル兄ほんと変だよね……お茶とお菓子だけ一緒するわ、見てるだけでいい?」
「ああ、そ、その……見てるだけでいいです、はい……なんか、その……ごめん」
俺が頭を掻きながら弁解しようとするのを見て、シルヴィは笑いながら俺の座っていたテーブルへと別の椅子を寄せて座る。正直、彼女を目の前にすると思考がちゃんとまとまらない……冷静になれない自分がいるのだ。戦場でも、一騎討ちでも、魔物を相手にしていても俺はここまで動揺することはほとんどない。
でも、彼女と一緒の空間にいる時だけ、俺は自分が冷静ではなくなることを知っている……それはずっとずっと、彼女のことを意識し始めてから、心の奥底から彼女を手に入れたいと思った時から、それを感じている。
『……ノエル、あなた他の人のことを考えているでしょ? あなたは冷たいわね……』
『私を見てくれないあなたは、素敵だけど残酷だわ……人でなしよ』
『どうして私を見てくれないの? そんなにあの人のことが……』
シルヴィへの気持ちを隠して、ずっと違う相手と逢瀬を交わして……最後には必ず女性からそう言われ続けてきた。どうしても振り切ろうと考えても、振り切れない想い。
これが愛というのであれば、俺はハッキリと言葉に出せる……俺は彼女を、シルヴィを心の底から愛している、と。でも触れてしまったら、あの笑顔を自分だけのものにするにはまだ勇気が足りない。俺はシルヴィに聞こえないように、小さな声で呟く。
「勇気を、勇気をください神様……彼女をずっと守れるという勇気を、そして彼女だけはこの危険な旅でも死なせない……守るための勇気を……」
「朝か……また昔の夢を……」
ノエルの甘酸っぱい気持ちを感じているのか、私の心臓が脈打つように激しく動いている……今の体は女性だが、この気持ちはとても強く、そして優しく渦巻いている気がする。
しかしあんなに豪放磊落そうに感じたノエルがねえ……なんか変な意味で奥手というか、記憶の中には本当に多くの女性と逢瀬をしているにも関わらず、本当に愛した女性には指を触れることすら緊張するなんて面白い。
「先輩もそう思ってるかな……もしかして」
……ふと先輩のことを考えてみて、思わず自分が乙女な感傷に浸っていることに気がついてため息をつく……、いやいや先輩と一緒にいるのは幸せなんだけど、彼を受け入れられるか? というのはまた別問題だ。
もし……彼がそう望んだ時に、私は彼を受け入れられるのだろうか? 記憶の中でノエルが女性とそういうことを楽しんでいる光景を思い起こしてみるが……自分自身に嫌悪感を感じて思わず咳き込み苦笑すると、布団を跳ね除けてベッドから降りた。
「……無理かな……馬鹿なこと考えてないで早く起きようっと……」
_(:3 」∠)_ 今日から気分を入れ替えて再び執筆頑張ります。
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