第一四六話 楔の牙猪(タスクボアー)
ニムグリフ暦五〇二四年、大陸の奥地に隠されていた楔の村にて。
「祖霊? この村の守り神みたいなもんだろ? それを退治しろって……」
俺は目の前に座るこの村の村長を前に驚きを隠せない表情で彼に話しかける……俺の横に座っていたキリアンが俺の顔をみて、まあまあ……という顔で俺へ手を振るが、どうにも納得がいかない。
エリーゼやアナ、シルヴィも少し渋い顔をしている……ウーゴに至っては今にもキレ散らかしそうな顔をしているな。
村長からの依頼は村の近くに古くから存在している祖霊を退治してほしいというものだった。祖霊は辺り一体を支配する強力な守護者であり動物たちの王でもあるが、戦火から逃げてきた難民を受け入れるためにも開拓が必要となり、どうしても祖霊を排除しなければいけなくなったからだ。
村の都合で祖霊を排除するという依頼に俺を含め、アナやウーゴが強硬に反対をした……当たり前だが、祖霊はその土地に結びついた強力な土地神でもあるため、倒すということは何が起きてもおかしくないからだ。
「その様子じゃ乗り気じゃなさそうだな」
村長との会話の後、夜風に当たりながら月を見上げて考え事をしていた俺に、キリアンがワインの入ったボトルと木で出来たカップを二つ手にしながら話しかけてくる。彼は俺の隣に座るとカップを一つ俺に渡すと自分のカップへとワインを注ぎ始める。
俺は黙って彼に自分のカップを差し出すと、キリアンは笑顔でワインを注いでからボトルを床に立ててからカップからワインを呷る。
「わかっていると思うが、祖霊はただの精霊とかじゃないからな」
そう、祖霊……この世界における祖霊は、存在自体が神格を得た強力な精霊や霊魂のことを差している。神格を得るためには長い年月と多くの信仰を集める必要があり、生易しいものではないからだ。
祖霊信仰自体はメジャーではないが、呪術師などが契約して力を引き出すために崇めることなどもある。
一般的に古い祖霊ほど神に近いとされており、この村の近くにいるその祖霊……牙猪は少なく見積もっても一〇〇〇年近くこの土地に君臨する王者だ。
「おそらく亜神クラスの祖霊だ……命がいくつあっても足りねえよ」
この世界における亜神もまた普通の存在じゃない……魔王や半神に代表される人の理から外れた神格を得たものたち。古く神話の時代にも亜神の記録がある。
神の代理人として巨大な王国を支配した神聖不可侵の神権皇帝や、紅の軍勢を率いて数多くの国を滅ぼした紅の大帝、そして歴史の影で暗躍した最強の魔法使いにして魔人四本腕。
神話にはさまざまな亜神が記録されている……全てはもう滅びた歴史の中にしか記録がないが、それらは実在していたのだという学者すらいるのだから。
俺はワインを飲み干すと、再びキリアンにカップを突き出す……予想していたのかすぐに彼はワインを注ぐ。
「勝てると思うのか? それに……今は良いとしても数年で村が滅びるぞ」
「……良いんじゃないか? それが村の選択なら」
思いもかけないキリアンの言葉に、俺はギョッとして彼の顔を見るが……キリアンは少し暗い光を帯びた眼光のまま微笑を称えワインを飲んでいる。
な、なんだ……? 俺が彼の顔を見たまま動けずにいると、視線に気がついたのか普段の笑みを浮かべ俺に向き直って微笑むキリアン。見間違いか? あんなに暗い笑顔を浮かべる彼を初めて見た気がする。
「ノエル、助けられる人数には限りがある。それに選択肢を自分で選ばせるのも俺は優しさだと思っている」
「だからって……祖霊がいなくなった場所の記録をお前が知らないわけないだろう?」
キリアンは俺の肩に手を置くと、それ以上はいうなと言わんばかりの顔で首を振る……そうだ、なんで俺はこんなに熱くなっているんだ……酔いが足りないのか。
視線の先でエリーゼが俺たちを見つけてエールの入ったジョッキを片手に手を振っているのが見え、俺はカップのワインを飲み干すとキリアンの肩を叩いてからその場を立ち去る。
「すまねえ、お前の決定にとやかく言う気はなかったんだ……忘れてくれ」
『……後悔するなよ? 楔を壊したのだから……』
俺たちの前に立ちはだかった巨大な牙猪の姿をした祖霊は凄まじい力で俺たちと激しい戦闘を繰り広げ、そしてキリアンの聖剣光もたらすものの一撃でようやく地面へと地響きを立てながら倒れた。
牙猪はまさにその崇められた期間にふさわしいレベルの力で、大地を隆起させたり、亀裂を作り出したり、巨大な岩石を吹き飛ばしてきたりなどとてもではないがもう二度と戦いたくないな、と思うレベルの強さで俺も含めて全員満身創痍の状態だ。
牙猪の命を失った濁る赤い眼が、俺たちを睨みつけている気がして……いかんな、俺は首を振ってその考えを頭から除こうとする。
「キリアン様……これでよかったのですか?」
アナが不安そうな顔でキリアンに話しかける……彼女も俺と同じく、祖霊を倒すことは反対に回っていた。ウーゴも傷つきながらも、その牙猪の横に座り込んで、不満げな顔をしている。
俺も肩から血を流しながら、シルヴィに支えられて立っているがこの祖霊は邪悪なものではない気がするのだ……それに、確かに祖霊を祀る祠には生贄として捧げられていた人の骨などがあったが、骨に傷はなく、綺麗なものだったのだ。
「楔の村の皆が決めたことだ、僕らがとやかく言うことじゃない」
「で、でも……これではまるで……私たちが悪ではないのですか!」
そのアナの放った言葉にキリアンがカッとなったのか、彼女の頬を軽く叩いてしまった。それを見てエリーゼが慌ててアナを守るように駆け寄り、彼を睨みつける。
その目に気圧されたのか、キリアンは目を逸らしてそのまま少し離れた場所へと歩いていくが、その後ろ姿に向かってエリーゼが悪態を吐き捨てる。
「あーあ、女に手を上げる男って最悪ね! アナ、こっちに行きましょう……」
「どうしたのかしらね……彼らしくない気がするわ……」
シルヴィが不安げな顔でキリアンの後ろ姿を見つめている。そうだな……俺も彼らしくないと思った。それまで彼の行動は世界の平和、と言う目的のために命をかけていると言うのが明白だった。
祖霊を倒すなんてことは、それまで起きなかったことだったし、彼自身もそう言うことは避けてきたはずだ。なんでだ? 俺は昨日の夜キリアンが見せた暗い笑顔を思い出して少し不安を感じている。
「……わからない、俺はあいつの本心を知らないから……」
ふと視線を感じてキリアンを見ると……彼は俺のことをじっと見つめており、俺は背筋がゾッとするような気分になった。
その目は、感情がなく暗い……どこまでも虚無をたたえた暗い眼だ。そして手には光もたらすものが握られていて……気がつくと、俺はキリアンと二人きりの暗闇の中に立っていた。
それまで俺を支えていたはずのシルヴィもいない……ふと足元を見ると、そこには血まみれで倒れている愛するシルヴィの姿が……俺は慌てて彼女を抱き起こすが、すでに息はなく目には恐怖の色が浮かんだままだ。
「う、嘘だろ……何が……」
「この世界は滅びるんだよ、ノエル。俺は祖霊の魂から聞いた……覚えているだろ? 牙猪……あいつが教えてくれた。あいつは繋ぎ止める楔だったんだ」
キリアンが片手に苦悶の表情を浮かべ、命を失ったウーゴの頭を持って呟く……まるで滑るように俺の目の前に突然現れたキリアンはそっと指を差す。
俺が震えながら視線を動かすと、そこには磔となって炎に包まれようとしているアナと、そして……まるで病に蝕まれたような痩せほそった姿のエリーゼが俺に向かって手を伸ばしている。
アナはキリアンの名前を叫びながら焼き尽くされ……エリーゼは口からドス黒い血を吐き出しながら、キリアンに向かって呪いの言葉を吐いて憎しみをたたえた目のまま死んでいく。
「エリーゼ! アナ! キリアン、何をしているんだ! みんなが死んでいるんだぞ!」
「俺たちは罪を犯したらしい……繋ぎ止める楔が壊れたから全部壊れるんだ」
くすくす笑いながらキリアンはウーゴの頭を放り投げると、俺の頬にそっと手を添えてまるで愛しい女性を愛でるかのように優しくとても優しく撫でる。
俺の手の中に居たはずのシルヴィの死体が崩れ落ちる……俺は震えながらキリアンを見つめている。彼の目は全く感情を感じさせないどこまでも空虚な色だ。
歪んだ笑みを浮かべるキリアンの目は赤く光り輝いている……その目を見て俺は心底恐怖した。
「楔が壊れたんだよ。この世界も壊れる……良心も、正義も、光も壊れるんだ」
「ノエル? どうしたの?」
急に先ほどまでの風景に立っていることに気がつくと、どっと背中に汗が流れる感触を感じてその場に座り込む。心配そうに俺の顔を覗き込むシルヴィは……生きている。
ホッと息をついてからキリアンを見ると、本当に申し訳なさそうにアナに謝っており、アナは少し困ったような顔をしながらも謝罪を受け入れているようにも見える。
そしてそのキリアンに噛みつきそうな勢いで叱りつけるエリーゼの姿が見える。視線を動かすと、祖霊を縛り付けていた祠にそっと祈りを捧げているウーゴの姿も、よかったみんな生きているじゃないか。
変わらないいつもの風景だ、あれは白昼夢か? それにしてはやけにリアルだったが……、俺の視線に気がついたのかキリアンがいつも浮かべている人の良さそうな笑顔でこちらに向かって手を振っている。
……心の奥底に俺は立ち上がると、シルヴィに支えられながら歩き出すが、ふと耳に憎しみに満ちた声が聞こえた気がした。
『楔を壊したのだから……理が壊れたのだ』
「うぉあああっ!」
とてもではないけどお嬢様の悲鳴とは思えない悲鳴をあげて、私はベッドの上に跳ね起きる。なんだこの夢は……汗びっしょりになったパジャマが肌に張り付いて気持ちが悪い。
一緒に寝ているビーグル犬のノエルは、私が起きたことに気がついて腹を撫でろとばかりにひっくり返っており、私はため息をつきながらノエルのお腹をわしゃわしゃと撫でる。
なんだったんだ? キリアンが楔が壊れたって、確かに記憶にある牙猪の姿をした祖霊……神格を得て超巨大な体格と恐ろしいまでに発達した牙、そして天変地異を起こす凄まじい力を持っていた。強敵だったがノエルたちは力を合わせてあの祖霊を倒したんだっけ。
その後の村のことは記憶にない……この出来事の二年後にノエルは死んだし、世界がどうなったかわからないのだから。でも牙猪は言っていた、楔を壊したと。
それはなんだったのか……そして白昼夢は今まで全く思い出せていなかったが、こんなこともあったのだろうか? 思い出せない……今となっては不安感とかで変な夢を見たような気分になってしまうし。
罪を犯した? その祖霊を殺したからそれで世界が壊れる? きっかけを作ったのは前世の私たちなのか? 考えれば考えるほど訳がわからない気分に陥る。
もう何が何だかわからない……私は撫でられて喜ぶノエルを見ながら、混乱した頭のままシャワーを浴びるためにベッドから降りる。
「で、私の記憶が異世界に関連しているのと、この夢は何か関連しているのかしら……訳がわからないわ……」
_(:3 」∠)_ 裏話ですが……二〇話に一回過去回! とか言っててすっかり忘れて四話くらい一気に追加した話ですw 結果的には今後に向けた話になったので結果的にはヨシ!(オイ
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