第一二六話 達人(アデプト)
ニムグリフ暦五〇二〇年、アルネリア大陸にあるガイスカ平原の戦いにて。
「何も見えないですね……」
隣に立っている兵士が緊張した面持ちで陣の外に広がる霧を見て不安そうに呟く。そうだな……この霧はなんらかの意図を持って魔法か何かで起こされたものだろう。
じっと霧の中を見つめるが、この視界の悪さに乗じての攻撃は行われていない……どういうことなのだろうか。
「油断はできねえけど、何考えてるんだ……」
今俺たちが対峙しているのは同じ人類の軍隊……自主独立を望み魔王との戦いには不参加を決め込んだ国の軍隊だ。俺たち光をもたらす者達が所属している国とは敵対をしていた国ではあったが……まさか人間同士の戦争になるとはな。
ただ、戦いは勇者とその仲間に率いられた軍勢が終始優勢に進めており、彼らは苦しい戦闘を繰り返しており、このガイスカ平原が最後の戦いになるであろうと予想されている。
「ノエル……どうだ? 敵はどう動くと思う?」
「キリアン……俺は別に軍司令官じゃねえぞ、一兵卒だって言ってるだろ」
俺に声をかけてきたキリアンに俺は肩をすくめて返事をする……そう、この軍隊の指揮官は勇者であるキリアンであり、副将は国の国教を崇拝している神官であるアナだったりする。
まあ、キリアンはともかくアナはほぼお飾りで本人も別に戦闘指揮なんてやれるわけもなく……負傷者の治療に専念しているわけだが。
「本当はノエルが副将って話をしたんだぜ、でもお前の素行の悪さでダメだったんだよ。ったく……出立前に下級貴族の娘に手を出すなよ……大変だったんだぞ」
キリアンが不満そうな顔で俺の横に立つ。そう……実は少し前に俺に恋心を抱いた下級貴族の娘と祝賀会で出会い、俺はいつもの調子で声をかけ……床を共にした。
俺自身は一夜のお遊びのつもりだったが、娘は弄ばれたと知って自殺未遂事件を起こしてしまい……その件が王にバレてしまった。
それまでは副将として俺が内定していたそうだが、流石に素行の悪い人物を部隊指揮官へという話は難しくなり、結果的にそれほど酒に強くないキリアンの酒量が恐ろしく増えるという結果に落ち着いたわけだ。
「……あの子が貴族の娘なんて気が付かなかったんだよ。でもまあ、胸は大きくてよかったぞ、なんていうの……うちのメンバーにはない包容力がだね……」
「……へえ……そんなに胸の大きな娘が好きなんだ、ノエル兄は……」
怒気を感じる声で、俺の後ろからシルヴィが指をパキパキ鳴らしながら笑顔で俺を見ている。あ、これ後で折檻される流れですね本当にありがとうございます。
でも俺は彼女を怒らせるのが本意では無いので、一応フォローを入れることにする。
「まあ待つんだ……人の魅力は大きさじゃ測れな……グエッ……」
無表情のシルヴィの裏拳が俺の顔面へと容赦なく叩き込まれる。俺は痛みに耐えつつ戦場に流れる空気の変化を感じて、キリアンの肩を軽く叩く。
俺の顔を見て呆れたような表情を浮かべていたキリアンだったが、俺が彼の肩を叩いた理由を察知したのか真顔になって周りの兵士へと檄を飛ばす。地響きのような、それでいて統制の取れた音を立てて、敵軍がゆっくりと姿を表していく。
「……くるぞ!」
『神よ、我が元に来て敵を討ち果たしたまえ』
『神よ、我が元に来て敵を討ち果たしたまえ』
「壮観だねえ……」
霧の向こうから一糸乱れぬ隊列を組んで重装歩兵が歩いてくる……歩兵達は口々に彼らの国で信仰されている神の教えを唱えながらじわじわと俺たちのいる陣へとゆっくりと迫っている。
俺は片手をあげてウーゴへと伝えると、彼が指揮する弓隊への準備を進めさせる。敵軍歩兵は盾と槍を前面へと構え直しているのが見える。先制攻撃は俺たちがやらせてもらおう。
俺の合図を見てキリアンが射撃命令を発する……味方の弓兵隊が射撃を開始し、凄まじい速度で矢が敵軍へと降り注ぐ……敵の先陣の幾人かがその攻撃で倒れるが、敵軍はそんなこともお構いなしにゆっくりと突撃陣形を整えていく。
『邪悪を滅ぼす力を与えたまえ』
『邪悪を滅ぼす力を与えたまえ、突撃!』
その言葉と同時に、敵重装歩兵が凄まじい勢いで突進を開始する。キリアンがその光景を見て、味方の重装歩兵部隊を前面へと展開させて防御体制を取らせる……陣へと飛び込んでくる敵重装歩兵の突撃を間一髪で受け止めると、押し合いが始まる。
軍同士のぶつかり合いは乱戦へと発展し、俺は陣へと迫る敵兵を斬りながらもずっと前に出る機会を窺っていたが……敵兵の精強さもあり防御に徹せざるを得なくなっている。
それでも全体としては俺たちが優勢だ……でも敵軍は一向に引こうとしない。
『邪悪を滅ぼす力を与えたまえ』
『邪悪を滅ぼす力を与えたまえ』
敵兵は呪文のように同じ言葉を唱えながら突進してくる……凄まじく異様な光景にこちらの兵士の士気が落ち始めている。
その敵兵の様子は熱狂的な狂信者のように見えるが……相手の国は宗教を母体とした国家運営がなされており、その最高司祭が俺たちを悪として認定した、という噂話も流れてきている。
邪悪か……彼らからすると勇者という名前を使って威圧的な外交を繰り返してきた俺たちの国は悪なのだろうな。俺は全て破壊するものを引き抜くと、その猛烈な押し合いの現場へと駆け込んでいく。
この戦場をあと一押しすれば、敵軍の後退を促せるだろう……これ以上人間同士で殺し合いをすることも、意味がない。
「あと任せた! 死んだら骨拾えよ?」
「あ、おい……勝手に……ああ、もうっ!」
キリアンの悲鳴にも聞こえる声が響くが、俺はお構いなしにその戦いの場へと突撃する……全て破壊するものを振り抜いて数人の重装歩兵を切り裂くと、俺は空蝉を放って進行方向にいる敵歩兵を片付けていく。
血飛沫と悲鳴があたりを包んでいく……これ以上は虐殺になってしまうな。
「お前らがいうところの邪悪の化身の剣聖様だぜ! これ以上は無益だ、後退しろ!」
俺の名乗りに敵重装歩兵が怯んだような様子を見せる……いきなり現れていきなり重武装の歩兵を切り裂いたのであれば仕方ないだろう。俺が一歩出ると……敵兵が一歩下がる……・
味方の兵士たちは俺をまるで英雄かのような眼差しで見ている……はっはっは、そんな目で見なくても良いのだぞ、はっはっは。
「さすがですね……剣聖」
急に威厳のある声をかけられて……俺はその方向へと向き直る。そこには周りの重装歩兵とは少し違った格好の騎兵刀を腰に差した美しい女性が立っている。
周りとは差があるものの薄片鎧を中心とした稼働部を大きくとったデザインの鎧を着用している……剣士か……。
しかも……俺の勘にめちゃくちゃビンビンくるものがある、こいつは強敵だ。
「あー、戦う前に名乗るよ、それが礼儀だろう。俺の名前はノエル・ノーランド……ミカガミ流の剣聖だ」
俺は剣聖としての儀礼に則った挨拶を行う……とはいえ簡易的なのでこれを師匠が見ていたら頭殴られただろうな。
その名乗りに剣士は腰の騎兵刀を引き抜くと顔の前に立てるような儀礼用の構えを見せた後に、笑顔で名乗りをあげる。
「我が名はリディヤ・ラーベ……リュンクス流の剣士なり。そしてこの騎兵刀は聖剣ベランなり」
リディヤはそう宣言すると高々と聖剣ベランを掲げる……確かに、あの剣はキリアンの持っている聖剣よりも力は劣っているだろうが、聖剣と称するだけの聖なる力に満ちているようだ。彼の宣言とともに、ベランは強く輝きを放つ……驚いて後退する味方の兵達……それと眩しっ。
俺は苦笑いを浮かべながら一度全て破壊するものを振るってリディヤと対峙する。
「聖剣……ねえ……、確かに聖なる力に満ちているし力も強そうだ。でもなんで俺の前にきた? 普通キリアンに勝負挑むだろ」
「……剣士の性故よ。お前を倒して私が新世代の剣聖となる」
俺の疑問をこうも気持ちよく返してくると……俺もやる気が出てくる。そりゃそうだ、俺は剣聖となってから本気で能力を使ったことなんてない。
俺の称号が欲しい連中はそりゃあもちろん卑怯なあの手この手を使って攻撃してきた……俺が女性好きという噂から、散々女暗殺者を寄越してくる流派の連中もいたし、子供を暗殺者として使ってきた連中すらいるのだ。
「……いいだろう。俺の一撃を受け止められるのであれば、達人の称号をくれてやる」
俺は獰猛に笑うとリディヤへと攻撃を仕掛ける……多重分身攻撃と紫雲英に見せかけた必殺の一撃を組み合わせた、相手の力量を測るための名も無き技。
あらゆる方向から俺の斬撃がリディヤへと迫る……だが本命は。
「……右ィッ!」
甲高い音を立ててリディヤが持つ聖剣ベランが俺の斜め右袈裟がけを受け止める……マジかよ、俺は手加減したつもりはないんだけど。
ギリギリと俺はそのままリディアの剣を押し込み、顔を近づける。あまりの俺の膂力に苦痛を感じているのかリディヤの顔が歪んでいるが……本当にスッゲー美人だな、戦場で斬ってしまうには惜しい。
「……後退しろ、他の戦線は君らの軍が劣勢だ。生憎君みたいな美人を斬る剣は持っていないんだ」
「な、何を……ミカガミ流剣聖は女癖が悪いと聞いていたけど、想像以上ね」
あくまでも戦う姿勢を見せるリディヤだが、戦場に敵の撤退の角笛が鳴り響く……チッ、と舌打ちをすると俺の胸に蹴りを入れてリディヤは後方へと大きく跳躍する。
俺はあえてその蹴りを受け止めると、全て破壊するものを鞘へとしまい宣言する。
「其方の研鑽、誠に天晴。剣聖の名において、今日より達人を名乗るが良い!」
「承った、感謝する! 次はその剣聖をいただこう!」
リディヤがニコリと笑って撤退していく……俺は肩の荷が降りた気分で大きく息を吐くと、兵士たちを見て頷く。怒号のような、歓喜の声が広がっていく。
まずは初戦、人類同士の戦いに勝ったのだ……次は、こちらが攻める番だろう。ここで急速に意識が覚醒していく。
「また夢か……」
私は真っ暗な部屋で目を覚ます……私の横にはビーグル犬のノエルが幸せそうな顔で寝ており、思わず軽く撫でてしまうが、ノエルは目を覚そうともせずにグフー、と鼻を鳴らしている。
さっきの夢はこれまたリアルだった……リュンクス流剣士いや、達人リディヤ・ラーベか、どことなく日本人に似た雰囲気の女性だったが、恐ろしく美人だったな。
前世の世界ではいくつもの流派があって、それぞれ技を競い合っていた。ただ剣聖を名乗ることが許された剣士は少なく、ノエルはその時代においてたった一人の剣聖だった。
それゆえに命の危険を感じており、幾度となく暗殺対象となった……と記憶が語っている。
こんな夢を見た、ということは……ノエルの魂が危険を感じて私に警告しているのだろうか? それにしたってあんな美人の剣士の記憶をなあ……ノエルらしいといえばノエルらしいのか。
傍で腹を出してひっくり返るビーグル犬のノエルを軽く撫でながら私は独り言を呟く。
「もしかして……ドゥイリオさん以来の剣士同士の戦闘があるかもしれないわね……気をつけなければ」
_(:3 」∠)_ 剣士同士の戦いとか、そういうのあんまりやってないので増やそうって思った
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