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年越しは毒舌幼馴染と

 磁石を砂場に近づければ、当たり前の話だが砂鉄がくっつく。


 例え砂鉄がどれだけ上手に砂の中に潜り込んでいたとしても逃げる場所はないのだと言わんばかりの磁力が砂鉄を引き寄せる。


 掃除機の前に置かれた小さな埃も同じく、自らの無力さを嘆きながら吸い寄せられていく。


 


 同時に、俺たち人間という存在にも、そういった磁石または掃除機のような存在がある。


 抗い難い力、抜け出せない暴力。そ・れ・の前では人間は無力だ。ただ平伏して時が流れるのを待つことしかできない。


 


 いや、むしろ抗うことの方がおかしいのだ。それは俺たちに与えられた暖かな平穏、安らぎの土地。それに逆らって抜け出そうとするなど、愚の骨頂なのだ。流れるプールに逆らう馬鹿がいるか? 大人しく流れとけ。


 


 だからこそ、今俺がこうやって頭を垂れながらそ・れ・にひれ伏しているのは、ある意味当たり前のことだといえる。逆らう意味などない、むしろ、逆らわない方がいいのだから。


 


 世の中には、今の俺のこの姿を情けないと、みっともないと罵る輩もいるだろう。


 否定はしない。客観的に見た今の俺の姿はとてもみっともなく、まただらしない。


 


 だがそれがどうした? こうすることによって快楽を得られるのであれば、俺はためらいなくそれを実行する。それの何が悪い? 何故非難を受けなければならないのだ。


 


 俺は声を大にして言う。俺の今の行為は正しいことだ。だからこそ、何人たりとも俺を馬鹿にすることなどできないし、罵ることも出来ない。


 


 俺はそんな意思を目に灯し、俺のことをゴミを見る目で見つめている幼馴染を睨みつける。どうか、俺のこの行為を邪魔してくれるな。


 


 しかし非情なことに、幼馴染は冷たい視線のまま、口を開いた。


 


 


 


 


 


「で、結局その戯言が、一日中コタツの中でゴロゴロしていいという理由になりえるとでも思ったのかしら?」


 


 


 思ってました。


 


 


 


 ▼


 


 


 


「……なるほど、あなたは年越しという年に一度しかない行事を、コタツの中でゴロゴロしたいからというしょうもない理由で無駄にしようとしていたのね」


「無駄じゃない。こうすることによって俺は快楽を得られるからな」


「殺すぞ」


「年の瀬だからか攻撃的ですね」


 


 淡々と吐かれる暴言に怯えながら梨乃を見上げる。


 梨乃は、コタツの中に全身を入れ顔だけを出している俺の目の前で仁王立ちをしたまま、ため息を吐いた。ちなみに今日の梨乃の格好は膝丈ほどまでのスカートなのでもう少しこちらに近づくと中身が見える。わくわく。


 


「まあ、あなたがそんな生産性のある人間だとは思っていなかったけど……」


「もしかしなくても酷いこと言われてる?」


「それで、今日は本当に家でダラダラする予定なの? 誰かと遊びに行かないの?」


「その予定はないな」


「ああ、友達いないものね」


「いるわい! たまたま今日は予定が合わなかっただけだし!」


「……っふ」


「何笑ってんねん」


「ま、しょうがないわね。じゃあ私もコタツにお邪魔するわ」


 


 梨乃はそう言うと、俺の向かい側に腰を下ろしコタツに足を入れる。足を入れる際に冷たい空気が入ってきて、俺のふくらはぎを撫でていった。


 


「……ちょっと、足が邪魔なんだけど」


「えー……動けん」


「しょうがないわね……」


「え、なんかしてくれんの?」


「のこぎりでいい?」


「切る気!?」


「あ、電ノコ派だったかしら」


「変わってない! なんでちょっと譲歩したみたいな顔してんの!?」


 


 コタツに入っているはずなのに寒気が脊椎を駆け巡り、俺は弾かれたように起き上がる。その結果、背中をコタツの天井部分にぶつけてしまった。


 痛がる俺を、呆れた目で見つめる梨乃。


 


「馬鹿なの?」


「そういうシンプルな罵倒は意外と堪えるからやめて」


「ねえなんで蜜柑がないのかしら」


「えー……リビングにあるから自分で持ってきてくれ」


「は? 客人を働かせるつもりなの? あなた、常識というものが備わってないのかしら」


「ほぼ毎日不法侵入してる奴が客人なわけないだろ。ていうか最近合い鍵がなくなったんだけど絶対お前だろ返せ」


 


 俺がコタツに入り直し、背を丸めた状態で梨乃を睨むと、彼女はついと目を背けた。


 


「文句なら花梨に言ってちょうだい。あの子が勝手に持ってきたんだから」


「持ってきたんなら返せよ。なんで自分のモノにしてんの?」


「治外法権よ。あなたのルールは私には適応されないの」


「それ使い方あってんの?」


「うるさいわね。さっさと蜜柑取りに行ってきなさいよ。ぶん殴るわよ」


「ちょっと暴力的になってない?」


 


 そう言いながら、俺はコタツから抜け出る。これ以上言いあっていても無駄なだけだ。暖かくなった半身が急速に冷えていく感覚に震えながら、俺は自室から出て行った。


 


 


 ▼


 


 


 蜜柑を持ってリビングから帰ると、完全にコタツの中に入り切った梨乃の姿がそこにはあった。


 頭までコタツの中に入れているのか、彼女の腰まで届くほどに長い濡羽色の髪が、コタツの中から乱雑に飛び出していた。


 


「おい、何してんだ」


「ご苦労様」


「せめて顔出して言え」


「はい、早く蜜柑」


「手だけを出すな手だけを」


 


 コタツの中からにゅっと伸びて来た、白い腕を掴む。リビングに行って戻るまでの短い間だが、俺の掌は十分に冷やされていたのか、掴まれた梨乃の腕がびくんと跳ねた。次いでぴょこんと梨乃がコタツから飛び出す。


 


「ちょっと、何するの!」


 


 珍しく声を荒げる梨乃。何だかしてやったりだ。


 


「人を奴隷みたいに扱った罰だ。甘んじて受け入れろ」


「最悪、今すぐ消毒しなくちゃ……」


「あれ、もしかして違う意味で怒られてるの俺?」


 


 梨乃は嫌悪感を隠そうともせずに、近くにあったティッシュペーパーで俺が振れた部分をごしごしと拭っている。とてもショックである。


 


 梨乃は一通り腕を拭い終わると、コタツの上に置かれている蜜柑を徐に手に取った。


 


「半分いる?」


「もらう」


 


 コタツの中に入ると、再び言葉に出来ぬ幸福感が温もりと共に押し寄せてくる。


 両手を入れて、顎をコタツの上に置いて温まる。俺の目の前には、両肘をコタツに置いて懸命に蜜柑の皮を剥く梨乃の姿が。どうやら梨乃は白い筋を全て取りたい派らしく、目を細めながら白い筋を摘まんでいた。


 


「白い筋、食べないのか?」


「美味しくないじゃない」


「そこに栄養がたくさん詰まってるんだぞ」


「興味ないわね」


「……あっそ……」


 


 まあ、初めから聞いてもらえるとは思っていなかった。


 全ての白い筋を剥き終わった梨乃は、達成感に満ちた表情で息を吐く。そしてそのままその蜜柑を半分に割り──


 


「はい、半分あげる」


 


 ──蜜柑の皮と白い筋をこちらに寄こしてきた。


 


「いやいや、おかしいだろ」


「好きなんじゃないの?」


「限度があるでしょ。え、お馬鹿さんなの? 俺のこと草食動物か何かだと思ってるの?」


「あなたが好きって言ったんじゃない」


「白い筋単体を好んで食べるサイコ野郎がいると思うか?」


「面倒くさい男ね……ほら、半分あげるわよ」


「なんで俺が駄々こねたみたいになってんの……まあ、一応もらうわ。ありがとう」


 


 半分に割られた蜜柑を手渡される。ちょんと触れた指の先の冷たさが心地よい。


 俺に蜜柑をあげた梨乃は、残った半分をもそもそと食べ始める。どうでもよいが、コタツの中に入っていると何故か梨乃がとても小さく見える。


 


「やっぱ冬はコタツに蜜柑だよなぁ」


「それより、初詣とかは行く予定なのかしら」


「え? えー……いや、面倒くさいからいいや」


「行く友人がいないものね」


「いやいるから。勝手にぼっちにしないでくれ」


 


 ただちょっと予定が合わなかっただけだから……多分。


 不安げな表情をする俺を見て、梨乃はあざけるような笑みを浮かべている。何だか悔しい。


 蜜柑を口に放り込んで、梨乃に言い返す。


 


「ていうか、そういうお前だってここにいるじゃんか。ぼっちだろ」


「別に、私は友人が欲しいなんて思ったことないもの。それに……」


 


 そこまで言うと、梨乃は少しの間黙り込んで、こちらをじっと見つめて来た。


 


「……それに?」


「…………なんでもないわ」


 


 しかしそれ以上何も言うことなく、梨乃はついと視線を逸らしたのだった。


 その意味が理解できずに、俺は首を傾げながら新しい蜜柑を手に取った。皮を剥いて、半分にして梨乃に渡す。


 


「白い筋を剥かないなんて、デリカシーの無い男ね。冤罪で捕まればいいのに」


「なんで筋取らないだけで捕まんなきゃいけないんだ」


 


 もぐもぐと蜜柑を頬張りながらこちらを睨む梨乃。何だかその絶対零度の視線も、コタツに温められて心なしか可愛らしい。


 


「ねえ、漫画取って来てよ」


「自分が読むんならお前が取れ」


 


 俺の言葉に、しぶしぶといった感じでコタツから立ち上がる梨乃。寝そべっていたせいでスカートに皺が寄っている。


 


「あ、俺も読みたいから何冊か取ってきて」


「あなたみたいに自分の力を使わずに他人をこき使おうとするダメ人間が将来どんな人間になるのか、一度未来へ行って確かめてみたいわね」


「なんだブーメラン早投げ選手権日本代表か?」


「ま、どうせ来年あたりには死んでるからどうでもいいけど」


「なんで俺実家のハムスターみたいな扱いなんだよ」


 


 どさりと、コタツの上に数冊の漫画本が積み上げられる。俺は一番上に置いてあった本を手に取って、ごろんとうつぶせになって読み始めた。


 梨乃も漫画を手に取り読み始める──が、コタツに入ってきた彼女の足が、コタツの大半を占める俺の脚に触れた。彼女は顔を顰め俺の脚をとんと蹴った。


 


「ちょっと、邪魔なんだけど」


「えー……ちょっと足ずらせば?」


「ずらしても当たるから言ってるのよ、ちょっと退いて」


「うーん……」


「完全にダメ人間になってるじゃない」


 


 生返事しか返さない俺に呆れたのか、梨乃はため息を吐く。


 


「ま、私にいい考えがあるわ」


 


 そう言うと、何を考えたのか、コタツから出て俺の横に座り、ぐいと俺を横に押し退けてコタツに足を突っ込んだ。


 


「……何してんの?」


 


 顔を上げ、急激に近くなった梨乃を見る。寝転がっているので、コタツに肘を置いて漫画を読んでいる梨乃の表情は窺い知れない。ただ、ちらりと見える彼女の耳は、かすかに赤みがかっているような気がした。


 


「あなたが頑なにどかないから、私も強硬策を用いたまでよ」


「あ、そうなの……まあ別にいいけど」


 


 うつぶせになって漫画を読んでいるので、俺の右わき腹に梨乃の温もりが感じられる。いつもよりも近いその距離に、何故かどきりとしてしまった。


 


「そういえば、花梨ちゃんは?」


「友達の家で年越しパーティやってるらしいわよ」


「相変わらずだな……」


「変な友達と付き合ってなかったらいいのだけれど」


「大丈夫でしょ。この前遊んだ時もしっかりしてたし」


「ああ、あなたが幼馴染の妹に発情して連れまわしたあの日ね」


「……あれ、同じ日のことについて話してる?」


 


 読み終わった漫画をコタツの上に置く。鳩尾辺りまでコタツに入っているので、当たり前だがとても暖かい。


 暖かいと、まるでそれが運命だとでも言いたげに眠気がすり寄ってくる。


 俺はその眠気を全て受け止め、意識を泥濘の中へと落としていく。


 ぼんやりと宙に浮く思考の中、梨乃の声が聞こえた。


 


「あなたが……なら、一緒……もうで……あげ…………いけど?」


「………………んぁー……」


 


 何か言っているようだが、眠気のせいで言葉を言葉としてとらえられない。返事のような何かが口から漏れ出ていく。


 ふと、何かが俺の頬に触れた。


 それが何かわからないまま、俺の意識は完全に落ちていったのだった。


 


 


 ▼


 


 


 翌日、コタツで寝たため普通に風邪を引いた。


 風邪をひいたので外出できないと梨乃に言うと、何故か不機嫌になっていた。やはり女心はわからない。

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